パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

小沢! 党を割れ!

2011-08-29 21:21:09 | Weblog
 「野田首相」なんだそうである。

 書く気力が湧かないので、パソコンの話。

 キーボードがおかしくなった。

 やっぱり、キーボードの上で食事をしたのがいけなかったか。

 秋葉原のMac専門の中古屋に行ったら4250円だった。

 高い!

 「おかしくなった」だけで、使えないわけではないので、買うのをあきらめて帰る途中、ソフマップに寄ったら、なんと、980円だった。

 で、今、それで入力してる……ところに、ふと、テレビ画面に目をやったら、野田が当選後の挨拶で「ノーサイドにしましょ♡」とぬかしていた。

 小沢!

 党を割れ!

「生活」と「景気」

2011-08-20 16:05:17 | Weblog
 最初、代表選に消極的だった前原が、ここにきて態度が微妙になってきたのは、マスコミの解説によれば、前原は当初、野田から禅譲を受けるという約束というか、そのような見通しをもっていたが、肝心の野田の当選が確実と言えない状況になってきたかららしい。

 私は、政策的に「野田だけはご勘弁」と思っていたのだが、政策云々の前に――もし今回の前原の動向がマスコミの解説の通りだとしたらだが――前原、野田の政治的見通しというか、「振る舞い」は、派閥選挙であった旧自民党総裁選挙そのままではないか。

 だとしたら、マスコミは、「解説」ですますのではなく、断固として批判すべきではないのか。

 何をって、彼らの政治家としての振る舞いを、だ。

 少なくとも「禅譲」という言葉を使った以上。

「政策」について言うならば、前の衆院選で「マニフェスト」に期待して民主党に一票を入れた一人として、「民主党のマニフェストは財政的に絶対無理」というのが「話の前提」になっているみたいなのが、変だ。

 財政的にきついのなら、消費税を上げればいいのだ。

 「消費税を上げて、マニフェストを実行する」

 これ、選択肢として絶対に「あり」だと思う。

 もちろん、マニフェストを変更しても構わない。

 その「精神」さえ、維持されていれば。

 で、その「精神」とは何かというと、「生活第一」でいいんじゃないか。

 そのためのアイデアなんかは、いくらでもあるが、問題は、消費税を上げると景気が落ち込み、「生活第一」と言いつつ、その生活自体がクラッシュしかねないという「反論」が予想されるところ。

 しかし、そもそも、日本の消費税が5%という低率で済んでいるのは、国民年金だとか、健康保険の掛け金だとか、高額の高速道路料金とか、いろいろ国民が負担しているからで、それを計算に入れれば、現状で、少なくとも10%に相当するだろう。

 だったら、国民年金も、健康保険も、高速道路料金も、全部税金(消費税)にしちゃえば、それでまかなえる。

 困る人なんか、いない。

 あ、いる。

 役人だ。

 役人だけは、仕事がなくなるので困るが、それだけだ。

 大体、我々の生活が、景気によって大きく左右されているのが、そもそも「変」だ。

 我々の「生活」は、「景気」とは無関係でなければならない。

 これって、実は、ベーシックインカムの基本的考え方なんだけどね。

 

送り火騒動

2011-08-16 00:38:29 | Weblog
 今日(昨日)は八月十五日ということで、終戦記念日だけれど、犠牲者2万余という未曾有の大震災に加え、福島原発事故が重なったことで例年とはちょっと雰囲気が違う。

 ここ十年、否、二十年先送りしてきた問題がどっと顕在化してしまったというか。

 犠牲者2万余の津波災害に比べ、福島原発事故は、死者は今のところゼロなのだから、津波被害の方が段違いに大きいのだが、正直言って、起きてしまったことだからしょうがない。

 どんなに堤防を高くしたって、犠牲者は出たに違いなく、生き残れただけで「幸い」と思うしかないし、そう思っても、決して不謹慎というわけではない。

 京都の送り火で騒いでいるが、「送り火」なんか、気休めにもならないパフォーマンスであることを玄郁さんとやらがはっきり指摘し、事態を収めるべきだし、それでこそ「宗教指導者」だと思うのだが、そんな自覚は芥川賞作家なんかにはないのだろう。

