パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

おぬし、名をなのられい!

2010-08-30 23:05:38 | Weblog
 連日の猛暑とはいえ,八月も終わりに近づき、さすがに日陰などに入ると以前のような暑さとは少し違う…と言いたいところだが実際にはそんな風に感じることも一日くらいはあるのだが、翌日には否定されてしまう。

 そんな中、どうなる民主党党首選挙。

 しかし,いい加減にしてくれないかね、あの「世論様」を下にも置かないマスコミの慇懃無礼は。

 そもそも、あの街頭インタビューというのはやめるべきであろう。

 と、以前,NHKのシマゲジの英断で、NHKは一時期街頭インタビューを一切やめた。

 どうとでも世論を操作できてしまうからだ。

 これは実に英断だったのだが,シマゲジの失脚で元通り、というか、もっとひどくなってしまった。

 さっきなんか、「小沢さん! とんでもない」と金切り声で叫んで、まるでゴキブリかなにかを見つけたかのように体をブルブル震わせて拒否姿勢を示すおばあさんの姿がニュースで流れていた。

 もちろん,そういう人もいるだろうが、ああいう「絵」がニュースにふさわしいとは思わない。

 菅首相の支持率が相対的に上がっているそうだが,私が菅を支持できないのは,テレビ等の映像で見る限り、政策云々の以前に、総理大臣という重職を担う自信が全然感じられないからだ。

 すっかりおどおどしてしまって、民主党議員の誰かが言っていたが,「シュリンク(萎縮)」してしまっている。

 これじゃあ,何かしようと思ったってできないだろう。

 円高対策を発表するときも、「必要なときには断固処置をとる」と言うだけなのに,メモを見ながらしゃべっていたらしい。

 私は気づかなかったが、小沢派の民主党議員が「メモで2、3行くらいメモ見ないで発言せよ」と菅支持の民主党議員に指摘したら、「いや、慎重にしているだけで」と答えていたが。

 テレビの怖いところは,こういうちょっとした表情の変化が本音を暴露してしまうところなのだが、今の視聴者はそんなところを見ることもしなくなったのだろうか?

 アニメとかCGばかり見ていると、たとえば、唇の両端を上げて微笑む表情は実は敵に対する威嚇の表情が変化したものといった、「本当は怖い話」が見えなくなってきているのだろうか。

 この線で言うと、菅首相の「笑顔」は威嚇どころか、慈悲を乞うているとしか見えない。(誰に慈悲を乞うのか?)

 あと、小沢を告発している「在日特権を許さぬ会」の名前が報道されないことについて,その後、テレビのニュースショーなどを注意深く見てみたが、どうやら、告発者が誰であるかは、おそらく知らないわけはないと思うが、報道する必要なしということになっているみたいだ。

 同会会長が日本ナチ党の幹部だっていうことも。

 一方で,小沢支持派は、「検察ファッショを許さない」とか言っているが、検察が小沢を調べているのは,まさに「在日特権を許さぬ会」が検察審査会に告発したからでしょ?

 その検察審査会が「不起訴不当」としたのも、「在日云々」の告発を受けて、検察に「起訴すべきと思うよ」と言ったので,すべては「在日特権を許さぬ会」の告発が元になっているわけで…。

 別に「在日特権を許さぬ会」が許せないというわけではない。

 日本ナチ党をつくってナチスの制服を着て遊ぶのも勝手だ。

 資金疑惑だって、疑惑があると思うなら告発すればいいので、それを否定しているわけではない。

 私が不思議なのは、ことのそもそものはじまりである告発者の名前がなんで報道されないのかということなのだ。

 隣家の家庭内暴力を警察に知らせた人の名前を報道しないのは当たり前だけど。

 我ながらしつこいと思うが、念のため申し添えておくと,告発者の名前というのは,告発文を書いた人は誰かということ。

 別に,告発者の正体を明らかにせよということじゃない。

 「名前を明らかにする」ということ、ただそれだけ。

 肩書きは二の次。

 「おぬし、名をなのられい」ってわけね。

本当は怖い○○の話

2010-08-26 18:00:31 | Weblog
 小沢一郎が出馬声明。

 昨日の時点で,私は「きっと出る」と踏んでいたので、書き込もうと思ったが時間がなく、今日にしようと思ったら、今朝、出馬声明とかで、残念。

 なんで「きっと出る」と思ったかというと,小沢は昨日、どこかの集会で「代表選がどうのといった下世話なことは申しません」と言いながら,現状に対する危機感をかなり正直に話していた。

