パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

品格がない!

2007-10-31 16:42:19 | Weblog
 案の定、加古川市の幼女殺害事件は迷宮入りになりそうだ。気が早いかもしれないが、これまでの警察の無能ぶりからして、そう考えざるを得ない。
 話が少し飛ぶけれど、酒鬼薔薇事件の関連本を古本屋で買って読んでみた。正直言って、あまり面白くなかったが、ちょっと驚いたのは、警察が、少年Aが犯人であることを相当早い時期から知っていたということだ。いや、警察ばかりではない。周囲の同級生など、ほとんどの人が、Aが犯人で間違いないと断言していたらしい。それくらい、あれやこれやで、事件直近におけるAの挙動不審ぶりは際立っていたわけだが、だったら、あのマスコミの迷走ぶりはなんだったのだろう。今でも覚えているが、「黒いゴミ袋を持った男」とか。あれは、「カモフラージュ」記事だったのだとか? まさか。
 それはともかく、Aが犯人だと多くの人が信じていた中で、Aが捕まったということは、換言するなら、警察は、犯人がAであることがわかっていたから捕まえることができたので、わかっていなかったらこれまた迷宮入りだったかもしれない。
 何か、変なことを言っているみたいだが……要するに、犯人像が不明のまま、地道な捜査、鋭敏な論理で犯人を割り出し、捕まえるということは、今の警察にはほとんど望めないのではないか、ということだ。今裁判中の、自動連続殺害犯の畠山被告だって、近所の人もマスコミも皆、彼女が怪しいと言っていたのだ。もちろん、「犯人として捕まえる」ということは、「犯人であることを確認する」という作業でもあって、それはそんなに容易い仕事ではないだろうが。
 それとも、乏しい証拠から「頭と足」を駆使して、見えぬ犯人を割り出すなんてことは、そもそも探偵小説の世界でしかあり得ないのだろうか? なんか、そんな感じもしてしまう今日この頃だ。
 
 赤福餅が発売中止になって、代わりに人気を集めていた御福餅とやらが偽装表示で摘発された。被害者も出てないのに、という声が、さすがに、少しずつだが出てきた感じがする。しかし、それを言うと、「モラルが問題なのだ」なんて言い出すわけだが、ともかく、モラルがどうの品格がどうのという奴が多すぎる。そもそも、モラルや品格の欠如を指摘するからには、本人は、モラル、品格について、他の人からとやかく言われるようなことはないと自信を持っているのだろうが、そんな奴に、「品格」を語る資格があるのか。

 もう10年近く前のことだが、「清貧のすすめ」とかいう本がはやったことがあったが、その頃、町田康が「文学界」に「くっすん大黒」を執筆し、そのサイン会があって、それにたまたま出くわした。「アラン」のグラビアページで美少年時代の(とてつもない美少年だった)氏を載せたことがあったので、挨拶したら、幸いにも覚えていてくれて、ちょっと立ち話をしたのだが、その中で、いきなり、「清貧のすすめ」に触れ、「あんな下劣な本が売れるようでは」と慨嘆していたが、そうなんだよなあ。世間は、みんな、深沢七郎の爪のあかでも煎じて飲めと言いたい。

亀田問題2

2007-10-27 19:35:17 | Weblog
 かえって、男を上げてしまったようだ。亀田興毅。記者会見の最初のほうで、「ボクシング界に迷惑をかけてしまったこと云々」という発言があったけれど、私のような理屈っぽい性格で、なおかつ反抗心があったりすると、つい、「迷惑をかけてしまったとしたら」と、仮定法で言いかねない。そんなことを言ったら、たちまち、テレビレポーターに食いつかれるのは必定。言いたいことはいろいろあっただろうに、それを押さえて、「迷惑をかけた」と言い切ったのは感心した。(私だったら「…としたら」と言っちゃったと思う)
 そんな見方は、甘い。「迷惑をかけた」と言い切るなら、なんで、反則について「反省している」だけで、「指示した」と、はっきりと認めなかったのか、という意見もあるかもしれない。テレビレポーターはしきりにそこをついていたけれど、興毅は案外しぶとく、「反省している」で通していた。最後は、金平が「反則指示をしたと認めたようなもの。そうだな?」と言われて、小さな声で「はい」と言っていたが、裁判所とか、そういう場所だったら、あれは証言としては認められないのではないかと思われるような消極的なものだった。
 で、問題は、そのことの「是非」だが、私としては、亀田びいきと言われるかもしれないが、以下のように考える。
 そもそも、「反則指示」とはどういうことかというと、例えば、「投げちゃえ」と命じて、その通りに内藤選手を投げ飛ばしたとしたら、明白に「反則指示」と言えるが、別にそういう形での「反則」はなかったのではないかと思う。興毅がいうように、「勝ちたいが、劣勢は明白」だったので、焦りや何やらで頭が真っ白になって投げ飛ばしてしまったのではないだろうか。そもそも、絡み合った形で相手を投げてしまうというボクシング試合はいくらでもあるし。
 だいたい、反則指示ったって、反則したら「負け」なのだから、そんな「指示」はナンセンスではないか。プロレスじゃあるまいし。(プロレスでは、チャンピオンが反則すると、もちろん反則負けとなるが、タイトルは移動しない。だから、チャンピオンが劣勢になると、わざと反則負けしたりする)それとも、レフェリーにわからぬように周到に反則技を練習していて、最後の手段として「賭け」に打って出たのか? …にしては、稚拙ではないだろうか。

