パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

微妙~な話

2010-05-31 15:01:49 | Weblog
 「朝生」で卓球世界選手権を見たわけではない。

 タイトルのつけ方が悪かった。

 古本屋で、鉛筆くらいの身長の超未熟児で生まれた全盲の少女の手記をぱらぱらと読む。

 全盲の人は何を見るのか?

 暗闇を見るのか?

 といったところに興味があったのだが、わからなかった。

 そもそも「三重苦」のヘレン・ケラーにしても視覚、聴覚を失ったのは生後1年ほどで、パソコンで言えば、基本OSはインストール済みだった。

 だいたい生後100日で、「経験」の基礎となる「知覚」が形成されるらしいのだが、これに失敗すると、生き延びることは無理らしい。

 我々が見たり聞いたりして「知っている」ことは、「知覚」の上に書き込まれたもの(ということは、ようするに「言葉」なのだが)として知っているので、「知覚」そのもについては、それがどんなものか、どんなものであり得るのか知らない。

 全盲の少女の場合も同じだ。

 ただ、われわれには知らない、何か別の方法で「外界」について知ったことを、「知覚」に書き込んでいるのだ。

 そんな風に想像するのだが、この本のあとがきに、面白いことばが書かれていた。

 出産を担当した医師の話で、「この赤ちゃんは、将来、もののかたちを、見ることで知ることはないでしょう」と母親に言ったというのだ。

 微妙というか…。

 話が変わるが、サッカーワールドカップフランス大会の予選で、加茂監督が成績不振で解任され、岡田監督にバトンタッチした時、対ウズベキスタン戦で、大黒柱、中田ヒデをメンバーから外したことがあったが、その真相は、実は、中田の反応を見るために、わざとメンバーから外したんだそうだ。

 外れた中田は、しかし、反発することなく、黙々と練習に励んだので、これを見て、岡田監督は、中田秀を中心にチームを作ることを決めたというのだ。

 このエピソードを暴露したのは、当時のチームのコーチングスタッフの一人だが、「美談」風にテレビで紹介されていた。

 う~ん、そうかなあ。

 そこまでしなくても、中田が信用できるかどうか、わかるのではないだろうか?

 また、わかるようでなければならないのではないか?

 もちろん、岡田監督はわかっていた。

 でも、試した。

 てことは、岡田監督は自分を信じられなかったのだ。

 また、岡田監督は、愚直でもコツコツがんばる選手が好きなんだそうで、これもまた、「美談」風に語られていたが、要するに、岡田監督は意外に(というか、わかるひとはとっくにわかっていたかもしれないが)、猜疑心の強い、独裁者タイプの指導者であることを示しているのではないか?

 例えば、自分が中田だと仮定する。

 私は中田がどんな性格か知らないが、もし私だとしたら、根がまじめ(笑)なもんだから、コツコツがんばる姿を評価してくれたと思うと、嬉しくなるだろうが、それは、今後もずっと岡田監督のために「がんばる」自分を演じ続けることを意味するかもしれない。

 要するに、岡田監督の「ポチ」になるってことだ。

 考え過ぎかもしれないが…もっとチームに自由の雰囲気が欲しい。

 とか言うと、日本選手の実力はそこまでない。忠誠心で縛らないとダメだ、みたいな反論が返ってきそうだが、でもアメリカのマイナーリーグで野球をやっているニシ選手は、「生まれて初めて野球そのものを楽しんでいる」と言ったとか。

