パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

官僚の青春

2007-08-29 22:58:45 | Weblog
 久しぶりに橋本治の「ああでもなくこうでもなく」(『広告批評』)を本屋で立ち読み。

 テーマは、「日本の政治が混迷している原因は何か」という、橋本治、お馴染みのものだが、そのとりあえずの答は――ちょっと「意訳」になるが――日本の政治を実質的に担っているのは「官僚」であり、選挙によって選ばれた「議員政治家」は、平安時代の貴族たちがそうであったように、もっぱら「人事争い」に明け暮れることで足りてしまっているから、ということになる。

 そもそも、江戸幕府を倒した明治政府が、まず何をしたかと言うと、武士階級に代る「官僚」を育成するための学校を作ることだった。もちろん、これが「東大」だ。
 つまり、日本の近代政治は、東大出身者による「官僚政治」から始まったのであり、その後、明治憲法が発布されたことで、「天皇の官僚」として確立した。そして、その政治的・社会的本質は、対米戦争に敗れたことで「天皇の官僚」というアイデンティティこそ失われたが、議会、つまり選挙を通じて行われる政治体制とは独立して行政を司るという「形」はそのまま続いている。

 と、このような実態をちゃんとわかることからはじめないと、混迷を何とかしなくちゃといっても、何も変わらない、変えられないよ、というのが橋本治なのだが、彼の説明でもわからないことが一つある。

 東大卒の高級官僚(キャリア)が、実質的に日本の有り様を決めていということは、守屋防衛次官騒動でもわかるのだが、しかし、この守屋防衛次官にしても、ほぼ私と同世代。ということは、基本的価値観は私とそんなに変わらないはずだ。実際、私の中学時代の同級生から、たしか4、5人もの東大法学部生が誕生していて、担任教師Tが鼻高々だったという話を後で聞いたことがあるが、彼ら東大法学部生がどこでどのような教育を受けて、日本国首相も鼻であしらう尊大な高級官僚に育っていくのか、それが全然想像もできないのだ。
 何故なら、そんな「ストーリー」は、戦後の教育体制では、根本から否定されているはずだからだ。否定されたはずの価値観を、なんで今も維持し続けることができているのか。これがわからない。

 高校・義務教育までは、「役人は国民に奉仕するもの」と教えられるが、東大法学部に入ると一転、特に選ばれたものが安田講堂の裏かどこかに招集され、フリーメーソンの入社儀式のようなよろしく、「君たちは高級官僚となって国民を教育し、善導するのである」と特別に教えられたりしているのだろうか。

 まさか、である。

 実は、私の実家の裏に住んでいたMさんは、事務次官こそならなかったが、通産省に勤めた東大法学部卒のキャリア官僚だったので、ぜひ一度、「日本の真の支配者であるという自覚はどこで、どのように得られるのですか」とインタビューしたいと思っていたのだが、その前に亡くなってしまった。残念。

 それはともかく、この私の疑問には、橋本治も答えてはいない。というか、考えてもいない感じがするのだが……私の想像では、彼らの、いかなる世論をも受けつけない、明治以来の強固な官僚のエリート意識は、実は、学閥、つまり、学問を通じての強固な先輩後輩意識を通じて保存されているのではないだろうか。

 たとえば、キャリア候補生として入省した若者は、事務次官を目指して一斉に競争をはじめるが、彼らのうち誰かが事務次官に就任するとレースは終了し、敗れた他の者たちは、職場をやめ、天下って行く。
 ――これは、最近の報道等でようやく知られるようになった天下りの実態だが、いったい、なんで職場を去らねばならないのか。実は、そのままでいると、年下の事務次官のもとで働かねばならないからなのだ。

 普通の人から見たらなんてバカバカしい理由だろうと思うが、「学問(学閥)の世界」では、絶対的基準となる。

 たとえば、私は機械工学部中退で、機械科就職先はほとんど民間企業なのでそれほどではないが、政治(国家予算)と関係の深い土木工学などとなると、先輩後輩関係は極端に厳しい。土木では、技術革新のスピードもそれほど早くないので、昔の権威がそのまま生き残っていることも大きいと思われるが、医学部のような技術革新の盛んな学部でも、先輩後輩はえらく厳しい。これは、健康保険等を通じて官僚政治と密接に絡んでいるせいだろう。