 まあ、そんなこんなを考えていたのだが、今朝の産経の「週刊誌ウォッチング」というコラムに、花田紀凱が、一連の亀田記事で物足りないのは、どこもJBC(日本ボクシングコミッション)の責任を問うていないことだと書いていた。曰く、「(JBCは)なぜ、力不足の大毅の世界挑戦を認めたのか、なぜこれまでの亀田父子の言動を注意しなかったのか」。

「なぜ、力不足の大毅の世界挑戦を認めたのか」については、技術的なことでよくわからないからパスするが、問題は、「なぜこれまでの亀田父子の言動を注意しなかったのか」というところで、ここで論者の見解がわかれるのだと思う。
 つまり、花田氏は、今回の反則騒動は、「これまでの派手なパフォーマンスの必然的な結果」という考え方なわけだが、正直言って、私は、これまでの「亀田父子のパフォーマンス」は、嫌いじゃないのだ。よくぞまあ、次々と、挑発的言辞が出てくるものだ、と感心していた。日本語は、「罵倒」に適していないという認識を改めさせてくれるような罵詈雑言の数々。記者会見やリング上での相手を威圧するパフォーマンスの数々。プロなんだからいっこうにかまわないじゃないか。半分は観客を楽しませるためなんだからというのが、私の立場だ。

 ただ、「JBCの責任」を問うメディアが全然なかったわけじゃない。私の見る限りだが、テレビ朝日系がJBCの責任をずっと言っていたと思う。しかし、それは、「反則は、それまでの亀田父子の挑発的パフォーマンスの延長だから、それを見逃してきた責任がJBCにはあるはず」という論理的な態度というより、なんでもかんでも、「悪いのは体制、組織」という朝日系メディアの習い性となってしまった、相変わらずの「思い込み」のくりかえしとしか思えなかった。
 これがもっとも顕著なのが、時津風問題で、相撲の専門家などが、「あれは、リンチ」と断言すると、必ず、朝日側の誰かが割って入って、「相撲協会の体質」とか、「地方実力者と警察の癒着」とかに話を持っていこうとする。見ていて滑稽なほどだ。
 もちろん、相撲協会に問題がないとは言わないし、「協会と地方実力者と警察の癒着」もないはずはない。しかし、だからといって、「これ(癒着)がなければ、今回のような悲惨な事件は起きなかった」ということにはならないだろう。
 それが何であれ、「起きた事実」に即して、それにいかに対処するかが大事な訳で、「起きないようにする」のが大事というのは、根本的のようで、その実、本末転倒ではないか。
 いきなり話が飛ぶが、年金制度問題もその一つだ。何度も書いているが、日本のお役人は、年金制度というものを、「救貧制度」(事実として、起きてしまう貧乏から人を救う制度)ではなく、「防貧制度」(諸悪の根源としての貧乏そのものの根絶)と考えている。
 はっきり言って、問題の把握の仕方が観念的なのだ。

赤福の真相

2007-10-25 15:43:52 | Weblog
 時間的に少し早めだが、更新する。
 アジア版チャンピオンリーグの準決勝、相当面白そうな試合だったようだが、テレビ中継はなし。深夜に再放送をするかと思っていたが、それもなし。(ラモスヴェルディの録画中継はあったが)プロ野球のプレーオフの中継もなかったし、テレビ局は何をやっているのか。
 目端がきかないなーとか、そういうこともないではないが、もっと重要なことは、マスコミたるもの、今現在人気のあるものに注目し、情報を伝えるという役目はもちろんあるだろうが、「人気」のあるものを、自ら作る(プロデュースする)という役目もある。むしろ、こっちのほうが大事だろう。この意識なしに、全部、既成の人気者におんぶだっこだから、その人気者がこけると、一緒にこけてしまう。実際には、その人気者(巨人のことだが)が、人気のすべてではないということが見えていない。また、もし人気の大半を巨人が独占していたとしたら、それに頼るのではなく、対抗可能な人気チームを育成することが求められるのに、そういう視点が、いまだに一切ない。だから、一緒にこけてすべてを失うのだ。

