私としては、別に天邪鬼を気取っているつもりはぜんぜんないけれど、フィリピン沖の地震でテレビが大騒ぎした翌日の新聞を見ると、地震があったことは報じていても、津波の記事は皆無。
私が新聞社のデスクだったら、昨日テレビで大騒ぎしたことを、コラムでいいから載せるね。
もちろんそんな記事を載せたら物議をかもすだろうけど、今は、むしろ物議をかもすことこそ、求められていると思う。
物議をかもしてこそ、たとえば、東南海トラフ地震とやらで死者が最大で32万も出るという予測が、その予測地域とは別の地域の安全を保障しているものではまったくないことを忘れさせてしまう可能性があることに気づかせることができるだろう。
ややこしい言い方になったが、要するに、もし予測するんだったら、日本国政府の行政管理下にある地域のすべてが危険だと言えばいいので。
ある地域を区切って、「ここで地震が起きる可能性がある」と、「可能性」という言葉を入れたとしても、今の地震予知の技術の程度から言って、地域、時間を限って予測することは不適当であるという諸外国の基準も、そこにあるんだと思う。
ということは、日本の地震予知技術に対する過信か、もしくは過信が高じて「これくらいの予想はできる、いや、できねばならん」と気張っているのか。
しかし地震学者に求められていることは、100パーセントの予知なんかではないと思うがね。
原子力科学者、事業者に求められているのが100パーセントの安全なんかではないのと同じ。
100パーセントの安全なんか非現実的であることをわかっていながら、科学に対する信仰から、いつかそれができると思い込んでしまったのではないか。
なんかそんな気がする。
フィリピン沖地震の話に戻るが、テレビは、それ自体が現実を作ってしまうことをテレビ関係者は考えるべきだと思う。
しかもその「現実」は、実際には建前百パーセントの「空気」に過ぎない。
北朝鮮の拉致問題にしても、30年以上、北朝鮮で生活し、結婚し、子供もいるという現実を無視して、今も望郷の念に身を焦がしながら日々生きているという俊寛もどきのお話(建前)をつくってしまって、現実的な解決策、たとえば、日本帰還は要求せず、安否の確認だけでよいとでもしておけば、話は解決したのではないか。
少なくとも、曽我さんとか蓮池さんが帰ってきたときは「一時帰国」で、すぐに北朝鮮に戻る約束だったのを、誰が言い出したのか知らないが、「帰さない」という空気ができあがって「約束」を破ってしまった。
もちろん不当な約束は破っていいということはあるけど、相手が「主権国家」では、それで話が解決するということにはならない。
そもそも「帰さない」という言葉自体、行為の主体が誰なのかよくわからない変な言葉遣いで、本来、「帰らない」と言うべきだと思うのだが、いずれにせよその言葉は当事者、つまり曽我さんや蓮池さん本人かその家族の言うせりふで、日本国政府に、ましてマスコミに「帰さない」なんて言う資格はない。
もちろん、日本政府は本人たちが「帰りたくない」と言っているからと説明していたが、先のことを考えれば、もし本人がそう言っても、「帰れ」と説得するのが日本政府の役目だったと思う。
本当に空気の支配は人から考える力を奪うのだなと、つくづく思。
私が新聞社のデスクだったら、昨日テレビで大騒ぎしたことを、コラムでいいから載せるね。
もちろんそんな記事を載せたら物議をかもすだろうけど、今は、むしろ物議をかもすことこそ、求められていると思う。
物議をかもしてこそ、たとえば、東南海トラフ地震とやらで死者が最大で32万も出るという予測が、その予測地域とは別の地域の安全を保障しているものではまったくないことを忘れさせてしまう可能性があることに気づかせることができるだろう。
ややこしい言い方になったが、要するに、もし予測するんだったら、日本国政府の行政管理下にある地域のすべてが危険だと言えばいいので。
ある地域を区切って、「ここで地震が起きる可能性がある」と、「可能性」という言葉を入れたとしても、今の地震予知の技術の程度から言って、地域、時間を限って予測することは不適当であるという諸外国の基準も、そこにあるんだと思う。
ということは、日本の地震予知技術に対する過信か、もしくは過信が高じて「これくらいの予想はできる、いや、できねばならん」と気張っているのか。
しかし地震学者に求められていることは、100パーセントの予知なんかではないと思うがね。
原子力科学者、事業者に求められているのが100パーセントの安全なんかではないのと同じ。
100パーセントの安全なんか非現実的であることをわかっていながら、科学に対する信仰から、いつかそれができると思い込んでしまったのではないか。
なんかそんな気がする。
フィリピン沖地震の話に戻るが、テレビは、それ自体が現実を作ってしまうことをテレビ関係者は考えるべきだと思う。
しかもその「現実」は、実際には建前百パーセントの「空気」に過ぎない。
北朝鮮の拉致問題にしても、30年以上、北朝鮮で生活し、結婚し、子供もいるという現実を無視して、今も望郷の念に身を焦がしながら日々生きているという俊寛もどきのお話(建前)をつくってしまって、現実的な解決策、たとえば、日本帰還は要求せず、安否の確認だけでよいとでもしておけば、話は解決したのではないか。
少なくとも、曽我さんとか蓮池さんが帰ってきたときは「一時帰国」で、すぐに北朝鮮に戻る約束だったのを、誰が言い出したのか知らないが、「帰さない」という空気ができあがって「約束」を破ってしまった。
もちろん不当な約束は破っていいということはあるけど、相手が「主権国家」では、それで話が解決するということにはならない。
そもそも「帰さない」という言葉自体、行為の主体が誰なのかよくわからない変な言葉遣いで、本来、「帰らない」と言うべきだと思うのだが、いずれにせよその言葉は当事者、つまり曽我さんや蓮池さん本人かその家族の言うせりふで、日本国政府に、ましてマスコミに「帰さない」なんて言う資格はない。
もちろん、日本政府は本人たちが「帰りたくない」と言っているからと説明していたが、先のことを考えれば、もし本人がそう言っても、「帰れ」と説得するのが日本政府の役目だったと思う。
本当に空気の支配は人から考える力を奪うのだなと、つくづく思。