 だったら、きっと「出るだろう」と思ったのだ。

 私は前から書いているように、子供手当はあまり頭が良い政策と思えないけれど、「高速道路の無料化」と「農家に対する所得保障」政策には賛成なので,是非がんばってほしい。

 「農家に対する所得保障」に賛成なのは、現在の輸入価格に関税を上乗せして国内農家がペイできる価格に維持するという政策では、農産物価格の高止まりを意味するが、農家に直接金を渡せば、その農家は外国産農産物並みの価格で売ることができる。

 つまり、農産物価格が下がる可能性が高いわけで,だから消費者としても賛成な訳だ。

 高速道路の無料化については、みんな「経済問題」として論じているみたいだが,まずは、人々の生活の質の問題だいうことが忘れ去られている。

 そもそも自動車のメリットとは何かというと、目的地に早く着くことなんかではない。

 個人,あるいは家族単位でかたつむりのように必要最小限度の家財道具を積んで、自分の好きなように移動できるところに自動車という道具のメリットがある。

 つまり、生活の質の向上に寄与するのだ。

 列車とか飛行機ではこういうことはできない。

 まあ要するに、高速道路が無料化になれば、人々の行動が活発化することはまちがいない。

 あと、在日外国人の地方政治への参政権付与にも賛成だ。

 これは、実質的には在日朝鮮人が対象になるわけだが,参政権を与えると同時に、歴史問題については解決済み、というと、向こうも納得し難いだろうから、学者の討論に任せるとすればいいのじゃないかと思う。

 今の菅内閣のように、参政権問題が決着する前に歴史問題で配慮しちゃうと、肝心の参政権の行方次第で、せっかくの歴史問題に関する譲歩、配慮がまったくの「無」に帰しかねない。

 しかしここで問題になるのが,「在日特権を許さぬ市民の会」の存在だ。

 周知の通りというか、マスコミではまったく触れられていないが、彼らが小沢を告発している。

 彼らがつい先日、京都の朝鮮人学校の授業妨害で逮捕されたときにも、それが小沢を告発している団体だということをマスコミは、相変わらず一言も触れない。

 そもそも「在特会」の目的は、小沢の金銭問題なんかじゃなく「参政権問題つぶし」にあったのだから、その推進役、小沢が首相になったら、テロに出る可能性はかなりあると思う。

 もしそうなったらその時,マスコミはなんと言うのか。

 ウィキペディアで同会のことを調べようと思ったら、同会から苦情が出たとかで,記事が削除されていた。

 要するに,やっぱり、怖いのか。

「貧乏は正しい!」は、正しいこと

2010-08-24 19:56:55 | Weblog
 デフレはなぜ好ましくないのか、という菅首相が理解できないでいる問題について、実に明快な回答が池田信夫のブログのコメント欄に出ていたので,転載。

 『一向分からないのは、デフレが何故悪いかといふこと。
 インフレより良いことは慥かでせうに。
 経済成長がマイナスになれば、資産を沢山持つてゐる日本人は生活がし易くなり、それに加へて人口も減れば環境も良くなり天国になると思ふのですが。
 若者は親からの資産を受け継ぎ働かなくとも食べて行けるし、それだけの財産を持たない人々は外国で働けば良い。
 一番のネックは日本の教育の拙劣さですが、それも克服できないことではない - 教育費や生活費の安い欧州などで教育を受ければ良いのですから。」

 まさに然り、資産がある人,給与財源が確実な公務員にとっては今の日本はまさに「天国」。

 「デフレ」は,上記の「天国」の裏返しと考えればいいわけで,まことに明快な説明だ。

 問題はデフレで被害を受けている貧乏人が抱えている問題を、豊かになれば解消する問題、すなわち「条件」の問題と考え、「本質」の問題として考えることができない人が大半であることだ。

