パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

イレブンピーエムで待つ

2009-04-30 21:39:04 | Weblog
 さっき(?)、安岡章太郎みたいなご老人が携帯で、「イレブンピーエムの脇ね,わかった。待ってる」とか話していた。

 近くに「ampm」と「セブンイレブン」と両方あるんだけど、大丈夫だろうか。

 しかしまあ、「イレブンピーエム」って昔の番組がつい口に出てしまうこともわかるよ。

 本当にまあテレビの面白くないこと。

 昨日,1年ぶりくらいにゴールデンタイムをちらりとみたら、島田紳介が信じられないくらいえらそうな態度でクイズ番組を仕切っていた。

 紳介って、ここまで傲慢だったかな?

 不愉快だったのですぐ消したが、結局見たのは深夜の「チェルシー対バルセロナ」のみ。

 しかし、なんであんなに遅いのだろう。

 生中継だったらしょうがないのだが。

 それにしても、「チェルシー対バルセロナ」はレベルが高すぎるというか、膠着状態で終ってしまったけれど,見ている間はそれなりに緊張感はある。

 なんて余裕こいていられるのも、どっちのサポーターでもないからで、バルセロナのサポーターとしては欲求不満が残るところであろう。

 それにしても、あの熱気は凄い。

 観客の反応を見ているだけで面白いのだが、あの観客たちの、おそらく四分の一くらいは「生活保護」で食っているのだろうな、と思った。

 というのは、イギリスでは生活保護受給者が6人に一人なんだそうで、サッカーは元来低所得者層に人気のあるスポーツだそうだから,ということで、四分の一くらいは、と思ったのだが。

 アメリカでは生活保護受給者は9人に一人だそうだ。

 だとすると、スーパーボールの観客の五分の一くらいは「生活保護者」ということになるかもしれない。

 もちろん、日本語にすると「生活保護」にあたるというだけで,実態はよくわからない。

 多分,一種の「負の所得税」のようなものではないかと思うのだが。

 ともかく、麻生首相が一人だけ、嬉しそうにしている。

 パンデミックで「緊急事態であります!」と宣言するその口調は「充実感」にあふれ,「充実感」にあふれた自分にまた、さらなる「充実感」を感じて、もう顔のほころびが隠せない。

 太郎ちゃん、何がそんなに嬉しいのか。

 ただただそれだけが印象に残る、今のニッポン、ゴールデンウィークである。

ゼロ戦対グラマン

2009-04-29 16:17:27 | Weblog
 なんで、日本のノコギリは「手前に引く」方式で,欧米のそれは「押す」式なのだろう?

 私は,「押す」式の方が力を加えやすいので、「欧米式」がよいと思って探したが、欧米式と日本式の中間のようなノコギリしかなかったので、それを使っている。

 つまり、歯の形が二等辺三角形になっていて、押しても引いても切れるようになっているのだ。

 それを購入した東急ハンズで、「押す」式のものはないかと聞いたら,本格的な欧米のノコギリは一点だけ置いてあると言われて、店員が指差すほうを見たら、ものすごいごつい、全長が2メートルはありそうな、森の木こりがつかうようなノコギリが壁に吊るされていた。

 多分,欲しい人がいれば売るていどの商品で、実際は一種の「飾り」なのだろう。

 それにしてもごつい。

 古本屋で、「貧乏物語」とか言う,要するに、日本最初の経済学書と言われている本の文庫版があって、そこに、明治時代のデータだが、もっとも過酷な労働として「木こり」があげられていた。

 ダントツに必要カロリー数が多い。

 驚いた。

 この本は、面白そうだなと思ったがその場で買わず、翌日探したらなくなっていた。

 残念。100円だったから買っておけばよかった。

 それはそれとして、なんで日本のノコギリは「手前に引く」ようになっているかというと、はっきりしたことはわかっていないが、多分、「押す」方式だとノコギリの材質が硬くて分厚くないとダメだが、「引く」方式だと薄く、柔らかな材質でも使えるからではないかと、ウェブの「何でも相談室」みたいなところに書かれていた。

