パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

親の心、子知らず

2010-04-30 14:40:03 | Weblog
 日本の社会政策の基本が「貧乏人を救う」のではなく、「貧乏人を出さない」ところにあるというのは、『公的年金の不信不安・誤解の元凶を斬る!』という、元厚生省のノンキャリア坪野剛志という人が書いた本に明記されている。

 それは、当時の野党民主党の基礎年金を全額税方式にするという提案に対する反論として書かれている。

 曰く、「税方式に変えるということは、第2の生活保護制度を作るということと同じだ」と。

 いや、それでいいんじゃないの?

 と、私は思うのだが、坪野氏は、こう書いている。

 「日本の社会政策は、貧しくなったら救う救貧制度ではなく、貧しくならないようにする防貧制度を目標としてきました。日本がこの半世紀歩んできた社会の仕組みを一度ご破算にせよというのでしょうか。」「昭和36年に国民年金制度が創設され国民皆年金体制ができたのは、貧しい人を救うためではなく、貧しくならないようにする社会を目指すためであった訳です。」

 この「目標」を、「達成したぞ!」という官僚の勝ちどきの声が、「一億総中流化」という言葉だったのだ。

 ちょうどこの頃、資生堂のCMで有名な伝説的CMディレクター、杉山登志が「豊かでもないのに豊かな振りをすることに疲れました」という遺書を残して自殺する。

 まさに、「豊かでもないのに豊かな振りをする」のが「中流」なんだが、「一億総中流化」を目指した官僚たちは、この杉山の自殺をどう思ったか。

 たぶん、「親の心、子知らずだな、チッ」といったところだろう。

 その勝ちどきの直後、バブルが発生し、それがはじけ、今に至るわけだが、官僚たちは、親(官僚)の心を知らない子供たちが勝手に親が作り上げた成果を反古にしてしまったので、自分たちは再び親心を持って、立て直しにかからなければならないと思っているのだろう。

 私は、「防貧制度」なんてアイデアそのものが本来あり得ないものだと思うが、それはそれとして、我慢ならないのが、官僚の「親心」だ。

 坪野氏は、富山県民が日本で一番優れているという。

 なんでか?

 国民年金の未納率が日本で一番小さいからだそうだ。

 これには驚いたが、つい最近も同じような「心理」に基づくと思われる、官僚の台詞を耳にした。

 それは、どこかのテレビで、年金の一括納付を認めていない理由を聞かれた官僚がこう答えていたのだ。

 「こつこつ地道に積み立てること、それが尊いのです。」

 そうなのかもしれない。

 でも、それを法律に組み込んじゃうのは、明らかに行き過ぎだろう。

 逆に言うと、理由がそれだけなら、即刻「一括納付」を認めるべきだろう。

 『送りびと』をちらりと見て、やめる。

 ちらり見で言うのは何だが、あんなのがなんで賞を取ったのだろう?

 伊丹の『お葬式』には、諧謔精神があったが、『送りびと』で、滝田はなにを言いたいのだろう。

 『お葬式』の葬儀屋は確か、江戸家猫八だったかと思うが、あくまでも「脇役」だった。

 その葬儀屋が主人公なら、テーマにしてもらいたいことがある。

 死体に接して、怖くないのか?と。

 新米のモッくんが、恐ろしいような顔で仕事をしている場面を見たのだが、これは死体が怖くて、あんな顔をしているのかなと思ったら、どうやら腐乱死体かなにかを扱っているためだったようだ。

 要するに、葬儀屋は、「霊」の問題をどう考えているかということだ。

 それが一つのテーマになるべきだろうが、滝田監督は、そういう人じゃないしな。

 実は、私は、葬儀屋に聞いたことがあるのだ。

 答えは、「怖いと思わないように訓練します。怖いと思うと、仏さんが戻ってきてしまうのですよ」だった。

 「なるほど」と思った。

貧乏は正しい

2010-04-29 14:11:55 | Weblog
昨日、テレビニュースの画面に、検察庁の廊下かどこだろうが、小沢不起訴に関する告発の件の公示書のようなものが貼り出されていて、そこに告発者として「甲」と書いてあった。

