パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

無気力国会

2009-01-30 20:44:31 | Weblog
 国会の代表質問、田中真紀子は、口ではいろいろ言うものの、実のところ、その本人が、ぶくぶく太った「ただのおばちゃん」になってしまったし、麻生は必死に原稿にしがみついて読むだけで、まさに「無気力」が画面から見て取れる。

 一国の首相がこれでは、本当にやばいと思う。

 イギリスのブラウン首相も、実は、ちょっと同じ無気力を感じるのだが……。不人気に自分自身打ちのめされてしまっている感じ。

 とはいえ、週刊文春の小林信彦みたいに、「終戦直後のすいとんで生き延びた頃に戻ってしまうとは、夢にも思わなかった」……ってのも極論、というか、小林は、だいぶ前にも、同じようなことを書いていた。終戦直後のすいとん生活云々と。

 そもそも、小林は、どちらかといったらやっぱり高額所得者でしょう。それなのに、何故か、ひどく逼迫した文章が異様。今夜の食事の金もないような。

 本当に金がなかったら、「今日の食事代はなんとかなった」と書くのが自然なんだけどね。

 まあ、この人はいつも過去のことしか書かない人ではあるのだけれど。

 大体、その国の社会状況がどうなっているかを測るには、街を走っている自動車の汚れ具合でわかるらしい。金がなくなるとまっ先に自動車が汚れてくるんだそうだ。

 このやり方で日本社会の逼迫度を測ると、まあ、とうてい、「終戦直後に戻った」ってことはない。行く車、来る車、いずれもぴっかぴかに磨かれている。オバマは若い頃、底に穴のあいた車に乗っていたそうだが、そんなおんぼろ車は東京では見かけない。(まあ、若い人がそういう車に乗るのはあったっていいと思うのだけれど。青春!じゃ)

 もちろん、だから日本の景気は悪くないなんて言うつもりは毛頭ないけれど、10数年前のバブル崩壊後の最低期にも、街が汚れるということはほとんどなかった。

 それで、「日本経済崩壊」と聞かされていた外国の高官が日本の街を見て、「これでどこが不況なんだ、わけがわからない」と言ったそうだが、私もよくわからない。

 日本社会には外から見たのではわからない、二重構造があるのかもしれない。(どこの国でも、そういうことはあるはずだが)

 そう言えば、「二重構造」という言葉は、子供の頃、日本の克服すべき問題としてよく聞かされたものだが、その後、あまり聞かなくなり、どうしちゃったのかなあと思っていたのだが、派遣VS正社員問題としてクローズアップされたということか。

 今夜の朝生も、多分「派遣問題」に話がゆくのだろうが、どうか話の根拠となるようなデータを出してほしいものだ。毛沢東だって言ったじゃないか。「調査なくして発言無し」って。

青森ではリンゴは売っていない

2009-01-29 20:25:16 | Weblog
 ちょっと前、テレビでおもしろいレポートを見た。

 青森県民は日本一バナナが好きだというのだ。

 その「噂」を聞き込んだレポーターが青森に出かけてインタビューをする。

 すると、街のおばちゃん、おじちゃんたちが口を揃えて、「バナナ、大好き!」と叫ぶ。

 そんなインタビュー、「バナナ、好き」と言ってくれた人以外はカットすればいいだけじゃんと思われるかも知れないが、そうじゃない。

 おばちゃん、おじちゃんたちの、「バナナ、いいねえ」「おいしいよねえ」と喋る時の、あの嬉しそうな顔、輝いた目! あんな風にバナナを絶賛する人が、今の東京にいるだろうか? 