 なるほど。

 確かに,私が今使っているノコギリは、引いている(いや、押している)最中に、しばしば「ふにゃっ」となる。

 まあそれでもベニヤを切るくらいならなんとかなるので使っているわけだが、要するに、体力の問題なのだ。

 あと、薄いノコギリだと、それだけ「繊細」な加工ができる。

 要するに、繊細な零戦と、ごついグラマンの違いということのようだが、日本人は繊細だからいいのだとかなんとか、文化論的にからめて論じる傾向はうんざりだ。

 排他的だからよくないとか、そういうことですらなくて、もう10数年以上前にそのような論議は終っている。そんな風に思う。

 まあ、そもそも、最後には零戦はグラマンにやっつけられてしまったのだけど。
 

よくわからない話

2009-04-28 20:08:43 | Weblog
 豚インフルエンザで世界中大変なようだが、もしこれにかかってしまって病院に行ったらやはり、3割負担とか、になるのだろうか?

 メキシコでは、貧しい人は病院に行けないので潜在患者がかなりいるのではないか、とか報道されていたが,では,アメリカではどうなのか?

 盲腸切るだけでン百万円もかかる国だから云々みたいなことをよく聞くのだが、どうにもわけのわからないのが、この医療費の問題。

 アメリカには公的保険制度がなく、歴代民主党政権はその導入を主張しながら、実現していないという。

 ところが、アメリカの予算の半分以上は医療費なんだそうだ。

 要するに,百兆円以上、アメリカ政府は医療費を負担している。

 一方、日本の医療費は全体で30兆円、その半分弱を国民自身が保険料,診察料で支払い,さらに半分弱を雇用者が負担し、それでも足りない分を政府と地方自治体が負担するが、それは全体の四分の一以下で、たったの8兆円。

 厚生省が「医療危機」と騒いでいるのは、要するに健康保険制度の危機なんだが、アメリカ並みに医療費支出を行えば,そもそも保険制度なんかなしで、無料で診察が受けられるようになる。

 ウェブで調べたら,アメリカの全予算(200兆円超)の60パーセント、つまり120兆円が近くが社会保障関係で、それが貧乏人向け医療制度と言われているメディケア、いわゆる生活保護、一般福祉関連にそれぞれ三分の一、軍事費に18パーセント、国債支払いに12パーセント,その他(公共事業とかそんなものか)に9パーセントという割り振りだった。

 一方,日本の場合は…多分,医療の基本は健康保険、つまり、国民相互の助け合いで賄い、国は足りないところを埋める、そんな感じなんだろう。

 しかも、その「助け合い」を国が仕切って,その仕切り料をたんまりいただいている。

 汚ねえぞ。日本政府。

 しかし、そのアメリカでも、民主党政権が必死に「健康保険制度導入」を目指しているのだから、現行制度に問題があるのは確かなんだろう。

 どうもよくわからない。


 なんだか、街全体が早くも「連休モード」に入っているみたいだ。

 私は,この間になんとか「写真集」を仕上げたいと思っているが…。


想像…しませんから、逮捕しないで

2009-04-27 18:49:21 | Weblog
 うまくグーにつなげなくなってしまった。

 原因は、未だにエクスプローラーを使っているせいか、使用OSが未だに9のせいなのか、よくわからないが、ともかく書いてアップしようとするとフリーズしてしまう。

 そのため、もう一台の、タイガーをインストールしてあるやつを持ち出した。

 タイガーがあるのなら、そっちでやれよということなのだが、いろいろ事情があって、9をインストールしてあるノートを主に使っているのだ。

 それはともかく、草薙君が謝罪会見。

 しかし,誰に謝罪するのか。

 まあ、それはいいとして、なかなか立派な態度で、「世間」の評判も良かったみたいだが、「誠実で,反省の態度がよく出ていた」というのは、どうか。

 「どれくらい酒を飲んだのか」という記者の質問に、「普通に飲み過ぎました」と答えていたが、この言葉に、彼の今回の「事件」に関する態度というか、姿勢といいうか、が現れていたように思う。

 要するに、「不満」なのだ。

 それが、如実に顔に表れていたと思うし,その「不満」を私としては、支持したい。

 同情とかそういうのじゃなくて。

 ともかく、昨今の警察の「不審者取り締まり」はひどすぎる。

 街で警官を見かけたら絶対に目を合わさないようにしてから、呼び止められなくなったが、これからは、目を合わさなくても、いきなり後ろから肩を叩かれて、「そのバッグ,何入っているんですか」と聞かれそうだ。