 ともかく、そんなわけで、高級官僚は、いわば、「青春時代」の序列に今も呪縛され、なおかつ、その「呪縛」を自らの利益としているのだ。したがって、それを自ら断ち切ることが求められるような「内部改革」は、ほぼ絶対的に不可能であり、外から壊すしかないことになる。

 「改革は不可能」という結論は、橋本治も同じだったが、肝心なのは、何故、「改革」は不可能で、「壊す」しかないのかという理由であり、それについて、ちょっと想像してみた。

『キル・ビル』と安部ちゃん記者会見

2007-08-28 18:03:49 | Weblog
 「世論」は面白がっているようだが、あれだけ安部首相を批判していたマスゾエが厚労大臣とは!

 しかし、これでわかったことが一つある。それは、政治記者と政治家が、不透明な関係で結ばれているということだ。
 何故なら、もし、まともな神経の持ち主であったなら、「マスゾエ起用」の情報をキャッチしたら、なにはさておき、まずそのことの「是非」を問うべきであるのに、そのような動きは全くなかったからだ。

 「入閣確実」とみなされていた参院の矢野某に関する報道もそうだ。いったい、矢野某がどうして「入閣確実」なのか、その点に関する「情報公開」はまったくないまま、マスコミのカメラが集まっていた。「一犬虚に吠え、万犬これに倣う」だっけか、そんな有り様は一向に治らない、マスコミはいつまでも。

 だから、安部改造内閣の合同記者会見も相変わらずで、以前は「靖国参拝の是非」だったのが、今回は、「事務所費の修正報告の有無」に様変わりだ。まったく恥ずかしくないのかね~。

 で、そんな、あきれた茶番記者会見に愛想をつかし、チャンネルを変えたら、白人女性が黒人女性の家を襲い、台所で大立ち回りをしている。その途中、台所の窓からスクールバスが見える。二人は、子供の存在に気づくと、戦いを一時やめ、子供をあやして2階に追いやる。

 白人女性「私は無慈悲だけど、理性はあるのよ」

 なかなかグッドなセリフだ。実際、その後、彼女はその理性にしたがって、黒人女性を殺し、その現場を見てしまった子供に、「あながた大きくなっても私を許せなかったら、私のところに来なさい」と言って去る。

 立ち回りの最中に、台所の窓にスクールバスが写り、子供が近づいて来る場面は、新手のサスペンスという感じで、感心したのだが、作品名がわからない。しかし、なんとなく、あの『キル・ビル』ではないかと思っていたら、なんと、ぴったしかんかんだった。

 有名になった、セーラー服の殺し屋はじめ、黒マスクをつけたボディガード(川崎ゆきおの「猟奇王」みたいだった)たちとの対決の場面になると、ここまでやられると、日本人としては、ちょっとバカにされているような感じにもなったが、しかし全体的に見ると、結構シビアなドラマを予感させる出来で、正直言って、『パルプフィクション』より、私は好きだ。『パルプフィクション』は、おしゃべりがうるさくて、途中で見るのをやめてしまったのだが、『キル・ビル』には、それはない。「無慈悲だけど、理性はある」のように、セリフはよく刈り込まれているし。(あと、オキナワの寿司職人(ソニー千葉演じる、実は幻の日本刀鍛冶職人、服部半蔵)の弟子の「禿げてるんじゃねえ、剃ってるんだ」とか。ルーシー・リューの片言日本語のセリフも、憶えてないけど、結構よかった)

 ところで、そのルーシー・リューのお肌が、アップになると随分荒れているのにびっくりした。日本人の女優だったら、即失格となるところだろうが、やはり貫禄はある。アメリカでは想像以上のスーパースターなんだろうと思った。(彼女が切り合いの前に、すっと草履を脱ぐが、この演出は千葉ちゃんのアイデアなんだそうだ。タランティーはさぞや喜んだろう。とてもいい場面だ)

 ともかく、この『キル・ビル』は、「賛否両論」の映画だったそうだが、いやいやどうして、優れた映画であることは間違いないと思うよ。

意識と無意識

2007-08-25 21:49:03 | Weblog
 昨日は、酔っ払い運転の車に追突されて死んだ3人の子供の一周忌だったそうで、ニュースでも大々的に取り上げて、例によって「忘れてはいけない」の大合唱。

