パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

佳いお年を

2010-12-31 13:58:45 | Weblog
 年末から年始にかけてのテレビ番組は極端につまらないなあ。

 と思うのは私だけではないと思うのだが、理由は明確で、普段の番組が、いわゆる「おせち番組」風なので、本物のおせち番組の影が薄くなってしまったのだ。

 実は、昔の、といってもそんなに極端に昔ではないが、「おせち番組」はけっこう面白く、評判がよかった。

 それで、味をしめたテレビ局が、愚かにも、レギュラー番組にしてしまったため、両方ともダメになった、と私は思うのだが。

 そんなわけで「どうしようもねーなー」と思いながら、ほとんど一秒未満でチャンネルを変えているうち、一つの番組に目が止まった。

 フォーククルセーダーズの北山修が、久しぶりに開いた「フォークル」のリサイタルのステージで、前説のようなMCを語っているビデオだったが,そこで、こんなふうに言っていた。

 「今日は何十年ぶりかのステージなので、前の晩眠れなくて、明け方、二度寝をしたのですが、そのとき、夢を見たのです。そこで、加藤和彦が、まだ、このコンサートが終わってもいないのに、もう次の準備をしているのです。私は彼に、今日のすら終わっていないのに、と言うのですが,彼は私の言うことを聞かない、そういう夢でした。よって、今日のコンサートのテーマは、“まだ終わっていない”です。」(会場どっと湧く。)

 この後,北山修が、自分の夢をどう分析したのか、知らぬまま外出してしまったのだが、この夢の意味は後になってみれば明白で、北山修が、「現在」が終わっていないうちから「未来」へ進みたがる加藤和彦のことを、「フォークル時代」から危惧の念を持ってみていたこと、そして、その危惧が、不幸にも的中してしまった――ということだ。

 要するに北山修は、今やっていることが「終わっていない」のだったら、我々に出来ることはそれを「終わらせる」ことだけだ、とかつての仲間、加藤和彦に向かって言ったと考えられる。

 しかし、それを「今日を終わらせなければ、明日は来ない」と、ありふれた意味で言ったかというと――年末年始にかけての言葉にはふさわしいものの――ちょっと当たり前すぎる。

 「今日」を終わらせなければ「明日」は来ないことは事実には違いないが、人間は、生きている限り――漱石の「道草」じゃないが――何事も「終わらせる」ことはできない。

 しかし人間は、だからこそ「終わらせる」ことに象徴的な意味を与えようとするし、それの具現化が「芸術」だ、そうじゃないか、加藤君と、北山修は、多分、言いたかったのだ、と思う。
 
 というわけで、未だ成長過程にある子供は別として、大晦日で一年を終わらせ、正月を持って新しい始まりとするのは人間の単なる願望で、したがって、それを目指して行われることもすべては「儀式」以上のものではないのだが、しかし「儀式」を行うなら行うで、それなりの「熱狂」が欲しいのだが,それもおせち番組の日常化で、テレビの世界ではまったく失われてしまった。

 ――と、今夜の紅白を皮切りにはじまる、全マスコミの「新生」へ向けた空疎な言葉のあれこれを思うと、今からバカらしい思いにいっぱいとなるのだが、とりあえず、皆様、

 「佳いお年を」。

 一月中には、写真集「風に吹かれて」出ます。

夢の中

2010-12-30 16:39:48 | Weblog
 鳩山邦夫が、宮崎勤の死刑執行は自分が役人に命じたのだと言い放った。

 正確には、「命じた」ではなく、「あれはどうなった?」と、役人に死刑の執行を促したのだそうだが、まあ、同じようなものだ。

 亀井静香が、これに対し「あなたは殺人を犯してしまった」と、言い,スタジオが一瞬静まり返ったが、宮崎の場合は、結局、死刑が最終判決となったとはいえ、精神鑑定をめぐってかなり問題があった事件であり、鳩山の言い方は酷すぎる。

 ところで、パリ人肉食殺人事件の佐川一政は、犯行時心神喪失ということで、無罪となって日本に送り返されたのだったが、その佐川が、宮崎勤について、こう語っている。

 「(自分の場合もそうであったが)犯人を人として血祭りに上げていることには変わりありませんが,どうもそう簡単には対岸に追いやるわけにはいかない。ビデオを積み上げられた彼の部屋の情景は、オレの友人のところでも見たぞというような薄気味悪さがつきまとうのではないでしょうか。その点で僕の事件のようには観客として安心してみていられないところがある。」(89年、「週刊テーミス」)

