パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ジョーカーとペンギンが…

2008-07-30 21:55:58 | Weblog
 「ロリータ」読了。

 もともと、みのり書房の「アラン」で美少女特集を組んだ時の参考資料として買ったので,小口にみのり書房のゴム印が押してあり、手に取るたびに興ざめする本なのだが、だからこれまで読まなかったわけではない。文芸表現の限りを尽くしたような華麗な文章に、1ページ眺めただけで「こりゃ無理」と読破をあきらめ、必要なところだけ、つまり、ロリータことドロレス・ヘイズのクラスメイトの名簿だけを引用して終ったのだった。

 というわけで、今回の30数年後の「読了」は、私にとっておめでたい限りなのだが、正直言って、もう1回読む必要はあると思う。

 それだけ内容が深いということだが、それはさておき、この「ロリータ」をちゃんと読んだ人はあまりいないと思うので、ストーリーをこの際,紹介しておこう。

 主人公の男やもめ、ハンバート・ハンバートはヨーロッパの貴族の家に生まれたが,没落貴族で、母親を落雷事故で失い、親戚のもとで成長する。その間、ある美少女と恋に落ちるが、その少女は幼くして死に,彼女の面影を求めて「ロリータコンプレックス」になる。

 もちろん、そんな簡単な話ではないが、ともかく、中年に達したハンバートは、生活の糧を求めてアメリカに文学の教師としてやってくるが、下宿先を探しているとき、ある家で自分の趣味にぴったりの美少女、ドロレスを見つけ、そこの下宿人になる。

 ハンバートはインテリでしかも美男子(となっている)だったので、下宿先の女主人,ドロレスの母親は彼に一目惚れし,娘が夏季キャンプでいない間に、結婚を申し込む。

 ハンバートは吃驚するが、熟慮の末,申し込みを受ける。もちろん、目的はロリータだ。

 ロリータのいない家で,二人は甘い新婚生活を送るが、ある日,新妻は夫、ハンバートの日記を見つけてしまう。そこには、娘,ドロレスの様子がびっしり書き込まれていて、時々、自分の目を盗んでいちゃいちゃしていたことも書かれていた。(ロリータも中年男が好きだったのだ)

 大ショックを受けた母親は、直ちに離婚を決意し、キャンプから娘が戻ったら,彼女を連れて家を出るとハンバートに告げ、親戚に事情を説明した手紙を書き始める。

 さあ,困った。困惑しているところに、電話がかかってくる。

 「奥さんが,今、車にひかれました」

 「おーい、お前がひかれたってさ」

 と、つい今しがたまで手紙を書いていた妻に声をかけるが、返事がない。表に出ると,人だかりがしていて、覗くと、妻が3通の手紙を握りしめて倒れていた。手紙をポストに入れようと、家を出たとたん車にはねられたのだ。

 ハンバートはそこに居合わせた子供から、その3通の手紙を渡され、「ありがとう」と言って受け取ると、ポケットの中で引きちぎってしまう。

 こうして、ハンバートは、かつての愛の巣をは借家として貸し出す手続きをとり、夏季キャンプから「母親が急病になった」といって呼び戻したロリータと一緒に車で旅に出る。

 最初にロリータの処女を奪ったのは,「エンチャンテッド・ハンター(魅せられた狩人)」という名前のホテルだったが、ハンバートはここで怪しげな男に声をかけられる。

 「あの女の子をどこで拾ってきた?」

 ハンバートは、彼女は私の娘だ(たしかに、法的にはそうだ)と答えるが、不気味に思い,警戒心を抱く。

 その後、ハンバートはロリータをある女子高校に入れるが、ロリータは演劇に興味を持ち、ある劇作家の創作劇に出演したいという。その劇の名前は、「エンチャンテッド・ハンター(魅せられた狩人)」だった。