 驚いたのは、青森には「バナナ屋」ってのがあることだ。

 レポーターが訪れた「バナナ屋」は、さすがにバナナ以外の果物も売っていたが、店の前面はバナナがずらりと並び、店の看板にも「バナナ屋○○」となっていた。そこのおやじが言うには、以前は屋号通りにバナナばかり売っていたらしい。

 ところで、レポーターのお手柄だったのは、その店にリンゴがないことだった。(「ないもの」を見つけるのはけっこう難しい。)

 「リンゴがありませんね、青森なのに」と聞くと、おやじ曰く。

 「青森じゃ、リンゴは買って食べるものじゃないんだよ。だから置いてないんだ」

 へー!

 「ケンミンショー」という、県民の特徴を探して話の種にする番組があるらしいが、それが今週は「青森県」をとりあげるとか、テレビで宣伝していた。

 そんな番組があるということ自体、知らなかったが、「青森県民は日本一バナナが好き」、と、「青森ではリンゴは買って食べるものではない」、の二つを取り上げたら、番組プロデューサーはセンスありって誉めてあげてもよいが、どうだろう。

フォーリーブスが……

2009-01-28 20:39:32 | Weblog
 いい年をしたおっさんが二人、歩きながら大声で口げんかをしている。

 みると普通のおっさんなんだけれど、話し方が完全に「おねえさん」。

 「ねえねえ、あんた、それ警察でちゃんと言える?」

 とかなんとか。

 さすが二丁目だが、お○まちゃんって、よく喧嘩をするような気がする。もちろん、口げんかなんだけれど、やっぱりどこかで鬱々とした感情を抱えているのだろうか。

 フォーリーブスの青山が亡くなったそうで、びっくり。

 享年57だそうで、あおい輝彦の「ジャニーズ」だったらわかるが、フォーリーブスも、早死にとはいえ、「死ぬ年令」にさしかかってしまったのか。

 写真集の「撮影メモ」が、400字詰め300枚近くになりそうだ。大論文になってしまった。

 

オレのアニメ好きは伊達じゃねえぜ!

2009-01-21 20:25:34 | Weblog
 オバマ、背が高い。190近くあるんではないだろうか。奥さんも背が高くて、ハイヒールをはくと旦那さんと同じくらいある。

 しかし、麻生がこのオバマとイメージ的に張り合おうとしているようなのが、笑えない。

 石井議員が国会で麻生に「漢字テスト」めいたことを行って、ニュースショーの評論家連中が、「くだらないことを!」「時間のムダ」と怒っていたが、そうでもないんじゃないかな。

 石井議員の指摘によると、麻生は演説の原稿等にはやたら難しい漢字を使いたがるんだそうで、「なるほど」と思った。自分の好きな漢字だけはよく知っているけど、知っているのはそれだけ。

 「三国志」をすみからすみまで読んで、中国を理解したと早合点して大満足のアニメ・漫画おたくとよく似ている。

 麻生首相のアニメ・漫画好きはだてじゃなかった。

 それより、国会中継を見て「無駄」と思うのは、与党質問だ。

 与党だったら事前に党大会などで、政府と充分に議論しているはずだから、与党質問なんて廃止したっていいじゃないかと、見るたびに思う。

 ところで、各地の人員不足の企業や自治体が、職を失った派遣のために「職場を用意しましたよ~」と呼び掛けたところ、まったく応募者がないんだそうだ。

 それで「朝ズバ」でみのもんたが、「職を選んでいる場合か!」と怒り、これに対して、「朝ズバ」の毎日新聞から出向してきているコメンテイターが、「なんでもいいから職につけというものではないだろう」と反論し、激論が展開されたんだそうだが、激論する前に、派遣業者に電話して、現状どうなっているか、取材したらどうなのか。

 案外、首を切られた(よく考えると物騒な表現だ)派遣たちは、すぐに派遣業者から別の職場を紹介されて、そっちに移ってたりしてるんじゃないだろうか。

 前に書いた通り、業者としては「次の職場」を与えないと「ピンはね」だってできないだろう。

 マスコミなんだから、電話口で「もしもし、毎日新聞ですが」って言えば、すぐに調べられるだろう。

 これまで散々書いているが、姉歯物件にしたって、該当するマンション、ビルのうち、たとえば震度3以上の地震に遭遇したと思われる物件を探して、それがどうなったか調べるべきだろう。模型をつくって、それを揺すって壊すんでなく。

 私は工学部中退だが、「模型は模型に過ぎない」ってことぐらい心得ている。

 あんないい加減な、興味本位のマスコミの注文には「理性の府」を称する限り、すべての大学は決して応じるべきではなかったのだ。

良くなる前に,悪くなる

2009-01-18 18:16:21 | Weblog
 病院でインフルエンザが大量発生とはどういうことだね?

