沖縄の長兄
モルタル壁の事務所の外階段を昇り、傷だらけアルミのドアを開けると、突き当りは所長室。そこには日焼けした初老男が首を長くして待っていた。こちらの顔を見るなり、まるで遠路はるばる里帰りしてきた末弟を迎えるように、いそいそと、応接セットを指さしながら相好を崩し立ち上がる。二回り近く歳が違うはずだが、なぜか、とても馬が合った。
右側通行から左側通行になってまもなくの頃、那覇防衛施設局から、那覇軍港や牧港地区の改善計画など港湾がらみの仕事を受注していた。毎年、二、三回、来沖する機会があったが、所長との仕事の打合せは特になく、もっぱら夜の打合せが多かった。
実直そうな雰囲気で、静かに所長室で読み物をしている長兄だが、就業時間に近づくや、胸ポケットから出した小さな櫛でポマードの髪をなでつけ始める。ブレザーを羽織り、久茂地のクラブに足を踏み込めば歩く姿も様になり、定席のソファーに深々とからだを沈めているうちにジャガイモ顔が暗い照明のなかで、グーンと渋みをましてくる。エキゾチックな雰囲気がある沖縄は東南アジアで仕事をしてきた身には違和感がなく、兄さんの一の子分に変身する。
出張を重ねるうちに、カウンター越しに、『二見情話』を手始めに沖縄民謡を一曲ずつ覚えていった。だが、不思議なことに、長兄は歌わない。クラブで歌うのは末弟だけだ。チャラチャラ歌うのはまだ初年兵と言わんばかりに、目を細めながらタバコをくゆらして聴いている。何軒、梯子をしてもこちらが支払ったことはなかった。まだ、出張所の営業費はスズメの涙の時代、よくも、まあ、豪勢に飲ませてくれたものだ、と感心していたのだが、後任の所長が教えてくれた。営業費はビタ一文使っていない。
長年お付き合いさせていただいたが、思い返すと、那覇の夜風に吹かれ酒を飲んでいた情景ばかり浮かんでくる。奥様を亡くして、大宰府から単身赴任で寂しかったのだろか、飲んでいたときの顔はいかにも楽しそうで、たまに訪れる本土の仲間と気兼ねなく飲みながら、初心な弟に酒の飲み方を仕込む兄貴の気分だったのだろうか。
その長兄も亡くなり、久しぶりに久茂地へくり出す夜があった。懐かしさにひかれて、二人つるんでいた昔の店に入っていく。しかし、いつもの顔ぶれは見当たらず、まったく違う店だ、長兄のいた奥のソファーには知らない男が座っている。
なんで、あれほど大事にしてくれたのだろうか、といつもの甘え心そのままに、タバコの煙の向こうに揺らぐミラーボールに目を遊ばせて、カラオケの沖縄民謡を耳にしていると、薄暗いソファーの背もたれから、あのポマードのにおいがプーンと鼻先をよぎったような気がした。
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