2012年 キネマ旬報 日本映画ベスト・テン 第1位の作品です。何とか観たいと思っていたら久しぶりに行ったTSUTAYAにありました。
ヤン・ヨンヒ監督が今なお北朝鮮で暮らす家族を思い、書き上げた「兄~かぞくのくに」小学館の映画化です。
ヤン・ヨンヒ監督はドキュメンタリー映画はドキュメンタリーで自らのルーツや家族を描いていましたが、監督初のフィクション映画です。
監督・脚本ともにヤン・ヨンヒです。
この映画は監督、ヤン・ヨンヒさんの実体験をもとに作られたフィクションです。
ヤン・ヨンヒさんは在日コリアン2世です。1964年生まれの女性映画監督です。
かつて、1970年代に差別や貧困に苦しんでいた在日コリアンが、当時“地上の楽園”と謳われた北朝鮮へ集団移住した帰国事業がありました。
吉永小百合の映画「キューポラのある町」でも描かれています。もちろん、井筒和幸監督の「パッチギ!」にも描かれています。
これに参加した兄が病気治療のために25年ぶりに日本へ帰国することになります。
25年ぶりに帰ってきた兄を取り巻く家族の状況を描きます。
父親は、朝鮮総連の東京支部の副支部長です。母親は喫茶店を経営しながら家計を支えています。
妹は、日本語学校に勤めています。父親の生き方に対してどこか納得のいかない家族の前に兄が帰ってきます。
日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄が帰ってきます。
そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許されます。
25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから日本の社会で自由に育ったリエ(安藤サクラ)とは微妙な溝が生まれます。
兄を送った両親との家族だんらんも、微妙な空気に包まれています。
兄のかつての級友たちも、奇跡的な再会を喜びます。
その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられます。
なんとか手立てはないかと奔走するリエたちです。
そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってきます……。
感想を一言で言えば、真実が描かれていること、それも家族の視点から描かれた真実にに言葉を失います。
ヤン・ヨンヒ監督には、実際に北朝鮮への帰国事業で離ればなれに育った3人の兄がいるそうです。
映画が始まると、ドキュメンタリー映画の監督らしい雰囲気がたっぷり伝わってきます。
ソンホ(井浦新)は物静かで日本では言えない真実をいっぱい持ってきているんだろうということを感じさせます。
キネマ旬報の主演女優賞を獲得したリエ(安藤サクラ)の演技は圧巻です。
リエの目線を借りて、私たちは映画の世界に入っていきます。
時がまるで止まっているような、自分から思考を停止しなければ生きていけないと語る兄の姿に戸惑いながらぶつかっていく姿は圧巻です。
リエが北の監視人ヤン同志(ヤン・イクチュン)に対して「あなたもあの国も、大っ嫌い!」と言い放ちます。
これに対してヤン同志は、怒りもせず静かにリエに語りかけます。「あなたの嫌いなあの国で私もあなたのお兄さんも生きているんです」と切り返します。
このシーンは監督自身の映画を通して本当に言いたいことだったのかもしれません。
ソンホとリエの別れのシーンは、緊張感、緊迫感を伴った何とも言えない名シーンです。
ソンホは父親の立場を考えて帰国事業に参加します。儒教思想からくるものか、あの国に関わる人たちならではの問題なのか簡単には理解できません。
でも、ソンホが思考を停止して生きていかなければならない現実は?と考えると想像できません。
でも、戦前の日本にもこういう状況があったのだと思います。
学徒動員で徴兵された学生たちも、やはり思考停止していたのだと思います。
今私たちが曲がりなりにも思ったことが言えるのは日本国憲法があるからです。
基本的人権を生まれながら持っている私たちと、ソンホの生きている現実の違いを深く感じてしまいます。
「かぞくのくに」の“くに”は日本でもなく、もちろんあの国でもなく「かぞくのくに」なんだと思います。
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