 病院には病人が集まるからそれだけ病気をうつされる可能性も高いということはよく言われることだが、報道によると、加湿を十分に行わなかったことが原因の1つらしい。

 お詫び会見に現れた院長がマスク姿だったり,笑えない。

 かくいう私もインフルエンザではないと思うけれど,ちょっと風邪気味なので、毎朝やっている冷水シャワーを少し長めにするようにした。

 っていうと、とんでもないと思われるかもしれないけれど、これが効果覿面。

 布団の中でなんか頭が重いな、少し寒気がしてとかくしゃみを連発しても、冷水シャワーですっきりする。

 もっとも、さすがに夏ではないので、冷水を浴びる前に熱湯シャワーを十分に浴びてからにしているけれど、そもそも風邪でぶらふらするのは副交感神経とかそこらへんが不活発になっているからであって、「熱」と「冷」を交互に浴びれば、たちまちしゃきっとする。

 風邪の時に風呂に入ってはいけないというのは、風呂から出てからの「湯冷め」がよくないので、冷水シャワーだったら、「湯冷め」どころか、身体がぽかぽかと暖かい。

 とはいえ、本格的に風邪で寝込んでしまった時には、さすがにまだ試みてはいないのだが、「ちょっと風邪気味」の場合だったら、絶対に大丈夫なんでお試しを…といっても、誰もしないだろうなあ。

 オバマ次期大統領が、就任前の演説で現今の経済状況について、「良くなる前に、まだまだ悪くなるだろう」と言った由だが、さすがに言い方がうまいなあ、と思った。

 「景気回復のために全力を尽くす」なんて言ったって、すぐに回復するわけじゃない。

 車のブレーキを踏んでもすぐに止まるわけじゃないのとまったく同じだ。

 オバマ演説は、そこら辺をちゃんとケアした言い方になっている。(文字にすると,そこらへんのニュアンスが出てきにくいが)

 新聞を久しぶりに読む。といっても、買ったわけじゃない。買う価値なんか全然ないことを、読売新聞の「けいざい百景」というコラム記事で検証してみよう。

 筆者は近藤和行という、何が専門なのかわからないが、読売の記者だ。

 テーマは例によって雇用問題と、それにからめて日本経済の行く末を云々するストーリーだが、この記者によると、90年代の不況時には、日本の企業には温情主義が残っていて、「社内失業」という形で雇用を維持してきた。ということは、いわゆる内部留保分を多少なりとも切り崩したわけだが、今回は、内部留保は将来の投資のため等の理由で温存し、余分な人員は「派遣切り」という形で対応しているが、それはよくない云々という。

 私だったら,「社内失業」という形で恩情をかけられるのはまっぴらごめんで、そんな形で会社に居残るくらいなら、さっさと他の会社に移りたいと思うが、近藤氏は、どうもそうではないみたいだ。むしろ、10年前のような「温情主義」があったっていいのじゃないかと言っているみたいなのだが、ところが、氏の主張はさにあらず。今の、派遣切りをばんばん断行している日本の経営者の経営は、「10年前と同じ前例踏襲に陥っている」という。

 なんのこっちゃである。「前例踏襲」と非難しておけばまあ何にでも対応可能となめているとしか思えない。

 ということで,たまたま、今NHKのニュースをみたら、民主党の党大会を取材してきた記者いわく、「……政権奪取に向けた高揚感に包まれた大会だったとはいえ、選挙における自民党の地力は侮りがたいという意見が地方党員から相次ぎ、小沢党首は党員のひきしめにやっきといったところでした」と言っていた。

 なんのこっちゃである。「ひきしめ」を求められたのは、この記者の報告では小沢党首ということになるのじゃないの? 決まり文句のやっつけ仕事ばかりしているからこんなわけのわからない文章になる。(デスクはチェックしないのか?)

