パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

メイド・イン・ジャパン

2009-02-27 19:31:04 | Weblog
 二、三日前、NHKの「ためしてガッテン」で、何故振り込め詐欺にひっかかってしまうのか、wその心理分析をやっていたが、結論としては、「いったんひっかかったら、途中で詐欺と気づくのはほぼ無理」というものだった。

 たとえば、あるケースでは、「怪しい」と思った銀行員が必死に振り込みを止めようとしたが(警官もいたかもしれない)、「息子が危ない」と信じ込んだお婆さんは、最後には、「詐欺でもいい、なんでもいいから振り込ませてくれ!」と切れてしまい、結局60万円くらいだったと思うが、だまし取られてしまったという。

 なんで、こうなっちゃうのか、というのを例によって、小劇場の貧乏団員の生活援助のためとしか思えない、「理性くん」とやらの「着ぐるみ」で説明していたが、まあ、失業対策のためならしょうがないのだが、こんな「着ぐるみ」の説明なんか無駄というかなんというか……。

 その騙されたお婆さんの立場になってみればわかる。

 銀行員は、99%、詐欺だという。99%じゃないかもしれない。90%くらいと思っていたかも知れないが、ともかく、100%詐欺だと決まった訳ではないのだ。説得している時点では。

 なぜって、100%、「詐欺」とわかったのなら、そのお婆さんだって、納得するはずだ。

 「そりゃね、あたしだって怪しいとは思いますよ。でもね、もし本当だったらどうすんです? 息子の人生、破滅してしまうんですよ。あなたがた、責任とってもらえます?」(故浦辺くめこの口調で読んでいただきたい)という心境だろう。

 もちろん、電話の男が本当に自分の息子かどうか、金を渡す前に調べなければならないことくらい、このお婆さんだって百も承知のはずだ。

 じゃあ、なんで、そうしないのか?

 時間がないのだ。

 そのように、犯人の方で決めてしまったのだが、お婆さんの方はそれを知らないから、どんなに、「もうちょっと時間ちょうだいよ」と頼んだって無駄なのだ。

 というわけで、このお婆さんは、要するに、「詐欺でもいいから!」、ともかくお金を振り込んで当座の問題を解決し、ほっとしたいのだ。

 この「ほっとしたい」という気持ちは心理的というより、生理的なものだ。ものすごい焦燥の中で30分がまんせよ、ったって無理だ。

 お金を振り込むまでは、この「生理的次元」にまで進んでしまった焦燥感を除くことはできない。

 何故なら、犯人の方でそう仕向けているからだ。犯人の方で「やめよう」と思うまで、続く。

 もちろん、こうなる前に気づく人だっているだろう。実際には、きっとそっちのほうが多いと思うが、問題は罠に「はまってしまった人」をどうするかなのだ。

 そして、番組の結論は、「いったんはまってしまったら、どうしようもない」だった。

 これは、正直でよろしいといえばいえるのだけれど、でも対策はある。

 それは、ずっと以前から言い続けているのだけれど、振り込んだ金を現金化するのに、半日でいいから、時間をおけばいいのだ。

 いったん振り込めば、それで気持ちが落ち着くのだから、その落ち着いた状態でもう一度検証し、「あ、やっぱり詐欺だった」とわかったら、現金化をストップするように銀行に申し込めばいいのだ。

 ……と思うのだが。

 それにしても、振り込め詐欺犯人たちのシナリオは用意周到で完璧だ。ハリウッドで脚本家としてやっていけるぞと思っちゃうくらいだ。

 今、この振り込め詐欺が外国でも流行りだしているらしいが、案外、日本人が技術指導料をとってたりして。

「ところで、お前、やせたな」

2009-02-26 20:46:06 | Weblog
 中川大臣が「触った」という、ラオコーン像のラオコーンとは、トロイ戦争で、ギリシャと内通し、例の木馬作戦に協力したということで、海の怪物に息子二人ともども殺されてしまったという人物なのだが、あのねじくれた姿勢が妙にエロチックで、私は決して「あっちの趣味」がある訳ではないのに、興奮させられた。