 実は,橋本治が言っているように、「貧乏は正しい!」のだ。

 ブレヒトは彼の戯曲の中で、登場人物のコイナー先生に、こう言わせている。

 「かつかつの現実にぴったり密着せよ。乏しさはどんな富者にもなし得ないほど、現実に肉薄することを可能にする。」

 デフレ下においては、「貧乏は正しい!」というスローガンこそ、しっかりと鮮明に掲げる必要があるのだ。

 さもなければ、貧乏人は救われることもできないことは、昨今の高齢者行方不明事件の多発が証明している。

脳死問題と普天間基地問題

2010-08-22 20:00:03 | Weblog
 暑い。

 しかし、テレビニュースなどで見る限り、江ノ島や湘南海岸は、そんなに混んでいない。

 私が若い頃は、「タタミイワシ」状態の写真を掲載するのが夏の新聞の決まりみたいなものだったのだが。

 空いている海岸はニュースバリューがないのだろうか?

 それとも、ここ数年来の傾向で、当たり前の風景なんだろうか?

 脳死基準が緩和されたが、世界基準にあわせるしかないという話でしょと私は思う。

 実際、国連かどこかの国際機関で、国外で移植手術を受けることは「非倫理的」と、日本人が海外で移植手術を受けることが非難されそうな雰囲気になり、それで慌てて緩和したというのが実情らしいが、それでも緩和しないよりはいいだろう。

 仮に「世界基準」の方が間違っているかもしれなくても、今のところ、それは指摘されていないのだから。

 そんな風に思いつつ、立花隆の「脳死再論」をもう一度、簡単に目を通してみた。

 結局、立花隆は、次のように言っているようだ。

 現在の脳死基準は、臓器移植を前提にしているので、遠い将来において、脳死基準を覆し、もしかしたら回復するかもしれない患者を「死」としてしまっている可能性がある。

 それは遠い将来の話かもしれないが、それでもそれを、今、「死」と決めつけるのは、悔いが残る。

 というのだが、これでは結局臓器移植全面禁止ということにならざるを得ないので、北欧で実施されているという脳血流検査をせよと主張する。

 脳に血が流れていないことが確認されれば、脳の機能の死だけでなく、脳それ自体の死を確認できる。

 それに対する推進派の医者の言い分は、簡単に言うと「血流検査は必要ない」ということのようだが、立花隆は、これを受けて、「じゃあ、臓器移植反対」と、私に言わせれば、「ちゃぶ台返し」の挙に出た。

 というのが、脳死問題における立花隆の立場のようだが なんだか、ちょっと普天間基地問題に似てる、と思った。

 では、現在、立花隆がどんなことを言っているのか、ウェブで調べたら、1999年に本人がドナー登録を済ませているんだそうで、当時、「あれ? 言ってることと…」と、ちょっと話題を呼んだとか。

