事務所の近所に、ちっちゃな定食屋がある。二坪くらいで、カウンターのみ。中には、熊のような大男と、その母親らしき、あまり綺麗とは言い難い、小柄な婆さん二人でやっている。メニューは、鯖の塩焼きと味噌汁、ジャガイモサラダとか、そんな類。ヤクルトみたいな(でもヤクルトではない)……あれはなんて言うのだろう……乳酸菌飲料か……がおまけでついてくるのが店の「売り」といえば、「売り」なんだろうが、大してうまくもなければ、量があるわけでもなく、なおかつ、これが肝心なのだが、安くもない。鯖の塩焼き定食で650円。正直言って、そんなもの(ヤクルトもどき)で恩を着せられても困るなあ、と思う。(いかにも「サービスですよ」といった感じでついてくる)
そんなわけで、私は二、三度行ってやめたのだが、今考えると、リピートしたことが不思議だ。うまくもなければ、安くもない。カウンターに可愛い女の子がいるわけでもない。いるのは、熊ときちゃない婆さんだ。そんなんで、何故複数回行ったのだろう……と、つらつら考えるに、店の雰囲気が「いかにも安そうだから」だったに違いない。最初に入った時、となりに座った大学生風の男の客が、まさか「サクラ」じゃないだろうが、しきりに「安い、安い」と連発して、上機嫌の熊さんからプロレスの招待券をゲットしていたが、そんな「安い」という台詞の連発を聞かされたもので、つい、「安い」と思い込んでしまったのだろう。
世の中には、こんな「不条理」なお店も決して少なくない。庶民的と言えば庶民的なのだが、外見は貧相で薄汚くて、味もそれに準じている。だったら、値段は安いだろうと思うと、そうでもない。しかし、「安そうだ」というイメージが強烈にあるものだから、それにごまかされてついのれんをくぐってしまう。そんなお店だ。これが、鯖の塩焼き定食が750円とか、それくらいだと、「高い」ことに気づいても、650円だとまさに「微妙」な価格で、ついうっかり「安いなー」と思ってしまう。
今回の、小泉自民党の勝利は、この定食屋のイメージ作戦の勝利と似てはいないだろうか……ぐらいの気のきいたコメントを書けや、マスコミ・評論家ども! 誰も彼も、「国民は、後でこの選択を後悔するかもしれない」とか、まさに「曳かれ者の小唄」ばかり。
では、私は、というと、「どっちだ3」にも書いた通り、一年前から「小泉支持」に転向しているからね。まあ、普通の人とはちょっと「支持」の理由がちがうかもしれないけれど……要するに、一年前から、日本政府の態度が自信に満ちているのだ。自信に満ちてことにあたっているということは、虚心坦懐に見れば必ずわかるものだし、今回の選挙では、一般国民もそれを支持したのかもしれない。まあ、それはわからないが、ともかく、その自信を支えているのは、実は、バブル崩壊後の10年間で学習した官僚たちではないか。たとえば、数カ月前に鶏に鳥インフルエンザが発生したけれど、いち早く、鶏を処分するかたわら、鳥インフルエンザウィルスは人間には無害である、といういことで、鶏卵、肉の流通規制は不必要という態度を明らかにした。これは、ちょっと前だったら考えられないような対応で、そのため、マスコミも、インフルエンザ発生を「ネタ」にすることができなかった。
その「自信」がもっとも顕著なのは――マスコミの評価とは真反対だが――日米同盟を堅固なものにした「外交」だと私は思う。たとえば、国連の常任理事国入りが実現しなかったことを「戦後最大級の日本外交の失敗とみるむきがあるがどう思うか」というサンケイ新聞記者の質問に、国連特別大使だったかが、「まったくの見当違い」と全否定していたが、その口調たるや、「おめーら、どこみてんだよ」といった、「嘲笑」の雰囲気を感じたのは私の偏見だろうか(いや、ちがう)。
同時期のサンケイ新聞でちょっと面白かったのは、ちょうど一年ほど前に外務省を退官したという人物が、今春の中国における反日デモにからんで、「バブル崩壊後の危機から復活した日本を警戒したアメリカが中国に工作員を送り込んで起こしたもの」と書いていたことだ。これがなんで面白いかというと、こんなトンでもないことを考えているんじゃあ、外務省を退官せざるを得まいが、それはそれとしちえ、世界第二の経済大国という日本の地位は当分の間は揺るがないと「アメリカが認識していると外務省が認識している」らしきことが明らかになったという意味で「面白い」と思ったのである。
それはともかく、マスコミはそんな変化にも気づかず、相変わらず、官僚を批判すれば新聞は売れ、テレビは視聴率が稼げると思って声高に煽り立てているが、そんなマスコミの「旧態然」な体質を官僚たちは完全に見切っているのだ。
ちなみに、私の知る限り、一年前から小泉政権の各員の言動が自信に満ちていること、その態度の変化にこそ注目すべきであると指摘している論客が一人だけいて、それは、ここでも橋本治なのだ(「広告批評」の連載「ああでもなく、こうでもなく」)。ただ橋本治の場合は、その「変化」に否定的だが、私は「肯定的」に考えたい。「実ほど頭を垂れる稲穂かな」で、大勝利の後ほど謙虚にせよと言う人も多いけれど、それじゃあしょうがないだろ、と、私なんかは思うのだ。