 なんでだろう? ……要するに、海蛇に巻き付かれて明らかに性的に興奮しているのだ。ラオコーンは。それがこっちに伝わってしまう。

 プラトンはもともと男女は一体だったというのだが、それを思わせるような……。

 千年以上、海に沈んでいて、1600年頃に引き上げられたんだそうだが、大理石というのは、信じられないくらい凄い耐水性があるのだ。

 まあ、ともかく、このラオコーン像というのは、人類史上最高傑作と言われているもので、私もこれだけは見てみたい。見て触りたい。

 1000年以上海に沈んでいて平気だったんだからちょっと触るぐらい、いいじゃんか。(まあ、触らないけどね)

 大宮のS氏がやってきて、仕事を頼まれた。おかげで、久々の現金収入がちびっとあったが、S氏、開口一番、「やせたな!」。

 一年ぐらい前に、一年ぶりぐらいにあって、その時、「やせたな」と言われ、その後、会うたんびに言われる。

 爆笑問題の、「ところでお前いくつになった?」と同じだ。

 しかし、毎回、「やせたな」といわれると、なんか、どんどん痩せ続けているみたいで、やばい風に思えてしまう。

 だもので、そのたびに、「いや、一日一万2000歩は歩いてますからね」と答えているのだが、本当に、平均して一万二千は歩いている。

 おまけに、昼飯は抜き、間食はしないことにしている。

 おかげで、以前は本屋で長時間立ち読みしていると腰が痛くてしょうがなかったのだが、今は大分いいし、夜、寝床に入ってから足先がなかなか暖まらず、厚い靴下をはいたりしていたのだが、気がついたらそれもすっかりなくなっていた。

 とか言っても、また会う時には、やっぱり「やせたな」って言われるのだろう。

 その他、事務所においてある自転車が目に入ると必ず、「速いのか」、「いくらだ」、「大宮まで走って来れるか」って聞かれる。

 やれやれである。

中川大臣がうらやましい

2009-02-25 18:16:35 | Weblog
 「取ったら嫌だなー」と思っていたアカデミー外国映画賞を『送り人』が取ってしまった。

 別にモッ君が嫌いだというわけではない。TVをはじめとするマスコミがバカみたいに騒ぐのを見させられるのが嫌なのだ。

 特に嫌いなのが、福沢朗司会のワイドショーで、「こだわり2畳新聞」とか言うのを仕切っている緑色の背広を着たやつだ。

 1週間くらい前、こいつがたまたま真っ黒のサングラスをかけた。

 そうしたら、意外に似合う。

 こういう場合、普通だったら、その人のパーソナリティを見直すことになるのだが、こいつの場合はちがう。

 なんだか、サングラスというお洒落アイテムが侮辱された感じがした。

 スタジオの連中も同じだったのだろう。意外に似合うので、ちょっとどよめいたが、あっという間にその「どよめき」は消えてしまった。

 「消えた」というより、「消した」という感じだった。

 ちょっと深読みすぎるかな。

 中川前財務大臣がバチカン美術館でラオコーン像の台座に触ったとかで大非難だが、なんのこっちゃである。

 「大臣がこんなことをするなんて、日本人の人格が破壊されていることを世界に宣伝しているようなものだ、恥ずかしい」とか言い出す弁護士出演者なんかもいた。

 彫刻とか絵画などの「視覚芸術」は、見る人間と対象との間に距離があるので、どうしてもそれを埋めたくて、触ろうとするものなんだ。

 そしてそれは正当な欲望なんだ。

 「視覚芸術」は、離れて見ることができるから離れて見ればいい、否、見るべしと思うのは素人。

 触ってみて、はじめて「あ、これは……」とわかる。

 画面に触るのがダメなら、額縁の端でもちょっと触るだけでもいい。彫刻だったら、台座にちょっと触れば、なにかがビビビビ……と伝わってくるはずだ。(鼠男か)