 知らなかった。というか、忘れていたのかも。

 面白いのが、その時、「日本の今のルールでは、本人が提供に同意していても、家族が反対すると、本人の同意は取り消される。これは絶対おかしい」と言ったらしいこと。

 ちょうど今と反対の状況だが、この立花発言に、故小浜逸朗が、「本人の遺志を家族が反対して覆すのは、日本の美風」と反論していた。

 まあ、いろいろなケースがあると思うが、ちょっと面白い。

高尚な日々

2010-08-16 22:06:11 | Weblog
 暑い。

 木造モルタルの2階で回りに日差しを遮る建物はなく、エアコンなし。

 夏になる前に編集作業を終えるつもりでいたので、エアコンなくても大丈夫だろうと考えていたのだが、いまだに終わらない。

 でも、本当にもうすぐ終わる。

 取り組んでいるのは、ハイデガー、フロイト、ベンヤミンの現代思想難解3人衆だが、中でも意外なことにハイデガーが一番わかりやすい。

 最初から、性が合うというか、「存在の明るみ」とか言われても、「ハハーン」って思うところがあるから。

 しかし、三人とも、どんなにわけのわからない文章でも、「間違えているはずはない」と思って取り組めば、読んでいるうちに必ず「腑に落ちてくる」のがすごい。

 水道橋の古本屋で「紅楼夢」全3巻が1000円だったので即購入。

 中巻の前半あたりから読み継いでいるのだが、相変わらず、なんでこんなに面白いのだろうと不思議に思うぐらい、面白い。

 ただ男の子が親戚の女の子と遊び回っているだけの話なんだけど。

 同じ古本屋でフロベールの「感情教育」岩波文庫上下を200円で購入。

 もともと絶版本で、1900円の値札がついていたが、それが900円に書き換えられ、さらに200円になっていた。

 上巻は別の古本屋のワゴンセールで買い、読んだら結構面白かったのだが、下巻がどこを探してもなかったのだった。

 「感情教育」は、フロベールが「ボヴァリー夫人」よりこっちを読んでくれと懇願した作品だが、上巻の最初から読み返すと、さすがに最初っからきちっと書いている。

 当たり前か。

 掲載論文の書き直しで頭が疲れると、「感情教育」や「紅楼夢」をひもとく。

 疲れが癒される。

 いやはや、なんとも高尚ですね~。

これはひどい

2010-08-15 19:55:03 | Weblog
 と思ったのは、サンデープロジェクトの後番組で、日本政府の国債発行残高が1000兆円になるという話題に絡めて、第2次大戦時、日本政府が国民の郵便貯金を国債購入に充てたことを、政府がオレンジ色の小冊子で、国債発行額が膨らむことを危惧する国民に対し、「基本的に日本国内におけるやりとりなので、心配することはない」と書いたことに対し、今の日本政府も同じように、「大丈夫」と言い続けているが、昔の大本営発表と同じだと非難したのである。

 ええええ?である。

 まず第一に、国債を国内で消化している限り、それほど心配することはないなんて、今の日本政府(財務省)は一言も言ったことはない。

 言っているのは、一部の、私に言わせれば、まともな経済学者。

 もちろん、だからといって「全然大丈夫」と言っているわけではないが、国債の国内消化は、基本的に、右のポケットから左のポケットに金を移し替えているようなもの、というのは経済の入門書なんかには必ず出てくる比喩。

 でもそれだと、無税国家が実現してしまうので、「そんなはずはない」から、「やっぱりなんとかしなければいけないのではないかな~よくわからないけど」、と言っているのだ。

 日本政府、財務省は、さすがに最近は一秒ごとに数千万円借金が増え続ける「借金時計」なるものをネットに貼って宣伝するようなことはしなくなったが、「大丈夫」なんて一言も言っていない。

 第2に、戦時中、あるいは戦争直前の日本政府が国民に郵便貯金を勧めるにあたり、日本国政府が日本国民からお金を借りるのだから、心配ないと言ったことは、経済学的に基本的には正しいにも関わらず、番組では、戦中の日本国政府の発表はすべて「大本営発表」で嘘だと決めつけ、それをもって、「国債発行大丈夫」論を押さえ込もうとしている点だ。

 国債は国内で消化できている限り大丈夫だという意見に反対したければ、あくまでも経済学にのっとって反対すべきである。それを、

 戦時中の日本政府は嘘ばかりついていた。

 今の日本政府も同じことを言っている。(これが全然そうじゃないのだが)

 よって、国債は国内で発行消化している限り大丈夫という日本政府の意見は「嘘」。

 これは、あまりにも酷い。

 事実に照らして「正しい」ところが、一つもない。

 大谷某なんか、その日本政府が発行した小冊子を掲げ、その表紙が今の年金手帳と同じオレンジ色であることを指して、「こりゃ偶然ですかねー」と、醜い乱杭歯をむき出しにして笑っていたが。

 先週で終わってしまったのかもしれないが、「民主主義」の共通テーマで世界の10人の著名(かどうかよくわからないが)な映画監督10人がつくったドキュメンタリー映画を教育テレビで放映した。

 久しぶりに「映画らしい映画を見た」という感じだったのだが、最後に放映されたのが、日本の「選挙」で、他のドキュメンタリーに比べ、あまりの「能天気」に愕然とした。

 40前後の自民党議員が市議会議員選挙に立候補して当選するまでをたんたんと描いたものだが、見ていて「喜劇・駅前シリーズ」を思い出した。

 すべてがなんとも滑稽きわまりないのだが、それは実際にそうだからしょうがないにしても、立候補者本人は、「これでいいのだ」とは必ずしも思っていないだろう。

 「握手とお辞儀ばかりで、まったく政策を訴えていないが、それでいいのか」とでも水を向ければ、「それはいいとは思わないが…」という反応くらいは示すだろう。

 ドキュメンタリーの制作者はすべてを「喜劇」と認識し、「悩む自民党候補者」の絵柄なんか欲しくなったたのかもしれないが、現在、自民党が、民主党があのていたらくであるにもかかわらず、支持をまったく回復していないのは、選挙民に対し、まさに、このドキュメンタリーで描かれたような対応しかしてこなかったことへの不信がいかに根強いかということなのだ。

