パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

豆知識な

2007-04-29 22:35:39 | Weblog
 昨日のブログで、展覧会のサイト「写真展→http://www.k4.dion.ne.jp/~gekko/gallery.html」を載せたわけだが、このアドレスだと、チルダ(~)部分が文字化けしてしまって、つながらない、とメールをいただいた。
 それで、いろいろネットで調べたら、この「チルダ」をどうキーボードから打ち込んだらいいのか、ネット初心者は皆苦労しているところらしい。なるほど、私はパソコン弄りだしてからたっぷり10年以上になるが、依然「初心者」なのだなと、再確認した次第だが、それはともかく、さらに読むと、(~)は、本来、正式には(%7E)と書かれるべきものなのだそうだ。したがって、当該アドレスは、

 http://www.k4.dion.ne.jp/%7Egekko/gallery.html

となる。「つながらない」、という方がいらしたら、上のアドレスで試してください。(私のMacでは問題なくつながるのだが……)

 以上、パソコン豆知識な。


 話変わって、別に珍しい風景ではないが、乳母車(ベビーカートと言うべきか)に赤ん坊を乗せた若夫婦と、ゴールデンリトリバー犬が並んで街をのんびり歩いていた。「犬を連れて」というより、いかにも「並んで歩いている」といった感じで、なんで、あのようにゴールデンリトリバー犬って、頭が良さそうに見えるのだろうと思った。「すべて承知しておりますよ」といった顔をしている。

 もちろん、人間の目(=脳)にそう見える、ということなのだが……。

ルーニーは、○ーくんに似ている……か?

2007-04-28 22:15:55 | Weblog
 深夜、マンチェスターユナイティッド対ミラン戦を観ていて思ったのだが、マンチェスターのウェイン・ルーニーって、楽天の田中マー君に似てないだろうか。笑ったところなんか……。

 賛成少数につき、本案は否決せられました、ってか。

 あと、負傷か何かで客席で観ていた、マンチーニって、いい男じゃないの、と思ったがどうなんだろう。

 いずれにせよ、世界注目の的のビッグゲームの一日遅れの録画再生番組をなんで真夜中、それも午前3時頃にやるのか。生中継で、これしか時間がないというのならわかるが、チャンネルを変えても変えても、切っても切っても金太郎の金太郎飴のごとく……いや、金太郎飴なら、それが「金太郎」であるということがわかるからまだいい(?)が、テレビの場合は、変えても変えても、現れるのは、顔も名前もわからない、「お笑い芸人」ばかり。そんなんでは、当然、ちっとも面白くない、こういった連中に時間を独占された結果なのだから、腹立たしいというかなんというか……。(そのくせ、美女とちゃっかり結婚なんかしおって)

 もっとも。かく言う私も、そんなにサッカーファンというわけではない。マンU×ミラン戦の時も、結果は知っているので、手抜き観戦を試み、途中でチャンネルを変えたら、おお! なんと、イノッチ司会の『百識』をやっていたので、そっちをしばし観てしまい、おかげで「雷」の知識は増えたものの、ミランが得点した2点(カカーらしい)を見損なってしまった。

 その後、態度を改め、後半ロスタイムのルーニーのスーパーゴールは、ばっちり見た。

 ともかく、そんなわけで(?)、秋葉原の事務所にて私の写真展をやることにしました。ギャラリー名は、「MECHANISM(メカニズム)」、写真展タイトルは、Is this a small world? です。

 正確には「写真」じゃないのですが、一部、http://www.k4.dion.ne.jp/~gekko/gallery.html で見ることができますので、よろしかったら見てください。(本当は実物を見てもらいたいのですが。作品の芸術性であるとか、思想性とかは別として、「実物」であることが価値を持つ作品なんで)