 ん~なんか、大問題に突入してしまった。

「朝生」で…

2010-05-29 17:57:32 | Weblog
 卓球世界選手権を見る。

 カットマン対ハードヒッターの対決は実に面白い。

 見ていると、カットマンに勝つ方法なんかないのではないかと思えてしまうが、実際には世界チャンピオンはすべてオーソドックスなハードヒッターらしい。

 というか、北京五輪で韓国の女子選手がカット使いとして史上初めて銅メダルをとったんだそうで、意外だ。

 しかし、卓球の場合、各国代表に必ず帰化した中国選手がまじっている。

 中国国内では層が厚すぎて代表に慣れないから…らしいが、見ていて「ちょっと…」と思ってしまう。

 はっきり言って、興味がそがれる。

 なんとかならないのか。

 韓国の世界ランク6位の女子選手のことを、「中国をのぞいて世界最高」とか…。

 否、卓球に限らず、今や世界は米中2強時代だとか。

 確かに、アフリカへの中国の進出を見ていると、かつてのソ連を彷彿とさせる。

 …てことは、中国もいずれ「かつてのソ連」がたどった道を辿ることになるのだろうか?

 こんなことを言うと、「事大主義」と思われるかもしれないが、かつてソ連が対米冷戦に敗北したのは、世界1、2の経済大国、すなわちアメリカと日本が組んでいたことが大きいとか。

 鳩山が、4月以降になって「抑止力」のことを言いだして普天間問題に関する態度を転換させたのも、実は、日米がタッグになって中国に対抗しないと中国の世界支配を許すことになると、誰かに説得されたからだとか。

 と、「朝生」で誰かが言っていた。

 …だといいのだが、「鳩」だから、ってわけじゃないが、鳥みたいだといつも思う。

 何処を見ているのか、わからない。

 「大丈夫? 目,醒ましてる?」と目の前で手を振ってみたくなる。

 いずれにせよ、今回の「約束違反」の決断で、支持率は上がるのか、下がるのか。

 考えると、結構ややこしいが、これで、もしかしたら、「民意の底」のようなものが見えてくるかもしれない。

 注目だ。

さすがニーチェ

2010-05-27 15:03:21 | Weblog
 『ニーチェ哲学の基礎』(ジョージ・スタック著)という本をぱらぱらと拾い読みをしていたら、面白いことが書かれていた。

 ニーチェは周知の通り、もともとギリシャ古典を専門とする文献学者だが、その彼が言うには、アレクサンダー大王が創始したことで有名なアレクサンドリア文明が、人類の存続をかけた、まさにるかそるかの一大分岐点だったのだそうだ。

 なぜかというと、この頃、人類は自らを破壊することのできる力を蓄えるに至ったのだが、この頃に現れたソクラテスが、もしそれを放恣に使うがままにしていたら、自らを滅ぼすになるであろう「人間の知力」というものを、人間自身が存続しうるように使う術を教えた。

 それは、具体的に言うと、例えばアルタミラの洞窟の絵に見られるような、人間に固有の「芸術的能力」(自然を模倣する能力)が、「宗教」と「科学」に向かって発展し得るものであることを、ソクラテスは人々に教えた。

 なるほど、さすがニーチェ、考えることのスケールがちがう。

 実際に古代文明はアレキサンドリア文明を最後に壊滅するが、ソクラテスとともにはじまった「知の蓄積」に向かう運動が存続したおかげで、その後にやってきた中世の暗黒を乗り越え、今日に至った。

 もし、それがなかったら、アレキサンドリア文明の完成へと向かった「すべての力」は、「野蛮な利己主義」に誘導されて、世界殲滅戦争になだれ込んだだろうと。(実際、新約聖書はそれをヨハネの黙示録として予言…実は期待していた節があるのだが)

 もっとも、それを乗り越えることができたのも、実際には一部の賢人による導きによるもので、人間自身はあまり賢くなっているわけではなく、ことあるごとに原始的な行動様式に戻ろうとするものだとニーチェは警告する。

 パニック映画によくある場面だ。

 このままでは全員あぶないという危機に陥った集団で、「お前らみたいな臆病で弱い奴らの犠牲になるのはまっぴらだ。オレはオレで一人で生き延びるぜ」と荒海に飛び込んでサメに食べられちゃうというパターン。