 亀田家問題も、同じようなものだ。私は、これからは亀田家を応援することにした。金平が、「あんな謝罪では、世間に受け入れられない」とかなんとか言っているみたいだが、そもそも、「世間なんてなんぼのもんじゃい」的キャラクターだったんじゃないのか。それを曲げて、謝罪して、まじめなボクサーに変身し、世間に受け入れられたとして、何になるのか。冷笑されて忘れ去られるのが落ちだ。(「受け入れられる」のではなく、180度変身して、世間を「驚かせる」という方法もないではないが…難しいだろうなあ)
 亀田兄弟の獲得に名乗りを上げているところが、ボクシングジム以外にも数カ所あるみたいだが、社会をトータルとして見るならば、ここに見られるような、世間は世間として、自分は我が道を行くような「自主性」(商業主義と言い換えてもいいけど)こそ「健全」な動きだと信じる。

 そんなわけで、見るべき番組がないまま、NHK教育の「高校世界地理/アフリカ」をぼんやり見ていたら、講師の京大教授が、アフリカの低迷は、すべて欧米のせいである、アフリカは、アフリカの生活原理を大事にし、それを基礎に生きていかねばならない、と言っていた。この堂々たる正論、しかしてその実態は、「単純脳天気な原理主義」は、高校生相手の授業内容としては、ちょっとまずいのではないか。「アフリカ的価値観の復活」で、ことが済むとはとても思えないし、そもそも、そんな「アフリカ的価値観」自体が、欧米の民族学的知見の結果じゃないのか。(実のところ、それ(アフリカ的価値観)は、学者によって取り上げられた時点で、「死んでいる」のだ。)
 この問題とは別に、DNAの発見者として有名なノーベル賞学者、ワトソンが、黒人のIQが白人と比較して低いのは、遺伝子(DNA)にその証拠があると発言して、非難を浴びて撤回した、という報道があったが、黒人のIQが、他と比較してどうのというのは、それがあぶり出されざるを得ない「グローバリズム」という環境/背景があってのことだと思うが、このグローバリズムと民族原理主義のどちらがどうかというと、結局、グローバリズムが、民族原理主義の危険性を少しずつ馴致し、包含する形で自らの目的に近づく――具体的には、ここにしか、未来はないのではないかと思うのだが…。

 「赤福」問題で、「垣田達哉という食品問題評論家」が、「徹底的な真相解明を」と吠えていた。(産經新聞、10月25日付け)読んでみると、赤福事件は、牛ミンチのミートホープなどの他の偽装事件とは比べ物にならないくらい悪質なのに、国も地方自治体もかなり手加減をしている。なぜ、手加減をしているのか、その「真相」を究明しなければならないという。例えば、赤福は、一応、当局によって無期限の営業禁止となっているが、安全確認さえすれば、すぐにでも再開できる態勢だそうで、その「安全確認」は、保健所の仕事だが、なぜか、保健所は最初から顔を出していない。だから、年末くらいには営業再開されるだろう。三重県知事も、この「何もしようとしない」保健所の真意を確かめることもせず、「食品衛生法違反ではない」と記者会見で言い切って、当局のぬるま湯的対応を後押ししている。云々。

 私は、垣田氏と逆に、保健所が何も言っていないことをもって、「赤福」事件が、食品安全の観点からは問題ないと保健所が判断したのだと理解し、故に、問題は「嘘をついた」ことに集約されるだろうと考えたわけだが、垣田氏は、保健所が何もしないことには裏があるのだ、と言っているわけだ。じゃあ、その「裏」って何?というと、前社長が「権力者」だからだという。確かに、前社長が地方名士であり、しかもその「地方」が伊勢神宮のお膝元ということだから、ちょっと特殊な事情が加わっているのかもしれないが、同コラムの結語、「そんなに地方の権力者が怖いのか」は、ちと妄想が過ぎはしまいか。たかが土産物屋のおやじではないか、と思うのは甘いか。

「嘘」は絶対悪か

2007-10-23 22:18:01 | Weblog
 プロバイダーをOCNにしてから、2chの規制にひかかって、まったく書き込めなくなった。OCN入会以外に理由が考えられないので、サービスセンターに問い合わせたが、そんな話は聞いたことがないという。まあ、たかが2chだが、他にも00発信ができないとか、結構不便だ。ADSLに戻したなんて人も結構いるようだが、義務的加入期間を過ぎたら考えるかも。

 それはそうと、何を2chで訴えようかと思ったかというと、「赤福」問題だ。

 そりゃあ、嘘をつくのはいけないことだが、でも、それだけではないか。被害者がいるのか? マンション偽装問題も同じだ。建築基準法に違反したのはよくないが、被害者が出たのか?
 いや、被害者はいる。資産価値がゼロになることで、全財産を失ってしまったマンション住人だ。姉歯建築士のせい? そう、半分は。でも、あと半分はマスコミだ。法律に違反はしているけれど、だからといって、今すぐ倒壊するわけじゃあない。建築基準法を含む工業規格というものは、安全性を3倍にも4倍にも見積もっているからだ。そのことは、あれだけ疑惑物件が全国に散らばっているなら、中には大地震に見舞われたマンションだってあるだろうから、マスコミだったら、すぐに調べられるだろう。それもせずに、どこかの大学の研究室に「模型」をつくらせ、それをぶっ壊して、「危ない!」と喚く。実際に調べたら、目立った損壊がなかったので、「模型」にしたんじゃないかとまで思ってしまうが、それほどのやり手じゃあない、糞マスコミは。しかし、実際の話、マスコミは、マンション騒動で唯一、儲けたのだ。赤福もおんなじだ。