ちぐはぐな日

2007-04-26 20:05:44 | Weblog
 テレビの音声が突如、消えてしまった。
 しかし、こんなことは毎度のことで、外箱をげんこつで「ドン!」と、2、3回叩けば元に戻って聞こえるようになるのだが、今回はうんともすんとも反応がない。
 夜も遅いし、というか、真夜中なのであんまりどんどん叩くのもまずいと思い、いったん諦めて、朝、もう一度、今度は思いっきり「ドン!」と叩いたが依然、無音のまま。画面では、ルーシー・ブラックモア事件の判決について「識者」が何か言っている。興味があるので、ぜひ聞きたいと思い、さらに叩いたが反能無しで、画面は全然興味のない血液型占いとやらに変わってしまった。
 ちくしょー、このテレビもついにお釈迦かと思いながら、ふと、テレビにぴたりと耳をつけて聞いてみたら、かすか~に音が聞こえる。あれ?と思って、音量を確かめてみたら、「ゼロ」になっていた。
 何かのはずみで聞こえなくなっていたのだ。昔のテレビだったら音量スイッチが外から見えるが、最近のは(といっても、優に10年くらいは前のぽんこつテレビだが)見えない。それで、「音量ゼロ」になっていることがわからなかったのだが、危ないところで、テレビを叩き壊すところだった。

 しかし、これは今日前半のちぐはぐな出来事のはじまりにすぎなかった。

 西川口の駅前には、マクドナルドとケンタッキーチキンが並んでいる。元来、私はマック党ではなく、ケンタッキー党なので、本来ならケンタッキーに入るのだが、大分前(3、4年以上)からケンタッキーのメニューからお気に入り(ランチ)がなくなっていて、そのかわり、中途半端な(とケンタッキー派の私は思うのだが)ハンバーガーメニューばかりになってしまった。ケンタッキーのハンバーガーを食べるくらいなら朝マックがやすくて良い、とほぼ毎日マックに立ち寄っているのだが、今朝も例によってマックで食事をとった後、トイレでう○こをしながら、カフカの『審判』なんかを読んでいると、外から「おい、早くしろ」と男の声がした。
 声の調子、あるいは「遠さ」から言って、男は、私に向かって言っているのではなく、外の「小用」を使っている仲間にでも言っているのだろうと思ったが、落ち着かないので、早々に切り上げ、店を出て駅で切符を買い、車内で再び『審判』を取り出し、ふと気になる箇所があったので鉛筆で線を引こうと思ってリュックの中を探した。
 筆記用具は、たしか、百円ショップで買った小さなメッシュの物入れの中に収めてあるはずだ、と思って手で探ったがない。
 「あれ?」と思った。その物入れはたしかに昨夜まではリュックの中にあったはずである。これは確かだ。だとしたら、無意識のうちにリュックから取り出したまま、今朝、部屋に置き忘れたか……さもなければ……寸時もリュックを手元から離していなければ、絶対に部屋にあるはずなのだが、マックでう○こをしている時、、時間にして10分くらい、席においたままだった。
 そのリュックは結構大きくて、問題の物入れはその一番底にあるはず。バッグを取り出そうと思うと、腕を肩くらいまで突っ込まないと取りだせない。まさか、そこまで大胆な置き引きはいないだろうと思ったが、物入れにはいろいろ大事なものがまとめて入れてある。しかも、メッシュなので外から丸見えだ。何かの拍子で、リュックの底ではなく、口の間際に剥き出しになっていたりしたら……と心配になり、部屋にまで戻って確かめたくなったが、上り線から下り線に乗り換え、さらに歩いて15分はかかる。都合、1時間近くを「確認」のためだけに費やすのは馬鹿らしいと思い、落ち着かぬ気持ちのまま、『審判』を再び読み始めた。

 ある朝、いきなり「在宅逮捕(?)」されたヨーゼフ・Kが、その晩、隣部屋のタイピスト嬢に、「今朝は済みませんでした」と謝りながら、いきなり、彼女を抱き寄せてキスをする。あれ?「K」って、こんな大胆な男だったんだ、と思ったあたりで御徒町駅に着いたので、切符を取り出そうと思ったら、それがない。どう探してもない。ずっと腕時計のバンドに挟むようにしてから、切符をなくすことはなくなったのだが、最近、以前のように上着やらジーパンやらのポケットにしまうようになり、下車のたび、あちこち捜しまわっていたのだ。やばいな、と思いつつ、以前もそうであったように、結局は見つかっていたので、大丈夫かもと思っていたのだが、それが見つからない。(考えてみると、以前だって、「大丈夫だろう」と思いつつ、1年に1回は紛失していたのだった。)