 ロリータは、この劇の名前が、なんであるかを知っていた。「あんたがあたしを強姦したところでしょ」と。

 驚愕したハンバートは、なんとかこの芝居をキャンセルするよう、先生に働きかけるが,「お子さんはとても熱心にとりくんでいますよ」とはねのけられてしまう。

 ところが、この劇の上演の数日前になって、ロリータは、「この学校はうんざりだから、やめてまた旅に出たい」と言い出す。

 ハンバートはきっと何かがあったんだと疑いながら、彼女の申し出を受け入れ、旅に出るが、案の定、二人の車は誰かに執拗に追いかけられる。

 そしてある日、ロリータは高熱を発して病院に入院する。心配したハンバートは、病院に泊まりたいと言うが、拒否され、モーテルに戻って待機しているうちに、何者かが入院費を払った上、ロリータを連れ出してしまった。

 その後,ロリータ(ドロレス)の行方は杳として知れず、ハンバートは別の,今度はちゃんとした成人の女性と結婚するが,そこにある日突然、ドロレスから手紙が来る。

 それには、自分はある若い男性と結婚して、妊娠していること、夫も自分も金がないので、少しでいいから援助してくれないか、という内容だった。

 ハンバートは直ちにドロレスのもとを訪ねる。夫は、かつてドロレスを病院から誘拐した男ではなく、平凡な労働者だった。

 ハンバートは、戻ってくる気はないかとロリータに尋ねるが、ロリータはきっぱりと断る。そこで,ハンバートは、彼女を誘拐した男の名前をきく。ロリータは「わかってるでしょ」と言う。ハンバートは、「わかっている」と答える。

 それは、劇「魅せられた狩人」の作者、キルティだった。

 ハンバートは泣きながら高額の小切手を彼女に渡し(ハンバートは、彼女に黙って、彼女の母親の家の家賃を溜めていたのだった)、別れを告げ、そしてキルティを殺す。
 
 …という話。

 最後に、キルティとハンバートの格闘シーンがあるが、これが傑作。二人とも少女趣味だから、その意味では有罪の悪人なのだ。つまり、悪人二人…というかマニアックな教養人二人が、「詩的正義」をめぐって格闘するのだが、読んでいて、『バットマン』の悪役二人、ジョーカーとペンギンが争っているような気がしてならない。

 実際、ハンバート・ハンバートはジャック・ニコルソン以外あり得ないでしょと、ジョーカーのイメージをだぶらせながらずっと読んでいたが,最後にペンギンが出てくるとまでは思わなかった。さすが(!?)

 しかし、実際に映画化されたときは誰がやったのか、調べたら、ハンバート・ハンバートはジェームス・メースン、ロリータの母親はシェリー・ウィンタース、そして、ハンバートのライバルの劇作家、キルティは,何と,ピーター・セラーズだった。(ロリータはスー・リオンとなっていた。名前に聞き覚えはあるが、まあ、ロリータについては、誰がやったとしても限界があるだろう)

 さすが、キューブリック,当時としてはほぼ満点のキャスティングだろう。特に、シェリー・ウィンタースはびったしだ。

ゴキブリとロリータ

2008-07-28 16:08:07 | Weblog
 深夜、私の腕を何かがさっとかすめていった。ん? 暫くすると、また何かが、手の甲をかすめた。

 あ、もしかしたら!

 飛び起きて明かりをつけたら、ゴキがさささっと逃げてゆく。

 天敵、ゴキブリの出現に悲鳴を上げながら、過ぎ去った跡をめがけ、殺虫剤を吹き掛けた。

 しかし、こんなのは気休めだ。このまま明かりを消して就寝しても、きっとまたやってくるにちがいない。

 そう思うと、眠りにつくのが恐ろしくなり、どうせ不眠症なんだしと、ナボコフの小説、「ロリータ」を読み始めた。

 実は、これまで半分くらい読んだところだが、欧米の道徳文化をめぐるスーパー高度な知的ゲームといった趣の小説にもかかわらず、読んだあと、知的に興奮することがない。むしろ、心地よい眠気に誘われるので、こういう状態で読むにはうってつけだ。(一昨日は、中根千枝の「縦社会の人間関係」を読んで、おもしろいことはおもしろいのだが、何故か、「ロリータ」とは対照的に神経が苛立って、ほとんど一睡もできなかった)