 それはさておき、はっきり言って、10年前の不況時の対応が、「内部留保切り崩し+社内失業温存」、今回の対応が、「内部留保確保+不用人員削減」だとしたら、今回の対応の方がずっと健康的じゃないか。

 なぜなら、「内部留保切り崩し+社内失業温存」では将来見通しが全然立っていない。あったとして、せいぜい、景気回復までを内部留保切り崩しで耐えに耐え、耐えきれなかったら倒産,耐えたらOKでしかない。運任せだ。(さすがに、日本の経営者もここまでバカだとは思わないが)

 一方、「内部留保確保+不用人員削減」の場合、成功するかしないかは別として将来見通しが存在する。つまり、景気回復へ向けた投資を可能とすることで,将来の雇用創出が予想される。

 とまかく問題は,削減された人員が次の職場を見つけられるかどうか、また、それまでの生活手段をどうするか、つまり、セーフティーネットの問題につきる。

教えてちゃぶ台

2009-01-13 20:32:25 | Weblog
 前回はちょっと長かったので,今回は、今疑問に思っていることを短めに。

 それは、またしても「派遣労働者」についてなのだが(以下、「派遣」とあるのは、「派遣労働者」の意)、クビを切られた派遣が,ハローワークで仕事を探している絵なんかがテレビに流れていわけだが、クビになった、あるいは契約の切れた派遣の次の仕事は派遣登録先の会社が用意してくれるものではないのか?

 派遣企業なんて悪徳企業が,そんな親切なことをするわけがないと言う人がいるかもしれないが、そもそも、派遣業は自分のところに登録している「派遣」の稼ぎで成り立っているんだから、「次の働き先」を早急に探してそこに派遣を送り込まなければ、自分の経営がやばくなるのではないか?

 働き先を紹介したときに紹介手数料を派遣先からもらって、それで「派遣」との関係は終わりというのなら別だけど。

 「サラ金」の貸付金額を年収の3分の1以上は禁止という、いわゆる「総量規制」が、前倒して今年の秋から実施されるのだそうだが、そのため,闇金が急増しているそうで、その対策に自治体が追われている様子をNHKの特番で見た。

 私は,サラ金の規制は、暴力的な取り立てを禁止すればいいだけではないかと思い,何度か書いてきた。具体的には,督促は郵便だけに限るとか。そうすれば、金利なんかいくら高くたっていいのではないかと。

 それはともかく、番組に、現在ある市営住宅に住んでいる女性で、すでに金利だけで元金の何倍もの金額を払っていて、弁護士から、「業者から金利の支払いの要求があっても、もう、元金以上払っているのだから、絶対に応じてはいけません」と何度も釘を刺されているにも関わらず,払ってしまった。

 弁護士、怒ること怒ること。「あんなに言ったのに,なんで払うんですか!」と言うと,くだんの女性は、最初、「つい…こわくて」とか言っていたが、最後の方で一言、「業者と関係が切れるのが恐ろしくて」と言っていた。

 これは、つまり、金利を払っていればいつでもすぐに金を貸してくれるので、その関係が切れてしまうのが怖かったと言っているわけだ。

 ということは,この女性は,ある意味、弁護士とか、自治体の担当者よりも、闇金業者を信用しているということなのだが、NHKの番組ではそのことにはまったく触れず。というか、「関係が切れるのが怖くて」という音声を収録し、流していながら、その意味に全然気づいてもいない。