 ともかくそんなわけで、切符の紛失は決定的となったのだが、それと共に、メッシュの物入れの行方が気になった。もちろん、夜まで待てば、その行方ははっきりするのだが、しかし、それまでずっと気にかけていなければならないと思うと、えらく落ち着かない。このまま改札口を前にUターンして西川口まで戻ろうかと思ったが、切符がないのではそれもままならない。
 やむを得ない。改札口の駅員に紛失したと申告し、デタラメに最短区間の料金を払って、いったん改札口の外に出てから再び切符を購入した。半日間とはいえ、紛失したか盗まれたか、あるいは単に部屋に置き忘れた(九分九厘は「置き忘れ」だとは思っていたのだが)か、あれこれ気にしながら過ごすのは嫌だったからだ。(それだけ、「物入れ」には大事な物が入っていたと考えてください)

 かくしてえっちらおっちら電車に揺られ、さて降りようと席を立ったら、前に座っていた男性から、「落ちましたよ」と言われた。言われて見ると、電車の床に切符が落ちている。拾ってみたら、確かに、なくしたと思っていた私の切符だった。

 アチャー、リュックのどこかにひっかかっていたらしい。
 今さら見つかってもしようがないが、あった!と思うとともに、安心感が広がり、「物入れ」も、紛失したわけでも、盗難にあったわけでもなく、部屋に置き忘れただけだろうと確信するに至ったのだが、ここまで来ちゃったからには、最後までやらないわけにはいかない。また往復30分歩くのはしんどいが、でも、しょうがない。

 というわけで、「メッシュの黄色の物入れ」は確かに私の部屋のド真ん中に鎮座して、私を待っていたのであった。

 疲れたよー。

「音」が見える?

2007-04-24 14:35:41 | Weblog
 久しぶりに「夢」の話。

 私は誰かと喋っているが、その人の肩ごしに、矩形に区切られたニューヨークのエンパイアステートビルの頂上部分が見えている。
 矩形に区切られているということは、窓越しなのか、大型テレビの画面なのか、どちらかなのだが、ともかく、そのエンパイアステートビルのてっぺんがぽっきりと折れて画面下に消えて行った。

 「わ、これは大変だ」と思った。数秒後には物凄い轟音とともに、下界は阿鼻叫喚の場と化すに違いない。

 しかし、夢はそこまでには至らず、次の場面で私は自転車に乗って街を走っている。そこは新宿の裏通りで、ニッカボッカスタイルの建築作業員が働いている。その作業員に私は聞いてみた。

 「さっき、エンパイアステートビルのてっぺんが折れて落下したのだけれど、知ってる?」

 すると作業員は、

 「知ってるよ。凄かったねー。ここまで爆風がわっと押し寄せて来てさ」
 と言った。私はそれを聞いて、「なるほど、そうだろうなあ」と思った。

 ……というもの。

 東京とニューヨークがごっちゃになっているが、なんで、こんな夢を見たのだろうと、朝、電車の中で考えているうち、「あ、これだ」と思い当たった。
 それは、ちょうど昨日の夜、TBSラジオをなんとなくつけていたら、プロ野球放送がないため、二人のアナウンサーの雑談で埋めていたのだが、そこでTBSの秋山さんがソ連の宇宙ロケットで宇宙旅行をした時、その実況中継をした思い出話をしていた。
 これがなかなか面白かったのだが、中でも面白かったのがエネルギアロケットの発射実験を目撃した時の話である。

 エネルギアロケットというのは、アメリカのスペースシャトル計画に対抗する目的で作られた重量物運搬ロケットだが、アメリカのサターン月ロケットすらしのぐ大推力を誇っていた。
 ただし、このエネルギアロケットは実験段階でソビエトが崩壊したために、宇宙に打ち上げられることはなく、秋山さんもエネルギアの前のソユーズロケットで打ち上げられたのだが、TBSのアナウンサー氏は、このエネルギアのエンジン全開テストに招待されたのだそうだ。