 ラオコーンを見て、「触りたい」と思った中川前大臣は、ちょっと芸術家肌のところがあるのかもしれない。

 ラオコーンの大きさはどれくらいなのか、調べてみた(わからなかった)ついでに、この問題に触れた美術ファンのブログを覗いたら、中川大臣の愚行で、日本には美術品の貸し出しは行わないなんてことにならないか心配だ、と書かれていた。

 昔、室生寺かどこかの仏像に抱きついて、腕を折ってしまったやつがいたが、その後、この仏像の人気はますます高まった。だから、腕の一本や二本折ったっていいというわけじゃないが、それにしてもなんとまあみみっちいことよ。

 「あのラオコーンに触ったんですって(でも台座)! なんとまあうらやましい!(台座でもいい)」くらい思えよ、美術ファンなら。

 

笑う警官

2009-02-22 21:36:25 | Weblog
 本屋で水村美苗の「日本語が滅びる」を一部立ち読み。

 もちろん、日本語を使う人がいなくなるというのではなくて、このままでは、自ら誇ってもよい日本語表現が果てしなく無味乾燥になり、やがては滅びるぞ、という意味と、それに関連して、国際語としての英語の能力を高めなければならないという、この2点が著者の主張のようだ。

 具体的にどのような提案をしているのか、よくわからないが、私が思うに、役人の採用試験の際に、英語の読み書き、英会話の比重を高め、基本的に役人は全員バイリンガルという風にすればいいのじゃないか。

 もう一つの、日本語表現が衰えているという指摘については、当用漢字とか、送り仮名に、ルビ等に関する規制をなくすことがまず第一歩なのではないか。

 大体、なんで役人に「日本語表記」を決める権利があるのだ?

 これが、どうにも理解不能だ。

 表記を統一したければ、まず模範率先で、役所内の文書を統一すればよく、もし、その表記がよいと思えば、民間でも真似るだろう。

 大体、文語体と口語体では意味の明瞭さという意味では文語体のほうがまさるわけで、ということは、役所の文書なんかは本来「文語体」がいいわけで、したがって、役所が頑固に文語体を守り、民間の方がより簡便で安易な表記に走るというのが普通だが、戦後の日本ではそれが逆で、役所が率先して「安易な表記」に走っている。

 そのくせして、法律の文章なんかはまるでチンプンカンプンなままだ。

 要するに、役人は、国民の言語生活に関心をもつのはいいが、自分達の望むようにリードしようなんて思うな、ってことだ。

 で、思い出した。

 三日程前、近所の交番の警官が事務所にやってきて、仕事の時間は何時から何時までだとか、緊急連絡先はどこかとかいろいろ聞いてきた。

 そして、その時、玄関口では「個人情報が漏れるといけないから」と部屋の中へ入ってきた。

 廊下を歩いている人が、警官が記入している紙を覗くかも知れないというのだが、こんなことにまで「個人情報」を持ち出すかね、とあきれたが、押し問答はしたくないので、「どうぞ」と中に入れた。

 それで、なんかごちゃごちゃ聞いていたが、最後に、「警察に何か言いたいことがあったら言って下さい」と言うので、最近、真っ昼間でもバッグの中身を調べられることがある、あれはやり過ぎでしょうと言うと、警官は笑いながら、頭をかいていた。

 同じようなことをあちこちで言われているのだろう。

 まあ、それはともかく、「凶悪犯人が捕まらない」と文句を言おうとも思ったのだが、変に刺激すると、いやなので黙っていたが、言ったら多分、「個人情報」の壁が厚くてとか言い訳を言うだろう。そして、そう言う、同じ口で、「個人情報保護のため」と言いながら部屋に入ってくる。