 勿論、幼くして亡くなった3人は可哀想だし、さらに両親は気の毒だと思うし、「酔っ払い運転」が撲滅されるべきであることにも同意するが……「忘れるな」の強制はどうか。

 たしかフロイトは、人間の「意識」をなんとかボードという、消しては書き込むことのできる「おもちゃ」にたとえていた。つまり、人間の顕在的な「意識」は、せいぜい一枚の黒板程度の容量しかなく、消しては書き込み、消しては書き込み、の連続から成り立っている。そして、消された内容が「無意識」として蓄えられるのであり、人間という存在は、この膨大な「無意識」があればこそなのだと言っているわけだが、「忘れるな」キャンペーンは、それを不可能にしてしまう。

 つまり、人間の「心」のキャパシティーは無限ではないのであって、心の経験したことは、「忘れる」ことによって、実は、有効になる。「芸術」がいい例だ。すべて、作者の「意識」によって統括されている作品なんて、退屈きわまりない。

 そもそも、3人の幼児を一度に失った親がもっとも可哀想なのは、「忘れることが出来ない」からではないか。ところが、マスコミ、そしてそれに煽られた、善良かもしれないが、物事を深く考えることの出来ない人々は、口を揃えて、「忘れるな」と言う。なんて残酷なことを、と思う。

なんじゃ、こりゃー!

2007-08-23 20:54:52 | Weblog
 経済産業省のHPを見たら、リサイクル法における「リサイクル」とは、中古販売ではなく、従来は「ゴミ」として破砕した上、埋め立てられていた家電類を、丁寧に分解し、アルミ、銅、ガラス等を資源として再利用すること、これがリサイクル法で言う「リサイクル」だった。そのリサイクル率は、現在、50%強だそうだ。つまり、1キロのアルミを原材料として使っていたとしたら、その半分強を再度抽出しているというわけである。

 もちろん、このような作業には、お金がかかる。だから、売った人、買った人がそれぞれ少しずつ負担しましょう、というわけだ。

 なるほど、ここまではわかった。

 しかし、問題は、まだまだ使える家電類はどうなるのか、ということだ。ホームページの解説をじっくり読んでいくと、リサイクル法に、次の項目があることがわかった。

 『引き取った家電類を中古品として再利用する場合、お金をとってはいけない』

 「なんじゃ、こりゃー!」である。「再利用可/不可」をどこで分けるのだ? 「これはまだ使えるので、お金はいりません」なんて正直な業者がどこにいる? 突っ込まれるとまずいので、「とりあえず、書いただけ」の酷いザル法だ。(実際、多くの回収業者は、有料で預かった家電類を分別して、使えるものは海外に売り払うことでぼろ儲けしているらしい。)

 安部首相をはじめ、麻生外相、小池防衛大臣、管総務大臣らが外遊中だが、「ニュースゼロ」のキャスターが、「国民の税金を使って、留任するかどうかわからない大臣たちが外遊している。費用対効果ということを考えると、首を傾げざるを得ない」なんてバカ言っていたが、「この3人は、何らかの形で次期内閣に留まる可能性が高い」とか何とか言ってみたらどうか。もちろん、「推測」ということだが、それがキャスターの役目だろうに。

 しかし、このバカはともかくとして、次期内閣メンバーに公明党が入るかどうかを問題にする向きが一切ないのはどういうわけか。今は、冬芝が国土建設大臣だが、もし、公明党からの入閣がゼロとなったら、明白に自公連立の解消を意味するだろう。もちろん、そこまで現段階ではっきりさせる必要はない、という理由による「入閣あり」、という予想も成り立つが。

リサイクル禁止法

2007-08-22 21:04:28 | Weblog
  家電製品のリサイクル料が高過ぎるので値下げするらしい。

 中でも一番高いのは冷蔵庫。今事務所にあるのはワンドアタイプだったが、全然冷えないので(氷ができるのに一晩以上かかる)、一月ほど前、事務所用のちっちゃなワンボックスタイプを一万円ちょっとで近所の電器屋で買ったのだが、いらなくなった冷蔵庫を処分しようとすると、4600円かかる。もったいないので、食品の代りに紙等、文房具を入れてある。コンプレッサー等を取り外して、完全に「箱」だけにすれば、いろいろ物が入るが、分解方法がわからないので、そのままだ。