もちろんどこかに「甲=在日外国人の特権を許さぬ会」と但し書きがあるんだろうが…。

いや、本当のところはわからないのだが。

しかし、小沢擁護に回っている連中の誰一人として告発者が誰なのかに言及しないのはなぜか。

はっきり言って、「バカ」じゃないのかと思う。

「仕分け」の対象にあがった元住宅公団について、どこかの民間シンクタンクの研究員のようなのが解説に出てきて、住宅公団の設立趣旨が、戦後復興機に当たり、「主に東京の住宅不足解消のため」というのは正しく、その目的を達したら速やかに組織を解消すべきだったが、高級マンションを供給することで生き残りをはかり、しかもその家賃が民間より1割ほど高いので、世間から「民業圧迫」の非難を受け云々と話していたが、相場より家賃が高ければ、誰も借りないだけの話で、「民業圧迫」なんかにはならないのじゃないのか?

品川の旧国鉄操車場跡の売却の際にも、数兆円という高値がついたことに、マスコミは一斉に、「土地価格高騰に拍車をかける」といって猛反対の論陣を張り、結局1兆円か、少しそれを割る価格で、たしか台湾の財閥が落札したと記憶しているが、これも不思議な話だ。

土地価格が上がるというのは、バブルであろうがなかろうが、基本的に需要(それが怪しげな動機によるものであれ)が供給を上回っているからで、なすべきことは、供給を増やす、たとえば、高層化を進めるとかで対処すべきだったんじゃないのか?

そもそも、住宅公団の設立目的が「住宅不足解消」というのもなんか曖昧である。

東京の住宅不足は主に地方から流入してくる人々が原因で、その人たちの多くは、低所得たらざるを得なかったわけだから、ここは、「低所得者向けの住宅不足解消」とはっきりすべきだったのじゃないか。

住宅公団立当初、というか、その後もかなり長期間にわたり、住宅公団のアパートは民間アパートよりも格安でファミリータイプの部屋が借りれるということで、倍率が数百倍もあった。

ほとんど「宝くじ」。

これで、「住宅不足解消」につながるのか?

実際問題、例えば2万円くらいで2DK風呂付きが公団住宅の標準だったとすると、同じ家賃で民間アパートを借りるとすると、せいぜい2K風呂なしくらいしか借りることができない。2DK風呂付きだったら、倍の5万円くらいはする。

具体的金額はともかく、それで、数百倍という倍率になった訳だが、これこそまさに「民業圧迫」じゃないのか?

一方、2万円だったら払えるという理由で申し込み、落選した膨大な「貧乏人」は民間の劣悪な部屋を借りるしかない。

結果、公団住宅は皆の憧れの的、民間アパートは貧乏人が住むものという図式が出来上がってしまった。

これが私の若い頃の話だが、その後、住宅公団はその目的を終えたと言われるようになった。

しかし、いったい、その「目的」とは何だったのか。

普通、公的資金を投入して住宅を用意するとしたら、それは「低所得者向け」だろう。

しかし、住宅公団の目的はそこにはなかった。

当時、マスコミではしきりに「一億総中流化」と言う言葉が叫ばれたのだが、この言葉を作ったのはマスコミじゃない。

「役人」なんだ。

これは、その頃の、そして多分今でも同じだと思うが、日本の官僚が目指しているのは、「貧乏をなくす」ことで、「貧乏に対処」することじゃないのだ。

 それが、「一億総中流化」だ。

「貧乏人をなくせば、貧乏対策」なんか必要ない。あっても、ごく少ない予算で済むだろう。

これが、戦後日本の官僚の基本精神で、察するに、今も、変わっていない。

最終的には、「貧乏をなくす」というのは、いかにも崇高な目的かもしれないが(私はそうは思わないけれどね、「貧乏は正しい」by橋本治なのだ)、現実には、いかに「貧乏に対処」するかが求められている。