 よくもまあ、人を殺して、しかも「食べて」おきながら、ヌケヌケと…と感じる人が大半だと思うけれど、私は、正直に言って、心神喪失か精神病と判定されて釈放されたとしたら、その宮崎勤に「話を聞いてみたい」と思う気持ちがあるのだ。

 しかし,それはあり得ない。

 それは、彼の「無罪」があり得ないということではなく(実際、宮崎が「無罪」となる可能性は充分にあった)、彼の犯罪が、佐川のそれが「霧の中」なら、宮崎勤の犯行は「夢の中」で行われ、彼がその「夢」を「外」から見て、冷静に語ることは、不可能だろうと思うからだ。

 もちろん、夢一般がそうだというのではなく、宮崎勤という人が「そういう人」だと思うからだが、しかし、ここでちょっと引っかかってくるのが,宮崎勤は、捕まるまでは普通に暮らしていたということだ。

 捕まってからおかしくなった。

 そして、すべて、夢の中の出来事になってしまった。

 言い換えると,捕まらなければ,ずっと普通人として、普通に世間で暮らしていたかもしれない。(そういう奴は今現在、世田谷の4人一家皆殺しの犯人を含め、たくさん、うじゃうじゃいるのだ。実際の話)

 それで,犯行時はどうだったかということが、ことさら問題になったのだろうが、それはそれとして、日本の場合、死刑が科料として、是か非か、あるいは妥当かどうか、という問題ばかりが論じられ、殺人の研究というか、プロファイリングというか、が、なおざりになっているのではないか。

 宮崎勤が四人の幼女を殺したのは、彼が人だったからではない。

 まさに、人間が人間であるが故にとらわれた、奇怪な欲望の故だったのだが、一方で、幼児虐待死事件の多くが、継父によるというデータがあるんだそうで、これは、人間が本質的に「獣」であることを表している。

 つまり、ライオンは、新たに手に入れたメスに子供がいると,それを殺してしまう。

 メスライオンもそれをみとめる。

 幼児虐待死事件の多くも、それだというのだが、言われてみると、事実そうみたいだ。

 人間は、人間以外ではあり得ない理由で殺人を犯し,また、野生の動物としての人間としても、殺人を犯す。

 いずれにせよ、日本では「死刑問題」も、死刑という科料の質が倫理(日本の場合は世間の価値判断に等しいが)に叶うかどうかという、解決不能の問題を論じているだけなのだ。
 
 その意味で言うと、TPP問題とかとも同じなのだ。

 問題を「解決不能」なものに設定し、それでごちゃごちゃ言っているだけ。

 それにしても、大谷昭宏が宗旨替えか、「死刑賛成」になっているのはびっくり。

 下らぬネトウヨ的世論におもねたのか?

 それとも、昔からそうなのか?

 私には、そうではない印象があるのだが。(~印象がある、という言い方、流行っているが、あんまり好きではない。)

日本初の女性首相誕生?

2010-12-29 19:34:49 | Weblog
 何処かのニュース番組で、蓮舫と石原自民党幹事長が出演していて、石原が民主党の政策(マニフェスト)を「バラマキ政策」と批判したのに対し、蓮舫が、「時間がかかるかもしれないが,私たちはマニフェストを粛々と実現したい」と返答していた。

 お互いに自党の主張を紋切り型にぶつけあっただけだが、「与党」というバックもあって、蓮舫の言葉の方が圧倒的に存在感があった。

 石原も蓮舫にやられちゃうようじゃあ…と思っていると、司会者がお追従で、「日本初の女性首相云々」と言い出し、悪夢のごとき展開に思わずチャンネルを変えたが、蓮舫、「ウヘへへ」と、まんざらでもない顔をしていたのだろうなあ。

 まあ、国民総背番号制とか、公務員へのスト権付与とか、自民党政権では決して出来なかったことに言及しているから、それができるというのなら、まあ、やってほしいのだが。

 小沢が、国会喚問に応じるということで、「あれれ?」な展開に、ちょっと驚いたが、ニュースをよく聞くと、野党が今後の国会運営に協力するならば、という条件付き。

 この条件自体は、民主党が与党として一体となって動いているのなら,当たり前の要求なのだが、菅にとっては、深刻な選択を迫られる形になる。

 具体的に言うと、自民党は、仙石の首を狙っている。

 一方、菅のたよりとするのも、仙石。

 だったら、小沢の条件を受け入れて、自民党には「これでオーケーしろ」と言って、正面突破をはかればいいはずなのだが、それができない。

 なぜなんだろう?