 なんか、嫌な感じだ。

 一昨日の映画、『スティール』では、最後に悪徳警察署長が捕まるのだが、それを捕まえに、いっさい言い訳の通用しない、ものすごい頑固一徹風のの老警官が登場するが、この老人の登場でカタルシスが生じる。

 ああ、一件落着だなと。

 ……もちろん、「映画」の話に過ぎないし、それはわかってるけど、あまりの頑固さでみんな閉口しながらも、でもみんな信用している警官が、昔はいたものだ。

 そういう魅力的な、カタルシスをもたらすような警官は、『3丁目の夕陽』には出てきただろうか?

 もちろん、想像なのだけれど、『3丁目の夕陽』は、そういうルーティンの警官が登場するような作品じゃないかなと思うのだが、私が思うに、監督としてはそういう役作りをしたいと思ってはいるが、実際には、多分、数日前にやってきた、慇懃無礼なにやにや笑いしかできない警官でしかないんじゃないかと思い、それ故に、見る気がしないのだ。

 なんとまあ、「想像段階」の多い文章であることよ!だが、でも、人間、そういう、ややこしい本質をもつもんだ。

 

いきで上品

2009-02-21 19:18:29 | Weblog
 映画「スティール」を見る。

 またまた例によって途中からだったので、なんという題名かわからず、TVガイドとか、ネットの番組表で調べようと思ったが、「昨日」の番組は完全に消えている。

 なんでだ? 昨日の番組を調べたいという人だっているだろうに、基本的に、日付けが変わったら全部消去されているみたいだ。

 バカじゃないのか。

 一週間後の番組を心待ちにしているやつなんて、今時いるのか?

 むしろ、過去の番組を調べたいと思う人は少なくないと思うがなあ。たとえば通販番組なんかで気になった商品を調べたいとか思う人は多いだろう。

 もちろん、通販番組は大体繰り替えし放映するが、それまでは、待たなければならないし、知りたい時に知りたいと思ったら過去の番組表が一番だろう。(ああでも、どんな商品を紹介したかなんて、番組表には載っていないだろうなあ。マスコミはバカだから、そんなことまで頭がわまるはずがない)

 だいたい、慌てて消去して何の得があるのだ。手間だってそれなりにかかるだろうし、放置しておけばいいだけのことを……本当にマスコミはバカだ。

 それはともかく、「スティール」という映画だとなんとかわかったのだが、仰天、フランス映画だった。

 英語で喋っていたぞ? もしかしたら、英語版を上映したのだろうか? それとも、最初から英語でつくっているのか?

 いずれにせよ、かなり面白かった。

 有田さんに、最近のフランス映画は面白いと聞かされていたのだが、基本的にフランス映画ってあんまり好きでなく、「冒険者」以降、ほとんど見ていない。(古過ぎ!)

 それも、「冒険者」を二度見て、二度目の印象がひどくて、「なんでこんなのが好きだと思ったのだろう」と思い、以後、フランス映画は見なくなってしまったのだが、よく考えると、「スティール」は、ちょっと「冒険者」に似ているところがある。

 つまり、スティール(盗み)の一員に紅一点、女性が混じっているところとか。

 ところが、この女性が途中で死んでしまう。

 その少し前、メンバーの一人が、「今度の仕事でオレは死ぬよ」と言うのを、この女性が、「そんなことはない」と諭すのだが、その彼女があっさり死んでしまう。

 この女性と恋仲になったばかりの一団のリーダーはひどく落ち込むが、その後の敵との対決の中であっさり彼女のことは忘れてしまう。

 ここらへん、アメリカ映画にはない「達観」というか、そんな感じがあって「あれ?」と思ったのだが、まさかフランス映画だったとは!

 この死んでしまう女性と、彼等を追う警官の一人が女性で、二人とも最近のハリウッド映画には見られない、いきないい女だなーと思っていたのだが、フランス映画だったとは!