 金に困った時、弁護士は金貸してくれるのか? 自治体は、貸してくれるかもしれないが、審査審査で何ヶ月も待たされるだろう。もしかしたら、待たされたあげく,貸してくれないかもしれない。そんなのよりも、闇金だったらすぐに貸してくれる。ただし、利子を払っていれば。

 そうだろうなあ、と思った。赤羽のMさんもおなじようなことを言っていたっけ。

 もっともその場合、利子は、言い換えれば、借金の予約金みたいなものということになるから、それを他の一切の事情に先行して支払おうとする心理は、やっぱり不可解ではある。(「国」だったら、国の寿命は永遠だから、借金の予約というやり方は賢いんだけどね、たぶん)

姉さんかぶりに

2009-01-11 20:04:45 | Weblog
……割烹着、手にははたきを持って、ぜひ志村けんのコントに出てほしいと、テレビで見るたび思う、派遣村の村長さん(なのかな?)湯浅誠氏の主張は、《日本社会に特徴的な病理としての「自己責任」論への批判反論》にあるそうだ。

 すなわち、曰く、《日本社会に蔓延する自己責任論は、……「負け組」の人々においても内面化されてしまっており、所持金が底をつきどうにもならなくなるまで「自己責任」で頑張りすぎる者が非常に多いと湯浅は指摘している云々》。

 いや、まったくそうなわけで、私はそれを、「努力次第で出世できる」とする日本の縦社会の自己矛盾の現れだと言っているわけだが、湯浅氏には、そういう社会学的観点はないようだ。

 たとえば、「負け組」が社会から排除されたのだと言って、次の五つの要素を指摘しているそうなのだが(ウィキペディアからコピペ)、突っ込みを入れされてもらう。

1、教育課程からの排除
 親世代が貧困状態である場合、その子供たちは多くの場合中卒あるいは高校中退で社会に出なければならず、社会的階層上昇(貧困脱出)の為の技術や知識、学歴を獲得することが極めて難しい。この背景には、日本がOECD加盟諸国の中でも、学校教育費への公的支出のGDP比が下から2番目という、教育関係への公的支出が極端に少ない国であるという問題がある。

 →貧困家庭の子女でも頑張れば出世できるというのが、日本が近代化を推進するに当たってもっとも大きなインセンティブであったわけだが、実はそれが怨嗟の的でもあったという事実への視点が湯浅氏にはないように思う。たとえば、もし日本政府が湯浅氏の批判を受け入れて教育関係への公的支出を増やし、貧困家庭の子女が大学以上の学歴を取得できるようになったとしても、それは出世レースに貧乏人も参加できるというだけで、日本の社会の「縦型構造」にメスを入れない限り、現実のレースにおいて敗北すれば、努力不足だったかと自己を責め,一方では社会を怨嗟するという現状が変わるわけではない。要するに、湯浅氏には問題を根本から把握する視点がない。

2、企業福祉からの排除
小泉構造改革によって激増した非正規雇用の人々は、正規雇用の人々に与えられている雇用保険や社会保険、企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されており、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。

→非正規雇用者と正規雇用者の間の「格差」こそがまさに問題なのだが、テレビ等でみる湯浅氏はこの問題をあまり指摘しない。正規雇用者の団体である連合への配慮か? それから、非正規と正規の間の「格差」は小泉構造改革とはまったく関係がない。元来、非正規であれ正規であれ,同じ労働をしている場合は同一賃金であるべきなのだが、これは「横社会」の特徴なので、縦社会の日本ではなかなか実現しない。(でも、実現すべきだと私は思う)

3、家族福祉からの排除
低負担・低福祉である日本社会では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしているが、貧困状態に陥る人々はもともと頼れる家族・親族が居ない(例えば家族・親族もワーキングプアであるなど)ことが多い。