 一月ほど前、新宿の事務所のビルの前の道で、夜11時近かったのだが、可愛らしい制服姿の女子高生がカバンの中身を調べられていた。

 警官は、女子高生のバッグの中に懐中電灯を突っ込んで、まさに舐めるように調べていた。


 ちらちら横目で見ていたのだが、 今にも、バッグに顔ごと突っ込んで、「女子高生のにおいだジョー」とか言いながら踊りだしそうだった。

 光景として、ものすごくひわい、かつ、腹が立って、後ろから蹴飛ばしてやりたくなった。

 だから,今回、警察の過剰捜査を批判して、所持禁止のダガーナイフで「ぶっ殺す」みたいなことがネットに書き込まれていたそうだが、誰かやるだろうなあとは思っていた。

 と書いただけで目が付けられそうな,そんな「嫌な感じ」の世の中だ。

 しかもそうしている連中本人は、世の中を浄化しているのだと思っているのだから。

 まあ、いつの時代もそんなものだが。

 しかし、北野誠の芸能界追放事件は、昨今の風潮に沿った事件とはいえ、ちょっと驚いた。

 北野誠は好きではないが、バーニングのことなんか、口に出して言わないだけで、みんなとっくに知っていることではないか。

 結果的には,知らない人にまで周知徹底せしめたような…。

 じゃあ、なにか、あれか? 麻生首相のあれか? 競馬、「ハシッテホシーノ」の名付け人である彼女が、なんたら、ってことをバラしたので…か?

 しかし、意外な組み合わせで、想像…したくない!

 麻生首相の支持率があがったことについて、2chの書き込みにいわく、「でもまだ30パーセントいってませんからあ、残念!」と懐かしいギター侍をやってるやつがいたが、言い得て妙で,笑ってしまった。
 

林真須美をギャフンと言わせるには

2009-04-23 19:14:53 | Weblog
 酔っぱらって深夜無人の公園で全裸になって逮捕されて家宅捜査。

 捕まる時に暴れたらしいけど、公務執行妨害がついてないところをみると、警官には手を触れてはいないみたいだ。

 だとしたら、近くに服を脱いだというのだから、それを着せて、帰せばいいだろうに。

 まあ、百歩譲って逮捕まではいいとしても、それで「家宅捜査」とは何ごとだ。

 多分、薬物、麻薬の有無を調べたかったのだろう。

 日本はすっかり警察国家になってしまった。酷すぎる。

 しかも、警察国家の癖に、凶悪殺人犯人となると、さっぱり捕まらない。

 捕まえても、冤罪だったり。

 井之頭公園のバラバラ死体遺棄事件も、記憶に新しい……と思っていたら、昨日、時効になったそうで。

 もうしわけない、と頭を下げたそうだが、「ごめんですめば警察はいらない」って……その警察が「ごめん」ですまそうとしているんだから、どうしたらよいやらだ。

 大久保秘書も、あの「微罪」でいまだに勾留されたままだ。

 たぶん、「有罪」を認めていないので、釈放されないのだろう。

 こんなことが許されていいのか?

 和歌山カレー事件もどうもすっきりしないなあ。

 ヒ素を使った保険金搾取で食っていたことは確かだが、それだけに、そのヒ素混入による大量殺人は、「保険金搾取」の目的にそわないので、「動機不明」ということになるのだろうが、でも「動機不明」だから、「やってない」ってことにはならない。

 でも、最高裁の判決文にそのくだりがあったのは、ちょっと変な気がした。

 屁理屈、っていえば屁理屈だから。

 デーブ・スペクターが、「動機不明なのは、犯人が言っていないだけ」と言っていたそうだが、ここは、「動機不明だからやっていないとは言えない」ではなくて、スペクター式に「犯行動機は被告黙秘につき不明」でいいんじゃなかろうか。

 これならきっと、林真須美、「ギャフン」じゃなかろうか。

 ああ、ギャフンと言わせたい。

ゴーゴリ、「外套」を読む

2009-04-19 21:54:07 | Weblog
 国の官庁の出先機関をまとめるために、「合同庁舎」を作りたいが、ついては、各地方に建設予算の一部を負担してもらいたいと総務庁か何かが言っている。

 この問題をとりあげた「サンデープロジェクト」で、田原が、「政府は国民、国民って言うけれど、国民なんていないんだよ。いるのは住民なんだよ」と叫んでいた。

 なんで、こう田原はわけのわかんない、無意味な事を言いたがるのか。

 そんなことより、問題は、役人が何かプロジェクトを立ち上げようとする時、「建物」からつくろうとすることだ。

 民間人が起業しようとする時、ビルからつくりはじめるだろうか?