 実は、この「選挙」というドキュメンタリーは、一度何処かで見たことがあるような気がするが、そのときには、見ている私も、「こんなものだなあ」としか思わなかったが、今見ると、滑稽な絵柄の裏で着々と「不満」は積み重なっていたのだ。

 しかし、菅首相のドキュメンタリーなんか、やってみると面白いだろうなあ、と見ていて思った。

 もちろん、公開は首相を辞めてからということで、ちゃんとカメラの前で本音も語ってもらう。

 信子夫人と台所で二人きりで酒を飲みながら…とか。

 ともかく不自然な作り笑いばかりで気の毒になる。

 それでも「続投」したいとはどういうことなのか?

 本音を知りたい。

リゴリズムの罠

2010-08-10 22:28:40 | Weblog
 外付けハードディスクは順調に動いている。

 ということは、おかしかったのはケーブルなのだろうか?

 2本も変えたのに。

 まあ、そのケーブルを他の機器につなげればすぐにわかることだが。

 久しぶりにヨドバシで周辺機器をチェックした。

 主にスキャナーだったが、ちょっと特殊な機器のせいか、売り場にさっぱり活気がない。

 プリンターも見てみたが、同じく、活気がない。

 値札を見るといずれもあんまり下がっていない。

 というより、上がっている感じすらする。

 なんか変である。

 デフレに抵抗して、値段を下げていないのかもしれないが、デフレで活況をもたらそうと思ったら「値下げ」しかないだろうに。

 3Dテレビが全然売れてないそうだが、当たり前でしょ。

 一家揃ってサングラスをかけて画面を見るなんて、想像しただけで変だ。

 それにしても柴崎コウとやらのサングラスの似合わないこと!

 「東洋経済」の表紙に、「今こそ哲学を」みたいな文句が書かれていたのでぱらぱらと立ち読みしてみたが、高速道路の無料化について、政府の規模、権限を最小化せよと主張するリバタリアン(超自由主義者)は、「受益者負担」が大原則なので、あらゆる道路、橋等、すべて有料が基本と考えると書いてあった。

 こ、これはひどい。

 しかも、書いてるのはれっきとしたどこかの大学教授。

 そういえば、野口悠紀雄がNHKで、今後日本政府は、日本経済がもはや成長しないということを前提に、すべての政策を考えよとむちゃくちゃなことを言っていた。

 例えば増税やむを得ず、年金も減額せざるを得ないと政府ははっきり言え、高速道路の無料化なんて、論外中の論外と。

 これで経済学者。しかも大学で教えている。

 現在の政策がうまく結果を出せないことが、現在の政策を継続させる。

 それが、リゴリズム(厳格主義)の罠だ。

 昔々の大昔、早稲田の野球部の監督に石井連蔵というのがいた。

 彼がものすごい、リゴリズムで、連日連夜の猛特訓を重ねたが、まったく成果が上がらなかったが、なぜか、人気だけはあった。

 それでまったく成果をあげられぬまま、4、5年で石井藤吉郎という監督に代わったところ、とたんに優勝してしまったのだが、その新しい石井監督曰く、「連蔵さんの遺産で勝てました」。