→「親族間の相互扶助」は大家族制度の特徴であることを湯浅氏はまったくわかっていないようだ。大家族制度のもとでは、一度も顔を合わせたことのない人でも、「親戚」であることが確認されれば、ただちにそのネットワークに組み込まれ,扶助を受ける資格が生じる。(実際のところは大した扶助は受けられないかもしれないが,精神的一体感が得られることは大きい)一方,日本は小家族制度であり、「遠い親戚より近くの他人」と言うように「親族間の相互扶助」は機能しない。ちなみに欧米,特に米英は大家族制度ではないけれど「横社会」である。これは、「階級」が大家族制度における「親族」、あるいはカーストにあたり、労働者間で「横のネットワーク」を形成する。(これが、同一労働同一賃金の理論的根拠になる)つまり、労働者であることは、親族、あるいはカーストがそうであるように1つの「資格」であって、日本のような、「出世レースの敗者の吹きだまり」を意味したりするようなことはないのだ。

公的福祉からの排除
「ヤミの北九州方式(水際作戦)」に代表されるように、現在の日本では生活保護担当の公務員は、申請者をあれこれ理由を付けて追い返すことばかりに力を入れており、いよいよ追い詰められた状況でも生活保護受給に辿り着けない者が非常に多い。湯浅は現在、生活保護受給資格があるにも関わらず「水際作戦」などによって生活保護から排除されている人々(漏給と呼ばれる)を600万人から850万人と見積もっている

→公的福祉制度が非能率であることはどこの国でも同じ。そのため負の所得税制度とか、ベーシックインカム的な制度の導入が求められるのだが、湯浅氏は、なぜか、ワーキングシェアについてはまあまあ反応する(連合への配慮か自分からは言い出さないように見えるが…)ものの、ベーシックインカムにはまったく触れない。知らないはずはないだろうに。

自分自身からの排除
上に述べた4つの社会的排除に直面した結果、自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう状態を言う。

→これは,私がずっと言っていることだが、湯浅氏には「社会学的観点」が欠けているので、「小泉改革のせい」となってしまう。


 川口市で、カッターをバッグに入れていた男が逮捕されたそうだが、私じゃありませんので、よろしく。

「派遣」は根性なしか

2009-01-07 20:40:37 | Weblog
 なぜ「派遣」は暴動を起こさないのか、という2chのスレに次のような文章を書き込んだ。

『810 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/01/03(土) 17:07:33
「努力次第で何でも可能」が建前の社会である日本では、労働者は失敗者の群れであると労働者自身が、
無意識に思っている。派遣労働者あるいは、その派遣すら切られた連中においておやだ。
要するに、自己に対する評価が低いから、その自分を守ろうとする気持ちもわいてこない。
これが、日本で暴動が起きない理由だ。 』

 するとすぐに書き込みがあった。

『811 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/01/03(土) 17:26:52
早い話し、根性なしってことだ 』

 それからしばらく間が空いて、以下の書き込み。

『815 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/01/03(土) 23:51:04
810と811に激しく同感!と言う訳でこの駄スレ終了!! 』

 いや、私の書き込みに「激しく同感」してもらったのはありがたいのだが,私は、「派遣」が根性なしだからこうなったなんて一言も言っていない。

 仮に、派遣労働者に「根性なし」が多いとしても、それは今問題になっていることとは全然関係ない。それくらいわかってくれよな~とがっかりしてしまった。

 右(?)がこうなら、左は、製造業への派遣を禁止せよと。

 いや、今、派遣が製造業から解雇されているわけで、その製造業への派遣を禁止せよって…どーゆーこと?