 そうして2、30頁ほど読んだころ、またしても「カサカサ」と音がした。

 「来た!」

 さっきのと同じ奴かどうかはわからないが、ゴキブリだ。

 即座に殺虫剤を噴射した。今回は、見事に命中。

 若干動きが鈍いような気もした。だとしたら、さっきのゴキブリで、ほんの少し殺虫剤がかかっていたのかもしれない。

 ともかく、仰向けになって足をじたばたさせているところに、さらに殺虫剤をたっぷり降り注いだあと、「ロリータ」にもどり、5、6頁読み進んだところで、心置きなく、就寝した。

 外はすっかり明るくなっていた。

こりゃだめだ

2008-07-26 19:05:32 | Weblog
 相変わらず内田樹先生がおかしなことをおっしゃっている。

 八王子の書店で無差別殺人についてメディア(新聞)からコメントを求められて、「メディアに載ることを目指す殺人だと思うから、コメントしない」と答えたら、「じゃあ、そういうコメントだったと書いてもいいですか」と言われ、やれやれだ、というのだが、ここはメディアのほうが妥当じゃないかなと思う。

 秋葉原もそうだったと思うけれど,八王子の事件も、「思い切り悪いことをして親を困らせたかった」のが動機だとか。だとしたら、そのためには、マスコミで大々的に報道されないと困る。

 それで、内田先生は、「こういう事件は無視せよ」というのだ。そうすれば、この手の犯罪はなくなるだろうと。

 「おいおい」である。

 いじめに対する「告発自殺」等の場合、いじめた者への恨みを書き連ねた遺書などを残すわけだが、これは、明らかに報道すべきではない。1つは、「こうすればいいのだ」と思ったいじめ被害者の自殺を誘発しかねないこと,もう1つは,実はこっちの方が大事だと思うのだが、報道というものは、「事実」を報道すべきなのだが、遺書の内容を報道するということは、自殺者の言い分に,何の検証もなしに加担することになるからだ。

 これは、10数年前の中野区の富士見中学の自殺事件で問題になり、マスコミ各社は、いったんは、そのことに同意し、自殺,特に年少者の自殺の報道には慎重になったのだが、数年前からそれがまったく反古にされてしまった。

 これは、大変に遺憾な事態だと思うのだが、しかし、自殺と殺人はやっぱりちがう。秋葉原にしろ八王子にしろ、「犯人の狙いは大々的に報道されることにあったようだ」と注釈を加えた上ででも、報道するしかないだろう。マスコミのジレンマだろうが、それは受け入れるしかない。

 それにしても、「この種の殺人は、報道しなければ事件も起きない」というロジックはあまりにもとんちきではないか。

 「一人や二人殺しても新聞に載らないのなら、10人、20人殺せば載る」ということになったりはしないか?

 それはそうと、内田樹先生のブログ、少し前から(一月くらいか)、コメント欄がなくなった。

 実は,「批判」の書き込みが凄かったのだ。書き込みのほぼ8割が批判で、しかも、私が見る限り,結構、まっとうな批判だ。「死ね」とか、そんなんではない。「またバカ言ってますね,先生」で始まり、とうとうとそのバカな理由を書く。これに擁護者(内田ファン)が反論する。

 内田ブログを見る人の多くは、この書き込み合戦を見に来てたのだと思うけれどね~。(少なくとも私はそうだ)

 話が変わるが、地デジって,聞くところでは、チャンネルの切り替えにものすごく時間がかかるらしい。現在(アナログ)のように、リモコンをピッと押せばピッと変わるというのでは全然なく、「糞!」ってののしるくらいに時間がかかるんだそうだ。

 「こりゃだめだ」。

俗人モーム

2008-07-24 22:57:56 | Weblog
 OCNから手紙が来て、今年の10月から請求書の郵送を止め、メールにするという。

 それはいい。郵送料だってバカにならない。だから、いいのだが、その分、サービスに勤めますのでよろしくとか、挨拶の一言くらいあってもいいだろう。何もなしに、いきなり「10月からそうします」だもの。

 その手紙は今ちょっと見当たらないので、見つかったら、具体的文面を紹介する。(同じ手紙を受け取った人は少なくないと思うけど)

 編集画面へのアクセス時ではなく、投稿時に身元確認のパスワードが要求されることも相変わらずで、昨日も要求された。

 それでもなんで続けているかと言うと、前にも書いたけれど、ADSLに戻すことが不可能であること、もう一つは、なぜかわからないが、光の基本料金がかなり安い。3500円弱なのだ。もちろんこれにいろいろプラスされるけれど、大体、4000円前後で済んでいる。

 価格ドットコムなどで調べた限り、かなり安い。ソフマップのお買い上げ店頭キャンペーンで入ったのだが、特別な契約だったのか?