 どこか、雑居ビルの一室を借りるだろう。

 役所だって同じはずだ。

 合同庁舎だから、働く人数が多い、ったって、大きいビルの2、3フロアを使えばなんとかなるのではないか。

 橋下大阪府知事がこの件で話を聞かれて、「合同庁舎のビルを新たにつくること自体は認める」みたいなことを言っていたが、ちょっと待ってくれと言いたい。

 どこに新規事業を「ビルの建設」からはじめる奴がいるのかっての。

 そんなの、昔の「帝政ロシア」、それを継いだソビエトくらいなもんじゃないの、と思う。(中国もかな)

 で、その帝政ロシア時代の小説家、ゴーゴリの「外套」を読む。

 下っ端役人が、なけなしの金で外套を新調するが、追い剥ぎに盗まれ、取りかえすために勇気を奮って高級官吏を訪ねるが、「外套を盗まれたくらいでわしの貴重な時間を奪うとは不届き千万」と、床をドンと踏みならしておどされ、死んでしまう――という話。

 いやはや、むちゃくちゃに面白い。

 なんとなく、日本の近代小説のような感じもする。

 実際の所、横光利一をはじめ、芥川の「鼻」なんか、ゴーゴリの同名小説に範をとったような気もするし、田山花袋なんかも、影響を受けていそうで、その点は、なる程さすがであると誉めてあげたいのだが、残念ながらその影響は限定的でしかなかったのが惜しい。

上と下か、右と左か

2009-04-15 18:07:25 | Weblog
 少し前にブックオフで100円で買った、岸本重陳の『「中流」の幻想』をぱらぱらと読む。

 なんで買ったのかというと、ちょっと気になるフレーズがあったからだ。

 この本は、今から30年程前、1978年に書かれて出版されたものだが、当時はオイルショック後の不況がだらだらと続き、なおかつ貿易収支は大幅な黒字、世論調査をすると、自分は中流であるという解答が95%にも達するという状況だった。

 この数字を分析して、社会学者の村上泰亮が、日本の社会には「上」も「下」もなく「中」ばかりになったと言った。

 そして、かつては「上と下」で分けられていた社会が、「右と左」にわかれるようになったとし、それを「地位の不一貫性」が進んだ結果として説明した。

 なるほど、と思うのだが、実は岸本氏はこの村上理論に反対する立場を、この本で表明しているのだが、その理由として、日本が村上氏の言うように「みんな豊か」(村上理論はそういう意味ではないように思うが、まあそれはさておく)になったと主張することが問題だと自分(岸本)が思うのは、「みんな豊か」論は、当時の景気回復の政策を考え、組み立てる上で間違った方向に官僚を誘い込みはしないかというのである。

 というのは、岸本氏の見るところ、当時の政府与党の景気対策は、諸外国、特にアメリカから求められていた「個人消費の増加」に対し、そのようなものは「眼中におかず」といった態度で対していたという。

 それでも、1977年の秋から、当時の福田首相が、「円高攻勢を回避するには内需拡大で行くしかない」と表明したのだが、実際の政策にはそのような「個人消費の拡大」を肯定するような姿勢はなかった。

 何故なのか。

 岸本氏は、「なぜ個人消費を相手にせずという政策が一貫しているのか。それは、国民は充分に豊かになったのだという認識を政府が持っているせいではなかろうか。国民は充分に豊かであるから、これ以上個人所得を増やしたり、あるいは個人消費を増やしたりする必要はないのではないか。資源が制約されてきて高価格になってきている以上は、資源が個人消費の方に流れてゆくよりは産業消費のほうに確保される必要がある。こうい判断を持っているせいだと言えそうである。」

 私が興味を持ったフレーズというのは、ここのことである。

 というのは、年金問題が盛んに取り上げられるようになった3、4年前に、社会保険庁の、ノンキャリアだが幹部職員である人の書いた本に、日本の福祉政策の根本はは、貧乏対策ではない、と明言している箇所があるのだ。