 もちろん、マスコミは、「万が一のことが起きてからでは遅い」とかぬかすだろうが、その「万が一」の確率が問題なのだ。マンションの資産価値がゼロになるほど、決定的なのか、それとも、半分か、3分の1か。半分以下になったとしても、正直言って、買いたい人、業者は現れたと思う。買いたい人が現れれば、「価値」が生じる。しかし、実地調査をせず、「危ない」と煽るばかりのマスコミのもとでは、それもあり得ないだろう。
 それでも、マンション偽装では、住人は、報道された日以後、不安で寝られなくなったそうだし、それは大いにわかる。しかし、「赤福」はどうか。30年間、おいしいおいしいと食べていた。誰もおなかを壊したりしなかった。正直言って、このまま続けても、実害はなかったと思われる。

 そもそも、「嘘はいけない」というが、じゃあ、沖縄の住民大会の参加人数はどうなんだ? あからさまな「嘘」だろう。航空写真を克明に調べたら、1万9000人だったそうだが、「嘘はいけない」んだったら、あれも弾劾しなければならない。そして、弾劾、批判した上で、教科書記述は元に戻すべきだと信じるなら、そう主張すればいいではないか。
 きっと、数の嘘を認めると、教科書記述問題に関する主張も「嘘」がバレちゃう、というか、認めざるを得なくなるので、できないのだろう。実際、報道によると、市民運動家たちは、「元の記述に戻せ」から、「元の記述よりももっと踏み込め」に主張を変えたらしい。「軍の関与を認めろ」と言っていた肝心の「元の教科書の記述」が、「関与」を認めているためだ。要するに、「押せ押せ」で、一方的に主張し続けないと、立場が一気に崩れる恐れがあるのだ。(今の小沢一郎の立場と同じ)

 2chに書き込めない鬱憤を晴らしたような書き込みになってしまったが、本当は、『カラマゾーフの兄弟』のことを書きたかったのだ。長くなったが、ついでなんで、書いてしまう。

 カラマゾーフ家の長男ドミトリーは酒飲みの乱暴者で、酒場で貧乏な元士官に言いがかりをつけて侮辱し、打擲する。そのことを知ったドミトリーの婚約者は、心優しい女性だったので、300ルーブルという大金を元士官に見舞金として渡すよう、カラマゾーフの3兄弟の末子、アリョーシャに託す。元士官は、大金を呈示され、「これで病身の娘を医者に診せることができる」と、驚喜するが、次の瞬間、「受け取れない」と拒否する。なぜかというと、酒場でドミトリーに侮辱された時、幼い末息子がその場にいて、「お父さんを許して」と泣いて頼んだのだが、その様子を運悪く、息子の同級生が目撃してしまい、学校で、「○○の親父は、ドミトリーから10ルーブルもらって、侮辱を受け入れた」と話に尾ひれがついてしまい、そのため、石を投げられるなどして、ひどくいじめられてしまった。今、300ルーブルを受け取ったら、その「噂」を裏付けるようなことになってしまうではないか、そうしたら、息子はますますいじめられる、というのが、元士官の言い分だった。アリョーシャは、「兄の婚約者も、私も、絶対にあなたにお金を渡したことは言いませんから」と言うが、元士官は、それでもお金は受け取れないと言って、その場を去る。

 まだ、半分弱しか読んでいないので、このエピソードが、今後どのように処理されるのか、わからないが、要するに、「正しいことだったら、全部、明らかにしても不都合はないだろう」という、昨今の「世論」がいかに浅薄かということを言いたかったのだ。「正しい」が故に、この世では、隠し通さなければならないことがある。そういう、「深い認識」を心に秘めてはじめて、「嘘をつくな」と言い得るのだ、と、まあ、そんなことを2chに…無謀かw

「週刊文春」、世紀のネタ落ち(昔の話)