 この時の轟音が物凄かったというのだ。秋山さんが乗ったソユーズロケットは、5キロほど離れて中継したが、エネルギあの場合は、50キロも離れていた。10倍も離れているというだけで、その物凄さがわかろうというものだが、アナウンサー氏が言うには、「音」が見えたと言うのだ。
 というのは、エンジンに着火した場面を見ても、すぐには音がやって来ない。もちろん、ソユーズの場合も、「音」は遅れてやってくるのだが、距離が5キロだと……たぶん、5秒ほどの遅れである。ところが、エネルギあの場合は、「50キロ!」である。ということは、「音」は、ほぼ1分遅れ!でやって来る。
 正確に言えば、実際に見ているのはテレビのモニター画像で、そこで「着火」したと見て取ってから、1分遅れで音がやって来るのだが、アナウンサーの言うことには、その音が「やって来る」様子が、本当に「見える」のだそうだ。そして、「来た!」と思った瞬間に、轟音と共に皮膚がびりびりと震える。
 音が「見える」というのは、多分、大気中の微粒子が音波で震える様子が「見える」のだと思うが、ともかく、そんなことをラジオ越しに聞いていて、「凄いなー」と思い、その夜、エンパイアステートビルの天辺が落下する夢を見たのだ。つまり、それは、「物凄い音」を聞いてみたいと思っていたことを夢で見ようと思ったのだが、実際にそこまでの「凄い音」は聞いたことがないので、建築作業員の証言で我慢した、と、そういう夢だったのだ。

 ちなみに、音波は疎密波、つまり縦波だが、光は横波である。もし光が縦波だったら、たとえば隣の部屋のステレオの音が漏れて来るように、隣の部屋の新婚さんの様子だってなんだって、「壁越し」だろうがなんだろうが、全部わかっちゃうことになる。どきどき……って、どきどきしてる自分も全部見えちゃうのだが。

追伸 新しいブログ、「正気か、狂気か」を作りました。「犯罪」についてのブログです。今の日本、決して犯罪が多いとは思わないのだが、なんか、いや~な感じの犯罪が多い。それに警察の捜査能力の著しい低下が輪をかけて、なおさらすっきりしない。出よ! 論ずるに足る犯罪!(なんてあるのかな?ということも含めて)

安部ちゃん、決断(?)

2007-04-22 23:31:01 | Weblog
 中国の首相がやってきて国会で演説。日本の国会議員は与野党あげて、大絶賛、大歓迎で、おいおい、中国は東シナ海での海底石油問題でもまったく譲歩していないのに、どうなっちゃってるのと思っていたら、安部首相は、今月末の訪米で、ブッシュ大統領に、集団的自衛権の見直しを約束することを決めたらしい。(中日新聞)

 まあ、この問題についてはいろいろご異論もございましょうが、私としては、「やれやれやっとか」という感じながら、大歓迎なのだが、報じているのがまだ中日新聞だけのようなので、それがちょっと心配である。

 それはさておくとして、もし、これが本当なら、日米同盟が、一層強化されるわけだが、これは実質的に、対中同盟なのだから、中国はいったいどう出るのだろう。おそらく、中国としては、安部政権が(対中)集団的自衛権の確立に向けて動いているということは当然知っているだろう。だとしたら、今回の中国首相の訪日は、それを承知で、とにもかくにも日本との関係改善が必要だということでやってきたということなのだろうか。

 案外、追い詰められているのは中国の方なのかも知れない。

 いずれにせよ、27日を待つしかないが、どんな言葉遣いになるのかわからないが、要するに、安部政権は集団的自衛権の問題を改憲問題より優先することを決めたということであって、しかも、改憲問題は日本の国内問題だが、集団的自衛権の問題は直接にアメリカの利害に密接に結びついているのであり、したがって、もし安部首相が、憲法との関係を「見直す」ことをアメリカの大統領に約束したらそれは絶対的に守られなかればならない。ということは……今から朝日新聞の反応が楽しみだ。(スケール小さいなあ……我ながら)

 太宰の『女生徒』を読む。太宰の所に送られて来た女学生の日記を元にしたものなんだそうで、実際、『オキノニッキ』を一日にギュっと縮めたような感じで、いや、面白い。太宰の思想なんかもよくわかるし。(太宰と言う人は耽美派だったのだな。)
 ただし、では太宰は好きかと聞かれると、ウンとは言えないのが奇妙である。