 それはともかく、そもそも「リサイクル」と「粗大ゴミ」がどう違うのか、よくわからないので、台東区のHPで調べたら、「リサイクル」は、テレビ、冷蔵庫、洗濯機等の大形家電とパソコンが対象で、リサイクル対象品は、リサイクル法が成立して以降、粗大ゴミとしては扱っていないのだそうだ。(知らなかった)
 ということは、都の清掃局が家電製品の回収は行わないということだが、では、どうしたらいいかというと、HPによると、買い換えの場合は、買ったお店が有料で引き取る。そうでない場合は、専門業者が引き取るが、リサイクル料の他に運賃がかかる。大体、2000円~3000円だそうだから、冷蔵庫の場合、ワンドアの小さなものでも8000円近くかかるわけだ。うひゃー。(すいません、皆さんとっくに御存じの話です)

 しかし、「リサイクル」と言うからには、「もう一度使う」ということだろう? だとしたら、なんでリサイクル料をこちらが払うのだろう? 程度のよい製品だったら、むしろもらいたいくらい……というか、実際、数年前だが、量販店が回収した製品を海外に転売して問題になったことを思い出した。

 実は、当時、私は、先に書いたように、「リサイクル」と「粗大ゴミ」の区別がよくわからないような状態であったので、「まだ使えるもの」を転売するのがなんでいけないのだろうと思ったのだが、「リサイクル料金」としてお金をとっておきながら、さらにそれを転売して儲けていたのだ。

 「許せん!」と思いつつ……再度、考えた。

 昔、ゴミ屋という商売があった。家庭等から出るゴミを安く買い、そのうち、まだ使えそうなものを修理するなりなんなりして、再度売っていた。ばらした部品を専門業者に売るということもあっただろう。いずれにせよ、「買った」わけだから、ゴミはゴミ屋さんのものだ。

 しかるに、「リサイクル法」に基づく「有料回収」の場合はどうなるのか。業者は、かつての「ゴミ屋」とは逆に、相手から金を受け取る。何のために? 

 ここで、ハタ、とわからなくなったが、頑張って考えた。

 かつての「ゴミ屋」の発想なら、転売して儲けるのだが、「リサイクル法」の場合はそれはできない。何故なら、「ゴミ」は、お客さんから「処分」を前提として有料で預かったものなのだから。

 しかし、実態は、恐らくは、その「ゴミ」のほとんどは「まだまだ使える」ものが多いにちがいない。でも、転売はダメ。部品取りもダメ。

 オー、なんてこったい! 「リサイクル法」とは、「リサイクル禁止法」のことじゃないか!

 
 
 暑い! 40.9度以降、ピークは過ぎたものの、「高止まり」と思っていたが、これから40.9度以上の日がやってくるかもしれない。


女性の歳

2007-08-20 20:30:09 | Weblog
 以下、日経新聞より。

《「28度では暑すぎるのですが」。環境省が提唱する温暖化防止活動「チームマイナス6%」 事務局に、クールビズ運動に困惑しているといった声が寄せられている。
 なぜ冷房で28度の設定温度を推奨するのか。同事務局は、「建築基準法などの法律で、 執務室の設定温度が28度以下に定められている。運動に取り組みやすいように、この 温度を掲げたにすぎない」と答える。
 省エネルギーセンターによると、ノーネクタイ・ノー上着の実践で、体感温度は2度 下がる2005年にクールビズ運動が始まる前、東京都のオフィスビル約1万6000棟の 平均室温が約25度であったことを考えると、2度上乗せした27度が適当ではないのだろうか。
 首都大学東京の石野久彌教授は、「27度までは、衣服の調整でも対応できるが、28度は
扇風機で気流を起こすなどの工夫が必要だ」と話す。 》

 28度プラス扇風機が最適という、私の書き込みの正しさが証明されて(というほどのことでもないが)、ちょっとうれしかったが、28度の根拠が、「建築基準法の設定温度を流用したに過ぎない」というのには、ちょっとがっくり。せっかく誉めたのに。