2007-10-22 22:33:35 | Weblog
 他雑誌ネタで。
 「Will」11月号に、元「週刊文春」編集長(堤堯)の思い出話が載っているが、三島割腹事件を、当時の週刊文春はまったく無視してしまい、後々まで「謎」と言われていたのだそうだ。
 そういえば…って、やはりちょっと思い出せない。そんなことがあったのか! しかも、2週連続の「無視」だそうで、堤氏によると、他週刊誌の知り合い編集者から「文春はどうしたんだ?」と電話があったそうだ。
 事件直後、以前一度、三島ネタで記事を書いたことのあった堤氏は、どう書けばいいだろうと、お鉢が回ってきたことを考えて悩んでいたが、いくらたってもさっぱり声がかからない。どうしたんだろうと、同僚に聞くと、「編集長がやらない、って決めた」という。
 じゃあ、この「スルー」は、会社の上層部の判断だったかというと、社に届けられた三島事件抜きの試し刷りを見た社長の池島信平が、堤氏に向かって、「おい、堤、お前、一度三島さんで書いたことがあっただろ。なぜ書かないんだ」と言われたことがあったそうで、そういうわけでもない。
 じゃあ、いったい、なぜ編集長は三島事件を無視したのかというと、社史などでは、「文春編集部は、週刊誌的なセンセーショナリズムとは別の受け止め方で、事件を受け止めたのである」とお茶をに濁しているが、真相は、かなりくだらないといえばくだらない。
 というのは、編集長N氏は、当時、総務部から週刊文春の編集長としてやってきてまだ4ヶ月しかたっておらず、それに加えて、副編集長格でN氏についていた人物が、語りぐさになるくらいの「無能」だったことなどが加わり、あまりの予想外の大事件勃発にパニクるばかりで、対応ができなかった、というのが真相らしいのだ。
 しかも、後日明らかになったことによれば、そのN氏、事件勃発にまったく動かなかったわけではなく、松本清張に本人が執筆依頼をしたのだが、結局、松本清張は書くことができず、穴があいてしまった。もちろん、一人くらい書けなくたって、代打の代打、場合によっては社内原稿で埋めればいいのだが、大作家・松本清張におんぶだっこで、全面依存してしまったために、パニックにパニックが重なって、頭が真っ白になって、部下の言葉も上の空になってしまったのだろう。
 もっとも、堤氏は、「これだけでは、2週連続して三島事件のかけらも載せないなんて、説明がつかない」と書いているが、そんなことはないのじゃないかな。たしかに、「信じられな~い」ような、アホな話ではあるが、今となってみれば、面白いといえば、面白い話じゃないか。
 そもそも、「総務」と「松本清張」って――清張ものってほとんど読んだことないのだが――「つきもの」って感じがする。ヤクザに株主総会の仕切りを頼んで、弱みを握られ、とか……きっとN氏も、身がつまされる思いで松本清張の本を、常日頃愛読していて、そのため、三島割腹と聞いて、適任かどうかを考える暇もなく、松本清張に自ら原稿依頼しちゃったところ、あにはからんや、清張と三島は水と油だった!…ということなのだろう。と、これは、私の勝手な「物語」。

 しかし、よく考えると、週刊文春編集長の前の職場が「総務部」とは、むしろこっちが、「謎」だ。

ワン!(遅い!)

2007-10-21 20:37:28 | Weblog
 さて、2万5千円分のポイントにつられてNTTの光に入ったわけだが、全然早くない。ADSLより遅い、とは言わないが、ほとんど同じだ。私が加入したのは、マンションタイプというやつで、一本の光ケーブルをマンションの住人が共有する形なのだが、そのため、スピードが遅い。でも、ADSLに比べればいいだろうと思ったのだが、マンションの入り口までは100メガだが、三春ビルの場合、10の事務所が導入しているらしいので、100メガの10分の1、つまり、最大で10メガ分のスピードしか出ないというわけだ。だったら、ADSL並み、というのは当然だが、だったら、光に入るメリットなんかないではないか。釈然としない。ちなみに、私が小学3、4年生の頃、電話がうちにやってきたのだが、最初の数年間は、ご近所数世帯で一本の電話回線を共有していた。どういうことかというと、どこか1世帯が使っている場合、他の世帯の人が電話をかけようと思って受話器をとると、先に使っている人の会話がまる聞こえになってしまうのだ。
 信じられないかもしれないが、事実だ。しかも、その数世帯の中に、1人、おせっかいで有名なおばあさんがいて、そのおばあさんが、うちの母や、隣の、今、ロックライターをやっているM谷氏のお母さんの電話を盗み聞きして、「旦那さん、大変ね」とかなんとか、言ったことがあるらしく、二人で猛烈に嫌がっていた。
 私は、今時の子供と違い、電話が嫌いだったが、何かの用事で電話をしようと思ったら、隣のおばあさんの会話が聞こえてきたことがある。おばあさんのうわさ話なんか、知りたくもないので、すぐに切ってしまったが、おばあさんの方にしてみれば、今時の若奥さん(昔の話ね)の動向が何かと気になったのだろう。

