パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

BUSHIDO

2007-12-31 21:39:34 | Weblog
 紅白歌合戦をやっている。しかし、マジに思うのだけれど、あれを心から楽しんでいる人なんているのだろうか? 美少女アイドル集団の次がおカマ3人,次に、作業服姿にねじり鉢巻の親父演歌(鳥羽一郎)…。「ハー」と眺めるしかない光景ではないか。

 西川口の、今まで一度も開いているところを見たことのない古本屋が開いていたので、新渡戸稲造の「武士道」と、田口ランディの「富士山」を計100円で買う。「富士山」はまだだが、「武士道」はぱらぱらと読み出したところ。西欧人、特にアングロサクソンの心をくすぐるような書きっぷりはさすが。

 「戦闘でのフェアプレイ! 粗暴と子供らしさの入り交じったこの原始的な感覚! この中に実は、道徳の豊かな萌芽があるのです。」

 序文の中の一例だが、ルーズベルトが感激したというのもわかる。

 何を隠そう、私も実は、士族の家系(らしい)。商売がダメなのもこのせいだろう。しかし、新渡戸稲造曰く、「欠点がどのように大きくとも、そこから徳が生じる」。これも、士族の特徴だろう。商人や百姓は、欠点はそのまま欠点になる(んじゃないかな)。よくわからないが、今年最後の言葉として。

 ではでは。

サザンの歌詞が聞き取れる!

2007-12-30 22:02:27 | Weblog
 今日は大晦日一日前、しかも日曜日。でも、関係ねえ。私は事務所に出ている。オッパッピーである。
 なんで、事務所に出ているかというと、ちょっと前に書いたけれど、写真集を出そうと思って、その整理のメドを年内に終えたいと思っているのだ。普通、写真集というと、大体100頁くらいが普通なのだが、私のは、今回、480頁。なかなかなかなか……終わらない。あっちを削り、こっちを差し換え、新たにプリントし等々、本当にきりがない。

 二、三週間前に、またまたフリマで手に入れたティアック(ナショナル)のテープデッキがなかなか好調である。1000円となっていたが、閉店間際で、かつ、全体がひどく汚れているので、500円に値切った。もちろん、事前に「動くの?」とは聞いた。500円とはいえ、動かなければどうしようもない。親父さんは、大丈夫、動くよ、売られていた頃は定価8万円以上したんだよ、という。私はオーディオには詳しくないので、アンプなしのデッキだけでそんなに高かったのかと驚きつつ、「ダメもと」のつもりで持って帰ったのだが、事務所に放ってあったテープを再生してみて驚いた。はっきりいって、CDより音がよい。
 特に、演奏者はわからないのだが、クラシックバイオリンがよい。「チャルダッシュ」なんかを、猛烈なスピードで。ああいうのを「超絶技巧」というのだろうか。クラシックバイオリンの独奏はどこか民族音楽ぽくてよい。よく街でペルーの人たちが、どんどこどんどこ太鼓を叩きながら、アンデスのフォルクローレを演奏しているが、あんな感じの太鼓をバックにクラシックを演奏したりしている。
 それから、サザンオールスターズのテープもあったので、聞いてみたのだが、「勝手にシンドバッド」の猛烈早口言葉がちゃんと聞き取れることに驚いた。
 しかし、それにしてもサザンは永遠だなあと思う。二十歳前の若い人たちも、「サザン、古いよ~」などとは言わないだろう。

 福田首相、中国で御機嫌。今や、中国は本当に日本が頼りの綱という感じなのだろう。まあ、私も中国が崩壊することを望んでいるわけでは……いや、そこは微妙なんだなあ。

 そもそも、秦の始皇帝が統一に成功して、「玉爾」なんてものを作ってしまったから、それ以後は、憑かれたように「統一」を目指しては、失敗してきている。そして、それが「歴史の法則」になってしまっているので、王朝が「崩壊」したって、当たり前に思っている。でも、なんで、「漢」が、「唐」が崩壊しなければならなかったのか。もっとも直近の漢民族王朝といえば、「明」だが、なんで、その明が、今も続いていないのか。その度に、数百万、あるいは数千万の「民」が死ぬことを、なんで「当たり前」としているのか? 魯迅も、結局は、このサイクルを否定し得なかった。「否定」するとしたら、それは、中国の分裂とその固定を意味するからだ。本当のところは、魯迅も究極的にはそれ(分裂)しか方法がないことをわかっていたのではないかと思うのだが……でも、それを言ったらおしまいだということもわかっていたのだろう。
 要するに、王朝の交代=易姓革命で、「統一の失敗」を正当化し続けて来たのが、中国の歴史というわけだ。「失敗」を「正当」とするわけだから、これぞ、「究極の偽装」というべきであろう。