 それで、ムカムカしながら続けている。

 話は変わるが、サマセット・モームの短編を読む。「雨」と「赤毛」だ。

 感想。な、なんでこれで文豪なの?だ。

 「雨」は、謹厳なプロテスタントの牧師が、軽薄な売春婦(トムスンという。なんか、男みたいな名前だが……)をサディスティックに責め立てるが、最後に、「肉の欲求」に負け、自殺するという話。

 大体そうなるだろうなあ、と思ったら、そうなった。

 まあ、それはいいのだけれど、たとえば、牧師が自殺する前の晩に、牧師は、ネブラスカの山の夢を見たと知り合いに言い、その知り合いは、アメリカ人でそのネブラスカの山の外見が女体の曲線を思わせることを知っているので、一瞬、「あれ?」と思う。つまり、売春婦の誘惑に負ける予兆ということなのだが、読んでいて、「ちょっと無理だなあ」と思っていたら、その「無理」を強行していた。

 あと、牧師がトムスンを懺悔させようと二人きりであう場面があるが、直前でカットされている。二人の問答は一切作中に現れない。

 モームファンは、そこが深謀遠慮でいいのだと誉めるのだろうが、私に言わせれば、「それはないよ」である。「カラマゾフの兄弟」の大審問官の場面みたいに大袈裟でなくてもいい、遠藤周作程度でもいいから(とかいって、遠藤周作の「キリスト教もの」は読んだことがない。「おばかさん」というのを読んだきりだが、これは結構面白かった)、「問答」は不可欠だと思う。

 まあ、ともかく、私が編集長だったら「没」だ。

 「赤毛」はこんな話だ。ある定期船がトラブルで、乗り組み員全員臨時に陸に上がることにする。船長は、はげ頭のデブだったが、実は若い頃は長い赤い髪をした絶世の美声年で、現地(南太平洋の島)の少女と恋愛をし、途中で別れざるを得なくなって、今はしがない定期船の船長をやっているのだ。

 一方、捨てられた少女は、その後も赤毛の青年を思い続けるが、彼女をみそめた別のスエーデン人の男性に迫れれ、断り切れずに結婚する。

 その二人の家に、かつての美声年、今ははげ頭のデブ中年の船長が、そうと知らずに一晩泊めてくれと言ってくる。

 しかし、その船長も、スエーデン人の現地人の妻も、お互い、かつての恋人同士であったことを全然わからない。

 妻は、船長を送りだしてから夫に聞く。「あの人は誰だったの?」

 こ、こ、こんなんで人生の真実を悟らせようとは、モームのニヒリズム、無神論は完全に「嘘っぱち」というべきだろう。

 もちろん、モームがニヒリストではなく、無神論者ではないというわけではない。多分、実際にニヒリストで無神論者なんだろうけど、そのニヒリズム、無神論は、モームという俗人の世渡りのための方便なのだ。

 もっとも、モーム自身、自分は俗人だと強調しているらしいから、騙されるやつは騙されるしかないとしか言い様がない。

 とかなんとか、まるでモームを詐欺師扱いだが…「雨」のなかでただ一箇所、すごいと思った場面がある。それは、「サンフランシスコに送り返さないでください」と、牧師に哀願するトムスン嬢に、牧師が「刑務所か」と言う場面。

 これは、牧師の言葉じゃない。モーム自身がそうだったという、「特殊情報員」の言葉だ。怖ッ~。

 追伸 ちょっと訂正。私が編集長だったら、「雨」は掲載してもいい、「赤毛」はボ~ツ!