 こういうのはわかりやすくていいのだが、実際には、例えば地球温暖化問題とか、核問題とか、知らず知らずに「原始的な行動様式」に戻ることで問題を解決しようとしがちだ。

 釈迦とかキリストといった人は、古代文明が自ら滅亡してゆく有様をじっと見つめ、もはや人類は新しく生まれ変わらねば生き延びることができないということを、実感していたのかもしれない。

 う~ん、さすがニーチェだ。

 スケールがでかい。


48歳の祖母が1歳の孫を

2010-05-24 13:45:03 | Weblog
 今朝のニュースで。

 朝青龍の引退理由となった暴行事件について、「被害者が告訴していないこと、朝青龍との間に示談が既に成立していることなどから警察は…」と言うので、

 「事件性はないものと判断した」

 と続くかと思ったら、

 「事件性について慎重に判断中」

 と、続いた。

 また、48歳の女性が、娘から預かった1歳の赤ん坊を「一晩中泣き止まなくていらいらして」首を絞め、重体に至らしめた事件について、

 「警察は祖母の動機について慎重に調べています。」

 「寝付かないのでイライラした」が「動機」なんじゃないの?

 それ以外に、例えば、娘と軋轢があってその意趣返しとか、ほかに動機があるのなら別だけど…。

 警察の「お役所仕事」意外の何ものでもない「発表文言」をそのまま放送するから変なことになる。

 小さな話ではありますが、ずっと気になっていることなので。

仕分け人を仕分けする

2010-05-21 14:09:35 | Weblog
 必殺仕分け会議で、免許更新時に買わされる小冊子を読む人がほとんどいないので「無駄」というのは乱暴すぎる。

 出版関係で生きてきたものとして言うが、「本」というものは、読もうが読むまいが、「もの」として残るというところに価値がある。

 テレビは、道ばたに捨てられたパンフレットを写していたが、あれを拾って読む人もいるかもしれない。

 まあ、一方で町が汚くなる、捨てられなくてうっとうしいとか、欠点もあるけれど、「読まないから無駄」というのだったら、新聞の折り込みチラシなんか、禁止しなければならなくなる。

 ネットで代行すればいいという意見もあったが、ネットはこちらからアプローチしなければならないが、「紙媒体」は、何の気なしに手に取る、といった読まれ方があり得る。

 これが、紙媒体の強みというか、大事な観点だ。

 それより問題なのは、小冊子をつくっているところに税金が投入されていることだろう。

 小冊子は、希望者には一冊158円で、免許更新受講者には、受講料にパンフレット代として計上されているようだが、それは1000円以上の数字がつけられていたように思う。

 印刷代金というのは、まったく大雑把な基準だが、使用している紙の代金の約10倍と聞いたことがある。

 あの小冊子だと、使用している紙は一冊あたり全紙1枚だろう。

 紙の値段は固定費だが、普通の紙は1枚あたりだいたい10円。

 てことはあの本の制作費は一冊100円ということになるが、大量に刷っているので若干割安になるはず。

 といっても1200万部を一カ所でいっぺんにすることはできないから、まあ、一冊5、60円といったところだろう。

 だから、158円というのは適当な値段ではあるが、数千円の受講料からも収入が相当にあるはずであり、だったら、なんでそんなところに税金で補助しなければならないのか。

 そもそも受講料からもらわなくても、一冊158円の8がけくらいで警察に買ってもらえば、充分にやっていける。

 何しろ1200万部なんだから。

 というわけで、税金を投入するなら、パンフレット代金として警察の予算に計上すればいいので、なんとか協会なんかに補助金を与えて、そこがつくって…なんてややこしいことをしていることこそ問題にすべきと思うのだが。