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そんなわけで、私は二、三度行ってやめたのだが、今考えると、リピートしたことが不思議だ。うまくもなければ、安くもない。カウンターに可愛い女の子がいるわけでもない。いるのは、熊ときちゃない婆さんだ。そんなんで、何故複数回行ったのだろう……と、つらつら考えるに、店の雰囲気が「いかにも安そうだから」だったに違いない。最初に入った時、となりに座った大学生風の男の客が、まさか「サクラ」じゃないだろうが、しきりに「安い、安い」と連発して、上機嫌の熊さんからプロレスの招待券をゲットしていたが、そんな「安い」という台詞の連発を聞かされたもので、つい、「安い」と思い込んでしまったのだろう。
世の中には、こんな「不条理」なお店も決して少なくない。庶民的と言えば庶民的なのだが、外見は貧相で薄汚くて、味もそれに準じている。だったら、値段は安いだろうと思うと、そうでもない。しかし、「安そうだ」というイメージが強烈にあるものだから、それにごまかされてついのれんをくぐってしまう。そんなお店だ。これが、鯖の塩焼き定食が750円とか、それくらいだと、「高い」ことに気づいても、650円だとまさに「微妙」な価格で、ついうっかり「安いなー」と思ってしまう。
今回の、小泉自民党の勝利は、この定食屋のイメージ作戦の勝利と似てはいないだろうか……ぐらいの気のきいたコメントを書けや、マスコミ・評論家ども! 誰も彼も、「国民は、後でこの選択を後悔するかもしれない」とか、まさに「曳かれ者の小唄」ばかり。
では、私は、というと、「どっちだ3」にも書いた通り、一年前から「小泉支持」に転向しているからね。まあ、普通の人とはちょっと「支持」の理由がちがうかもしれないけれど……要するに、一年前から、日本政府の態度が自信に満ちているのだ。自信に満ちてことにあたっているということは、虚心坦懐に見れば必ずわかるものだし、今回の選挙では、一般国民もそれを支持したのかもしれない。まあ、それはわからないが、ともかく、その自信を支えているのは、実は、バブル崩壊後の10年間で学習した官僚たちではないか。たとえば、数カ月前に鶏に鳥インフルエンザが発生したけれど、いち早く、鶏を処分するかたわら、鳥インフルエンザウィルスは人間には無害である、といういことで、鶏卵、肉の流通規制は不必要という態度を明らかにした。これは、ちょっと前だったら考えられないような対応で、そのため、マスコミも、インフルエンザ発生を「ネタ」にすることができなかった。
その「自信」がもっとも顕著なのは――マスコミの評価とは真反対だが――日米同盟を堅固なものにした「外交」だと私は思う。たとえば、国連の常任理事国入りが実現しなかったことを「戦後最大級の日本外交の失敗とみるむきがあるがどう思うか」というサンケイ新聞記者の質問に、国連特別大使だったかが、「まったくの見当違い」と全否定していたが、その口調たるや、「おめーら、どこみてんだよ」といった、「嘲笑」の雰囲気を感じたのは私の偏見だろうか(いや、ちがう)。
同時期のサンケイ新聞でちょっと面白かったのは、ちょうど一年ほど前に外務省を退官したという人物が、今春の中国における反日デモにからんで、「バブル崩壊後の危機から復活した日本を警戒したアメリカが中国に工作員を送り込んで起こしたもの」と書いていたことだ。これがなんで面白いかというと、こんなトンでもないことを考えているんじゃあ、外務省を退官せざるを得まいが、それはそれとしちえ、世界第二の経済大国という日本の地位は当分の間は揺るがないと「アメリカが認識していると外務省が認識している」らしきことが明らかになったという意味で「面白い」と思ったのである。
それはともかく、マスコミはそんな変化にも気づかず、相変わらず、官僚を批判すれば新聞は売れ、テレビは視聴率が稼げると思って声高に煽り立てているが、そんなマスコミの「旧態然」な体質を官僚たちは完全に見切っているのだ。
ちなみに、私の知る限り、一年前から小泉政権の各員の言動が自信に満ちていること、その態度の変化にこそ注目すべきであると指摘している論客が一人だけいて、それは、ここでも橋本治なのだ(「広告批評」の連載「ああでもなく、こうでもなく」)。ただ橋本治の場合は、その「変化」に否定的だが、私は「肯定的」に考えたい。「実ほど頭を垂れる稲穂かな」で、大勝利の後ほど謙虚にせよと言う人も多いけれど、それじゃあしょうがないだろ、と、私なんかは思うのだ。
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