 藤吉郎監督としてはこう言わざるを得なかったのだろうが、それはともかく、これがリゴリズムの罠だ。

 失敗してもいくらでも言い訳が立っちゃうので、リゴリズムから抜け出せないのだ。

 今の日本も同じだ。

 商品の表示問題とか、実害のない問題はそれなりに対処すればいいのに「あってはならない問題」と考える。

 これがリゴリズムだ。

 年金記録問題なんか、「一人残らず調べる」と言って、仕事をもらった役人、ウハウハだわな。
 
 制度を根本から変える絶好のチャンスだったのに(ともはや過去形)。

メイドインジャパンも故障する

2010-08-08 19:28:48 | Weblog
 恐れていたことが起きてしまった。」

 外付けのハードディスクがいきなり壊れてしまったのだ。

 電源ランプは点灯しているのだが、画面に表示されず、USBケーブルを変えても、パソコンを変えてもまったく反応しない。

 外付けのハードディスクというものを、私は、本質的にはCDとかUSBメモリー等と同じ、「記憶装置」と考えていた。

 したがって、「壊れる」という観念が希薄だった。

 それで、今つくっている写真集の「写真データ」は、全部外付けに入れていた。

 パソコン本体には入れておかなかったのだ。

 なぜなら、量がむやみに多い。

 載せている写真だけで500点以上ある。

 だから、載せないのも含めれば、ゆうに数千点、多分、最低でも2000枚はある。

 それを、今はまあ落ち着いたのだけれど、少し前まで、入れたり削ったり、また新たにスキャンしたりと、毎日変動するので、それをいちいち本体と外付け両方に記憶させるのは面倒だし、いざとなったら、現物は残っているからそれを再度スキャンすればいい。

 手間は大変だが、そんなことは滅多にないだろう、なぜなら、外付けハードディスクとは「記憶メディア」の一種なのだから、そんなに故障はないだろう。

 「故障するとしたらパソコン本体」という思い込みが強かったわけだ。

 実際、しょっちゅうフリーズするし。

 ところが、いきなり突然何の前触れもなしに、ぶっ壊れたのだ。

 解説書を引っ張りだしたら、まず第1に、「バックアップを必ずとっておいてください」とあった。

 いや、普通は皆「バックアップのため」に外付けハードディスクを購入していると思うのだが…。

 盲点だなあ。

 保障は1年だが、保障を使って故障を直そうとすると、データそのものが失われる。

 メーカーはアイオーデータだから、「モノづくり大国ニッポン」の象徴みたいな会社だろう。

 私は決してアイオーだから安心と思う根拠はないと思うが、まあ、昨今の「モノづくり大国ニッポン」のかけ声を念頭に、まあ、そんなに言うなら信じてやろうじゃないの、という気持ちがどこかにあった。

 そして、この外付けハードディスクが壊れたその日、国産のサーキュレーターが壊れた。

 一年しか使っていないのに。

 メイドインチャイナのほうがよっぽどいい…とまでは別に思わないが、私が常日頃、「モノづくり大国ニッポン」のスローガンを嘲笑していた理由はここにある。

 「モノづくり大国ニッポン」を呼称して、なんのメリットがあるのだということだ。

 誰もが、そんなにえらそうに言うなら、メイドインジャパン製品は絶対に故障しないと思いかねない。

 ところが、実際には当然のことながら、必ず故障する。

 これは絶対に避けられないことだ。

 だとしたら、むやみに「モノづくり大国ニッポン」を叫ぶことは、実際に故障が起きた時、そしてそれは必ず起こるのだが、使用者の不信を不必要に過大に招いてしまわないかということだ。

 もし本当に自信があるのだったら、永久保証を付けるべきだろう。

 いや、それは現実的な話ではありませんよ、メイドインジャパン製品だって故障はしますから、と担当者は言うだろうが、だったら、誇らしげに言うな、ってことだ。

 みんなに顰蹙を買うだけで、何のメリットもない、ただ「自己満足」だけの児戯に類することをするなってことだ。

 とまあ、正直言って「八つ当たり」のところもないではないのだが、つい今しがた、念のためにということで外付けを起動してみたら、ちゃんと認識された。

 オー、なんてこったい。

 昨日、徹夜で再スキャンのために資料整理を行い、今日も汗だくでだいたい七割がたまとめたところなのに。

 ともかく、急遽、外付けから本体にコピーすることにしたが、必要なものだけということで、時間はだいたい1時間くらい。

 作業終了を待ちながら、こうして書き込んでいるのだが、「モノづくり大国ニッポン」がスローガンとして、自己満足を煽るだけで全く無意味であること、もし、どうしてもこのスローガンを「ニッポン再生」のために叫んでゆきたいと思うなら、日本政府がバックとなって、「メイドインジャパン全製品永久保障」を打ち出せばいい。

 いざというときは国が一部金を出す。

 正直言って、それほどたいした金額にはならないだろう。(だって、信頼厚いメイドインジャパンなんだもーん)

