パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

こりゃだめだ

2008-07-26 19:05:32 | Weblog
 相変わらず内田樹先生がおかしなことをおっしゃっている。

 八王子の書店で無差別殺人についてメディア(新聞)からコメントを求められて、「メディアに載ることを目指す殺人だと思うから、コメントしない」と答えたら、「じゃあ、そういうコメントだったと書いてもいいですか」と言われ、やれやれだ、というのだが、ここはメディアのほうが妥当じゃないかなと思う。

 秋葉原もそうだったと思うけれど,八王子の事件も、「思い切り悪いことをして親を困らせたかった」のが動機だとか。だとしたら、そのためには、マスコミで大々的に報道されないと困る。

 それで、内田先生は、「こういう事件は無視せよ」というのだ。そうすれば、この手の犯罪はなくなるだろうと。

 「おいおい」である。

 いじめに対する「告発自殺」等の場合、いじめた者への恨みを書き連ねた遺書などを残すわけだが、これは、明らかに報道すべきではない。1つは、「こうすればいいのだ」と思ったいじめ被害者の自殺を誘発しかねないこと,もう1つは,実はこっちの方が大事だと思うのだが、報道というものは、「事実」を報道すべきなのだが、遺書の内容を報道するということは、自殺者の言い分に,何の検証もなしに加担することになるからだ。

 これは、10数年前の中野区の富士見中学の自殺事件で問題になり、マスコミ各社は、いったんは、そのことに同意し、自殺,特に年少者の自殺の報道には慎重になったのだが、数年前からそれがまったく反古にされてしまった。

 これは、大変に遺憾な事態だと思うのだが、しかし、自殺と殺人はやっぱりちがう。秋葉原にしろ八王子にしろ、「犯人の狙いは大々的に報道されることにあったようだ」と注釈を加えた上ででも、報道するしかないだろう。マスコミのジレンマだろうが、それは受け入れるしかない。

 それにしても、「この種の殺人は、報道しなければ事件も起きない」というロジックはあまりにもとんちきではないか。

 「一人や二人殺しても新聞に載らないのなら、10人、20人殺せば載る」ということになったりはしないか?

 それはそうと、内田樹先生のブログ、少し前から(一月くらいか)、コメント欄がなくなった。

 実は,「批判」の書き込みが凄かったのだ。書き込みのほぼ8割が批判で、しかも、私が見る限り,結構、まっとうな批判だ。「死ね」とか、そんなんではない。「またバカ言ってますね,先生」で始まり、とうとうとそのバカな理由を書く。これに擁護者(内田ファン)が反論する。

 内田ブログを見る人の多くは、この書き込み合戦を見に来てたのだと思うけれどね~。(少なくとも私はそうだ)

 話が変わるが、地デジって,聞くところでは、チャンネルの切り替えにものすごく時間がかかるらしい。現在(アナログ)のように、リモコンをピッと押せばピッと変わるというのでは全然なく、「糞!」ってののしるくらいに時間がかかるんだそうだ。

 「こりゃだめだ」。

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