 寂聴先生も何にもおっしゃらない。

 で、当事者の一般人は、あっちの気持ちもわかるが、こっちの気持ちも無視できない……で何にも決めることができない。

 セシュームが薪から少しくらい検出されたって、実際にはほぼ無害であることは明らかだ。

 じゃあ、「送り火」をすればいいかというと、そもそも、そんなものに宗教的意味は全然ない。

 単なる「年中行事」であることは、誰もが承知している。

 「あれは、京都の観光事業ですから」と、寂聴先生なり、玄郁先生が指摘すれば、皆、一時期は憤慨するかもしれないが、「そういえばそうだよな」と納得するに違いないのだ。

 しかし、原発問題は、人間存在の根底を危うくするもので、宗教指導者もどうしようもない。

 前回の話題にことよせれば、人から「故郷」を奪ってしまう。

 もっと具体的に言えば「家=住処」を奪ってしまう。

 現実に可能かどうかを無視して反原発を唱える輩は、戦争に絶対に勝ち目がないのに開戦した旧陸海軍、そしてそれをどうしようもなかった政治家と同じ過ちを繰り返していると主張する某池○氏なんか、一見もっともなことを言っているように見えるが、そんなに単純な話ではないのだ。
 
 

人は、何を「懐かしむ」のか?(柳本尚規、史歩『Your village―― 故郷+〈故郷〉』について)

2011-08-11 16:00:07 | Weblog
 久しぶりに、写真について、少し長いですが。

 「風に吹かれて」の写真展以来、四ヶ月を越えたが、私がもっとも印象的に覚えているのは、通りすがりにフラリと現れた近所のおじさんやおばさんが、異口同音に「懐かしい」と言ったことだった。
 「懐かしい」は、写真を見る人の「常套句」だが、よく考えると不思議だ。
 近所のおじさんやおばさんは、私の写真の何に反応して「懐かしい」と言ったのか。
 それとも、「お世辞」だったのだろうか?
 正直言って、「常套句」とは、通常「お世辞」に等しいが、私には彼らがお世辞を言っている風には思えなかった。
 ある人(それは、若い女性だったが)など、見本としておいてあった『風に吹かれて』を、優に30分以上、私の目の前で食い入るように一ページ一ページ見、最後に「いくらですか?」と言った。
 私は「しめた!」と思い、「3980円です」と言うと、彼女は舌打ちして「足りない」とつぶやき、「また来ます」と言って帰ってしまって、それきりだったのだが、彼女は、まったく別の用事(集金かなにか)で画廊を訪れたので、私に「お世辞」を言う義理なんか何もないのだった。
 そこで私が想起したのは、柳本尚規、史歩親子による、写真集『Your village―― 故郷+〈故郷〉』に記された柳本尚規の文章だった。

 《「故郷は人が孤独でないことを告げる」。/そう思うようになってから、私は(柳本の故郷の)北海道へ行ってもたくさんの写真を撮らなくなった。というより、一処では一つ二つのシャッターしか切らなくなった。自分の目より鮮鋭なカメラを使わなくなった。小さなカメラのファインダーをのぞき、特別な気分ではない気分でシャッターを押した。そこにいる実感を味わい、ただそのことを残しておけばいいのだから。フィルムが私の記憶を保管してくれるのだから。》

 東尾久のおじさんやおばさんたちや、集金にやってきた女性は、私の写真に、柳本の言う〈故郷〉――「人が孤独でないことを告げる故郷」――を見たのだ、そう私は思ったのだった。

 しかし、何故、そういう心理が醸成されるのか。
 柳本は、次のように説明している。
 常に変貌して定まらない「記憶」をフィルムに焼き付け、保管する装置――それがカメラであるが、そのことを知れば、我々はそれに安んじて、「特別の気分ではない気分」で写真を撮ることができる、と。
 実際、柳本父子による写真集『Your village――故郷+〈故郷〉』に収められた写真はそういうものであったし、私の『風に吹かれて』もまたそうであってほしいと思う。
 しかし、「特別の気分でない気分」と「人が孤独でないことを告げる故郷」、換言すれば「人々に開かれた故郷」がどのような理屈でつながるのか、柳本は書いていない。
 もちろん、これは一つのアフォリズムとして書かれているのであり、そしてアフォリズムとは、「説明不能の言い切りにこそ、その魅力が潜む」(『遊歩のグラフィスム』平出隆)体のものなのだが、その「魅力」を確かなものとするには、「言い切り」に甘んじているわけにはいかない。
 要するに、どういう理屈でそうなるのか、理解しなければ、アフォリズムはアフォリズムとして成り立たないはずなのだ。
 そんなふうに考えている時、否、考えあぐねているとき、偶々入手した保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』(草思社)の一節が目に入った。