 それぐらいのことをやらずに、ただ「モノづくり大国」を標榜し、いざ故障すると、「絶対というわけではありません」では誰の理解も得られないってことだ。

死んでも仇なす社民党

2010-08-06 17:33:47 | Weblog
 ロシアが小麦の輸出を年内禁止した件で、農水大臣は「すぐに小売価格があがるわけではない」と言った由だが、そもそも小麦は国内農家保護のために輸入小麦は全量国が買い上げ、国内価格との差額を関税」として上乗せして日本企業に販売している。

 そして「上乗せ分」は、当然国の懐に入り、それを国内小麦農家の技術改良とか(日本の国内産小麦は質が悪くてほとんどが薄力粉の材料となっているらしい)、いろいろキャンペーンをやったり…要するに、ほとんどは役人が使っているわけだ。

 1、2年前にも小麦の国際価格が上昇したことがあった。

 このときは相当な値上がりで、世界的に一部で暴動が起こる等、ものすごく問題になったのだが、日本の国内価格は国際価格とは比べ物にならないくらい高く、国際価格が上昇してもまだ全然国内価格の方が高い。

 したがって、日本政府としては、その上乗せ分を切り詰めればいいだけの話なのに、上昇分をそっくり上乗せして企業に売却した。

 しかし、私が知る限り、このことを指摘したのはただ一人、宮崎哲哉がお昼のニュースショーで、「由々しきこと」と言っただけだった。

 そして今回、当然のことながら、どこも誰も何も言わないので、ここで書いておくことにした。

 さて原爆記念日。

 うんざりだ。

 広島市長はアメリカの核の傘から離脱せよと言ったらしいが、誰も相手にしないから何を言ってもいいというものじゃない。

 菅は、疲れた顔で、核の抑止力を否定しないと記者会見で言っていたが。

 そういえば、福島は看板議員の離党で危機感が増したか、予算委員会の貴重な時間を「社民党の原則確認」に費やしていた。

 やれやれである。

 一句できた。

 「夏の日や、死んでも仇なす社民党」。

「救貧ではなく、防貧を」から「妨貧ではなく、救貧を」へ

2010-08-04 18:41:23 | Weblog
 国会中継を見ていたら、菅総理がこう言っていた。

 「我が国はかつては年齢が上がると賃金も上がりました。しかし、今は必ずしもそうではなくなった。例えば年収400万円の人は、ずっと400万円のままかもしれない。そうすると、子供が大学に進むくらいの年齢になっても学費を払えないかもしれない。ですので、本当は大学の学費も無料化すべきなのですが、とりあえず高校までを完全に無料化しよう、そう考えたわけです。」

 一見まともな発言に見えるが、これは、年功序列型の賃金体系が一番合理的なのだが、それがうまくいかなくなったので、その埋め合わせの一環として学費無償化を考えた、ということなのだ。

 つまり、自分たちの考えたシステムを最良とする、役人の立場に配慮した、というか、そういう役人に言いくるめられているのだ。

 前にも書いたけれど、日本の社会保障政策の根本は、「貧乏人を救う」のではなく、「貧乏人を出さない」ことにある。

 貧乏人がいなければ、貧乏人を救う必要もない。

 というのは、極端だが、日本社会が完全に中流化すれば、貧乏人は「そのほんの一部」ということになって、対処も簡単だ。

 これが、「一億総中流社会」であり、このスローガンはマスコミがつくったのではなく、役人が、あるべき社会の姿としてつくったのだ。

 そしてそれは、一時期実現した。

 そう役人は信じているので、今でも、「是正」でオーケーと考えているのだ。

 欧米では生活保護を受けている世帯は、全世帯の10数パーセント以上あるのが普通らしいのだが、そう言うと日本の役人は、そんな社会にしたいのですかと言うだろう。

 日本の生活保護率が全世帯の1、2パーセントであること(正確には忘れたが、極端に低い)は、日本は相対的にいい社会であることを示しているのだ。

 「ね、おわかりですか、菅総理。日本はいい社会なのです。これを崩しては絶対になりません。そのためには、財政再建が絶対に必要なのです」と言われて、「なるほど!」と納得したわけだ。菅総理は。

 「救貧ではなく、防貧を」、という役人の知られざるスローガンを撤回させ、「妨貧ではなく、救貧を」でなければならないのだ。

 だいたい、「救貧」は一発変換できるが、「妨貧」は、一発変換できない。

 貧乏人のいない社会なんて、役人の空想に過ぎないのだ。