 それにしても、福田首相、肝炎訴訟問題もなんとか乗り切った感じ。もし、あのまま官僚の言うことを聞いていたら、完璧に失脚寸前、いや、中国訪問もかなわぬまま、失脚していたかもしれない。

お正月なんか、オッパッピーである

2007-12-29 20:53:06 | Weblog
 世間は、完全に「休みモード」に突入。商店街はもちろん、かきいれ時だから、やっているわけだが、街の雰囲気全体はもう、すっかりお正月準備モードだ。でも、こっちは、「関係ねー」。オッパッビーというのか? あんまり見てないのでわからないが、あれで本人はなかなかインテリで、環境保護のために自転車族だとか。わからないものだ。 

 わからないといえば、ココリコの遠藤とタレントの千秋夫妻が離婚。わからないものだなあ、夫婦の仲ってものは。宣伝分をめびいても相性ぴったりという感じだったのに。新庄・大河内夫妻は、最初っから「仮面夫婦」という感じだったから、驚かなかったが。(もっとも、「仮面夫婦」というのも、こちらの勝手な思い込みだが。みんな思ってそうだ)

 パキスタンのブット元首相、暗殺さる。
 2chの「国際政治」板などを見ると、「アメリカが黒幕」的書き込みだらけ。新左翼、特に中核が、ネット戦略を重視し、書き込み部隊を作って、全力で作戦展開中なんだそうだが、これもそうなのだろう。たしかに、彼らが「やってない」わけがない。何しろ、連中、暇だし、そこそこ勉強はしてる。(とはいえ、「雑学」レベルだが。)おかげで、悪名高い「ニュース速報+」板のほうが、昨今、まともだったりする。
 あと、怪しいのは厚生省がらみの、たとえば、今回の肝炎訴訟問題や、ちょっと前に少し話題になった混合診療問題も、90パーセント近くが、世間一般と異なる、厚生省絶対擁護の書き込みばかり。「書き込み部隊」なんか、「都市伝説」みたいなものだろうと、あまり信じていなかったのだが、「自主的」勢力も含めて、確実にいるみたいだ。

 しかし、確実な情報源によると、パキスタン軍(特に情報部)は、過激派(タリバンとか、アルカーイダとか)の巣窟なんだそうだ。ムシャラフが、「軍人独裁」を非難する国際世論に配慮して軍服を脱いだが、それを懸念する声もあるそうだ。つまり、軍に対する発言権が制服を脱いだために損なわれたんじゃないかと。そんな「軍」が核兵器を保有しているなんて、オッパッピーじゃない、オッカナイー。

 しかも、今回の事件に関係しているかどうかはわからないけれど、事件に至る「混乱」のきっかけは、中国が作った。中国人経営の鍼灸院で「売春」をやっていて、それを知ったパキスタンの神学校の生徒たちが鍼灸院の経営者,従業員を拉致した。これに、中国政府が厳重に抗議し、それに応えてムシャラフが、神学校突入を命じて大量の死者を出した。(鍼灸院の従業員たちは。「説教」されて上で、すぐに釈放されたのに。驚いたのは、ムシャラフの事件解決後のコメントで、中国の要請で行ったことを明かし、中国に感謝の意を表明している。)