 話がそれたが、要するに、光に入ったメリットが今のところ、全然ない。しかも、同時にプロバイダ-をOCNに変えたわけだが、そのための接続説明書とか、簡単化するためのCDなんかが送られてきたのだが、説明文が官僚的で、まったく役に立たない。ひどいのはCDで、開いてみたら、同封された「説明書」をPDF化したものが入っているだけ。ワン!(ひどい!) OCNが無料サービスとして提供しているホームページも、容量わずか10メガ。それで、急遽、「忍者」というサーバーの提供する無料で、容量無制限のホームページに変えたのだが、ここは結構良い。奇妙なドメインがたくさんある。私は、「noppikinaranu」を選択したが、おすすめだ。
 それはともかく、NTTは、自前のプロバイダーとか、携帯キャリアなんかを経営するのはやめて、インフラ会社に特化すべきではないのか。このことは、最初からそう思っていた。なぜなら、インフラを所有しながら、そのインフラを使う他サービス会社と同じサービス会社を作って競争するなんて、ややこしすぎる。

 文芸春秋11月号、「帝国海軍対米国海軍/なぜ日本は米国に勝てないのか」を読む。

 別に、この記事を読みたかった訳ではない。なぜって、いつもおんなじことばかり論じているにちがいないと思ったからだが、実際、そうだった。
 そもそも、「なぜ日本は米国に勝てないのか」だなんて、「アメリカに勝とう」とマジに考えている国なんて、どこにあるか? 遠い将来のことは別として、かつてのソ連だって、今の中国だって、アメリカに勝てるなんて思ってはいない。ただ、影響を除外したいと思っていただけだ。念を押すが、アメリカに、勝とうと考え、それを実行に移して、しかもそれがある程度の線まで行くことのできた国は、古今東西、日本だけだ。半世紀前は、軍事で、その後は経済で(あんまり正確な言い方ではないが)。でも、負けちゃった。それで、「なぜ勝てないんだ」という座談会を企画したのが、文芸春秋11月号というわけなのだが、ただ、「アメリカに勝ちたい」、という願望が語られているだけで、「アメリカに勝つ」ということが、イコール「世界の支配者になる」ということであることまで考え及んでいないところに、「アメリカに勝てない」真の理由がある……ことに気づいていない点に「勝てない」真の理由がある……ということに気づいていない点に……というわけだ。

 要するに、日本には、戦前も戦後も、世界の支配者になろうという願望も、動機もない。しかるに、アメリカは、独立宣言書等に明記されているように、自分たちには世界に民主主義という「福音」をもたらす義務がある、そのために「新世界」にやってきたのだという信念がある。その、アメリカに「勝つ」とはどういうことなのか、というのが問題の本質であるはずなのだが……。(ただ、ロシアには、ロシアが世界を救うという、「救世主」思想があるそうで、ただいま『カマラーゾフの兄弟』を読んで研究中)

 ところで、文芸春秋を買ったのは、今回の政変劇の意味するところを知りたかったからだが…正直言って、ネットを探した方がよさそうだ。

タイガーを買ったばかりなんですけど

2007-10-17 22:55:33 | Weblog
Macが、ウインドウズに正式に対応するOS、レオパルドを近々発売するのだそうだ。せっかく、タイガーを買ったばかりなのに…。と思っていたら、10月中にタイガーを買った人は、1000円ちょっとでレオパルドにアップできるのだそうで、慌てて領収書の日付を見たら、10月1日。ぎりぎりセーフだ。『24』みたいにスリリングだ、と思ったが、よく考えたら、ウインドウズのOSを持っていなかったんだ。まあ、それでも、OS9.2.2と10.4.8と10.5とウインドウズXPが使えるようにしておけば、ハードは古くても、ヤフオクでそこそこの値段がつくかもしれない。

光に変えたものの、スピードという点ではあまり変わらない。こんなものなのかな。タイガーも、今のところ、ネット以外ではあまり利点が感じられない。実際、ネットではもうOS9は使えないと言ってもいいのだろう。主要HPが、のきなみ、IE5ではガタガタになってしまう。

フッサール現象学の解説書、「現象学とは何か」(谷徹著)を読む。
フッサールは、生涯、膨大な量の原稿を残したが、それを解読するには、フッサールの手紙であるとか、彼を知る人の証言であるといった、付随する資料に当たらないとチンプンカンプンであるらしい。それは、彼が天才ではなかったことを意味するが、中でも、プレスナーという人の伝えるフッサールは興味深い。彼は、ドイツ観念論(ヘーゲルとか)に対する憤懣をぶちまけた後、手に持った銀の柄のついた細いステッキを震わせながら、前屈みになってそれを、彼の家の戸口の柱に押し当て、「私は、生涯にわたって現実を求めてきた」と振り絞るように言ったというのだ。このような、「態度」も含めないと、彼の文章はなかなか理解しにくいのだ。
いずれにせよ、決して天才でなかった彼の「粘り」は驚嘆に値する。正直言って天才でないが故に、彼の著書は価値があるのだろう。ニーチェなんかとちがって。