 日本政府(実際は官僚)は、貧乏を救うのではなく、貧乏な人、家庭をなくすことを目的にしているというのだ。

 そうして、「豊か」になった人々が、「豊か」になり損なった人々を、お互いに助け合う。

 これが、日本の福祉政策の根本なんだ、と書いているのだ。

 これは、それより遥か20数年前に書かれた岸本氏の著書と平仄が合う。

 それで買ってみたわけだが、残念ながら、日本政府の政策について触れているのは、私が見つけた箇所だけで、後は、村上理論と、あと富永理論というのもあったそうで、それに対する反論に終始していた。

 それは、要するに、日本人がみな自分を中流だと思うのは、一種の視野狭窄になっているのであって、「上」と「下」は依然としてあるというのだ。

 つまり、自分は食うや食わずの状態だが、みんなもそうならまあ自分の暮らしも世間一般並み、つまり、「中の中」だろうと思うようなものだというのだ。

 これはどう考えたっておかしいし、実際、岸本氏自身、その後で、「食えない」状態は絶対的なものであるから云々とややこしく持論を修整するのだが、それはそれとして、岸本氏はもうとっくに亡くなっているのだが、もし生きていたら、今の状況をどう見るだろうか?

 多分、「上下の区別はやっぱりあったじゃないか!」と先見の明を誇るのじゃないかと思うのだが、私はそうは思わない。

 今の「上」「下」は、いみじくも、勝ち組、負け組と言っているように、実際には「上」「下」を構成していない。

 むしろ、「上」と「下」がなくなってしまった社会であるために、「勝ち」と「負け」で分類せざるを得なくなっているだけなのだ。

 そして、その分類の基準が、なんで「勝ち/負け」なのかというと、日本の社会が「縦社会」だからだ。

 とまあ、そんな風に思うのだけれど、それにしても、70年代、80年代には社会学的分析の書が多く出版されたが、今はそれが影を潜め、「勝ちだ」、「負けだ」と、ベタでなじり合っているだけのような気がする。

 そこが一番の問題のように思う。

「クレヨンしんちゃん」に遭遇。一年ぶり

2009-04-13 20:43:53 | Weblog
 「クレヨンしんちゃん」の劇場版新作の宣伝のための、旧作のTV公開を見た。(てことは、劇場版は毎年一本公開しているから、一年ぶりってことだな)

 「温泉なんたら」というのだけれど、温泉、というか公共浴場を憎み、逆に世界中を温泉だらけにして滅ぼしてやるという野望に燃えた男が「温泉ロボット」――強力な削岩ドリルを備え、マグマを掘り出すことができる――で、海を熱湯に変えて世界の氷を溶かし、世界全体を水没させようとする。

 で、タイトル前に、この温泉ロボットが、得体の知れない「闇中で点滅する光」として某温泉に登場する場面から見たのだが、その緊迫感の素晴らしいこと。

 『ジョーズ』を思わせるといったら誉め過ぎか。

 「クレヨンしんちゃん」と知らずに見ていたのだが、「お、これは」と思っていると、すぐに「クレヨンしんちゃん」だとわかった。

 最初に丹波哲朗が出てきて、でもそれっきり消えてしまって、どうしたのかと思っていたら、最後のクライマックスで超重要人物として登場する。

 このへんのタイミングの良さといったら、本当に、劇場版「クレヨンしんちゃん」の監督は、日本で一番、いや世界でも有数の「映画のことがよ~くわかっている監督」だ。

 その「クレヨンしんちゃん」の最高傑作と言われている(私は見ていない)戦国時代にタイムスリップする作品を実写化するんだそうだが、なんだかな~である。

 なんだか、批評家の言い分を真に受けて決めたような、軽率な感じがするのだ。

 まあ、こんなひねくれた感想をもつのは、ひとえにその作品を見てないからなのだが、どうやって、あの全編を貫く、関節を外すような脱力感を表現するか。

 あの、決して面白いとは言えぬギャグを「面白いかも」と思わせてしまう知性(?)は実写版スタッフにあるだろうか?(私は「実写映画関係者」なる連中の「知性」をトコトントントントン軽蔑している)

 そして、あのリズム感!