 と思ったが、要するに、「小沢排除」で、大連立とまでは行かないにせよ、連立を狙っているのか。

 と、少し方程式が解けた感じ。

軍手

2010-12-28 20:18:35 | Weblog
 寒いので、今朝、もって出たはずの軍手を探したが,ない。

 持って出たはずが、持っていなかったのか,それとも、途中で落としたのか。

 と手をこすりつつ、帰宅したら、ドアの前に軍手が一組、丸まって落ちている。

 出がけに落としたのだったが、丸々半日、いやそれ以上、落とした形、そのまんまとは!

 まるで、『坊ちゃん』の坊ちゃんと山嵐が押し付け合った一銭銅貨みたいだ。

 日本人は変わらないなあ。

 『菊と刀』のルースベネディクトによると、あの『坊ちゃん』の行動は明らかに神経症とアメリカでは見なされるのだそうだ。

 じゃあ、日本人は病人か?ということになるが、少なからぬ人が、通路の「ど真ん中」に落ちている軍手を避けて歩いているところを想像すると、ベネディクトの批評もむべなるかなと思ってしまう。

 本棚を整理していると、7、8年近く前に古本屋で買ったものが多く、当必然的に、バブル絶頂期に、その崩壊を予感して書かれたものが多く、いろいろ考えさせられる。

 まあ、結論的に言うと、予感(不安)は、そのものズバリで当たってしまったという感じ。

 鬱々としてしまうのだが、そんな中で、目に留まったのが、土居健郎の『裏と表』の一節。

 「現実と無意識があまりにも接近しすぎると、無意識が無意識である立場が失われ…その結果、無意識が現実か、区別のつかぬまま、世界に埋没してしまう」云々。

 最近のヒット映画の上位を占めるものは、CG映画ばかり(『カリブの海賊』だって、CG映画のようなものだ)というニュースを聞いて,「嫌な感じ」がしたが、まさに、「無意識と現実」が区別のつかない世界を人々は好んでいるのだ。

 まあ、この傾向は,日本よりむしろ海外の方がすごいのかもしれないが。
 

トイレで

2010-12-27 18:47:16 | Weblog
 小沢をめぐる、「政治と金」の問題なんか、正直言って大した問題ではないと思うがなあ。

 小沢の言い分そのまま、ということになるが、菅が、一言、「司法の場で解明されればよいので、国会招致はしない」と、言って、正面突破をはかれば、それで済む。

 石原幹事長が,「菅総理が一言、国会に出て説明しなさいと言えばいいだけの話。それがなんでできないの!」

 と、キャンキャンわめいていたが、要するに、菅と小沢、というか、小沢と反小沢の間の亀裂にくさびを打ち込もうとしているだけ。

 「隙」を見せなければ、くさびを打ち込もうにも打ち込めない。

 もっとも、「世論」という問題があるけれど,「裁判の結果次第」で、押し通せばいい。

 ともかく、「客観的」に言って、それほどの問題ではない。

 明らかに賄賂とか、そういうことだったら別だが。

 まあ、異論もございましょうが、私はそう思う。

 しかし、石原を見ていると、「弱い犬程よく吠える」の典型のように思う。

 もちろん以前から、キャンキャン吠えてばかりいるという印象はあったのだが、「それだけ」の人ということがよくわかった(ような気がする)。

 実は、ネット接続にデータカードを使っているのだが、川口の部屋ではアンテナが一本しか立たない。

 それで、電話で対処を申し込んだら、部屋のあちこちで試していただけましたかと、言われた。

 もちろん試しましたよ、と答えたが、隅から隅までというわけではない。

 それで、トイレで試したら、ばっちり、アンテナが3本立ち、つながった。

 トイレでしか使えない…まあ、落ち着くと言えば、落ち着く場所だが。

狭き門

2010-12-26 17:55:24 | Weblog
 NHKの年末スペシャルの討論番組で、「新卒の未就職者の増加」という問題を扱っていた。

 大変に深刻な事態であり,なんとかしなければいけないということで、番組を組んだのだろうが、話を聞いているうち、「何じゃこりゃ」と思った。

 要するに、デフレが長引き、未来に不安を持った大学生が、安定している(と思われている)大企業に殺到しているため、「狭い門」になってしまった、と、ただそれだけのことではないか。

 もちろん、新卒一括採用や、終身雇用制の弊害という問題はあるけれど,それはずっと以前からあることで、「今現在」の問題は、明白に、大学生の「デフレ対応」が原因で,それは、今,デフレである以上、ごく「自然な現象」なのではないか。