この発想の転換が、今、絶対に必要なのだが、誰も、そのことに気づいていないのが問題なのだ。

3人目のSさん

2010-04-28 14:03:02 | Weblog
 ウェブで調べたら、あっという間に出てきた。

 小沢を不起訴不当で訴えた市民団体とは、「在日特権を許さない会」、通称、「在特会」なる団体で、代表者は桜井となっていた。

 これもSさんだが、私が昨日書いたSさんとは違う。

 「週刊新潮」に載っていた、「Sさんの子分のSさん」は、瀬戸弘幸という人だ。

 もしかしたら、最初に訴えたのが瀬戸さんで、それを桜井某が引き継いだということかもしれない。

 いずれにせよ、彼らの狙いが、在日外国人に地方参政権を与えようとしている民主党=小沢を排除しようとしていることは明白だ。

 はっきり言って、いわゆる「街宣右翼」。

 別に「街宣右翼」だから「市民」じゃないとは言わない。

 …まあ、ここらへんは微妙だが、しかし、普通「市民団体」というと、どちらかというと「左寄り」に思われるだろうし、みんなそう思っているのではないだろうか。

 したがって、正体を知ったら首を傾げることになるだろうが、それを報道しないマスコミは、小沢にかけられた嫌疑そのものは「事実」として変わりはないのだから、報道しなくとも「構わない」と言いたいのかもしれない。

 あるいは、告発した団体は別に小沢に被害を受けたわけではなく、一般的な(それこそ、「市民感覚の」)「不審」を訴えただけだから、誰でも構わないということなのだろうか?

 だとしたら、それは、まさに「悪しき一般化」だ。

 少なくとも、告発者が誰かくらいは明らかにしないとおかしい。

 とりあえず、今日は昨日のフォローということで、また。

謎の市民団体

2010-04-27 21:35:21 | Weblog
 すっかり更新を怠ってしまいましたが、実は、新宿から池袋に引っ越しまして…いつも引っ越しはしんどいけれど、今回は、ひときわしんどかった。

 というのは、例の写真集の入稿を終え、うまくいけば、完成品の発送くらいまで新宿でできるつもりでいたのだが、結局間に合わなかった。

 「間に合わない」だけなら、それだけのことなのだが、「間に合わす」ために引っ越し準備の時間を割いてしまったのが、痛かった。

 最後の最後になって、「だめだ、こりゃ」となって、使っていたパソコンをひもで縛りはじめたのが、不動産屋に約束した日の3、4日前。

 もしろん、それまでもちょこちょと準備はしていたのだが、たかが知れている。

 それから大車輪で作業に取りかかったのだが、本当にくたびれた。

 それでもなんとか、今、池袋で、こうして更新しているところなのだが、いったん、不起訴になった小沢が、不起訴不当との「判断」がなされたそうで、大騒ぎである。

 しかし、小沢不起訴に対して抗議を申し込んだという「市民団体」の名前、代表者が一向に明らかにされない。

 実は、一度だけ、週刊新潮にちらりと書いてあったのを読んだことがあるのだが、びっくりした。

 なんでって、例の、埼玉の新右翼で元漫画家、私がアルバイトで新聞発行を請け負っているSさんの弟分(これもSさん)じゃないか。

 おそらく、小沢が在日外国人に対する地方参政権を与えようとしていることに反対しての、彼ら流に言えば、「義挙」なんだろうが。

 はっきり言って、Sさんは「右翼」を名乗っているが、民主主義者なんだ。

 Sさんが主催した会合で、なんとかという評論家が、いいことを言っていた。

 イスラエルとパレスチナの戦いで、欧米がイスラエルを支持しているのは、イスラエルが民主主義政権であり、一方のパレスチナが、実質的にヒズボラという「テロ集団」に牛耳られているからだ、というのだ。

 中国が必死に自分たちが民主主義国家であることを強調するのも、反民主主義国家であると国際的に判断されることを恐れているからだと。

 そして、中国は今のところ、それに成功している。

 本当は「民主主義国家」なんかではないのだが、そう見せかけることに成功している。

 あるいは、「見せかけ」とはいえ、そう見せかけている間は、反民主主義的行動に出ることはないし、見せかけが「本物」になる可能性もあるので、それを国際社会は見極めようとしている、といったところだろう。(これは私の意見だが)