川口怪談

2008-07-22 20:39:14 | Weblog
 また川口で変な事件が起きた。

 女子中学生が父親を深夜3時過ぎに刺し殺したというのだ。

 そのとき,父親は,猫のような声で絶叫したらしい。

「フギャ~!」

 って感じだろうか。

 その女の子は,直前に、父親が家族を殺す夢を見たということで、それで、目を覚ましてから、「殺らなければ、殺られる」と思ったらしいのだが、驚いてかけつけた母親に,その父親は、「灯りをつけてくれ」と言ったそうだ。すべては暗闇の中で行われたわけだ。

 ということは、マスコミはいつもの事件報道のように、「父娘の隠された葛藤」を探っているようだが、そんなことではなく、一瞬でも灯りをつければ、この惨劇はたぶんなかったのではないか。

 しかし、猫のような声がしたという近所の人の証言は本当に怖い。映画の貞子どころではない。といって、貞子は見てないのだが。

 柳田の「遠野物語」にこんな話がある。

 娘が嫁入りすることになり、その支度のために両親が町へ買い物に行くことになったが、そのとき,娘のおりこひめに、「誰が来ても入れるなよ」と言った。ところが、昼頃、山姥がやってきて、娘をとって食べ,その皮をかぶって娘に成り済ました。

 そこに両親が帰ってきて、おりこひめが無事なことを喜んだ。

 翌日、家の鶏が、「ぬかや(物置のこと)のすみっこ見ろぢゃ、けけう」と啼いたような気がした。両親は,妙な気がしたが、そのまま嫁入り支度を整え、山姥のおりこひめを馬に乗せ、引き出そうとする時,また鶏が啼いた。「おりこひめをのせなえでやまはは(山姥)のせたけけう」と聞こえた。

 両親ははたと気がつき、山姥を馬から引きずり下ろして殺し、それからぬかや(物置)を見に行くと、娘の骨が散らばっていた。

 猫が啼いていると思われた父親の絶叫は、どんな風に聞こえたのだろう。怖い怖い。 

芥川賞、もらったアルよ

2008-07-19 20:15:36 | Weblog
 炎天下の川口から新宿御苑まで、東急ハンズ経由でなんとかたどりついたが、以後、閉じこもる。熱くて、表に出る勇気が出ない。

 古谷野敦のブログ、「猫を償うに猫をもってせよ」に、今回芥川賞を取った中国人女性の作品に触れて、「芥川賞史上最低」と書いてあった。

 なるほど。文芸春秋が出たら立ち読みしてみたいと思うが、古谷野氏によると、作中、中国風の漢字表現がそのまま使われていたり、変な、未消化の日本語表現が使われていたりということだ。 

 たしかに、受賞後、テレビの取材陣に如才なくおじぎをしながら、お礼の言葉を述べている画面を見た時、ちょっと日本語がおかしいと思った。

 もちろん、長年日本で活躍しているデーブ・スペクターなんかでも、訛っているが(営業的配慮で、わざとやっているような気もするが)、そういうことではなくて、明らかに訓練不足で、日本語を自家薬籠中のものにするには至っていないが故の不自然さのようなものを感じた。日本式の「おじぎ」がいかにも如才なく、渡辺エリみたいな印象で、そのためなおさら……まあ、ちょっと偏見が混じっているかもしれない。しかし、

 「え? これで日本語で小説を書いているの?」

 正直言って、そう思ったのだったが、まあ、あとは読んでからにしよう。

 電車の網棚で拾った朝日新聞に載っていたが、年金記録問題に関し、自民党が、「最後の一人まで」明らかにする方針を固めたそうで、期間は10年、費用は三千億円くらいと見ているらしい。

 おいおいおいである。誰か、このあまりにもバカバカしい出費について、突っ込む人間はいないのか。

 そもそも、たとえば、社会保険庁が民間の保険会社だったとしよう。そして、同様なことが起きたとする。

 さあ、どうする。

 答は、「破産」しかない。もっとも、伝えられる状況では、裁判所に破産申請しても認められない可能性が大きい。それほど、いい加減な「ミス」なのだが、その場合は、「解散」しかない。いずれにせよ、経営者は責任をとって辞職し、獄に送られるだろう。それで問題はおしまいだ。できないものは、できないのだから。