 というわけで、ともかく驚いた。

 監督は「タクシー」シリーズの人らしいが、「タクシー」は最初の15分、いや5分で見るのをやめてしまったのだが、これはいい!

 決してアクション娯楽大作というだけじゃない。

 なんか、いきで上品なところがある。

 それにしても、マスコミはバカである。

死体損壊と器物損壊

2009-02-18 18:53:00 | Weblog
 星島被告無期懲役。

 裁判長曰く、「死体を損壊したことを過大に評価する訳にはいかない」ということらしい。

 「過大に評価できない」という表現がミソなんだろうけど、でも、機械はコンセントを引っこ抜けばすぐにストップするが、人間は、そのへんどうなっているかわからない。

 裁判長はそのへんの事を考慮して言葉を選ぶべきだと思う。

 もっとも、この問題を考慮し過ぎると、臓器移植なんか、論外ということになってしまうが、要するに「表現力」の問題だ。

 なんでもかんでも、「自己中心的犯罪でどうのこうの」ばかりなのは、阿呆かと思う。

 問題は、有罪か無罪か、量刑がどれくらいかであり、それにくっついてくる言葉なんか二の次だろ、という意見もあるかもしれないが、その量刑にどういう言語表現がついてくるかというのは、人間である限り、結構気になると思うのだ。(憲法だって、大事なのは「前文」なわけだし。)

 というのは、随分昔の話だが、アパートの隣の住人がちょっとおかしいやつで、アパートの大家の飼っていた犬が自分に吠えるのを怒って、大家に向かって「犬を殺したって器物損壊だからな」と怒鳴るのだ。

 それが、「器物損壊」の「キブツソンカイ」という「音」に自己陶酔しているような言い方で気味が悪かったが、その後、酒鬼薔薇がトンカチで少女を殴って死亡させたのを、「人間がどれくらい壊れ易いか試したかった」と言った時、即、この隣人を思い出した。

 ともかく、裁判官たるもの、人の心に届く言葉を言ってなんぼの商売だと思うのだが、そんなことに気を遣っている裁判官は、今の日本にはゼロと思われるのが残念だ。

見つからない

2009-02-16 22:14:31 | Weblog
 つい数時間前まで読んでいた本がどうしても見つからないまま、三日経ってしまった。

 どうしても見つからないので、ブックオフで探したが、ない。古本屋で探してもない。

 しょうがないので、改めて本屋で買った。岩波新書なんで、それほど高いわけではないが、きっと買った後で出てくるんだろうなーと思いながら、今日一日かけて本棚を移動、整理したが、予想に反して、やっぱり見つからない。(本当は、買い直す前にすべきなのだが)

 以前、アイスクリームを買って食べようと思ったら、どうしても見つからなかったことがあったが……。

 その買い直した本屋で吉本隆明の新刊を立ち読みした。

 もちろん、インタビュー構成だが、戦後最高の文学者として武田泰淳をあげているのにびっくりした。

 少し前、彼の代表作『ひかりごけ』を読んで、呆れ返ったばかりだったからだ。

 吉本はもちろん、プロの文芸批評家であり、小説を読んだ量は私の数百倍はあるだろうし、武田泰淳を「最高の文学者」とするちゃんとした理由はあるのだろうが、そこまで読まずに、ただびっくりしただけで帰ってきてしまったので、もう一度立ち読みするかなとか思っているのだが、大体、その新潮文庫版の後書き解説に、「人間の大いなる苦悩を背負ってそれを見事に表現した作家と同時代を生きたことを神に向かってでも何に向かってでも誇りにしたい」と、陳腐きわまりない讃辞を寄せているくらいだから、いかに『ひかりごけ』が下らないかお分かりかと思うが……って、かなり無茶苦茶言っているが、時間がないので又後で。