 ともかく、「読まれないから無駄」というのは、編集者として言わせてもらえば、無茶、というか、あまりにも軽薄というか、本質を見ない意見。

 蓮舫が、何割くらいの人がちゃんと読んでいるかと聞いて、担当者が「7割くらいは」とか答えたのに対し、「そんなんじゃダメですよ~」とか言っていたが、本を読むというのは主観的行為であって、ふと思い出して読んでみることもあるだろうし、ともかく、「何割」とか言えるもんじゃないだろう。

 ちなみに、れんほうと入力したら蓮舫と一発変換。

 こんな奴に、と胸くそ悪い。

 ちなみに、免許更新者にパンフレットを配ること自体が必要かどうかという問題はまた別問題。

 私見を述べれば、簡単な、「道交法はやわかり」とかいう冊子を大量につくって、交番において、欲しい人に無料で配る、とかすればいいじゃないか。

 免許更新者には、それを配ればいいだけで、特に更新者用につくらねばならない理由はないだろう。

すごいことに…

2010-05-20 21:27:22 | Weblog
 バンコックもすごいけど、朝鮮半島もすごいことになっている。

 しかし、北朝鮮の狙いはなんなんだろう。

 国内的引き締めのため、という人が多いみたいだが、確かにこれまではそうだったかもしれないが、今回は、原爆を保有している(自称)という違いがある。

 「違い」といっても、他国が北朝鮮を見る目が、「今までと違う」という意味だ。

 でも、はっきり言って、依然として、どの国も、北朝鮮の原爆の威力を評価していない。

 とても実用にならないと見ているからだが、でも、例えば、国際的に無名の柔道選手がいきなりオリンピックで優勝したり、北の個別的能力はかなり高い。

 社会は貧困に喘いでいても、「原爆」製造能力は飛躍的に進歩しているかもしれない。

 アメリカは、朝鮮戦争における人民中国の「人海戦術」に驚愕したトラウマを持っている(本当にすごいものだったらしい)ので、前回の「核疑惑」の時も、瀬戸際でカーターが訪朝して核爆弾製造施設の爆撃は行わなかったが、中国が「参戦しない」と約束すれば、即爆撃に出るかもしれない。

 要は、北朝鮮の核関連の技術開発がどこまで進んでいるか、が「肝心」なんだろう。

 実際には、「交渉力」となり得るか否か。

 アメリカも中国も、その「見極め」に必死という現状だろうか。

 

鳩山首相は責任をとれ!

2010-05-19 17:35:40 | Weblog
 『~させていただく」という言葉遣いがある。

 私はあまり、というか、まったく好きではないが、NHKの言葉をテーマにしたバラエティ番の再放送を見ていたら、この言葉遣いのもとは浄土真宗でよく使われる「仏恩のおかげで生かせていただいている」という言葉遣いが元ではないかということだった。

 なるほど、私の家の宗旨も浄土真宗なのだが、たしかにご住職は、「生かせていただいております。感謝~」みたいな言葉遣いをしていたような気がする。

 要するに、一種の係り結びみたいなもので、『~させていただく」の「係り」にあたる「仏様のおかげで」が略されているので少し違和感があるのでは、とか、そんな結論で、スタジオも「な~るほど」という雰囲気だった。

 しかし、「させていただく」の本家本元、鳩山由起夫んちは、カトリックじゃなかったか。

 そうじゃないか。

 フリーメーソンか。

 祖父がフリーメーソンだったことは有名だ。

 話がそれてしまったが、私は、私の家の宗旨が浄土真宗でも、やっぱり、「させていただく」は、使いたくない。

 特に、番組で、例として出されていた、「このたび、私たちは結婚させていただくことになりました」という言葉遣いには違和感がある。

 「結婚」と言えば、最近、ある殺人事件で、犯人が元夫だったことをニュースでは、「被害者は某と今年のはじめまで結婚していたことがわかりました」とか言っていたが、これも変だ。

 「被害者は某と今年のはじめまで夫婦関係にありました」が適当ではないか。

 注意して見ていたら、すべての局で、「結婚していた云々」と話していた。

 言葉遣いにうるさいNHKのニュースでもそうだった。

 なんだかな~である。

 「某さんが、亡くなっていたことがわかりました」という言い方も、ニュースの言葉としては、なんか変だ。

 大原麗子の場合のように、孤独死したんじゃないか、とか思ってしまう。

 ちっとも「ニュー」じゃないじゃないか、とも言いたくなる。

 鳩山民主党には山ほど言いたいことがあるのだが、あり過ぎて、つい、こんなどうでもいい(よくないが)話になってしまった。

 責任とれ!