 

トッティ伝説

2007-04-19 18:22:54 | Weblog
 異様な二日間だったので、今日は、トッティネタ(?)で。
 
 トッティってもちろん、イタリアのサッカー選手だが、向こうでは「アホのトッティ」で知られているそうで、本も出てるそうだ。
 次の「トッティ伝説」は、たぶん、そこからとったもの。(2chで紹介されていたものをコピーした)

 トッティがチームメートにジグソーパズルを見せびらかし、
 「オレって天才だよ。たった3カ月で完成させたもんね。 普通にやれば、3年はかかるヤツなんだぜ」と自慢した。
ジグソーパズルの箱をみると「3years(3歳児用)」。

 イタリアで話題の「アナタの悩みの50%が解消できる本」を購入したトッティ。 胸を張って友人にこう言った。
 「悩みを100%解消したいと思ったから、迷わずに2冊買ったよ」

 トッティの彼女が「アナタの頭の悪さをバカにした話が流行ってる。 本でも読んで教養を身につけましょう。手始めにシェークスピアは? 読んだことあるでしょ?」
 「もちろん読んだことあるさ。ただ、作者名がちょっと思い出せないんだよな」

 彼女が猫を抱いてトッティ宅に。
 「ねぇ、この子猫ちゃん、オスだと思う?それともメスだと思う?」
 「バカだな、ヒゲが生えてるからオスに決まってんだろ」

 トッティが朝練に参上。しかし、その姿を見たチームメートは笑い始める。
 「なんだよ。何がおかしいんだよ。キャプテンに対する敬意のかけらもねぇのか、おめぇら」
 笑いが止まらないマルコ・デルヴェッキオが、事情を説明しようとする。
 「フランチェスコ、ごめん。でもさぁ、気がついてないんだろうけど、あんた、片っぽがアディダスで、 片っぽがナイキのシューズ履いてるんだよ。家帰って、履き替えてきたら?」
 「マルコ、おめぇは本当にアホだな。家に帰ったって、片っぽがアディダスで、片っぽがナイキのシューズがあるだけだ。 だから、履き替えに帰ってもしょうがねぇだろう!?」


「異様な一日」、変じて……

2007-04-18 12:35:46 | Weblog
 「異様な一日」が明けて……というか、正確には、帰宅してテレビを見たら、「犯人は韓国人」のテロップが! 「異様な一日」変じて、「徒労の一日」になってしまった。トホホ(死語?)である。
 もっとも、昨日の夜遅くなってから、バージニア大学の学長が、犯人は学生寮に住んでいたと発言したあたりから、「去年の八月にアメリカに来たばかりの中国人」という犯人像がおかしくなってはいたのだが、折角書いたのだし、自身の思考の軌跡を確認するためにも一応アップしておこうと考えたのだったが……。

 いやー、韓国人とは思わなかったなー。しかし、犯人が韓国人(朝鮮人)なら話は簡単だ。要するに、彼らの持病である「火病」を起こしたということだろう。自国人の、大量殺人ワールドタイトルホルダー(57人殺害)が、それなんだろうし。ということは、私(わたくし)的には、あんまり興味のある事件ではなくなる。

 しかし、これから間もなく外出しなければならないので、簡単に昨日のブログをチェックしておくと、要するに、外国から異国にやってきてすぐ大量殺人を犯すというようなことがあり得るとしたら、それは「中華意識」にこりかたまり、「自分が住んでいるところは、地球上、どこであろうとすべからく中国である」と考える中国人くらいしかないはずだと考え、だから、報道に「中国人」と書かれていることは、論理的整合性があると結論付けてしまったわけだが、チェックすべき問題は、この「論理」が成り立つかどうかだ。そして、このことは、犯人が「なに人」であろうと関係がない、と、とりあえず、昨日の記述をブロックしておいて、さて、長崎市長の殺害問題だが、これも報道をみると、政治的背景はないようで、なんか、尻窄みに終わりそうだが、去年当たりから頻繁に起きている、地方首長の「特定団体に対する利益供与」問題と絡んでいるとすると、これはこれで大きな問題になりそうだ。