 《「私」「人間」「世界」というような言葉が出てきたときに、読者はそれらを“かたちのあるもの”として読んでいるのではないだろうか。“かたちのあるもの”として読む(考える)とは、言い方を変えると“外側から見る”ということだ。…(略)…/世間では物事をモデル化して語ることができる人を「頭がいい」というけれど、そんなものはたいした頭のよさではない。/…(略)…大事なのは、(“私”、“人間”、“世界”というものを)誰も(外側から)見たことがないということを知ることだ。…(略)…「外側から見ること」ないし「俯瞰すること」は、人間の認識にとって欠かせない能力であるのは、間違いないが、欠かせないが故に私たちは自覚なしにいろいろなものにそれを使ってしまっている。》

 唐突な引用になったが、要するに、“私”、“人間”、“世界”といった言葉で示されるもの(いわゆる「抽象物」)は実体をもたず、したがって、それを「見る」こともできないが、何故か、人は、それを「見る」ことができると思い、「見る」ことができるならば、それは「実体」として存在しているだろうと考える。
 この「堂々回り」に気がつくことが、小説入門の第一歩である、と保坂和志は言うのだ。

 一般的に、人は、「もの」を見るとき、その「外側」を見ている。 端的に、それが「かたち」、あるいは「外見」であるが、それは、そのものの真偽(本質)とは関係ない。
 たとえば、「見えているリンゴ=表象」は、見ている限り、蝋細工か本物か、すなわち「食べられる」か「食べられない」か、判断はつかない。
 「食べられるか、食べられないか」について、判断を誤ることは、リンゴに巣食う虫のみならず、我々にとっても命取りになり得る重要な問題であるはずだが、我々はあまり気にしない。
 では、我々は何を気にするのか?
 我々は、「見えているもの」が、見えている通りに「外」に実在すること、そのことを重要視する。
 より正確に言えば、あらゆる「見えているもの」は、内的表象として「私」の目に映っているだけであるが、その「内的表象」を自分の「外」に投影し(疎外し)、それが「外」に実在すると判断する、その判断が正当性をもつこと、そのことを、我々は重視するのだ。
 この知覚の習慣は、人の知性(意識)の大本を成すもので、実際には見ることのない、“私”、“人間”、“世界”、そして“故郷”も、自分の「外側」に見えている、すなわち「外に実在している」かのように思い(ブレンターノは、このことを「意識は常に何ものかについての意識である」と定式化し、現象学の先駆けとなったのだったが)、果ては、「写真に撮ることだってできる!」と考えてしまうのだ。

 『Your Village――故郷+〈故郷〉』は、「故郷は現実、〈故郷〉は夢想」と思っていたという柳本の述懐から始まる。
 柳本は、しばしば自分の故郷である北海道を息子の史歩とともに旅したが、その旅は、柳本自身にとっては「現実」を確かめるためのもの、息子にとっては「夢想に肉付けして、本当の現実に近づくため」のものだと柳本は理解していた。北海道は、柳本自身にとっては「現実の故郷」であるが、東京生まれの史歩にとってはそうではないからである。
 それを、柳本は「夢想の故郷」と名づけた。
 ところが、その旅で、北海道の川を見ている時、息子の史歩から「何を見ても何かを思い出しているようだ」と言われ、「気が重くなる」。
 現実だと思っていた、故郷・北海道は、夢想の故郷だったのか?
 たしかに、「故郷」は、それを見る人の「内側の目」によってのみ、見られる。
 事実としてはそうかもしれないが、それは人を孤独にし、人の気持ちを重くするだけだ。
 この「重い気持ち」は、イタリアの小説家パヴェーゼの小説の一節を思い出すことで打ち消され、柳本は解放される。
 それは、「故郷は人が孤独ではないことを告げる」という文言だった。