 しかし、中国政府が自国の、「売春婦」の命を救うために動くなんてわけはないことは、前回触れた「中国激流」で嫌というほどわかった。中国政府は、パキスタンを混乱させようとしているのだ。まちがない。(永井秀和はどうしたのだろう?)
 まあ、どこの国だって、自国の利益となるなら、それもあえて辞さないだろうが、でも、それでも「座視」するくらいで、わざわざ、それ(混乱)を「起こす」ようなことは、昨今、あんまりやらなくなったのではないかと思うが、中国はそれをやりそうで怖い。「中国激流」の、地方政府の幹部や、チベットにホテル事業で進出した四川省で成功した実業家の「ワル」振りを見ると、そんな風に思ってしまう。(彼らの「ワル」に比べれば、フランスのワールドブランド、「ダノン」と商標権をめぐって、中国の一般大衆のナショナリズムを煽りに煽っている、中国最大の清涼飲料ブランドである「ワハハ」ブランド(本当にワハハ印というんだそうだ。発音も、明確に「わ・は・は」であった)を裸一貫で築きあげたオーナー社長が、「良い人」に見えたくらいだ。
 それにしても、「中国激流」では触れていなかったみたいだが(ヤバすぎるのか)、中国の北京閥と上海閥の争いは、半端じゃないらしい。つい、自民党の「派閥」を思い浮かべてしまうが、そんなのとはわけがちがうようだ。北京語と上海語のちがいも、方言レベルの違いではないそうだし、実際に「戦争」になったって、ちっともおかしくないのかも。(文化大革命は明確に内戦だったわけだし)

 いずれにせよ、中国とパキスタンは国境を接しているし、パキスタンの宿敵インドは、中国と一戦を交えたこともある敵国でもあるし、中国にとって、インド洋へ出る絶好の回廊でもある。中国が何か企んでいないわけはないのだが…。


イノッチがあわてたたわけは…

2007-12-28 17:51:13 | Weblog
 NHKスペシャル、「激動の中国」を見る。これは、本格的に中国はやばいのではないか。オリンピックは開催できるのだろうか? ちょっと怪しくなってきたように思う。何しろ、酷い。
 国が突然、諸外国からの抗議で、輸出品にかかる関税を強化したため、「死活問題である」と、業者が地方政府に抗議し、地方政府の担当者は、一つのアイデアを業者に提案する。それは、ハイテク輸出品の関税は今のままという通達なので、たとえば、普通の紙のノートを「ITノート」として、関税担当の役人に申請を出す、という方法だ。要するに、「偽装」だが、驚いたことに、これが実行されて、業者は「助かった」らしい。
 当然ながら、関税の役人には賄賂を渡すのだろうが、カメラの前で、地方政府の高官は、そのことを堂々と示唆していた。「問題は、関税役人をどうするかだ」と。そして、番組は、「国に政策あれば、民に対策あり」と、「民」の対応が「したたか」であることを誉めるようなナレーションで終了したが、これは、「官民がお互いに相手の首を絞め合っている図」であって、「したたか」とかそういう問題ではないと思うが…。
 ともかく、番組を見た限りでは、こんな危ない国に、なんで欧米、日本,韓国は競って投資しようとしているのだろう? もちろん、一部では慎重論も出ているのだろうが、総論としては、「問題があっても、いずれ、近いうちに解決される」と思っているのだろうが、本音は、「政府が強権で解決してくれる」ではないだろうかと疑ってしまう。いずれにせよ、「事態が解決されて、ワンステップ上の段階にあがる」という風に「解決」がやってくるようにはとても思えない。かつて、何度も何度も何度も繰り返してきたような、「崩壊」しか、「解決策」はないんじゃないだろうか。そんな風に思ってしまった。

 薬害による肝炎患者の「一律救済」とは、要するに、救済されるべき人は皆救済されるべき、ということらしい。で、その基準は裁判所の判断によると。

 高層ビルの場合、階ごとに郵便番号が割り振られていると聞いたジャニーズジュニアの「チビ」が、「「郵便屋さん,大変だなあ」と言ったことにイノッチが、不自然に慌てていた理由が判明。昨日、郵便局の前を通ったら、彼のポスターが貼られていた。簡保のキャラクター契約をしているらしい。なるほど、大人の世界の話だ。結婚もしたしねえ。

チビが正しい

2007-12-25 20:20:22 | Weblog
 肝炎訴訟問題に関する私の「解説」は、あくまでも推測なので、より正確な知識を求めているのだが、さっぱりだ。昨日もNHKのニュース解説まで、じっくり見た(聞いた)のだが、全然わからない。別に真相を隠しているわけではないのだろう。きっと、マスコミも「わかってない」のだ。わかってないことがわかってない、というか。
 中でも、「一律救済」という言葉の意味がわからない。マスコミ報道では、一律救済=肝炎患者全部救済という感じで、それで、一部ネットで原告のゴネ得だとか、国が倒れるとかの非難がいっせいにあがっている。まあ、伝えられる通りに、肝炎患者のすべてが国の責任だとしたら、「国が倒れ」てもしょうがない問題なんだが…。
 しかし、一方、「一律救済」を求める原告側は、救済対象者は、裁判所の判断が必要とか、いろいろな基準を設けると言っているらしい。だったら、どこが「一律救済」なんだろう。