 今、ググって調べたら、実写版の主人公は草薙と新垣ユイだそうで、でも、それは野原家の夫婦ではなくって、野原家がタイムスリップする戦国時代の武士とお姫さまだそうだ。

 では野原家は誰がやるかというと、父親が筒井道隆、妻が夏川結衣。

 筒井道隆!

 懐かしい。役者やってたのか!と思うくらい。

 でも、適役とは到底……。

 私だったら、あの積水ホームか何かのCMで帽子かぶって踊っている、あの人、誰だったか……あ、阿部寛、彼にするな。

 奥さんは夏川でもいいかもしれない。(よく知らないのだが)

 で、全編ミュージカルにする。(もちろん、原作は戦国ものじゃなくて、別のを選ぶ)

 それはともかく、クレヨンしんちゃん 実写版でググったら、最初に、伊藤Pのブログがあった。

 伊藤Pも「クレヨンしんちゃん」の劇場版にぞっこんなようだった。

 え? 伊藤Pって誰かって?

 テレ東の大江アナが可愛い、「もやもやサマーズ」のプロデューサーです。

 「もやサマ」は、今、唯一楽しめる番組。ワタクシ的には。

 「やっぱりね!」とちょっと嬉しかった。

病気もレトロ?

2009-04-07 20:19:26 | Weblog
 イチロー、胃潰瘍、針千本、肺結核とレトロな病気報道が続く。

 昔、小学校時代の担任だったM先生が、胃潰瘍で入院手術したが、胃のほとんど全部を削除する大手術だった。

 以来、胃潰瘍というと、言葉の響き、漢字のおどろおどろしさから、「怖い病気」というイメージがあった。

 もしろんその後、簡単に直るようになり、そんなイメージもなくなったが、それにしても、イチローは……初期段階ということもあるのだろうが、病名がわかったらもう大丈夫って感じだ。

 針千本の肺結核も同じだ。

 肺結核が不治の病であった頃を、さすがに私は知らないが、近代小説を読むと、肺結核に犯された若い男女が死ぬテーマが非常に多い。

 田山花袋の「田舎教師」なんか、小説家になって名を挙げたい若者が肺結核にかかって、死んでしまう、ただそれだけの小説だが、誰だったか、知り合いの小説家が危篤になって死ぬ間際、「○○君、死んでいく気持ちはどうかね」と聞いたという、そのしつこさで、描くから、まあ、すごいのなんの。

 って言う程でもないが、主人公の死にゆく気持ちから見た田舎の寂しい風景描写がなんともすばらしく、心を打つ。

 花の種類を一つ一つ列挙するのだが、無性に感動する。

 あと、息子が肺結核になったことを知った時の母親の態度がなんとも言えない。

 はっきり言って、「絶対に助からないのだから、早いところ死んでおくれ、そうして、貧しい私を苦しめないでおくれ」といった感じだ。

 ともかく「薬」が牛乳なんだから……。

 牛乳に期待をかけざるを得ない母親の、情けない気持ちがひしひしと伝わってくる。

 しかし、針千本の(名前知らないのだ)肺結核は、あまりにもイメージがピッタリなので笑う……いや、笑いたい気持ちになったが、彼女は本格的にマンザイや芝居をやらせると結構うまいので、嫌いじゃない。

 早いところカムバックしてネタにしてほしい。

 中村雅俊の息子が大麻で捕まり、中村雅俊が「人間失格だ!」とか激怒しながら大泣きしていたが、年令、職業等からいって、中村雅俊自身が全然やったことないとはちょっと信じ難い。

 仮に本人はやらなくても、近くにやっていたやつは絶対にいたはずで、まるで人殺しでもしたかのごとく驚き、嘆くのは、見ていて嫌になる。

 息子にしてみれば、そんな親父を見て、どんな気持ちになるだろう。

 「あんた、世間がそんなに怖いのか」ってところか。

 この件で、福岡翼が、「ちょっと泣き過ぎ」と言っていたが、そう言う翼氏が、昔とまったく変わらないのに驚いた。(若い頃と並べてみればそれなりに老けてはいるのだろうが)

 美輪さんも70を優に越えていながら、全然元気だし、

 「あたしたちのように差別されていると、ストレスないのよ。差別するやつがストレスで早く死ぬのよ」

 ってか。