 《「故郷は人が孤独でないことを告げる」。/そう思うようになってから、私は北海道へ行ってもたくさんの写真を撮らなくなった。というより、一処では一つ二つのシャッターしか切らなくなった。自分の目より鮮鋭なカメラを使わなくなった。小さなカメラのファインダーをのぞき、特別な気分ではない気分でシャッターを押した。そこにいる実感を味わい、ただそのことを残しておけばいいのだから。フィルムが私の記憶を保管してくれるのだから。》(『Your Village――故郷+〈故郷〉』)

 「人が孤独ではないこと」を告げるメディアこそ、「写真」であったのだ。
 しかしこれは、素朴に見えて、実際は極めて難解な文章であると私は思う。(「アフォリズム」は常にそうなのだけれど。)
 では、どこがどう難解なのか?
 柳本は、自分の故郷に対する反省的意識(知)を徹底化する果てに、その反省そのものが自己滅却せざるを得ない次元に立ち至ったのであり、そして、その次元において、彼の故郷は「知」の次元ではなく、見えているものが見えている通りに存在する「像」の次元の性格をもつことになるのだ。
 そうしてはじめて、柳本の故郷は万人に開かれ、「人が孤独でないことを告げる」。
 心物2元論で言えば、理性(知)の力で「心」と「物」に分けられた世界は、「像」によって再び一つにつながるのだ。
 それが、柳本尚規、史歩の『Your Village――故郷+〈故郷〉』である。

 ここで再び保坂和志に話を戻すと、保坂は次のように書いている。

 《人間が人間として心から知りたいと思うことは、すべて外から見ることができない。つまり、その外に自分が立って論じることができない。それを知ることが哲学の出発点であり、芸術 (『書きあぐねている人のための小説入門』では、「芸術」ではなく、「小説」と書いているが、保坂本人も「ここは広く芸術と言うべき」と述べているので、以下「芸術」とする。)もまた完全に同じなのだ。哲学は社会的価値観や日常的思考様式を包括している。芸術も、社会や日常に対して哲学と同じ位置にある。つまり、哲学、科学、芸術の三つによって包含されているのが、社会・日常であり、その逆ではない。…(略)…/日常が芸術のいい悪いを決めるのではなく、芸術が光源となって日常を照らして、ふだん使われる美意識や論理のあり方をつくり出していく。》

 ここで「芸術」を「写真」に置き換えれば、保坂の言葉は、そっくりそのまま『Your Village――故郷+〈故郷〉』について語る言葉になるにちがいない。
 すなわち、被写体である日常のありようが(外から)写真のいい悪いを決めるのではなく、写真自体が光源となって日常を〈日常〉として、すなわち「像」の性格をもつものとして照らすことで、ふだん使われている美意識や論理のあり方として一般的な〈日常〉、故郷なら、〈故郷〉をつくり出すのだ。
 こうして「故郷は〈故郷〉となる。あなたの故郷と私の故郷は、《故郷》となって一緒になる」(柳本)のだ。

おんぶ考現学

2011-08-07 13:47:00 | Weblog
 魯迅の『故郷』について、ウェブで調べたら、やたらに数が多い。

 「え? こんなに人気のある小説だったんだ!」と驚いたが、よく読んだら、魯迅の『故郷』は、中学校の教科書でとりあげられているそうで、その「教え方」を教示しているのだった。

 もちろん、「希望はあるともないとも言える。…道をある人が多くなれば、そこが道になるようなものだ」という最後の文章の「教え方」を教えるのである。

 要するに、教師用のアンチョコサイトだったわけだが、無論、そこには「あるともないとも言える、と曖昧に書いているのは、希望をあからさまに書くと、現状不満を煽ることになるからだ」という、私のように天の邪鬼な解釈は皆無だったが、中で一つ面白いのがあった。

 それは、教え子――ということは、「中学生」ということだが――に感想文を書かせたら、その一人に、「歩く人は、希望をもつ人である」と書いた者がいるというのである。

 この中学生は、どんなつもりでこう書いたのか、わからないが、私は、「深い!」と思ったのだった。

 それはさて、今和次郎という人がいた。

 だいぶ前、多分20年前くらいに亡くなった「考現学」の創始者で、いつもジャンパーを着ていた人ということぐらいしか記憶にないのだが、その今和次郎の『考現学入門』という文庫本を古本屋で買った。