 しかし、昨日は、回復した2chでかなりやりあって、「お前は許認可行政を潰したいのか?」という、役人自身によるものとも考えられるくらい、露骨な役人擁護の回答を引き出した。これは、かなりの成果だ。そう、許認可行政こそ、諸悪の根源。社会通念とか、技術水準の変化が緩やかだった昔ならともかく、現代においては行政の知識が、それに追いつけるはずがない。年金行方不明問題が典型だが、自分たちが使っているコンピュータシステムがすっかり古いのだと気づいた時には、もう手遅れ。先を行こうとしたら、一台ン十億円の郵便番号分別機械なんかを買わされるのがオチ。あと、人型ロボットとか。(あれって別に国策でやってるわけではないかもしれないが、無駄だと思うなあ。芋虫ロボットなんかだったら意味がありそうだが…そもそも、人工知能って、論理として破綻したんじゃやなかったっけか)あと、薬事行政に関して言うならば、アメリカみたいに、薬は製薬会社が自由に作り、販売するが、国がそれをチェックし、もし問題を起こしたら会社自体が潰れるような賠償金を請求する、というシステムしかないだろう。

 しかし、年金行方不明の解明は不可能ってわかったのだったら、なんでまだ調査しようというのだろう。ン百億円もかけて。しかも、そのほとんどすべてが、社保庁の役人の特別手当になるんだから、笑い話みたいなもんだが、「無駄と分かっていることにお金をかけるより、制度の根本的見直しに着手しろ」とマスコミはなんで言わないのか。社保庁、自民をいじめていれば視聴率、販売部数が稼げるから、延々言い続けるのだろうが、先は目に見えている。姉歯物件の無責任報道が、不況の原因になりかねないみたいに、とんでもない結果になる。

 ところで、郵便番号といえば、先々週の「百識」で、ジャニーズJr.のチビが、高層ビルには階ごとに郵便番号が割り振られているということを教えられて、「え~、郵便屋さん、大変だなあ」と素朴な感想を言って、司会のイノッチが、ややあわてたような様子で、「そうじゃないの。郵便屋さんのためにやってるの」とフォローし、チビが、「あ、そうか、テヘヘ」と恐縮していたが、数字の桁数が増えれば増えるほど間違いは多くなるわけだから、最初のチビ君の直感の方が正しいよ。まったくもー。

肝炎訴訟、議員立法で救済へ

2007-12-23 21:33:05 | Weblog
 福田首相、方針転換。
 「役人にだまされた!」と気がついたのなら、面白いんだけど。
 今日の新聞記事を読んだら、30億円は、原告側に治療費として与えられるものではなくて、それはそれで別に与えられ、30億円は、「これをさしあげますから、自由に使ってください。われわれは一切何も言いません。線引きされた外の患者さんも救えますよ」というものだったんだそうだ。官僚の正体見たりだ。国家予算を自分のもののように自由に扱えると思っている。まあ、これが、「裁量行政」というやつなんだが。

 しかし、議員立法とやらの中身がまだ明らかではないので、なんとも言えないが。でも、議員立法のことを、なんとなく本来の立法精神にもとるような印象の記事が多いのはなぜなんだ。日本は議員立法が少ない、ってマスコミは怒っていたんじゃないのか。

 ロバート・ロドリゲス監督の『パラサイト』を見る。といっても、最後の30分くらいだったが、面白かった。ハイスクールの体育館の中で、数人の男女が固まって座っているところから見たのだけれど、パッと見ただけで、ものすごい不穏な空気が流れていて、これは、エイリアンものかな、とすぐにわかった。たいしたものだ、さすが、ロドリゲス。最初は、ゼメキスかと思ってしまった。しかし、最後に問題が解決してからの明るい開放感は、日本の『学校の怪談』のほうが、さわやかだったと思う。しかし、当時、『パラサイトイブ』とかがはやってたとはいえ、『パラサイト』のタイトルはないだろう。