 しかし、この時期になると思いだすのが、黒澤明監督の『野良犬』とか『生きる』といった映画で、白ワイシャツの裾をまくった三船や志村が扇子で煽いでいる姿。何故か、夏が多いのだ。あと、群馬県の素人オーケストラの活躍を綴った映画の、これも、何故か、夏が舞台で、白ワイシャツ姿でさかんに汗を拭う岡田英次。事務所には常に扇風機が廻っている。共演が岸恵子で、彼女がまた、今でも当時と変わらない美人というのが驚きだ。

 そういえば、昨日、テレビ朝日で特効映画をやっていたが、これも「夏」が背景になっている。

 とか言って、「感動押しつけ」映画であることは、一目瞭然。そして、その「感動」のもとは、「反戦」なんだろう。全部わかっちゃうから、一分も見なかった。

 しかし、海老蔵はやはりかっこいい。熱気がある。この「熱気」を「特攻」と結び付けなければならない。そのための「夏」じゃないか、と思うのだが、日本にだって人材がないわけでないだろうに、なんで才能皆無の監督に撮らせるのか。ボロ脚本でも、監督に才能があれば、なんとか見れるようになるものだと思うのだが……。

 ところで、「美人」といえば、モデルの山口小夜子が死んだそうだ。享年57。
 
 歳を知って、「え?」と思った。私より若いじゃないか。イメージ的には、ひとまわり近く年上(小夜子様ごめんなさい)のような気がしていたのだが……。しかし、ということは山口小夜子は前田美波里より若いのかと思って、前田美波里の年齢を調べたら、たしかに彼女のほうが山口より四つほど年上だった。

 ところで、歳といえば、姪のシマ○マホが「来年30だよ~」と騒いでいたので、「まだ20代だったのか」と言うと、「今、28だよ」という。「え?」と言うと、「あと二ヶ月で29になるの。で、来年中には30になるの」とのこと。なるほど(笑)。

暑いぜ2

2007-08-17 21:21:36 | Weblog
 「小泉純一郎靖国参拝は新党立ち上げに向けての様子見パフォーマンス」の持論を2chに書き込んだら、「なるほど」レスあり。ちょっとうれしい。(人間はどうしても「評価」が欲しい生き物なのだ。)ただし、「紋付羽織袴で」は、間違いでした。去年あたりの「参考映像」を見たらしい。

 塩崎官房長官と小池百合子防衛大臣が大喧嘩。小池55、塩崎56の「男女一歳違い」の組み合わせって、特にむきになる傾向があるかも。

 それはそれとして、塩崎官房長官の言い分は、「手続きを踏んでない」から「いかん」、というもの。もちろん、それだけではないだろうが、表向きにはそう言っているみたいだ。赤城大臣問題で、「領収書を出せという法律はない」と発言、「領収書を出してはいけないという法律があるのか」と記者に逆襲を食らって絶句したくせに。こいつが安部不人気の元凶かも。

 熱中症で高齢者に死者続出。

 ニュースを見ていたら、69歳ながら、筋骨隆々の男性が「高齢者」として取材を受けていた。都営アパートの一人暮らしで、「クーラーがないから、夜中に汗で起きちゃうんだよ」と言いながら、ランニングからはみ出た肩、腕はいかにも頑丈そう。
 そもそも、今時、69で「高齢者」はないだろう。局内基準(があるのなら)を見直したらいかがか。

 と言いながら、60そこそこで死ぬ人もえらく多いのだが……。

 しかし、高齢でなくても、無茶をすると若者でも死ぬ。実際、ラグビー練習中に高校生が熱中症で死亡、先生だか、校長だかが平謝りしていたが、甲子園は大丈夫か? 

 甲子園といえば、テレビ朝日の報道ステーションを見ていたら、泣いてくやしがる初戦敗退した超高校級ピッチャーのインタビューを、女子アナが、思い入れたっぷりに「もらい泣き」の表情で報じた後、一瞬、下を向いて「ウン」と掛け声をかけたようだった。
 「なんだ?」と思っていると、「にっこり」と満面の笑みに表情チェンジ、そして、「では次のニュースです」。

 これじゃあ、「偉大なる将軍様」の動向を伝える北朝鮮の女子アナを笑うこともできないぞ。(日テレの「ニュースゼロ」の女性アシスタントはもっとすごい。気持ち悪くて瞬間しか見ていないが……)