 読んでびっくり、ここまでやるのかというくらい、日常些末な事柄をことごとく記録している。

 「記録マニア」と言えば言えるが、彼の場合、「奇妙なもの」より、「当たり前の風物」に目がいっているところに、親近感を覚えた。

 というのは、子供の頃から、虎とかライオンとかパンダといった珍しい動物より、ロバとか馬とか羊とかウサギのような、動物園に行かずとも見ることのできる当たり前の動物を「動物園で見る」のが好きだったからだ。

 その今和次郎のコレクションの一つに「おんぶ」があった。

 「おんぶ」をどうやっているか、という観察を絵付きで解説しているのだが、面白かったのは、おんぶされている赤ん坊が、おんぶしている人より「身分」が上の場合、要するに、「子守り」もしくは、「女中」の場合、赤ん坊の頭の位置(要するに「視線」だ)が、母親が我が子をおんぶしている場合に比べ、比較的「高い」と書いているのだ。

 のみならず、今和次郎は、おんぶされている赤ん坊の方が、おんぶしている人(女中、子守り)よりも身分が上であることを、赤ん坊自身、わかっている、ともとれる書き方をしている。

 「身分」というと、表現がきつくなるが、要するに、赤ん坊が接触している背中が、母親の背中であるかそうでないか、赤ん坊自身わかっておんぶされているわけだ。

 なるほど!

 私は、長時間、母親以外の女性の背中にくくられて過ごす赤ん坊が、その女性を母親と勘違いしない(今和次郎風に言えば「愛を感じない」)のは何故かと思っていたのだが(私は、小学校1年生のとき、担任の女教師に「お母ちゃま」と言ってしまったことがあるので)、そもそも「おんぶ」を他人に任せるようになった時には、すでに母子の関係は確固としたものとなっているのだ。

 換言すれば、それ故に、我が子を他人に任せることができるのだ。

 それにしても、「おんぶ」という風習自体が、ここまできれいさっぱり世間から姿を消すとは、さすがの今和次郎も想像していなかっただろう。

 そもそも、「おんぶされている方がおんぶしている者より身分が高い場合に観察される諸問題」について、今和次郎自身、「質問の形で書いておきます」と書いているのだが、その気になって「考える」に、そもそも、「おんぶ」とは母親のすることではなく、「子守り」のすることだったのかもしれない。

 そう思えば、「おんぶ」が廃れた理由も何となく納得がゆくのだが……なんで、今和次郎は「質問のかたち」で、問題を提出したのだろう?

 「おんぶ」という風習は、近代日本の克服すべき「陋習」だったのだろうか?(私は「おんぶ」されたことしかないのだが、そうかもしれないな)

ルントゥが好き

2011-08-05 01:13:18 | Weblog
 ここのところ、どうもうまく文意が伝わらない。

 それで、今回、話題を変えたい。

 朝日新聞に月一回くらいのペースで大江健三郎が「定義集」という、コラムにしては長すぎる、ほぼ一ページの半分を占めるエッセイを書いているが、その2月15日分に、魯迅の『故郷』について書いている。

 私は魯迅が大好きだが、そんなに読んでいるわけではない。

 しかし、『故郷』は読んでいるので、おやおや、どんなことを書いているのだろうと思ったら、大江は、母親から中学の入学祝いにもらった「魯迅選集」をお祝いにもらったのだが、その後、大学に進学した際、帰省すると、母親が、『故郷』は読んだかと聞いたのだそうだ。

 大江の母親は、インテリというわけではないので、「魯迅選集」を息子に送るということ自体、ちょっと不思議なのだが、一人、進学した女友達がいて、彼女が魯迅の岩波文庫を送り、その中で、特に『故郷』が気に入ったらしいのだ。