お金の問題じゃないのよ

2007-12-21 22:52:15 | Weblog
 C型肝炎訴訟の続きなのだが、原告の「金の問題じゃない」「札束で頬をひっぱたかれた」といった発言がかなり波紋を呼んでいるようだ。今朝のモーニングショーを見ても、みのもんたが、今回の和解条件の基準となった東京地裁の判決が、原告側に下から2番目に不利だったことを指摘して、なんで、原告側に有利な判決を基準にしないの?と言っていたり、女性アシスタントが、「気持ちは分かるけど、とりあえずお金はもらっておいた方がいいんじゃないのかな~」などと言っていた。
 裁判ネタでは、鳥越なんかが、わりと的確に話をまとめてくれてるような気がするのだが、その鳥越の話は聞き損なってしまった。いずれにせよ、誤解というか、全然理解されていないようなので、私が解説してしんぜよう。

 とかいって、実は、昨日、書き込んだ時点では、私もわかっていなかった。ただ、行方不明の年金捜査には、総額1000億円近いというか、ほとんど無制限に金を使うのに、肝炎訴訟には、たったの30億円、みみっちいなー、という印象でしかなかった。しかし、原告の、「金の問題じゃない」という発言の意味は、「もっと出せ」ではないことは確かだ。というわけで、正直言って、全然わからなかった。
 しかし、その後、断片的にだが、情報を集めて、それをつきあわせて考えるに、次のようなことらしい。あくまでも、私の「理解」なんで、間違っていたらすみません、なのだが、要するに、最初の呈示金額が8億円だったのを、30億円に上乗せし、「実質的に、これで原告の言う一律救済になる」と舛添大臣は言ったわけだ。
 ここが今回の話の肝なのだが、その前に、原告が何を要求していたかというと、「線引き」をしないでくれ、である。薬事行政の誤りと認定されたものは、すべて認めよ、というのだ。
 しかし、原告の言う「線引き」とは、この「誤り/誤りではない」の間の線引きではないはずである。

 正直言って、この辺のことは、まだよくわかっていないのだが、それでも確実に言えることは、舛添大臣、というか、実質は厚生官僚なのだが、その発言によると、8億円を30億円に上乗せしたことで、「線引きの外の人まで救済することが可能」というのだ。ええええ?である。ここがおかしいのだ。
 つまり、厚生官僚の回答は、ぶっちゃけた言い方をすれば、「30億円上げます。これなら、線引きの外の人まで助かります。でも、線引きの廃止はできません。どうか、これで納得してください。」なのだ。つまり、線引きの「線」を30億円にまで拡大したが、実は、本来の「線」は、そのずっと手前なのだ。具体的にはわからないが、最初に8億円と呈示したことから推測すると、たぶん、その近辺、10億円くらいじゃないかと思う。「30億円なんてみみっちい!」と思っていたが、実は逆で、どんぶり勘定の大盤振る舞いだったのだ。

 「金の問題じゃない」「札束でひっぱたかれた」というのは、そういう意味なのだ。

 では、なんで官僚は「線引き」にここまで固執するのか。それは、会見等ではっきり言っている。

 その一。線引きをやめると、支出が無限に増える可能性がある。

 反論しよう。まず、「無限の支出」なんて、あり得ない。必ず限界はある。今回の訴訟で言えば、実質的に、推測だが、10億円くらいで済むはずだ。実際、官僚自身が30億円を呈示した段階で、どんなに多くとも30億円以下だということがはっきりしている。また、もし仮に1兆円くらいにまでかさんでしまったとしよう。だとしたら、それはとんでもなく重要な薬事行政のミスということになって、財源がどうのなんて言ってないで、起債してでも払わなければならない。要するに、ミスを犯したら、その責任はとらねばならない、ということだ。現実には、線引きをしなければならない場合もあるだろうが、それはその時のことで、最初に線引きをしてしまうことは、無条件で許されないはずだ。

 その2。薬の認可が遅れたり、不可能になったりするかもしれない。

 反論。本人たちの無能を告白したようなもの。有能な薬事審査官を大量に採用するなどして、ミスの可能性をできるだけ小さくするしかない。それをしてこなかったために、薬害エイズで懲りたはずなのに、また、同じミスを犯したのではないか。