 というわけで、今日はこの辺で。

異様な一日

2007-04-17 22:41:55 | Weblog
 今日は、朝から、アメリカ、バージニア大学の大量虐殺事件にかかりきりで過ごしてしまった。

 というのは、当初の報道で「犯人はアジア系」とあって、以後、情報は途絶えたまま。一方で、「昨年の八月、上海から、留学生ビザでアメリカにやってきた中国人」であるとか、駐米中国大使が、犯人が中国人であることを認めたという情報が流れたものの、一向に確定しない。それで、2chを中心に情報収集に半日を費やしてしまったというわけだ。反省。

 しかし、「反省」はともかく、報道の流れとして、犯人が中国人(アメリカ国籍を持つ“中国系アメリカ人”ではなく)であることを否定する報道はないので、犯人は、「アメリカに来たばかりの中国人」という線は固いのではないかと思う。

 で、これを前提にすると、いくつか、不思議……というか、興味深い中国人像が浮かび上がってくる。

 まず、第一に、あらゆる殺人の基本には、たとえば、人類初の殺人が父親(神)の依怙贔屓に発する兄弟間の殺人であったように(カインのアベル殺しのこと)、「怨恨」という感情が存在する。このことは、通り魔的な無動機殺人であれ、銀行強盗などに伴う殺人であれ、よくよく観察すれば、自分が所属する社会への不満がわだかまっていることを見い出すことができると思う。言い換えれば、殺人とは、基本的には、同族間で、同族故に起こるのである。したがって、「戦争」における「殺人」は、異なる部族(近代以降は「国家」)間で起こるので、容認されているのだと思う。

 「戦争」のことはさておき、「殺人は同族間で起こる」という原則を今回の大量殺人にあてはめれば、今回の事件は、そもそも「あり得ない」、ということになる。なぜなら、もし犯人がアメリカにやってきてまだ一年も経っていない外国人であるならば、その外国人は、アメリカ人に対して「怨恨」を持つまでにいたっていない筈であるからである。(もちろん、相手が一人や二人ならば、短期間の滞在でも特別な関係を結ぶこともあり得るだろうし、その結果の「殺人」なら、大いにあり得るだろうが。)

 ところが今回の犯人は、彼にとっては、いかなる共通の感情、利害によっても結ばれていない「外国人」であるアメリカ人を、まとめて(なんと、教室の扉を鎖で縛って、外へ逃げられないようにしたそうではないか!)殺してしまったのである。

 要するに、「あり得ないことが起きた」ということなのだが、しかし、例外があって、こんなことを言うと、嫌中意識が過ぎると思われるかも知れないが、それが中国人だ。
 たとえば、世界中のあらゆる都市にチャイナタウンがあるけれど、あれは、中国人の数が多いだけではない。中国人は、世界の何処で暮らしても、そこが「中国」になる。決して現地に同化しない。そしてそれは、近代的なナショナリズムとは違う、大家族主義に淵源する「同族意識」、すなわち「中華意識」の発現なのだ。

 だから、たとえば、去年だったと思うが、イタリアのチャイナタウンで、中国人の住民と警察が衝突してニュースとなったけれど、あれなんか、彼らの中華意識の格好な例だ。それは、たとえばアルバニアの住民が、隣国のイタリアに「出ばる」ような形で進出して、その結果、イタリア人と摩擦を起こす、というようなことだったら、ごく普通にあることだが、中国人の場合は違う。はるばるシルクロードの彼方からやってきてもなお、現地に同化せずに、自分の居住地は「中国」であると考える。実際、そういう場所が「チャイナタウン」なのだが、今回の大量虐殺事件の底には、このような中国人のメンタリティが存在しているのではないかと思うのだ。

 もちろん、このような、中国人独特のメンタリティーと、犯人の「動機」とはイコールではない。それはそれで別なのだが、どこへ行っても中国人として振る舞う、彼らの独特のメンタリティがなければ、今回のような事件はあり得ないのではないかと思う。
 たとえば、『水滸伝』の108人の中で中国人に最も人気のあるのは、黒旋風という2本のまさかりをふりまわして、手当りしだい、子供だろうが何だろうが、気の向くままに容赦なく殺してしまう、まさに「殺人鬼」としか言い様のないキャラクターなのだが、中国の評論家は、それを「童心」と呼んでいる。その「童心」を中国人は好きなのだと。日本の福岡で一家4人を惨殺したのも中国人留学生だったが、あれは、殺人鬼を「童心」と呼んで好む彼らが、外国(日本)に来ても、同様に振る舞った結果ではないかと思う。

 と書きながら、2chで新しい情報がないかとチェックしたら、なんと、長崎市長が狙撃されて重体だと! 