 「民主主義とは何か」という本質からは離れた見解だが、一面の真理ではある。

 去年だったか、村上春樹がイスラエルの文学賞を受賞して、その時の公演で、自分は壁で隔てられいる側の見方である、と反イスラエル的なことを言って、かえって喝采を浴びたらしいが、これだって、日本が民主主義国家として認められているから、村上春樹が民族主義者ではないことがわかっているから、喝采を浴びたのだ。

 とまあ、そんなことを言う評論家を自分の会合に招いてしゃべらせるくらいだから、Sさんは、右翼と言ってもちょっと毛色の変わった右翼なのだが、弟分のSさんはちがう。

 排外主義を柱とする筋金入りの典型的右翼、という印象をもった。

 そのSさんが主宰する「市民団体」が、旧社民党勢力をバックにしている小沢を告発しているというのは、だから、筋が通っている。

 もちろん、あくまでも「週刊新潮」の記事が正しかったらということだが、「市民感覚の判断」とかなんとか言っているマスコミは、本当に、肝心のことを報道しない。

 告発者が誰であれ、関係ない…なんてこたないだろ。普通。

 

役人の浅智恵に振り回される鳩山民主

2010-04-15 10:31:58 | Weblog
 鳩山民主がこれほど酷いとは!

 普天間基地問題について言えば、鈴木善幸が、現にアメリカ軍が日本に駐留しているのに、その基礎となる日米安保条約を軍事条約ではないと言って、辞任したが、それにまさるというか、劣るお粗末さだ。

 「でも、これはいいでしょ」と胸を張っているエコカーに対する優遇処置だって、なんか、「バランスを欠いている」感じが否めない。

 要するにこれは、そういう「環境に配慮する」生き方を、お上が「望ましいあり方」として認定し、そう言う人々のあり方が当たり前になるよう、積極的に支援しようというわけだが、現実には「金持ち優遇」だ。

 「金持ち優遇」なら、それはそれで徹底して行い、その恩恵を下々に及ばせればいいのだが、それを「望ましい生活」と位置づけているため、たとえば生活保護を受けている人が、「生活のために車がなければならないが(地方なんかではざらにあるだろう)、トヨタのプリウスにしたい」と言えば、購入代金が出るとか、そういうことにはならないか?

 現に貧乏人が手を出せないでいる「地デジ」環境も、生活保護世帯では「バッチリ」なわけでしょ?

 月、4、5万円で借りていた市営アパートがセントラルヒーティング、洗濯物乾燥室を備えた月10万円を超える立派な建物に立て替えられ、結局、追い出されたMさんの場合も、「セントラルヒーティング、洗濯物乾燥室」ぐらいなきゃ、胸を張って近代国家とは言えないぞ、と考えた役人の、まさに「浅智恵」の被害者だろう。

 ちょうどバブル真っ盛りの頃、つまり、日本の国民総生産がアメリカを抜くのではないかとまで言われた頃、アメリカの「アトランティックマンスリー」という雑誌の編集者で、ジェームズファローズというジャーナリストが、「アメリカを抜いて経済世界一になろうとしている日本だが、アパートにはセントラルヒーティング、洗濯物乾燥室すらない、こんなので、世界一になろうなんておこがましい」みたいなことを書いていたが、日本の役人は、これに対抗しようとしていたのじゃないかと想像しているのだが、もちろん、実際のところはわからないが、当たらずといえども遠くないのではないか。

 話が少しずれたが、要するに「金持ち優遇」策なるものは、元来、「金持ち」に金を使わせて、その恩恵を下に及ぼそうという政策だが、現民主党のエコ政策を通じたそれは、そういう「理念」に基づくのではなく、マリーアントワネットみたいに、「パンがないならケーキを食べればいいでしょ」政策じゃないのか。

 毎月、兄弟あわせて3000万円を超えるお小遣いを母親からもらっていたんだものなあ、そんなことにもなる。

貧乏なので金持ちになたい貧乏な精神

2010-04-10 11:11:14 | Weblog
 前回のガードマンを辞めた件についての記事は削除しました。

 関係者が見ている可能性があるので、正直言って、事実報告だけでよかったかなと。

 ただ、「あなたに本当に非がないと言えるのか」という反応がありましたが、これは、私が書いたことが事実その通りであるとしたら、「私に非はない」…というか、あまりにもバランスを欠いた不当な扱いを受けたということはわかるはずです。