 テレ朝のモーニングショーで、大谷昭宏が、この問題ではなかったけれど、官僚について、「彼らは国民のためなんて、ちっとも思っていない。そのことを認識することが第1に大事だ!」なんて、「言ってやったぞ」みたいに、鼻をぴくぴくさせながらアジっていたが、なんとまた頭の悪い発言だ。
 官僚たちは、国のために尽くしていると思っている。そして、いろいろ言われるが、総体としては、自分たちの裁量がうまく機能していると思っている。「総体として」というところが肝心だ。あっちがでっぱったら、こっちをひっぱたきで、「総体として」破綻していなければよろしいというのが、彼らの立場だ。たしかに、日本に限らず、官僚行政というものはそういうものでしかないのだろう。彼らが、「線引き」を死守しようとするのも、1対1で、確実に責任を取らされたら、この「総体主義」、すなわち「どんぶり勘定主義」が崩壊してしまうからだ。

 というわけで、今回の訴訟は、官僚支配の本質を突いているという意味で、重要なものだと思うのだが、そのためにも、原告側弁護士は、もうちょっとわかりやすく説明してほしい。「プロ市民」とかの罵声を浴びせられているのは残念である。もっとも、朝日新聞にも批判されているみたいだから、プロ市民じゃないことは多分、確かだと思うのだが。

にやにや笑うな!

2007-12-20 23:12:28 | Weblog
 年金行方不明問題を扱った「NHKスペシャル」を見たが、問題を起こした当時の長官は、にやにや笑いながら、「たしかに謝らねばなりませんかなー」と、頭をかきかき言っている。舛添もちょっと油断するとニタニタ笑い出しそうになって、あわてて引き締めるという繰り返しだった。いったいどういうことか、あのたるみぶりは。
 番組で取り上げていたケースは、年金番号が1個だけちがっていたが、名前が併記されていなかったためちがう人に年金が渡ってしまったというもの。あまりの単純ミスに唖然とするが、要するに、漢字表記より数字表記のほうが効率的と思い込んだためのミスという意味では郵便番号導入と同じだ。
 郵便番号導入はミスなんかじゃない、ちゃんと機能しているというかもしれないが、私に言わせれば、郵便番号を導入しても、宛名が漢字書きのままだったために助かったのだと言いたい。なぜかというと、漢字は相当酷い殴り書きでも、なんとなくわかるし、また、「正解の近辺」という読み方ができる。判読時間だって、漢字は全体のイメージで読む訳だから、瞬間で読める。しかし、数字の場合はイメージで読むなんて芸当はできないので、案外時間がかかるし、いったん間違えたら、その間違いが致命的になってしまう。
 今回の年金問題がまさにそれだ。番号を振る必要なんてなかったのだ。名前と読み方と生年月日が記録されていれば、99パーセントはOKだろう。山田花子とか田中弘とかのありふれた名前でも、生年月日まで一致するなんて例は滅多にないだろう。もちろん、「皆無」ということはないから、あともう一つ、何かの記録要素を加えれば、完璧だ。
 いずれにせよ、何をどうしても、行方不明としてかなり残るらしい。

 だとしたら、これから1000億円近い金を解決不能がわかっていることに投入するらしいが、その価値はあるのか? もちろん、ない。1000億かけるのだったら、見つける行方不明の年金は少なくともその10倍はないと割が合わないだろうが、10倍は1兆円だぞ。むしろ、1000億を弁償金ということにして、国民全員に配り、あとは平謝りすればいいではないか。そして社保庁は解体し、年金制度は根本から考え直す。もちろん、その時にベーシックインカムも参考にしていただければ幸いだ。

 社保庁といえば、みのり書房をやめたとき、個人年金(国民年金)に入らなければいけないのか、そうならどうしたらよいのかと思って、自宅近くの社保庁の出張所に行ったことがあるのだが、そのときの答えは、「入らなくてもいいですよ」だった。これは、本当に本当のことだ。正直言って、払えと言われても払う余裕はなかったので、ホッとしたのだけど。出張所の場所は、世田谷の代官屋敷の並びにあった。

 今騒いでいる年金行方不明問題は、そのほとんどが厚生年金だ。会社を変わった時に引き継ぎがうまくいってなかったり、会社が払っているふりをして実は払っていなかったりとか、いろんなケースがあるようだが、もし、これに万が一、目処が立ったとしても、国民年金問題が残っている。こっちは、実質崩壊。もう、税でやるほか、どうしようもない。