『24』余談

2007-10-10 20:10:22 | Weblog
 『24』の真の黒幕は、○○○○ンの奥さんだそうだ…て、知ってしまった。キー、言うなよー、とかいって、でも、知ってしまったからには、毒を食らわば皿まで、だ。と思ったけど、伏せた。(ガセネタかも)

 キーファー・サザーランドの父、ドナルドは『24』の大ファンだそうで、キーファーが、その父親と一緒に食事にとした時、つい口が滑って、『24』の未公開プロットをばらしてしまい、ドナルドに激怒され、食事の席を追い出されたとか。

  しかし、今やっているシリーズを最初から見ているわけではないので、○○○○ンの奥さんて、どんな人なのか、全然知らないのだ。なんか、しまらない話だ。

 しかし、それにしてもローガン大統領がねえ…シナリオ会議ではだいぶもめたと思うなあ。でも、話の展開具合から言って、大統領が無垢であることも、また信じがたいことだし…。

 ジャックの乗った旅客機はミサイルで撃墜されてしまうのだろうか。それはないだろう。いくら大統領命令だからといって、「理由は言えないが、民間機を撃墜しろ」は無理だ。

 ドナル・サザーランドは、フランスに仕事に行った時、CMが入らなかったので、大いに堪能した後、アメリカに戻って、CM入り『24』に憤慨したが、再びフランスに行くと、今度は、CMなしのスリリングな展開に「CMがないと息をつく暇がない!」 とぼやいていたとか。

 わかる。

俺は娘には弱いぜ~~~~~

2007-10-06 17:55:12 | Weblog
 variさんご指摘の通り、『24』は、翌週放映ではなく、毎日、それも3話ずつ、六日間ぶっ通しで放映するんだそうで、もう、……身体がもたないw

 しかし、こういうのを見ると、アメリカって、つくづく「キリスト教原理主義の国」だなと思う。その「端的な現れ」が悪役=悪魔で、この構図でいけば、事件の最大の黒幕は、巡り巡って、実はローガン大統領だったってことにもなりかねない。実際、ロシア大統領の暗殺を黙認したということは、ロシア側から言えば、ローガン大統領こそが黒幕、ってことになるし。でも、悪魔が善人を偽装しても、「愚鈍」を偽装するという話は聞いたことがないから、ローガンが「真の黒幕=悪魔」ってことはないだろう。

 ところで、前回、書き忘れたのだが、興味深い「悪役」として、大統領補佐官がCTUに送り込んだ青年がいる。この青年は、補佐官の指令で、殺し屋をCTUに招き入れるのだが、それがバレて捕まると、自分は正しいことをしたのだと抗弁する。なぜなら、青年は、大統領の命令でCTUを内部で監視しているのだと信じ込んでいるからで、招き入れた「殺し屋」も、CTUのシステムを秘密裏にチェックするための技術者だと思っていたのだが、実は「殺し屋」で、実際にジャックを殺そうとして、逆に殺されたと告げられ、補佐官から命令を受けたことを告白する。

 興味深いのは、この青年が、自分の行動が「正しい」と思っていた根拠――大統領がCTUをチェックするために秘密裏に送り込んだと、青年が信じていたこと――がCTU自身によって認められ、一時的とはいえ、職場に復帰していることだ。
 これは、ちょっとすごいと思った。

 しかし、「変だな」「納得ゆかないな」と思うところも、連日見ていると出てくるわけで、たとえば、ジャックの娘だ。

 前シリーズは見ていないので、よくわからないのだが、ジャックは一時、死んだことになっていたらしい。そして、彼が、生きてアメリカの某所に潜伏していたことは、大統領他数名以外、誰にも知らされず、ジャックの娘も父親は死んだと思っていた。
 ところが、その死んだと思っていた父が、実は生きていた! 当然、娘は大喜び…と思いきや、彼女は、生きて自分の前に姿を現したたジャックを、「なぜ嘘をついたのだ」と問いつめる。
 ジャックは、「お前の身の安全のために、しょうがなかった」と説得しようとするが、娘は受け入れない。私は、なぜ彼女が父の説明を受け入れないのか、さっぱりわからなかったが、ジャックを始め、周囲の人もみな、「彼女が怒るのは当然だ」という。
 そのため、さらに、わからなくなってしまったのだが、やがて、彼女の「怒り」の理由がわかった。
 CTUのIT担当のクロエが、ジャックが生きていることを知っていた数名の一人であることを知った彼女が、「あなたが知っていて、娘の私が知らないのはどういうわけ?」と聞くのだが、これに頭脳鋭敏なクロエは、「あなたは、お父さんにないがしろにされたと思っているのね」と言うのだ。そして、これに、彼女はうなずくのだ。

