とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

映画「ノルウェイの森」を観て再考

2010-12-22 16:49:31 | 映画

昨日も長く感想をあれこれ書いたのですが、
もう少しすっきりしなくてまたあらためて書いています。

映画のアラをさがすわけではないのですが、
原作に思い込みが強いために違和感を引きずっています。

何が一番大きい要素なのかと思っていましたが、
一日たって少しずつわかってきました。

小説の中では様々なキャラクターの登場人物が登場します。

その一人一人がとても個性的で魅力的なのです。

登場人物のことを考えながら、
ストーリーを膨らませていくことが小説の楽しさなのですが、
それがほとんど削られた形で映画が構成されていることが、
もっとも違和感を感じるところなのでしょう。

ワタナベの親友であり、直子の幼なじみで恋人とのキズキの性格描写が、
もう少しされていないと、
なかなか3人の微妙な関係が理解しにくいのではないかと思います。

映画のままでは、直子を取り巻く三角関係、
しかもワタナベの横恋慕という関係すら想定されてしまいます。

17歳で自殺したキズキへの思いや痛みを伴ってこそ、
ワタナベの直子に対する愛情というものが
理解されるのではないかと思います。

キズキへの愛情のためにだんだん死に近づいていっている直子を、
生の世界に引き戻そうとして、
それができないでいるワタナベの苦悩という肝心の所が
描かれていないように思います。

もう一つ描いてほしかったのは、
ワタナベの学生寮のルームメイト“突撃隊”です。

せっかく柄本時生を起用しているのに
ほとんど影響のないところで描かれています。

規則正しい生活をして、毎日朝6時半のラジオ体操は欠かさない
地理学を専攻している学生についてもう少し描写してほしい気がしました。

学生寮は右翼的な人間が創設したという事実ともう一人特徴的な人物永沢です。

この人物は東大法学部を現役で合格し、
寮でも一目置かれている人物と描写しています。

寮でもめ事があった時に、上級生の前で土下座をしたうえに、
上級生が用意した大きななめくじを、
3匹飲み込んで事を納めたという伝説までもっている人物です。

金に不自由なく、飲みに行って女の子を口説き、
今までに70人くらいの女性と寝た男という描写なのですが、
ハツミという恋人もいながら、
なぜ彼がそういう行動をしなくてはいられないのか
そこら辺も含めて人物描写をしてほしい気がしました。

レイコの描写も中途半端です。

彼女が阿美寮に入ったいきさつや、
阿美寮での直子やワタナベへの関わりもかなり省いてあります。

ワタナベが阿美寮を訪ねた時にレイコが果たす役割はかなり大きいと思いますが、
そこを省いた形で、最後の場面、レイコが旭川に旅発つ前に、
ワタナベのアパートを訪ね、彼女からワタナベにSEXを誘い、
そのことを通して彼女が何らかの再出発点にすることの意味が、
伝わりにくいのではないかと思います。

レイコがワタナベを訪ねた時に、何を食べるか尋ねられて
「すき焼きを食べたい」と言います。

阿美寮では、ほとんど食事をしないで煙草ばかり吸っているレイコが
「すき焼きを食べたい」という事実は、
社会に向けて再出発している意味でも重要だと思うのですが、
映画の中では二人でインスタントラーメンを食べています。

ワタナベが、直子の自殺という事実から逃れるために傷心の旅に出て、
やっと帰ってきた直後という設定があるにしても、
インスタントラーメンはどうなんでしょう。

阿美寮の医師や、入寮者たちが交わす会話も非常に興味深いのですが、
そのことも省いています。

ここはやっぱり描いてほしかったと思います。

現実に生きているワタナベと、生と死の間を徘徊している直子と、
両者の違いをはっきりさせるために必要だったのではないかと思います。

もう一つ大きい違いですが、ミドリがワタナベの行動を怒って、
しばらくワタナベを無視してしまう場面です。

原作ではデートしていてコーラを買いに席を外したワタナベに
「髪型が変わったことにも気づかない。
今日はあなたの所に泊まるつもりでした」と
公園のベンチで書いた手紙を、
心ここにあらずのワタナベに渡して帰ってしまうという
いかにもミドリらしい行動なのですが、
映画では、バーで
「今私が何をしたいかわかる?」
「場所柄をわきまえろよ」
「そんなことを言われるとは思わなかった」と
その場から立ち去るいう形になります。

それは、直子が嫌っている彼氏の台詞なのです。

ワタナベは直子にそんなことは言わないと思います。

ワタナベと直子とミドリの3人のラブストーリー仕立てになっていることで、
周囲の人間をそぎ落とした感があります。

これで、良かったかどうかということを言うつもりはありません。
あくまでトラン・アン・ユン監督が感じた「ノルウェイの森」なのだから、
彼が日本で青春時代を送っていないことも影響があると思います。

日本の社会で精神疾患がどのような位置づけになるのか、
その結果の自殺がどのような位置づけになるのか
そこらへんの理解が若干違うのかもしれません。

現在のような生活苦を伴った自殺が3万人を超える時代ではなく、
1969年という時代でのできごとだということです。

原作に忠実にと言っているのではありません。

私の中の違和感について触れるとこういうことになるということです。

映画の質は、非常に高いものだと考えています。
評価の点ではかなり高い点をつけたいと思います。

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