暑いぜ

2007-08-15 21:42:14 | Weblog
 八月十五日、小泉純一郎、紋付羽織はかまで靖国参拝。

 あー、これは、小泉新党旗揚げに向け、自分の「パフォーマンス」の効果がどこまであるかをはかるための、「様子見」だな。

 と、咄嗟に思ったのだが、そんな見方は今のところ、いっさいなし。

 ところで、一週間ほど前、内閣府が、「負の所得税制度」の導入を、「考えてもいいのではないか」と提言したそうだ。
 
 「負の所得税制度」とは何かと言うと、要するに、税の基礎控除額に達しない低所得者は、その差額の一定割合いを現金で受け取るというもの。つまり、一種の所得補填制度である。
 たとえば、基礎控除額が年間250万円として、200万円の年間所得の人は、250万円との差額50万円の一定割合い(定率)をかけた金額をもらえる。たとえば、定率50%なら、50万円×0.5=25万円を「負の所得税」としてもらえる。もし収入がゼロなら、250万円×0.5=125万円を、もちろん現金でもらえる。

 働かずにお金がもらえるとしたら、勤労意欲がなくなってしまうのではないかというと、実はそうではない。たとえば、収入ゼロの人が、働いて年間50万円得たとしたら、その人は、50万円と250万円の差額、200万円の半分、100万円を「負の所得税」として受け取るから、総収入は150万円となる。その人が、さらに頑張って、年間100万円を稼ぐようになったとしたら、150万円の半分、つまり75万円が「負の所得税」として与えられ、それに100万円を足して、175万円が総収入となる。200万円だったら、負の所得税を入れた総所得額は225万円と、着実に増えて行くことになる。

 この「負の所得税」は、一見虫のいい話だなという印象があるが、このように、「負の所得制度」とは、むしろ、現行の社会保障制度こそ、勤労意欲を殺いているのだという考えから生まれたのだ。
 最初に提案したのはアメリカのレーガン政権の経済顧問だった、有名な経済学者のミルトン・フリードマンで、フリードマンによると、今の社会保障制度というのは、結局のところ、官僚のために仕事を作ってあげているようなものであるから、直接に所得補填をしたほうがいいというのだ。
 小沢が言っている、農家への所得保障も、多分、おなじ考えだと思う。少なくとも、米の自由化に伴う数十だか、数百兆円だかに達する巨額なウルガイラウンド対策費用を農道とか、水害対策とかの「公共建設事業」に使ってしまって、今、地方の低下が叫ばれているのを考えれば、ここは、小沢のほうが正しいと言わざるを得ないのだ。

 閑話休題。

 フリードマンは、いわゆるマネタリスト(貨幣主義者)として知られているが、マネタリズムとは何かというと、実は難しくてよくわからないのだが、要するに、貨幣の価値は《中立的》なもので、真の価値は「人間」あるいは、「労働」にあるというオーソドックスな考え方を排し、貨幣そのものに価値があるのだと考える立場らしい。

 この「哲学」がどのようにして「負の所得税制度」に結びつくのかということも、今いち、よくわからないのだが、たとえば、日本の健康保険制度だと、健康な人が病気になった人を助けるという形になっている。「今、健康でも、いつか病気になる時が来ますよ」というのが私も言われた制度側(役人)の言い分で(あと「保険料を払っていない人に限って、重病になるんですよ」、とか。どんな理屈でそうなるのか? マーフィーの法則にだってないぞ)、なるほどそれもそうかなと思ってしまうのだが、しかし、昼間から、脂がギトギトに浮いた、塩分たっぷりの豚骨ラーメンを食したりして、やがて、糖尿病、そして、人工透析に費やされる金が年間5兆とも6兆、保険料金として徴集された金額の大半をそれで占めてしまうという現実を知ると、やはり「助け合い」の説明は、おかしいと思ってしまう。(「生活習慣病」は読んで字のごとく、「自己責任」で防げるはずなのだし)

 要するに、もし、医療を社会保障の一環として考えるなら、「健康な人が病気の人を助ける」のではなく、「お金持ちが貧乏人を助ける」が本筋であり、これが、社会保障も「貨幣」問題として考えるフリードマンの立場なのだろう。