 ところが自民党は、破産にせよ、解散にせよ、決して許さない、草の根を分けてでも、紛失した記録を発見せよというのだ。「できないものは、できない」なんて許さないと。「できないもの」でも、やれというわけだ。

 だとしたら、その保険会社は国有化するしかない。国有化した上で、延々と処理を続けるしかない。しかも、それをやるのは、もとの会社の社員たちだ。保険会社(社保庁)にとって、こんなに、美味しい話はないではないか。

 と思うのだがねえ……三千億円という、具体的数字が出ても、いまだに疑問を呈する人がいないのはどういうわけだ。もちろん、問題は「選挙」であって、そのために、自民も民主も「できないこでも、やる」と言い続けているのだが、マスコミ、評論家は別だろうに。

追伸。渡辺えり子は、去年、美輪さんのアドバイスで、渡辺えりにしたんだそうだ。ちょ、ちょっとそれはまずいのでは…。

自然と人間

2008-07-17 21:45:02 | Weblog
 歯医者で作ったマウスピースが今いち調子がよくないので、調整してもらおうと久しぶりに作った歯医者を尋ねたら、ガンで死んじゃってた、という話は2、3ヶ月前に書いたが、その後、インターネットで調べたら、完全なマウスピースを作るのは難しく、実際には皆少しずつ我慢して使っているということを知り、じゃあ、自分も我慢しなければならないんだと思って、意識的に「ん」と踏ん張るようにして我慢しているうち、まあ、なんとか我慢できるようになった。

 しかし、どうしても我慢できない箇所があって、それは、上前歯の真後ろにあたる部分が、ほんの少しだけ、うわ顎にあたるのだ。

 朝のうちはいいのだが、夕方ぐらいからだんだん痛くなってくる。マウスピースを外して舌で探ってみると、なんか、そこだけ「ぐにゃ」っとした感じである。多分、炎症を起こしているのだろうが、一晩寝ると、ほぼ、もとに戻っている。

 ……の繰り返しで、その間、少しずつ痛みが増してくる。

 なんとかしないと、と思ったが、歯医者さんのウェブページに「自分で削ったりすることは、絶対にお止め下さい」と書いてあったので、さらに我慢したものの、そもそも専門家がやっても全然たいした仕事などしてないわけだから、素人がやってみたってよかろうと理論武装を整えたうえ、文房具のカッターでマウスピースを削ってみた。

 そうしたら、カッターでほんの少しだけ、本当に、2、3回、ちょこちょこと削っただけなのに、具合が全然いい。

 ミクロン単位というと大袈裟かもしれないが、でも本当にそれくらいの変化でしかないのにと、思いつつ、身体の細胞は常に新しいものに入れ替わっているという話を思い出した。

 だったら、数ミクロンくらい、新陳代謝の時に適当に対処できないのだろうか?

 もちろん、できない。自然は厳密なものなのだ。人間の意志なんか、これっぽっちも通用しないのだ。(だからといって、「自然療法」がいいとか、そういうことでは全然ない。逆だ。科学療法がよく効くのは、自然に対する態度が「正しい」から、すなわち、一切の幻想を排除し、厳密な解釈をもとにしているからなのだ。)

砂に落書き

2008-07-16 22:01:26 | Weblog
 パソコンを、今日は調子がいいとかちょっと誉めると、つけあがるのか、必ずおかしくなる。それで、一抹の不安があったのだが、案の定、書き込みを終えてから、起動ディスクを変えるために再起動をかけたら、はてなマークが出てしまった。

 前回は、なんとなく「振り返ったら」直っていた形だったが、今回はそれも駄目で、OSを入れ直すしかないのかと思いつつ、「これ一冊でOS9はあと3年は使い続けられる!」という副題の本でトラブル対処法を調べると、多くの場合、Pラムというラムをクリアにすると直ると書いてあったので、その指示通りにやってみたら、直ってしまった。

 もっとも、この本を買ったのがちょうど3年くらい前なので、「3年は使い続けられる!」といっても、そろそろ寿命かも。なんちゃって。

 しかし、「3年は使い続けられる!」って……「3年は使える」でいいじゃないか。

 2chのニュース速報に、「鳥取県が砂丘の落書き禁止条例を設けた」というスレが立っていたので、冗談だろうと思っていたら条文によると、禁止の対象は、「50メートル離れて10分間消えない落書き」だそうで、本当の話ということに驚く!

