最初、代表選に消極的だった前原が、ここにきて態度が微妙になってきたのは、マスコミの解説によれば、前原は当初、野田から禅譲を受けるという約束というか、そのような見通しをもっていたが、肝心の野田の当選が確実と言えない状況になってきたかららしい。
私は、政策的に「野田だけはご勘弁」と思っていたのだが、政策云々の前に――もし今回の前原の動向がマスコミの解説の通りだとしたらだが――前原、野田の政治的見通しというか、「振る舞い」は、派閥選挙であった旧自民党総裁選挙そのままではないか。
だとしたら、マスコミは、「解説」ですますのではなく、断固として批判すべきではないのか。
何をって、彼らの政治家としての振る舞いを、だ。
少なくとも「禅譲」という言葉を使った以上。
「政策」について言うならば、前の衆院選で「マニフェスト」に期待して民主党に一票を入れた一人として、「民主党のマニフェストは財政的に絶対無理」というのが「話の前提」になっているみたいなのが、変だ。
財政的にきついのなら、消費税を上げればいいのだ。
「消費税を上げて、マニフェストを実行する」
これ、選択肢として絶対に「あり」だと思う。
もちろん、マニフェストを変更しても構わない。
その「精神」さえ、維持されていれば。
で、その「精神」とは何かというと、「生活第一」でいいんじゃないか。
そのためのアイデアなんかは、いくらでもあるが、問題は、消費税を上げると景気が落ち込み、「生活第一」と言いつつ、その生活自体がクラッシュしかねないという「反論」が予想されるところ。
しかし、そもそも、日本の消費税が5%という低率で済んでいるのは、国民年金だとか、健康保険の掛け金だとか、高額の高速道路料金とか、いろいろ国民が負担しているからで、それを計算に入れれば、現状で、少なくとも10%に相当するだろう。
だったら、国民年金も、健康保険も、高速道路料金も、全部税金(消費税)にしちゃえば、それでまかなえる。
困る人なんか、いない。
あ、いる。
役人だ。
役人だけは、仕事がなくなるので困るが、それだけだ。
大体、我々の生活が、景気によって大きく左右されているのが、そもそも「変」だ。
我々の「生活」は、「景気」とは無関係でなければならない。
これって、実は、ベーシックインカムの基本的考え方なんだけどね。
私は、政策的に「野田だけはご勘弁」と思っていたのだが、政策云々の前に――もし今回の前原の動向がマスコミの解説の通りだとしたらだが――前原、野田の政治的見通しというか、「振る舞い」は、派閥選挙であった旧自民党総裁選挙そのままではないか。
だとしたら、マスコミは、「解説」ですますのではなく、断固として批判すべきではないのか。
何をって、彼らの政治家としての振る舞いを、だ。
少なくとも「禅譲」という言葉を使った以上。
「政策」について言うならば、前の衆院選で「マニフェスト」に期待して民主党に一票を入れた一人として、「民主党のマニフェストは財政的に絶対無理」というのが「話の前提」になっているみたいなのが、変だ。
財政的にきついのなら、消費税を上げればいいのだ。
「消費税を上げて、マニフェストを実行する」
これ、選択肢として絶対に「あり」だと思う。
もちろん、マニフェストを変更しても構わない。
その「精神」さえ、維持されていれば。
で、その「精神」とは何かというと、「生活第一」でいいんじゃないか。
そのためのアイデアなんかは、いくらでもあるが、問題は、消費税を上げると景気が落ち込み、「生活第一」と言いつつ、その生活自体がクラッシュしかねないという「反論」が予想されるところ。
しかし、そもそも、日本の消費税が5%という低率で済んでいるのは、国民年金だとか、健康保険の掛け金だとか、高額の高速道路料金とか、いろいろ国民が負担しているからで、それを計算に入れれば、現状で、少なくとも10%に相当するだろう。
だったら、国民年金も、健康保険も、高速道路料金も、全部税金(消費税)にしちゃえば、それでまかなえる。
困る人なんか、いない。
あ、いる。
役人だ。
役人だけは、仕事がなくなるので困るが、それだけだ。
大体、我々の生活が、景気によって大きく左右されているのが、そもそも「変」だ。
我々の「生活」は、「景気」とは無関係でなければならない。
これって、実は、ベーシックインカムの基本的考え方なんだけどね。