「信念」のパラドックス

2009-02-13 19:20:28 | Weblog
 いきなりプリントができなくなってしまった。文字、写真のみならず、トンボなどもまったく印刷されず、真っ白な紙が排出される。

 ところが、ノズルチェックの印刷をしてみると、ちゃんと印刷される。

 わけがわからず、電話したら、ドライバーソフトを再インストールしてくれという。

 「そんなのでなおるのだろうか?」と今一つピンとこず、「もし再インストールしてもダメだったらどうするのか?」とかいろいろ言ったが、相手は「ともかくやってみてくれ」の一点張り。

 で、やってみたら……あっさり直ってしまった。

 改めて自信を失ってしまった。

 最近、「読者のページ」総集編の在庫問い合わせが多い。パ・リーグでは、梨田、大石、セリーグでは原、真弓が監督だから(特に真弓就任は大きいなあ)、「青春再び」、という感じなのだろうか?

 いや、そんなこともないだろうが、ともかく、総集編の在庫が、ありませ~ん。

 すいません。ここ数年、まるっきり動かないから、引っ越しの度に整理し、でも、全部処分してしまうことはなかったのだけれど、いつのまにかなくなっちゃいました。

 でも、月光とか、LHSなんかは残っているので……「総集編」に集めたのはアランの読者のページで、アラン以後、月光、LHSは載せていないから、ひとつ、それで代わりに……。

 小泉、麻生批判で、自民激震……で、「月刊ダイヤモンド」の編集長がテレビで、小泉発言で政界、マスコミが右往左往するのを批判し、「今、必要なのは政局じゃない。ちゃんとした政策論後をおこなうべきだ」と苦虫を噛み潰したような顔で苦言を呈していたが、じゃあ何かい、あんたは、麻生支持か?

 「選挙より政策」と言い続けてるのは麻生首相であり、その麻生を「その通りだ」と、件のダイヤモンド編集長が言った記憶は、少なくとも私には全然ない。

 多分、この人は、自分は「正論」を言っていると思っているんだろうが、「正論」なんて、もっとも危うい。

 たとえば、最近、朝日新聞が、戦争中、朝日新聞が先頭を切って戦争遂行の記事を書いたことを「反省しなければならない」と正式に表明したらしいが、その反省の結論が、「信念が足りなかった」だそうだ。

 おいおいである。

 てことは、朝日新聞は大昔から一貫して「戦争反対」が本心で、つい、戦意高揚記事を書くと売れるからそれに流されてしまったというわけかい?

 だとしたら、朝日新聞は、根本的には日本近代百年を通じてずっと一貫した「信念」をもっていたわけで、それは今も変わらない、ということになる。

 「信念」を確認することなど、全然「反省」じゃない。

 朝日新聞の「反省」は、はるか半世紀以上昔の事をふりかえって、今の自分達のような「信念」がなかったのがいけないと言っているに等しい。

 あるいは、「信念」はあったのだけれど、それを固く堅持することができなかったのがよくなかったと言いたいのか。

 いずれにせよ、こんなのは、「反省」じゃない。

 「反省」というのは、今の自分のあり方にメスを入れることであり、それは、ある意味、「信念」を疑うことでなければならない。

 人間と言うのは、パラドックスの塊みたいなものなのだ。

 しかし、それにしても、最近、元NHKのアナウンサー風情が、論説委員よろしく、民放でえらそうに意見を述べているのはどういうわけか。

 日本テレビのスポーツウルグスでも、せっかく、「本当はオレは野球なんかより、こういうのをしたかったのさ」とでも言いたげに、楽しそうに司会をつとめていた江川卓が元NHKに傍役に押しやられ、しゅんとしているのを見ると、何考えとんじゃ、と思う。