 昔、アメリカに、パット・ブーンというポップシンガーがいて、彼の最大のヒット曲が「砂に書いたラブレター」だった。

 砂に、「アイ・ラブ・ユー」と書いたが、すぐに波が打ち寄せて消えてしまったよ、グスン、というラブソングなんだが、つまり、「砂」に書いてもすぐに消えてしまうという「物理的事実」をもとにしたポエムというわけだ。

 鳥取砂丘って、行ったことはないけれど、波が打ち寄せる浜辺ではなくても、常に風が吹いていて、それでできる「風紋」なんかが名物じゃなかったか。

 だったら、砂に落書きしてもすぐ消える。どんなに大規模に書いても、10分もすればすっかり元通りになっているだろう。だから、「10分間消えない落書きを禁止」ということなんだろうが、でも、「砂に書く」といったら、無駄なこと、はかないことをするという意味だろう。要するに。

 え? 「無駄なことだからやめなさい」って? それを、「大きなお世話」というんだよ。

 無駄と思っていても、そこにある種の、なんというか、人間らしさを認めようとするのが、人間であって、それを「禁止」しようなんて、バカ以前の……大袈裟にいうと、ナチスの「民族浄化」にもつながりかねない話。(まあ、そんなことをいう人はいないだろうけど。)

ギャンブラーだし

2008-07-15 22:25:43 | Weblog
 こうなったら、いっそのこと、光からダイヤルアップに変えてやろうかと思ったが、あまりにも無謀なのでそれはやめた。

 事務所では、壁掛け式の扇風機を使っているのだが、部屋が狭いのでその前を通るたびに、肩がふれたりして、ちょっと危ないなと思っていたら,案の定、一昨日、落としてしまった。

 使っている最中だったので、激しく首を振りながら落下した。幸い、けがはしなかったが、扇風機がないと困るので,サーキュレーターというのを買った。扇風機のように全体的に空気をかき混ぜるのではなく,特定の方向に向かって風を起こす。クーラーの冷気が一カ所にたまってしまうのを、別の場所に振り向けるのに良いとも言うので、それで買ったのだが(安いし。2400円だ)、それにはあまり効果がなかったが、パソコンに集中的に風を当てると、とたんに性能が安定してきた。

 扇風機が壊れたその日、パソコンがめちゃくちゃだったのだが、熱のせいだったのか。コンピュータが熱に弱いという話はよく聞くのだが、本当だった。

 サーキュレーターを見て回ったとき、ついでにテレビ売り場を見てみたのだが、当たり前かもしれないが、すべて薄型テレビで、値段が想像以上に高い。ブラウン管式が並んでいた頃は、安いものは本当に安かったと思うが、そういうものは今はない。一番小さいものでも、6,7万円していたように思う。

 そんなに隅々まで見たわけではないが、NTTの半強制的光通信推進政策と同様、単価の下落を食い止めること、これに日本企業は全力を挙げているような気がする。そのために、いらない機能をくっつける。ブルーレイなんか、矢沢永吉に、「え? まだできるの?」とか言わせているが、想像するに,売れてないんだろうなあ。

 なぜって、どんなに画面がきれいでも、そもそも、そうまでして見たいものがあるのか?と、テレビ売り場でつくづく思った。

 山本モナ不倫暴露で、視聴者から抗議が殺到しているらしいが、そのほとんどは女性らしい。女性に嫌われるタイプなのか?  そんな感じもしないのだけれど…「なんであんなにもてるんだ!」と嫉妬されているのかもしれない。

 これは私の考えなのだが、彼女は外見はまったくの外人の顔をしているが、よく見ると、顔が大きく、日本人的である。それは、いわゆるハーフタレントに共通しているところだが、シャラポワなんかと全然ちがう。

 以前,四谷に事務所があった頃,近くに外人のモデルクラブがあって、出入りする白人モデルをよく見かけたが、彼女たちの顔の小ささはまさに異常なほどで、きれいなことはもちろんきれいなのだが、あっけにとられるほど、現実感というものが全然ない。

