とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

東広島市 旧木原家住宅

2010-03-23 23:08:00 | 写真日記
西条に行った帰りに、もう一つの見どころである白市の街並みを撮影に行きました。
白市は古い街並みが残っていることで知られています。
中でも、旧木原家住宅は国指定の重要文化財となっています。
町家としては、全国屈指の歴史をもっているそうです。
創建が江戸初期の古い順から数えて6番目に当たるそうです。
創建は1665年ということになっています。
鬼瓦に寛文5年と銘が入っていることが根拠になっています。

 

 

 

旧木原家住宅のある白市の町並みは、
北端にある養国寺(元暦元年=1184年頃創建の伝)の門前町として発達した集落です。

1503年平賀弘保が白山に築城以来この町を積極的に発展させました。
1617年から春秋に牛馬市が開かれるようになり諸興業や露店が誘致され、
ますます市も振興してきました。

  

白市の牛馬市は、明治、大正、昭和(戦前)にかけてこの近郷の最大の行事としてにぎわったそうです。

この牛馬市に出資し、白市繁栄の基礎を築いたのが、
この豪商木原家を筆頭に白市の商人達だったそうです。

 

木原家は、白山城の支城、高屋東木原城 木原美濃守保成(弘保の弟)の子孫で、
江戸時代初期に白市に移住し、以後代々商人として繁栄したそうです。

木原家は製塩、酒造、両替などの商いをし、芸南有数の豪商となりました。
ことに製塩業は塩田開発を行ったのをはじめ、各地に大規模な製塩業を起こしました。

  

桁行12.6m、梁間13.6mの一重切妻造りで、間取りは梁行に三分され、
正面右側に土間が奥まで続く通り庭とし、
左側に二列の居部屋が「みせ」「ざしき」と並んでいます。

また寝間が納戸構えになっていること、「みせ」は板間であることなど古い形を伝えています。


 

  
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