 しかし、わからないのは、国民年金の場合だが、一括払い込みがなんでいけないのかということだ。たとえば、今、支払い開始は67歳らしいが、その直前に1000万円を国に預ける。そして、その直後から死ぬまで、そこから取り崩す形で給付を受ける。早死にしたら損、長生きしたら得ということになる。その境界線をどこに引くかでもらえる金額が異なるが、計算したら7万円くらいはもらえそうだ。つまり、今の国民年金でもらえる金額と大体同じだが、これでは少ないので、ちょっと国庫補助をして、10万円なら、まあまあだろう。
 何でこれがダメなんだろう? 国庫補助でかさ上げしたらみんな国にお金を預けてしまうから民業圧迫になるということだろうか? たしかに、国庫補助がなくて、民間と同じように運用益で制度を維持しながら年金を払い続ける、というのだったら、結局、民間の私的年金を変わりなくなって、「公的年金」の意味がない。では、公的年金として実を上げようとしたら、民業圧迫になる。どうしたらよいの? じゃあ、こうしたらどうだろう。民間の金融機関に年金に限り、国庫補助を加えるのだ。

 と、このように年金制度は、いろいろ考えることはできるけれど、本来、年金なんかいらないはずのお金持ちほど高額の年金をもらえ、年金が必要な低所得者ほど低い。これは、あらゆる年金制度がもつ根本的欠陥であって、解決できないのだが、でも、一つだけ解決策がある。またまた書くが、それがベーシックインカムなのだ、と宣伝したところで、また。

17歳はスルーで

2007-12-19 22:44:02 | Weblog
 小倉さんのお気に入りの天気予報士、アマタツさんが、今日は寒いですから、ちゃんとコートを着て出かけてくださいね、と言っていたが、本当に寒い。秋の初めに、明治公園のフリマで、「今年の冬は寒いよ」と売り子のお兄ちゃんに言われて買ったPコートの出番だ。もちろん、数日前から着ているけど、やたらに重く、かつ固い。しかも、着て気がついたのだが、ポケットが少ない。というか、二つしかない。しかも、底が浅くて何も入らない。たぶん、手をつっこんで寒さをさけるためのものなのだろう。重くてゴワゴワなのも、本物の証拠と思って、私の「型」をつけるように、我慢して着続けよう。

 しかし、なんで、あのお兄ちゃんは、「今年の冬は寒いよ」と言ったのだろう。そして、なんで、私も、「多分お兄ちゃんの言う通りだろう」と、思ったのだろう。正直言って、そう言われるまでもなく、夏頃からそんな風に思っていたのだが、世間の「温暖化」の大合唱にうんざりしていたからかもしれない。ゴアも胡散臭いが、彼と並んでノーベル平和賞を取った、どこかの団体の代表の胡散臭さは、半端じゃない!

 まあ、外見で判断しちゃいけないし、温暖化そのものも、たぶん、事実なんだろうと思う。今年は寒いよ~、なんて言っていること自体、温暖化で身体がなまっていたからだ、と言えるかも。(理屈と膏薬はなんとやら、だ)

 しかし、30年くらい前までは、温暖化ではなく、地球は冷却化しているという意見が、学者の間では、実は、一般的だったのだ。氷河期が来る、なんていう学者もいたくらいで、特にソ連の学者に多かった。氷河期が来たら、ソ連は全土が凍ってしまい、致命的被害を受ける。農業も酪農もだめ、石油も掘削ができないという危機感が、その背後にはあったのだろう。
 また、その危機感から、インド洋への道を求めてアフガンに侵攻したのだ、という説もあった。(他には、日本海しかないが、日本海から太平洋への出口には浮沈空母、日本が、米軍機満載で待ち構えている)この説は、当たらずといえども遠からずだと思うが、いずれにせよ、今のロシアの好況の原因の一つが「温暖化」にあることは確かだと思う。もちろん、表立って「温暖化万歳!」なんて言えないだろうが。