 チャンネルをひねったら,浅野内匠頭が吉良上野介に切り掛かっていた。

 「お止めくださるな~!」の台詞が、やたらに今風にアレンジされていたようだが、これほど酷い「忠臣蔵」は初めて見た。

 もちろん、酷すぎて、すぐにチャンネルを変えたのだが。

 マイケルジャクソンの「THIS IS IT」をやっていたが、意外に面白かった。

 といっても、ほんの一部しか見ていないが、マイコーは、結局、「紅楼夢」の宝玉ちゃんなんだと、牽強付会ながら、思った。

 男性が大半のスタッフたちに精力的に指示を出していたが、本質的にはホモで、性的には男性相手でないとだダメだが、日常的には、若くて、可愛く、感受性の豊かな女の子たちと、キャッキャと戯れていたい人だったんだと。

 そういう場面が、具体的にあったわけではないが、なんとなく、そんな感じがした。

民主党の「マニフェスト」に関する一考察

2010-12-24 18:18:59 | Weblog
 「立ち上がれ日本」が、民主党と連立協議に入っているとかで、仰天。

 財政再建という大目標で、菅内閣と一致しているかららしいが、こりゃダメだわ。

 昔、といっても数年前、これは自民党だったが、党内きっての経済通という、堀内某が、国会の予算委員会でこんなことを言っていた。

 「旅人を捕まえ,ベッドに縛り付けて、身長がはみ出していたら脚を切り、短すぎたら、無理矢理引っ張って殺すという、悪者がいたというギリシャの昔話がありますが、経済政策も同じで、旅人の身長が低いからといって無理矢理引っ張って殺してはならないのです。」

 正確ではないが、そんなことを言っていて,仰天した。

 ちょうど岩波新書のケインズの解説本を読んでいたのだが、そこに同じ話が紹介され、そこでは、「ギリシャの強盗のように、無理矢理引っ張ること,これが経済政策である」と書いてあったのだ。

 堀内某は、勘違いして覚えていたのだろう。

 そもそも、民主党が政権について以来、特に菅内閣が発足して以来、急速に景気が悪いというか,社会の雰囲気が悪くなっているのだが、それは、民主党のマニフェストが間違っていたからではなく、ことごとく、官僚,特に財務省の抵抗にあって実現できていないからではないかと、私は思う。

 「子供手当」は、前にも書いたけれど、「頭の良い政策」とは思えないが、それをのぞけば、決して悪くない。

 とくに、高速の無料化なんかは絶対に効果があるはずなのだが(なぜなら、人は「移動」すれば必ず金を使うからだ)、運送業者までが、「渋滞になると、定時に商品を届けられなくなる」とか、些細なというか、非本質的な「取り越し苦労」が世論的にクローズアップされて、勢いを失ってしまった。

 いずれにせよ、マニフェストは実行されなかったわけで、だからイコール、景気が悪いという理屈にはならないが、そう考えてもいいはずだ。

 問題は、マスコミはじめ、誰もそのことに気づかないことだ。

 民主党が悪い、無能だ、で、十把ひとからげにして、まるで「マニフェスト」がいけなかったようになっている。

 一つもマニフェストなんて実行できていないのに。

 まあ、無能だから、官僚にやりこめられている、ということでもあるのだけれど。

 特に、野田。

 あの見栄を切るのも覚束ない、田舎役者みたいなアホ面は、菅に匹敵する。

 というわけで、今、7、8年前、話題になった、「経済論戦は甦る」という本を読み直している。

 著者は竹森俊平という経済学者だが、彼自身の主張は、明確に、いわゆる「リフレ派」つまり、インフレターゲット政策を行えというのだが、反論に対する考慮が過ぎて、結論がはっきりしない。

 曰く、財政危機といっても、どれだけ悪化したら、破綻するかということは誰もわからない。

 つまり、「わからない」ということだけがわかっているので、だったら、その「わからないこと」に余分に気を使う必要はないのだが、でも、「破綻しない」と決まったわけでもないから気をつけろ…といった具合だ。

 性格的なものだろうが、もっと「果敢」に発言すべきだったし、今からでも、もっと「果敢」に行動すべきだろう。

 今、「経済学者」がまったく表に出て来ないというのが、もっとも問題かもしれない。

 増税で景気回復とか、妙なことを言っていた小野なんとかという、菅の顧問経済学者はいたけどね。

 彼はどうしちゃったのか、もしかしたら、影でアホ二人をあやつっているのか。

 学者だったら,ちゃんと表に出て持論を説明すべきだろう、となんだかだいぶ脱線してしまった。

灯台下暗し

2010-12-23 16:55:39 | Weblog
 写真集「風に吹かれて」の初校戻し、すなわち「責了」に、2週間,いや、3週間近くかかってしまったが、いよいよ明日,戻すことになった。