こってりした豚骨ラーメンを食べたいです

2010-05-18 13:28:18 | Weblog
 今日、お昼過ぎ、マクドナルド某店にて。

 背中を向けていて、顔はわからないが、ハンチングを目深にかぶった年配の男が、これも年配の丸坊主の男に大声で話している。

 「90万だよ、90万。でも俺は武を買わなかったんだ。武を買ってりゃ、90万だ。今度だけじゃないぜ。前も、片方を買わなくて、逃がしてしまった。知ってるだろ? もちろん、絶対に仇はとるさ」

 私は競馬はやらないので、連複か連単か知らないが、万馬券の「片方」だけ当てた人なんて、万といるだろう。

 しかし、ハンチングの男は、90万ついたレースを片方だけ当てたことを延々と大声で話し続けている。

 丸坊主の男は黙って聞いている。

 そのうち、ハンチングは丸坊主に話しかけた。

 「それで、あんた、いくらとったの?」

 「200円」

 「200円! 素晴らしいじゃないか! 俺は本当に心からそう思うよ。あんたが当てたということを聞くと、俺が万馬券を取ったよりもうれしいよ。本当だよ。」

 怪しい!

 そこに、それまでも何度か「時間よ」と呼びかけにきたハンチングの妻らしい女性が再度現れ、「本当に、もう時間ないよ」と言うと、男は立ち上がって、「じゃあ行こうか」と丸坊主の男に声をかけた。

 こちらを振り返ったハンチング男は、多分、70少し前。

 顔色、あくまで浅黒く、頬がげっそりこけている。

 眉毛は黒々と太く、その下の目はランランと輝いている(ように見えた)。

 怪しい! 怪しすぎる!

 ま、それだけなんだけど、前の日に見た、10chだったと思うが、「リプラス」の管理職試験のための研修ドキュメントを思い出した。

 その番組では、「私は私のためでなく、私の部下のためだけを思って」云々と大絶叫して、試験官が「50点、合格!」と言い、管理職候補者は涙を流して喜び、そして番組も、その「涙」を称えるのである。

 しかし、そもそも「リプラス」って、家賃保証会社で2年ほど前に倒産したんじゃなかったっけか?

 それも、かなり悪質な「計画倒産」を噂されたんじゃなかったか?

 派遣村の湯浅村長が、大量の顧客を「リプラス」に紹介し、その手数料で派遣村を維持していたと噂されたところじゃないのか?

 それとも、ちがう「リプラス」なのか?

 いずれにせよ、あの「異常」というほかない「大絶叫研修」を賛美するのは、テレビ局、どうかしている。

 それとも、「オレんとこでもあんな研修をやりたいな」と思っているのか?

 日本に一時帰国した女性宇宙飛行士(山崎さんだっけかな?)に、マイクを突きつけ、「食べたいものは何ですか」と聞くバカアナウンサーをもっともっとたくさんつくりたいのか?

 目を丸くしてびっくりした山崎さんは、すぐに気を持ち直し、「こってりした豚骨ラーメンを食べたいです」と笑いながら答えていたが…。

思い出した!