夫婦に生まれた子供は、夫婦の子供と推定する。ん?

2007-04-16 23:43:56 | Weblog
 離婚後300日以内に生まれた子供は一律、前夫の子供とみなす(正確には「推定」)という、民法772条の規定見直しをすすめようという与党推進派に対し与党反対派が待ったをかけ、それを法務官僚が後押しし、結局継続審議というようなことになったようだが、報道では今ひとつ、事情がよくわからない。
 それで、調べてみたら、要するにこういうことらしい。(女性が離婚後、再婚して生んだ子供の父親の認定の話であって、再婚しない場合は、推進派、反対派いずれも、「問題外」としている――そりゃそうだろう)
 
 推進派の主張→「離婚前」の妊娠であってもDNA鑑定等で判明すれば、再婚相手が父親であると認定する。

 反対派(実質、法務官僚)の主張→「離婚後」の妊娠に限り、医師の証明書があれば、再婚相手が父親であると認定してもよい。

 これは、サンケイ新聞の「紙面批評」というコラムで、中川幾郎という大学教授が整理してくれたものなのだが……要するに、法務官僚は、民法772条の運用について、「今後は医師の判断を受け入れます、300日規定を杓子定規にあてはめることはしません」、と言っているのである。
 しかし……「離婚後に妊娠したケース」について適用するというのだから、結局、300日規定とちっとも変わらないと思うのだが……。

 法務官僚としては、今問題になっている規定の見直しは、法律に込められた思想(=民法772条について言えば、婚姻関係の保持を是とする思想)を変更することにつながり、そうであれば、素人さんは知らないだろうが、他の規定に見直しが及ぶから、こっちは大変なんだい!というのが本音なのだろう。

 しかし、逆に言えば、たとえば、憲法改正についての国民投票法案が成立しそうだが、この法案で投票有資格者を18歳以上としたことで、これまで散々もめにもめて結局実現していない、二十歳未満を少年とみなす少年法の抜本的見直しが、たちまち実現しそうだ。

 「変化」を厭う法務官僚を、一概に「怠け者」だからと決めつけることは適当でないかもしれないが、アメリカのギングリッチという、ちょっと前の名物政治家が、ビーチバレーの大会でスピーチに立ち、「役人共には、絶対に考え付かないスポーツだ!」と言って、観客の失笑をかったという話がある。

 実は、私は、これは案外「名言」じゃないかと思う。

 「なんでもいいから、やってみるべし」、ということもあるのだと思う。

青木光一、WHO?

2007-04-14 21:10:09 | Weblog
 前のブログにトラックバック(いまだにこの仕組みがよくわからないのだが)がついたので、辿ってみたら、水前寺清子と並んで「青木光一」という名前が目についた。

 青木光一は水前寺清子より一世代以上昔の歌謡曲歌手で、「柿の木坂の家」の大ヒットで知られる。(とはいえ、私は、「青木光一」という名前は知っているが、「柿の木坂の家」という歌は、当時、聞いた覚えがない)

 青木光一は、現在、八〇数歳の高齢ながら、まだ現役で、日本歌手協会の会長を勤めているのだが、ちょうど一週間前の『堂本兄弟』で、ゲストの青木さやかと堂本光一が妙に息が合い、青木さやかが、「もし、光一君とどんなことがあっても、私は拒みません」とか、「覚悟しています」みたいなことを言い、周りが、「堂本光一が青木光一になっちゃう~」と囃したて、光一が、「オレ、婿養子になるのかよ!」とか返していたが、誰も、「青木光一」が大先輩であり、かつ現歌手協会会長であることに気づかなかった。高見沢なら、気づいてもよかったと思うのだが……。