 そりゃー、「ないがしろ」にされることは嫌なことだが、彼女の頑な態度は、つまるところ、「自分はないがしろにされてよい存在ではない」、という「プライド」から来るもので(たしか、クロエは、「あなたのプライドが傷ついたのね」と指摘してみせたように思うが、はっきりとは覚えていない)、では、その「プライド」自体はどこから来ているかというと、ぶっちゃけた話、いわゆる「ポリティカルコレクトネス」から来ている。言い換えると、「ジャックの子供であることから来る権利」だ。これが侵害されたと、彼女は父に向かって主張しているわけだが、う~ん、これにはさすがについていけません。

 それはさておき、この「シリーズ一挙放映」は、DVD販売のために最初からやっていると思うけれど、売れるんだろうなあ。『プリズンブレイク』も欲しいなあ。でも、一番欲しいのは、アントニオ・バンゲラス主演、ロドリゲス監督による、『24』なみの「終わることのないアクションサスペンス」だなあ。でも、私はDVD再生機がないんだよなあw

『24』は、なぜ面白いか

2007-10-03 21:07:25 | Weblog
 沖縄の「11万人集会」の「11万人」が誇大数字ではないかという疑惑は、ネットではかなり話題になっているみたいだ。新聞でも、昨日、別の件で引用した産經新聞のコラム「産経抄」で取り上げていて、地元警察の把握している数は、最大に見積もって4万3000人だが、沖縄では、それを言うのははばかれる雰囲気なので、発表していないという話を「聞いた」と書いてあった。(ネットでは、「沖縄県警に問い合わせたら、数を数えてはいないという答えだった」という記事を読んだが、真偽のほどはわからない)

 いずれにせよ、会場の大きさから言って、あまり現実的ではないが、1メートル四方に大人4人として4万人強が精一杯のキャパシティであるという。ということは、「産経抄」の言う4万3000人は、満員電車並みにぎっしり詰め込んで得られる数字が、警察の把握する「最大見積もり」の数字に化けたのかもしれない。

 じゃあ、実際はどうかというと、ニュース等の画像では、子供がはしゃいで遊んでいたり、大人の参加者が寝転んでいる姿なんかも映っていたから、1メートル四方に1人もいないだろう。ということは、やっぱり、1万人強、といったところに落ち着くのではないだろうか。……ていうか、新聞社には会場の精密な空撮写真があるのだろうから、それで調べれば即一発で正確な数字が出る。まったく、怠慢だなあ……。

 深夜、『24』を見る。「いいところで終わるなあ」と思いつつ、寝ようとすると、続いて一挙放映というお知らせが出たので、それを見て寝ようとしたら、また、「続き」が始まってしまった。この繰り返しが、都合3回か4回、結局全部見てしまったのだが、その「最終回」で、今シリーズは「テロリストによる神経性ガス強奪事件」だったのだが、大統領の補佐官が黒幕(の一人)だったことがわかり、彼が捕まるところでシリーズ一件落着……と思ったところが、生き残ったテロリストグループの一人が火種となって、また新たな展開が始まる、と予告が入って、これは来週放映ということらしい。朝までいいように振り回されてしまった。

 しかし、なんでこんなに面白いのだろう。プロットはやたら複雑だが、ストーリーは勧善懲悪で、単純ではっきりしているからいいのかな、と思ったが、そんなに能天気な話であるようにも思えない。

 たとえば、今回のお話では、テロリストを操っていたのは大統領補佐官であり、その補佐官の背後にはさらに大物が控えているらしいのだが、これは、「悪の親玉」というよりは、「悪魔」なのだ。それも、黙示録に言う、偽キリスト、偽予言者としての悪魔だ。

 実際、バウアーの活躍で正体がバレた補佐官は、大統領の前で、自分がテロリストの神経ガス強奪を指揮したことを告白した上で、大統領を自分の計画に引き込もうとする。つまり、神経ガスを奪ったテロリストはロシアのチェチェン人らしいのだが、彼らに猛毒ガスを与えて、それを使わせることで一挙に中央アジアの石油利権を狙ったのだ、という。

 話を聞いた大統領は、「勝手なことをするな!」と怒るが、補佐官(元民主党の大統領候補のゴアに似ている)は、「もう手遅れです。計画を続けるしかありません。もし成功すれば、大統領は世界の救世主になります」というようなことを言って、大統領を説得してしまう。(この大統領、それまで、かなり「愚鈍」に描かれていたが、このための伏線だったのだ。もっとも、最後に「目覚める」のではあるが)

 この補佐官は、単なる悪人ではなく、「悪魔」なのだ。大統領に、「世界の支配者になれる」と口説くところなど荒野のキリストを、「世界の支配者にしてあげよう」と誘惑する悪魔と同じだ。要するに、単純な勧善懲悪ではないということは、悪魔だから、目配せ一つで「善」にも「悪」にもなれるということから、そう言いたいのだが、ハリウッド(アメリカ)が強いのは、総じて、やっぱりこういうところにあると思う。つまり、「力」ばかりでなく、それを何のために使うかの明確な「意志」があり、それを旗幟としてまとまっている、あるいは、まとめようとしているのがアメリカなのだ、と思う。