 本当に腹が立つ、というか、そんなに民放は自信がないのかと思う。

いきなり全開

2009-02-10 22:15:17 | Weblog
 『裸の銃をもつ男2』を見てしまった。

 今回は珍しく冒頭から見たので、あの恒例の、パトカーの赤いランプが当たり構わず突っ込んで行くタイトルを堪能した。

 あれは、『ロボコップ』の「コンピュータ視界」よりずっと洒落ているし、どこか認識論的に本質を衝いているように思うのだが、思い過ぎか。

 ネットで調べたら、あのシリーズは全部で3作らしい。案外少ないと思ったが、『2』は、多分一番できがいいのではないだろうか。「やり過ぎ感」も「ちょうどいい」感じだったし。

 しかし、見ていて思った。

 たとえば、日本の電気製品は、スイッチを入れるとまず「弱」から始ってだんだんと「強」に行くようにできている。

 ところが、アメリカの製品は違う。

 スイッチを入れると、いきなり「最強」になり、それから調整するのだ。

 まあ、どちらがいいかはなんとも言えないが、『裸の銃をもつ男』は、アメリカの電気製品のような感じだ。

 いきなり「最強」となって、それから調整する。

 OJシンプソンが出ていたが、東国原知事に似ていると思うのは私だけか。

下手な鉄砲も……

2009-02-09 21:44:30 | Weblog
 髪の毛を切った。

 どれくらい切ったかというと、ミクシーのトップにあるくらいだ。

 あれは、多分7、8年前だと思うが、あの頃は大体あれくらいで過ごしていたのだけれど、ある日、写真を撮られて、それを見たらずいぶん太っている。

 実際、あの頃が一番体重があって、74キロくらいあったと思う。

 そのためか、なんだか、顔が膨らんで見えて、みっともない。

 それで、オレにはやっぱり短髪は似合わないのだと思い、また伸ばすようになった。

 それと同時に、なるべく沢山歩くようにしたのだが、その効果がだんだん出てきて、顔もだいぶ細く、もとにもどってきたように思い、また短髪にしてみたというわけだ。

 当分は、この線で行こうと思う。

 特に、夏にかけて、短髪はこたえられない。水道の水を頭からじゃーじゃーかけるのが気持ちいい。

 それで、先程、近所の「東京厨房」にお弁当を買いに出かけた。眼鏡も、たまたまなんだけれど、いつもの黒ぶちセルロイドではなく、針金眼鏡だったのだが、入ると途端、「空揚げ弁当ですね」と言われた。

 そう。いつも「空揚げ弁当」しか注文したことがないのだが、昨日、いや一昨日とは全然外見がちがっているはずなのに……あっさり、「いつものですね」と言われてしまった。

 なんでわかるんだろう……って、まあ、当たり前か。

 しかし、それにしても、「いつもの空揚げですね」なんて言わなくていいよ。

 クレヨン新ちゃんみたいで恥ずかしいじゃねえか。

 麻生首相も、「言わなくていい」ことばかり言うし。

 しかし、「私は郵政民営化に賛成じゃなかった」って、じゃあ、国営に戻したいのかというと「そうじゃない」と言う。

 こりゃ、ひどい。

 私が思うに、麻生は、今の不景気が一連の小泉改革に原因があると世論が思っていると思っていて、それで、「私は小泉改革に賛成じゃなかったんですよ」と言っているんじゃないかと思うが、小泉改革に問題があったとしても、それと、今の不景気は関係がない。

 このこと(関係がないこと)は、「事実」だが、でも、小泉改革に原因があると、事実と異なる、「間違った」前提で政策を打ち出しても、もしかしたら、うまくいくかもしれない。

 何故って、「経済」というものは科学で扱える問題ではないから、間違った考えでおこなう政策でも、その信念に基づく実力行使で現実に影響を与えることができる。

 要するに、郵政民営化がまちがっていたと思うなら、そのように政策をすすめれば、下手な鉄砲も……で、成果が上がるかもしれない。

 ところが、麻生は、その可能性すら自ら否定してしまった。

 「こりゃ、だめだ」、である。