 昔,バブル最盛期の頃、旧国鉄の清算事業団が新橋操車場の広大な空き地を数兆円という巨額で売却しようとしたところ、全マスコミが「地価上昇に拍車をかける」という理由で大反対し、結果、売り時を失った事業団は、結局1兆円を下回る価格で売却することになったことを思い出した。

 地価が急騰したのは、もちろん、金あまりで行く先を失った金が不動産に向かったという側面はあるにせよ、基本的には優良な不動産が少なかったせいだろう。

 つまり、地価が上がるのは、要するに需要が供給を遥かに上回ったからで、その少ない供給をさらにしぼってなんで価格抑制になるのかと目が点になったことを覚えているが、今はそれに匹敵するほど日本人全員、おそろしいほど非論理的になっている。

 もともと日本人は論理的に考えることが苦手なんだが、最近は半ば意図的に、非論理的になろうとしているようにみえる。

 論理的に考えることが苦手→論理的に考えようとしても成果が上がらない→論理的に考えること自体を否定→ますます成果が上がらない→論理に対する苦手意識が増す→ますます成果があがらない→論理的に考えることをさらに否定→

 …の悪循環だ。

 「得手に帆上げて」というけれど、論理は苦手だから他に「得手」を探すという理窟はわからないでもないけれど,じゃあ、非論理的でいいかというとそうじゃない。どんなに苦手でも、論理的であろうとする態度は崩してはならないと思うのだが、どうも、それを崩そうとしているような気がしてならないのだ。

鯖色の背広を着た日本人数学者

2009-01-05 21:45:48 | Weblog
 今日のお昼過ぎの真っ昼間、新宿の街角に制服警官が二人、立って目を光らせている。

 また、なにやってんだと思いながら,通り過ぎると,後ろからその一人が追いかけてきた。

 きたきた、と思った。

 目が合うのは嫌なので、顔を見ないよう,うつむいたまま、彼らの方角をチラリと一瞬見ただけなのだが。

 「もしもし、最近,刃物で切り掛かる事件が多いですよね。

 「…」

 「それで、ちょっとバッグの中を見せてほしいんですよ」

 「いや」

 「ちょっとだけですよ。とがったものとか、カッターなんかもってませんか?」

 「もってないよ」

 と言い捨てて、用事のあったヨドバシに入ってしまったのだが、今思うとちょっと残念だった。

 「カッター持ってたらどうなるの?」

 って聞けばよかった。

 ところで、そのとき私のバッグの中に何が入っていたかというと、『数学の世界観』という本が入っていたのだ。

 私は数学は全然わからないけど、「数学者の世界観」にはとても興味があるのだ。

 それで、ヨドバシを出た後、紀伊国屋によって数学関連の本を立ち読みしたのだが、数年前、数学者のフェルマーによって提出されてから360年ぶりに「解決」されて話題になった「フェルマー予想」の解決のきっかけを作ったのは日本人数学者なんだそうだ。

 それは、谷山・志村予想とよばれるもので、ワイルズという数学者がこの谷山・志村予想を実証する形で「解決」したということらしい。

 志村氏のほうは今はアメリカで大学の先生をしていて健在だが、谷山氏は、「予想」を残して、昭和30年頃に、わずか31歳で自殺してしまった。それも、結婚する直前で,婚約していた女性も後追い自殺してしまったんだそうだ。

 死因がアパートから飛び降りたということで、アメリカのマンションかなにかから飛び降りて、後追いしたのも現地のアメリカ人美女かと、勝手にストーリーをつくっていたら,東京の場末の4畳半アパートの窓から飛び降りたんだそうで、そのとき、キラキラ光る青緑色――ということは、「鯖色」という感じか?――の背広を着ていた。

 この背広は、彼の実家から、「色があんまりなんで誰も着ないのでお前,着たらどうだ」と送られてきたもので、数学以外はまったく無頓着だったので、それをいつも着ていた。

 4畳半アパート住まいでも、フェルマー予想に関する彼の提言は国際的に知られていて、ある日本人ではない研究者が谷山をつかまえて、「お前の考えではフェルマー予想を解決するのは難しいのではないか」と反問を繰り返した。

 ところが、その谷山がすぐに死んでしまったので、谷山に注目していたその外人の名前の方が有名になり、一部ではその外人の名前である「○○○(忘れてしまった)・志村予想」とよばれている。