 世界的規模で蔓延する「ワーキングプア」の問題を、NHKスペシャルでとりあげていた。取材先は、日米英韓だったが、相変わらずNHKのスタッフのカメラワークは抜群にうまい。ため息をついている母親の顔から上にカメラがパンすると、母親の背中に負ぶさった子供がニコニコ笑いながら、カメラを見つめている。でもねー、何をこれで言いたいのかがわからないのだ。この子供のためにも、行政はしっかりがんばれ、というメッセージなんだろうか。
 しかし、ウィトゲンシュタインも言っている。「子供は思いやりもないし、やさしくもない」。だから、そうなるように教育する必要があるのだが、あの御定まりのカメラワークは、明らかに、「子供は本来やさしく、思いやりにあふれているから、それをのばしてあげなければならない」、と言っている。実際、リヴァプールで職業訓練を受けている10代の若者も、そんな視点で語られていたし。

 「10代」で思い出した! フィギュアスケート世界グランプリのエキジビションで、それまで、「16歳とは思えぬ妖艶さ!」と言っていたテレビ朝日のアナウンサーが、「10代とは思えぬ妖艶さ」と言っていた。想像通りの「17歳スルー」に笑ってしまった。

テレビインタビュー雑感

2007-12-17 13:24:34 | Weblog
 プロバイダーをOCNに変えてから、2chに書き込めなくなった件について、OCNの電話サービスに聞いたことがあった。「相手によって、書き込めないことがあるんですよ。たとえば(言うのは少し恥ずかしかったけど)2chとか……そんな苦情はきてませんか」と言うと、「きてません」と言う。いくら話したって、どうせ押し問答の繰り替えしになってしまうと思い、「でもねえ、プロバイダーを変えて途端にですからね。関係がないとは思えないんですけど……」と嫌みを言って電話を切ったが、その2chに、「OCN規制について」というスレを見つけた。やっぱりじゃん! ただし、それを読んでも、「OCN規制」というものがどういうものか、わからなかったが、わからなかったことがもう一つ、このスレにどうやって書き込んでいるのか? この手の疑問はパソコンにつきものだが……他人のパソコンを借りたり、ネットカフェなどで書き込んでいるのだろうか。不思議だ。

 浅田真央は、魅せますねえ。(魅せる、って漢字の使い方、嫌いだが)演技全体がシルキータッチというか、「競技」をしているという感じがしない。だから、アナウンサーが、キム・ヨナを「宿命のライバル!」と連呼するのは違和感がある。「16才とは思えぬ妖艶さ」とかいうのも噴飯もの。どこが「妖艶」なのだ! もっとも、彼女が17歳になってからは、このセリフはあまり聞かれなくなったように思う。「16歳とは思えぬ」だから意味があったので、17歳になっちゃたらインパクトが無くなった、ということか? 16歳で妖艶なら、17歳になったらもっと妖婉さを増すと思うのだけれどねえ……と突っ込んでみた。

 しかし、ちょっと意外に思ったのは、インタビューが以前に比べて少しだけれど、まともになったように思えた点だ。まあ、聞いている内容は、依然として大したことはないのだけれど、聞いているアナウンサーの声自体が、以前に比べて落ち着いているように思った。

 そもそも、テレビのインタビュアーは、できるだけ年寄り方がいいと私は思う。たとえば、筑紫とか、「多事総論」とか、なんの価値もない持論を垂れ流しているより、孫のようなスポーツ選手を相手に、「よかったねえ」とか、「ちょっと緊張した?」とか、言っている方がお似合いだ。

 そういえば、プロ野球の日本シリーズにおける中日・落合監督の「完全試合リレー」の是非なんか、「解説者」は、「う~ん」といった感じだったが、勝利監督インタビューではまったく取り上げられなかった。しかし、本当は、そこでとりあげるべきだった。少なくとも、解説者と実況アナウンサーが、「わかる」「わからない」で盛り上がっていたのだから、それに触れないのはちょっと変な気持ちがした。
 では、なんで聞けなかったかというと、インタビュアーが下手だったからではなく、若かったからだ。勝利者に「是非を問う」としたら、「ちょっと、勝利に水をさすように聞こえるかもしれないけれど、やっぱり聞かないわけにはいかないんだなあ」といった感じの言い方が必要だろうが、それは、ここまでざっくばらんでなくとも、若いアナウンサーでは出来ない。相手より若いと、どうしても敬語を使わないわけにはいかないだろうからだ。まして、聞きにくいことを聞こうとしたら、三拝九拝、卑屈なまでに敬語を使うことになってしまう。

 その意味では、年上の取材陣に対し、敬語を使ったり使わなかったり(使わない方が断然多いが)、変幻自在の亀田兄弟の言語感覚は、ちょっとすごいと思っている。