 というわけで、また文句なのだが、gooのウェブメールの画面がリニューアルされたのだが、それで不具合が生じて、もうgooのスタッフはてんやわんやのようだ。

 いや、「てんやわんや」してくれないと困る。

 というくらい、ひどい状況。

 なにしろ、トップページにアクセスしても、インジケーターがぐるぐる回るばかりで、開ききらないのだから。

 話が変わるが、一週間ほど前、原口総務大臣が、「日本株式会社の再生のためにがんばります」と握りこぶしで話していた。

 おいおい。

 「日本株式会社」というコンセプトは破綻した、もう機能しないということではないのか?

 「日本株式会社」という思考モデルはもうやめようということではなかったのか?

 私は愛国心はもっているつもりだが、「日本株式会社」の一員であるつもりは毛頭ないぞ。

 そもそも、「日本株式会社」という言葉は、これではいずれ限界が来るぞ、別の新たなモデルが必要だと、そういう意味で話されていたと思うのだが…そうじゃなかったか? マスコミさん。

 本当に、「言葉」は、正確に使わねばならない。

 というわけで、まず第一に、「日本の借金」という言い方。

 これはまさに、日本株式会社=日本政府の借金で、日本国民の借金ではない。日本国民は日本株式会社=日本政府に1000兆円を貸しているので、日本国民が被害を被るとしたら、1000兆円を踏み倒される危険性だ。

 第二に、話題が飛ぶが、「大家族」という言い方。

 「大家族」というのは、これまでも繰り返し言っているが、親戚一同が集まって生活をすることで、家族の人数が多いことではない。

 少し前、イエーメンの家族を取材した番組があったが、そこでは従兄弟同士が一つのテーブルで食事をしていた。

 取材班が、感想を聞くと、「最高だね」という答えが返ってきたが、一つ屋根の下で親戚一同が暮らすというのは、財力、それとトップに立つ年長者の指導力などが必要で、必ずしも、大家族制の社会ではみんなこうしているわけではない。

 つまり、大家族制の社会とは大家族を理想とする社会で、大半の家族は、両親、子供数人と、小家族制度の社会をあんまり変わらないが、でも、目指す理想が異なるという意味で、小家族制度の社会とは全く異なる。

 で、日本は典型的な小家族制度の国柄で、だから、テレビなどで紹介される「大家族」も、人数が多いだけだ。

 …と、中根千恵の本で知って、「目からウロコ」が落ちる経験をしたのだが、中根千恵本人は「私は学者であって、それを超えた社会的発言はしない」と著書の中で明言する始末。

 社会的発言を封印した社会学者なんて、意味があるのか?

 それから、「ハングリー精神」。

 これもしょっちゅう言っているが、「飢えたライオンの精神」の意味で、「貧乏なので金持ちになりたい精神」のことではない。

 「ハングリー」って、「飢え」の意味だろ。

 「貧乏」の意味はまったくない。

 この言葉の使い方の間違いが是正されない限り、日本の社会はこれからもずっと「貧乏なので金持ちになりたい貧乏な精神」で侵され続けるような気がする。

 ほかにもたくさんあるのだけれど、とりあえず今回はこれで。

ロトの夢

2010-04-06 09:28:09 | Weblog
 今朝、日本テレビのモーニングショーでロト6の「出方」つまり、「あたり方」を話題にしていて、その中の一人のおじさんが、2等かなにかで数千万円をあたった時、神社で拾った蛇の抜け殻をお守り代わりに財布に入れておいたら、その蛇が、数字を書いた木の札をしっぽにぶら下げて夢に出てきた。

 それで、その数字を買ったら当たったのだという。

 実は、似たような話を警備員から聞いたことあがる。

 私が、慣れぬ連日の徹夜でぐったりしていたところ、警備員のMさんが「どうした」というので、「いや~ちょっと」とか答えると、ロトで2億円当たればな、というので、くじ運の全くない私は、「私はだめです。Mさんは?」と聞くと、Mさん、「当たる訳がないだろう。でも、140万円当たったことあるよ」と言う。