 それはともかく、この「負の所得制度」というものは、官僚の役割を、手取り足取りの「良民教育」をすべてカットし、「徴税」の一点に絞り込もうというものでもあって、それを、官僚である「内閣府」が提唱したことが、注目すべきことなのだと私は思うのだが、これも、マスコミはほとんど報道しなかった。クソ。

 それにしても、暑い。暑過ぎる。


天災は忘れなければやって来ない

2007-08-13 20:54:55 | Weblog
 昨日だが一昨日だかは、日航ジャンボ旅客機が南アルプスに墜落して22年だそうで、ニュース等では、アナウンサーはじめ、異口同音に「語り継がねばならない」ばかりでうんざり。もちろん、話題が「日航ジャンボ」とわかると、すぐにチャンネルを変えて、防衛にこれつとめたのだが、ふとした拍子に、遺族の一人らしい、ある女の子の言葉が耳に入った。

 ところが、この女の子はせいぜい12、3歳。ということは、22年前の事故当時は影も形もない。つまり、彼女が事故で失ったのは両親ではありえない。だとしたら、多分、伯母さんか伯父さんか、従兄弟か従姉妹か、あるいは歳の離れた兄か姉がいて、その人が亡くなったかしたのだろうが、そんな身の上にも、マスコミはマイクをつきつけ、「語り継ぐ」べき何事かを喋らそうというわけだ。

 そんな無茶な……と思っていたら、彼女、いわく、「天災は忘れた頃にやって来るというから、忘れなければ、天災はやって来ないかもしれない(から、忘れないようにしたい)」。

 なるほど(笑)。


暑さでボケた?

2007-08-11 21:47:25 | Weblog
 昨日の深夜近く、NHKテレビで奇妙な座談会を見た。

 大きなデスクを挟んで一方に解説委員、一方に記者らしき人物が座り、各々、手元のメモを見ながら、「討論」している。多分、その「メモ」は、一応は、発言者が自分で書いたのだろうが、討論以前に、番組が破綻しないように皆で摺り合わせながら書いたのだろう。だから、「討論」は、至極スムースに進み、「反論」も「再反論」も、すべて型通りで、印象も何も残らない。
 中にはいいことを言う人もいたのに、もったいない。たとえば、年金問題について、制度を抜本的に見直すとしたら、自営業者の収入を正確に把握できるようにしなければならない、とか。
 しかし、こういう言い方だと、自分の懐を探られているみたいで、嫌な感じがする。そうではなく、正直な申告が自分の利益になって戻ってくることを強調する、いわゆる「インセンティブ」を喚起するような言い方が必要だろう。

 それはさておき、話題が「政界再編」に来た時、解説委員らしき人物が、「もし、再編があるとしたら、衆院選挙の後でしょう」と発言した。

 「え? なんで?」

 と思ったが、誰からも突っ込みはなし。ただ、言いっぱなし。これだから、討論会で、事前摺り合わせなんかしちゃったら、台なしになるんだってば。

 で、私の疑問なんだが、次の衆院選挙で鍵となるのは、所謂「小泉チルドレン」だ。彼らは、80名ほどもいるが、今のままでは、大半は落選するだろう。それは、前回当選直後から、危ぶまれていた。それに加えて、小泉後継の安部首相の超不人気である。
 
 これを避けるにはどうしたらよいか? 私が思うに、「小泉新党」を立ち上げて、再度、「大波」を起こすこと以外に考えられない。だとしたら、政界再編は、衆院選挙の「前」でなければならない。

 もっとも、NHKの解説氏の言う「政界再編があるなら、衆院選挙の後」というのも、「小泉新党の衆院選挙の結果を待って」という意味だったら納得である。しかし、氏は、全然そんなこと(小泉新党等)は頭の隅にもないみたいだったのだ。

 もちろん、民放のコメンテイターたちもひどい。誰だか、名前を知らないが、某氏いわく、「安部さんは、内閣改造でお友だち内閣の払拭が求められます。これに失敗したら最後ですよ」と自信満々に発言し、司会者に、「お友だち内閣でない内閣というと、どういうメンバーになりますか」と聞かれると、したリ顔で「お友だちでない人を集めるのですよ。たとえば、今、安部さんを猛批判している後藤田さんとか石破さんとか」と言っていた。

 えええ?

 暑さでボケたか、もともとボケているのか。