2010-05-17 15:03:05 | Weblog
 平市出身の少年の名前は近野(こんの)君というのだった。

 近野君は、私が台飛び遊びで失敗して「台」になったとき、「切ってやる」と言って実際に「切って」くれた、恩義のある少年なのだ。

 「台飛び」とは、一人が「台」になり、その背中を飛び越えて、どれだけ遠くまで飛べるか、その飛距離を争う遊びで、一番長く飛んだ人の足跡が次の基準となり、その記録が破られるまでは、台になった者は台であり続ける。

 その「記録を破る」ことを、「切る」というのである。

 では、私がなんで「台」になったのかというと、ルールはよく覚えていないが、要するに「失敗」したのだと思う。

 それで、「台」になるべくうつむきになった私に、近野君は「切ってやる」と言ってくれたのだった。

 私は、うつむきになっていたせいもあるけれど、そんな言葉をかけてもらったことがなかったので、地べたを見ながら、こみ上げてくるものがあったのだ。

 なんで、近野君の名前なんか覚えていたのかというと、そういうことがあったのだ。

 まあ、どうでもいいことだが、思い出したことは即書き込まないと、結局、そのままになってしまうので、本日2度目だが、書き込むことにしたのである。

 で、ついでだが、変な夢を見たので、それを書いておこう。

 私は、どこかで大きな「皿」を手に入れ、それを自転車のハンドルの上に乗せて走っていた。

 その私の前に、一人のおっさんの自転車が走っていて、追い抜こうとするがなかなか追い抜けない。

 ようやく追い抜いたと思った瞬間、何かハンドルの下でひっかかったような気がしたが、「皿」が邪魔で見えない。

 そのまま、不安定なかたちで走っていると、おっさんも、不審そうにこちらを見る。

 ブレーキレバーを引いても、何かがひっかかっている。

 しかし、それを見ることはできない。

 それでもなんとか自転車を止め、皿を取り除いてみると、たしかに何かがひっかかっていた。

 おっさんは、それを見て笑っていた。

 という夢。

 見た時は面白かったのだが、書いてみると面白くないな。

「チャーリーとチョコレート工場」を見る

2010-05-17 11:07:05 | Weblog
 「チャーリーとチョコレート工場」を飛び飛びで見る。

 う~ん、ティム・バートンという人は、子役を使うのがあんまりうまくないのかも。

 これまで、「子役を使うのがうまい」みたいなイメージがあったのでちょっと意外。

 もともと、子供の世界で遊ぶ人なので、子役とはかえって衝突してしまうのかもしれない。

 写真集がなかなかできない。

 浅田彰か、柄谷行人だったか、浅田彰の『逃走論』に収められた座談会で、「なかなかまとまらない、終わらない」のが鬱の原因だと言っていた。

 なにが書いてあるのか、さっぱりわからない本だったが(主テーマがドゥルーズだものな)、ここだけは「なるほど」と思った。

 「完成」には絶対に近づいているのだが、逃げ水のように、近づくと遠のく。

 というわけで、昨日は終電に乗り遅れてしまい、ますます「鬱」っぽくなってしまったのだが、一晩泊まってみた感じ、上池袋という町はなんか奇妙だ。

 池袋といっても、北区との境界に位置しているせいか、「地方都市」の雰囲気が濃厚にある。

 私は東京生まれの東京育ちなので「地方都市」の雰囲気には敏感なのだ。

 小学校のとき、同級生の一人が、「俺の田舎は平市だ」と言ったのがなぜか印象に残っていて、そのン十年後、本木雅弘主演の映画を見ていて(題名は忘れたが、結構面白かった)、その舞台となっている町を、「平市ってこんな感じなのかなあ」と思って見ていたら、画面に実際に「平市」という表示が現れ、偶然とはいえ驚いたことがある。

 具体的に言うと、アーケードがあって、山が近い。

 私にとって、「地方都市」はそんなイメージなのだが、上池袋はそのどちらもない。

 でも、地方都市だって、必ずアーケードがあり、山が近いわけではない。

 「なんのこっちゃ」だが、「イメージ」ってそんなものかも。