 140万円はすごいじゃないか、と思い、そう言うと、こんな話を披露してくれた。

 警備員の仕事をしていたときのことかどうかはわからないが、ある日、車のバックナンバー(1642とかそんな数字)が目に入って、それが妙に気になっていたところ、その晩、夢に自分が出てきて、「1642じゃないよ、1462だよ」と言ったというのだ。

 それで、半信半疑で、ロトをやってみる気になり、1462を二口買ったら、それがそれぞれ70万円ずつ当たったというわけだ。

 「でも、140万円なんか、あっという間になくなっちまうよ」

 だそうです。そうだろうな。

 ロトというのは、二つの数字がワンセットになっているようだが、例えば、14と62のセットが同時に出やすいとか、セット同士の「相性」に着目して、相性のいいセットを過去の当たり数字から割り出した岡山大学か何かの教授の率いるチームが5等5000円をいくつか当てていたが、この教授は、数字の相性と言っていたが、そうじゃない。

 数字の書かれたボールの振る舞いに偏りがあるのだ。

 ただし、これは丸いボールが実はちょっといびつで、そのために偏りが生じるというのではない。「完全な球」であっても偏りは生じるのだ。

 これが不思議なところなのだが、ある数学者がこんな実験をした。

 赤と白の2種類の丸いボールをたくさん詰めたビンを振って振って振りまくる。

 そうすれば(ボールが完全な球体であれば)最後には赤と白は均等に、つまり市松模様に振り分けられるだろうと考えたが、実際にはそうではなく、赤と白がそれぞれ固まった集団を作ってしまう。

 要するに、不規則なまだら模様になる。

 この結果を見て不思議に思った数学者は、どう考えても理由がわからず、最後には、「色」には同じ色を引き寄せる傾向があるのだろうか?とまで考えたのだそうだが、もちろんそうではない。

 この赤と白のボールの振る舞いの偏りは、ちゃんと数学的に説明できることをこの数学者は発見したんだそうだ。

 普通の言葉で言えば、「運」だ。

 ちなみに、私に「くじ運」のないことは、何回も書いたことがあるのだが、参加者110人、100人当選のくじに「いの一番」に落っこちたことで明確に証明されている。

 

ホームドラマ

2010-04-02 19:39:44 | Weblog
 小谷野敦のブログに、稲葉真弓さんが川場康成文学賞を受賞したと書いてあった。

 稲葉さんはほかにもいろいろ賞を取っているが、一番金になる「芥川賞」は縁がないみたいだ。

 で、小谷野敦曰く、稲葉さんはどうやって生活しているのだろうと書いてあったがそこはそれ、下川さんがいる。

 それで、小谷野ブログには、「苦労人、稲葉真弓」とタイトルがあったのだが、実物の稲葉さんには「苦労人」というイメージはない。

 むしろ、あっけらかんと暢気そうで、作品のイメージとずいぶん違う。

 下川さんから、「エンドレスワルツ」を「画期的な小説だからぜひ読んでくれ」と言われて渡されたのだが、申し訳ないが、まだ読んでいない。

 少し読んではみたのだが、どうも小説の「世界」と接点が持てない。

 ジェーンオースチンの「高慢と偏見」なんか、まだ冒頭しか読んでいないのだが、18世紀のイギリスの田舎の話なのに、すんなり世界に入れる。

 いや、もちろん、だから、稲葉さんの小説がだめというのではないのだが。

 それで、ジェーンオースチンの「高慢と偏見」だが、ものすごく高邁な作品かと思ったが、完全にホームドラマ。

 多分、読み進めると、奥深い世界がみられるのだろうが、今のところは、父親が娘を「バカダバカダ」と連呼し、妻が、「まあ、実の娘になんてことをおっしゃるのでしょう」、「馬鹿だから馬鹿だといってるのさ」といった具合で、欧米、特に英米のテレビホームドラマの原点ここにありと思った。

 そうかー、私はホームドラマが好きなんだ。