 もちろん、それは自分が日本人だから、そう感じるのだが、でも、山本モナを純然たる白人モデルと並べたら、山本モナのあまりの「日本人度」に愕然とするのではないか。顔がバタ臭い(死語?)だけになおさら。そして、それが日本人の男性に安心感を与えて,その結果、もてているのではないだろうか。

 あと、蛭子能収がなんか言っていたみたいだが、忘れた。しかし,蛭子のコメントはなかなか面白い。説得力があるとか、そういうものでもないのだが、「断定」する際、「あたし、自分の存在を賭けて言ってんですよ」、という雰囲気が出ている。まあ、ギャンブラーだし,当たり前か。

 あ,地震だ…。

3万円,返して

2008-07-12 18:23:21 | Weblog
 やったね、連続三日間、新聞なし、Mac立寄りなしでやりすごした。三日間続けば、もうこっちのもんだ。

 といっても、今後絶対に新聞は買わない,Macにも行かないというわけじゃない。これまでのように、「毎日」をやめるだけだが、気持ちにゆとりができた。

 またまたOCN規制がはじまったので、ついにプロバイダーを変える決意をして、価格ドットコムから、ADSLを申し込んだ(今は光なのだが、マンションタイプのためか,遅くて遅くてメリットが全然ない)が、ことごとく対象地域外だという。

 いったいどういうわけだろうと思って、AOLのサービスに電話をしてみたら、新宿御苑近くはNTTにより、ADSLサービス対象外になっているのだそうだ。開通可能なのは光通信のみであると。価格ドットコムにのっている、ほぼすべてのプロバイダーで、「ADSLサービス対象外」となるのはそういうわけだったのだ。

 副都心なんだから、ADSLがひけないはずがないと思っていた。逆だ。副都心であるが故に、光オンリーで行くと、NTTが勝手に決めたのだ。

 もちろん、新規加入の場合ということなのだろう。今までADSLを使っていて,ある日から光に変えるように強制された、なんて話は聞かないからだ。

 私の場合を言えば,3月に引っ越してきたわけだが、「光」だったので、そのままスムースに移行し,気がつかなかったわけだ。もし、ADSLだったら、多分,「光に変えないとダメです」と言われたかもしれない。

 いや、あるいは、プロバイダーに加入状態で引っ越してきた場合は、そのままOKということかもしれない。多分,そうだろう。純粋な新規加入者に限って「光」を強制する仕組みなのだ。きっと。姑息だ!

 つまり、行政担当者は、新規ブロードバンド加入を光通信に限れば、やがて日本全国,光で結ばれることになり、世界最先端のIT国家になると思ったんだろう。バカじゃないかね。光を選ぶか、ADSLを選ぶか、はたまた、ダイヤルアップで行くか、それを決めるのは、使用者の勝手だ。「勝手」というと、聞こえが悪いなら,「選択」だ。マンションタイプの光なんて、まったくの看板倒れであることはみんな知っている。そもそも、「光=未来」というイメージが、「鉄腕アトム=未来」級の時代錯誤だ。

 振り込み詐欺の防止のため、ATMの近くでは携帯電話の使用を禁止するというアイデアが関係者(警察?)からあがっているそうだが、日本の役人どもは、なんでこう、バカなアイデアばかり考えるのだろう。いや、役人ばかりではない。産經新聞では,使用者の声として、「携帯で話しながらATMを使うことなんてほとんどないので、禁止してもいいのではないか」と世論誘導を図っていたし、テレビのコメンテイターなども、「やむを得ません」とか言っていたが、私が散見する限り、ATMが10台あれば,一人は携帯電話で相手と話しながら操作している。彼らは皆、振り込め詐欺にひっかかっているのか?

 それより、何度も書いているが、振り込んでもすぐには現金化できないようにすればいいではないか。

 振り込まれたお金を即座に、間髪入れずに引き出す必要のある人なんて、世界広しといえども、振り込め詐欺の犯人でなければ、M瀬さんくらいのものだ。

 M瀬さ~ん、見てたら、3万円,早く返して。