 とあったのは外人の書いた本で、その著者は、「○○○は人生の皮肉を大いに楽しんでいるようだ」と締めくくっていたが、いや、そんな日本人がいたんだなあ。

 フェルマー予想が解決されたということは、世界的な大ニュースで、日本でも――ノーベル賞騒ぎとは比べ物にならないにしても――まあまあ大きく取り上げられていたと思うが、それにここまで日本人数学者が関与しているとは知らなかった。

 ところで、フェルマー予想とはどういうものかというと、「簡単にいえば、ピタゴラスの定理を示す数式 X2乗+Y2乗=Z2乗の乗数が2より大きい整数はないということだ。あるという証明は1つですむが、ないという証明は無限が絡むから難しい。」と「道楽おやじの独り言」というブログに書いてあった。

意外にも

2009-01-03 19:54:24 | Weblog
 なんとかかんとか年も明けて、意外なことに,今年はさすがに来ないだろうと思っていた年賀状が数枚届いた。

 どうもありがとうございました。ブログですが、明けましておめでとうございます…って、パソコンもっていてもほとんどネットをやってない人ばかりなんだよな。

 その中の一人、○ざきあ○み先生からの年賀状に、知人から竹久夢二の原画をもらったと書いてあった。

 夢二から出版関係者に送ったはがきだそうで、例の美人画が書いてある。

 鑑定団に出したらいくらぐらいつくだろう。

 文面がありきたりで、「夢二の私信」としての価値はあまりなさそうだけれど、5.6万円にはなるだろうなあ。

 って,全然わからないけど、そういえば、私のところにも、ある有名人が知人に送ったはがきがある。

 帝銀事件の犯人とされて結局獄死した平沢死刑囚が支援者に送ったもので、平沢は日展にも入選したことのあるプロの画家なので、ちゃんとした絵だ。

 オークションに出したらいくらか値がつくだろうか? つかないことはないだろうが、2000円くらいかな。

 「帝銀マニア」というのは、明らかにいると思うけれど、真相に迫るような内容のハガキではないし…なんでもかんでも集めてしまう「なんでもマニア」だったら、2000円で手に入るなら買っておこうとか。

 さてところで、もらっておいてこんなことを書くのはなんなんだけれど、年賀状にしろ、しめ飾にしろ、おせち料理にしろ、形だけの文化的習慣であって、意味なんかない。

 いや、もちろん、いただいた賀状には返事を出しますが、これは一般的な礼儀であって、これを欠かすとバチが当たるとか、そういうもんじゃない。

 …という風に一般に思われていると思うし,そうであればいいんだけれど、最近の傾向として、「形だけ」でもいいから、こだわるんだ!みたいなやつが増えているような気がする。

 江戸時代だって、「形だけですよ~」とわかっていて、型通りにやり過ごすのが本当の粋人なんだと思う。

 ねえ? 立川談志師匠。(昨日、特番を見た。長い長い。結構、三平など、「爆笑落語系」の人なのかなとも思った。)

 いきなり話が大きくなるが、ハマス対イスラエルの「戦争」における「宗教」も、つまるところ、日本人が初詣にかける思いと本質的には変わらないのであって、ただそれを、「形だけですよ~」とやり過ごすことができないような状況になっちゃってるということではないだろうか。

 いずれにしろ、イスラエルにもアラブにも「粋人」はいそうもない。そんな余裕はない。

 ところで、日本人の場合、初詣にしろ、どこかのお祭りにしろ、「形だけでもこだわるんだ!」と、粋人を気取った非粋人どもがいくら気張っても,別に実害はない状況だし、それがこれからも続くのだろうとは思うのだが、36歳無職がホームレスを殺した報道なんかを目にすると、ちょっと心配になる。

 なぜだかわからないが、「粋人を気取った非粋人」と、この36歳の無職がなぜか重なって見えるのだ。(視野が狭いということかな?)

 秋葉原の連続殺傷事件より、ずっと根が深いものがあるような感じがしているのだが、ま、今後の報道待ちというところか。