 その最後に、奥付のメールアドレスに、是非「kazenifukarete」というIDを使いたいと思い立ったが、どこでも「使用済み」。

 いったい,どこの誰が…と思ったが,しょうがない、と思いつつ、念のため,今使っているグーのメールで検索したら,使用オーケー。

 まさに「灯台下暗し」。

 というわけで、kazenifukarete@goo.jp

が、新メールアドレスです。

パープリン

2010-12-22 13:24:49 | Weblog
 日曜洋画劇場といっても、時々日本映画をやるけれど、多分それだったのだと思う。

 テレビをひねると、暗鬱なヘリコプターショットが流れ、カメラが一本の鉄塔に近づくと、そこに首吊り死体がぶらさがっている。

 あれ、かっこいいな、と思ったが,何処かで見たような。

 そうだ。

 石井隆の「五人」か、「五人2」だ。

 もちろん、「五人」でも、「五人2」でもない。

 和泉聖司監督の、超人気刑事ものシリーズで、お話に入ったら、石井監督のような緊張感はまるでなし。

 こんなのが、なんで人気なんだろう?

 いつになったら、日本では現実にあり得ない、「警官と犯人の銃撃戦」をやめるのだろう。

 和泉監督は,まんざら才能のない人ではないと思うのだが。

 それはしょうがないにしても、冒頭のクレジットタイトルの画像が、あまりにもあからさまな「パクリ」であることが問題だ。

 いや、石井監督をパクって、物語もちゃんと「暗鬱」な石井調で通せばそれなりに納得するのだが、タイトルだけ、というのが、作家としてあまりにも中途半端ではないか。

 たけしの「テレビタックル」で、「どうする、日本」的なテーマでだいぶ長時間やったらしいが、最後の方だけ見た。

 かつて、中国製品は、「安かろう,悪かろう」だったが、日本企業の現地進出に伴う「技術流失」により、「安くて、良い」品質に変わってしまった。

 日本企業は自分の首を絞めた、というような話になったところ、20代のフリーターだという男性が、「それは、日本企業だってわかってやっているはず。日本が景気が悪いのを中国のせいにしてもしょうがない。問題は、資本主義制度が社会のあり方にマッチしなくなっているのが原因だ。それは、通貨の発行権を私企業である銀行が握っていることが問題で…」

 と話し始めたところ、最近,この手の番組に、「にぎやかしのアホ」としてよく顔を出す、産經新聞のデブがいきりたち、「中国がチベットで何をしているか、ウィグルで何をしているかわかって言っているのか!」と、とんでもない見当違いの発言でさえぎってしまったが、このフリーター氏は実に良く勉強していると思った。

 結局彼の言いたかったことは、今や、銀行券ではなく、政府発行紙幣を大量に発行し、それでベーシックインカム的政策を実行せよ、と言いたかったのに違いない、と我田引水。

 いずれにせよ、「他国には真似の出来ない、日本の職人芸の伝統技術を絶やすことなく、後続世代に伝えることで、景気も回復するのではないか」との鳥越のパープリン(死語)発言にみんなうなずいているようでは、この先、暗い。

 

2010-12-19 16:34:05 | Weblog
 イーモバイルの携帯について質問したいことがあり、池袋のビックカメラの店頭で適当な担当員を捜すも、お客への説明にかかりきりで、振り向いてくれず。

 売り込んでいるのは、イーモバイルのスマートフォン。

 「ソフトバンクやドコモさんのように大々的に宣伝することは出来ませんが、機能的には絶対に自信があります。」

 といったことを話していたが、「あまり宣伝をしないということは、その分、機能に金をかけているのかもしれない」と思わせる販売テクニックなのだろう。

 私もそれでひっかかってしまったのだが…。

 その後、明治通沿いに王子方面に向かって10数分歩き、「薬の福太郎」のすぐ先の路地を曲がった時、突如、カラスがばたばたを羽音をたてて、飛び上がった。

 そして、そのカラスが飛び上がったと思われる場所に羽毛が散らかっている。

 よくみると、鳩の死骸。

 カラスが殺し、さらにいたぶるようにつついているところに、私が通りかかったらしい。

 鳥は恐い。

 ヒッチコックの中でも、「鳥」は一番怖いし、一番好きな作品だ。

 それにしても、カラスは鳩を殺してどうしようとしていたのだろう。

 「食べる」ために殺した、とも思えないし。

 見上げると、カラスがマンションのベランダに止まっている。

 じーっとそのカラスを見つめてみたが、カラスは無表情に、知らんぷり。

 まさに「殺し屋」。