 それで、母親は、帰省した息子に『故郷』は、読んだか?と尋ねたのである。

 大江は、終わりの一節を暗誦してみせた。

 「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

 有名な一節だが、これを聞いた母親は、「私は(魯迅の親友の)ルントゥが好きなのだが……」と、がっかりした顔で言ったというのだ。

 私も、ルントゥが好きである。

 ルントゥは、魯迅の「遊び」の先生みたいな魯迅の友達で、その中に、雀を捕る罠の使い方を教える場面がある。

 それは、籠の端っこを棒で支え、米粒を、そこに誘うように撒き、雀がかごの中に入ったらすかさず棒を引くという「罠」だが、ルントゥ曰く、これは雪の日でなければできないよ、と魯迅に教えたのだった。

 雪の日は餌が見つかりにくいので、罠も有効ということなのだろう。

 実は私もこのやり方でなんとか雀を捕ろうと、何度も何度も試みたのだった、

 しかし、全然だめだった。

 多分、私より少し年上の近所のS造ちゃんが、一度捕まえるのに成功したのを見て、うらやましかったのだと思う。

 本当に何回も試みたのだった。

 知人にもらわれていった私の家で飼っていた犬の子供(子犬)が、とても利発で、庭の雀を傷つけぬように、ふわりと噛んで捕まえ、その雀を今飼っています、という話を聞いたとき、かなわなかった自分の望みを果たしてくれたかのごとく、欣喜したくらいに、「雀捕り」は、私の夢だったのだ。

 そうか!

 あれは、雪の日でなければならないのだ!

 と、合点したのだったが、その「魯迅の遊びの先生」であるルントゥは、後年、魯迅の前に現れると、ひどく貧しく、魯迅に物乞いをする始末だった……という短編で、したがって、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という最後の言葉も、「歩いた後が道になる」といった高村光太郎流の、楽天的、というか、私に言わせれば能天気な「希望宣言」ではあり得ない。

 「地上には道はない」という、その「道」とは「希望」であり、そんなものは「この地上」には、「そもそも、ない」と、貧困にあえぐルントゥを見遣りながら言っているのだから。(ただし、「歩く人が多ければ」そこは「道」、すなわち「希望」になるのだが……)

 しかるに、一年の浪人の末、学帽をかぶる身分になって、得意そうに「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない……」と暗誦する息子は、そういう魯迅の深謀遠慮(「希望」を露骨に語ったら「煽動」と思われかねないので、「あるともないとも言えない」と曖昧に語っているのだ)をちっとも理解していない、と母親の目には映ったのだった。

 まあ、そこまで大江の母親が透徹に理解して、息子に失望したかどうか、それはわからないが、「いま母親と自分との心のズレがわかります」とサラリと書いてしまう大江健三郎って、「脇の甘い人」なんだなと思ったのだった。

 いや、その前に、その「ズレ」が何なのか、それを大江がどう認識しているのか、書いてくれなくっちゃである。(全然書いてないのだ)

どいてくれない

2011-08-04 00:33:46 | Weblog
 画面のど真ん中に、スピーカー音量調節のためという名目で3センチ×8センチくらいの矩形のボックスが表示され、どいてくれない。

 自然に消えることもあるが、10秒くらいで、また現れる。

 消せないなら、動かせばいいのだが、マウスでボックス内にポイントをもってくると、途端にポイント自身が消えてしまうので動かしようがない。

 しかし「邪魔」というだけで、他に悪さはしない。

 例えば、後ろに隠された画面を見ようと思ったら、画面を動かせばいい。

 ……のだが、邪魔は邪魔。

 OS(タイガー)をリセットすれば何とかなるのではないかと思ったが、同じHDにセットしてあるOS9で起動しても同じ現象が起こるので、ソフトではなく、ハードに不具合が生じているのかもしれない。

 それはさて、である。

 私が、「一つになれ、ニッポン」というスローガンに楯突いている理由について、前回、説明したのだったが、おかわりいただけただろうか?

 もとい、「おわかりいただけただろうか?」(西武のホームランキング「おかわり君」と、ショートの中島はかっこいいと思う)

 「一つになれ、ニッポン」は、要するに、家族が危機においては一つになって対処するように、日本も、国難に当たって「一つ」になって対処すべきだという意味だろう。

 というか、そうに決まっている。

 私は、このこと自体に反対しているわけではない。

 家族だろうが、国家だろうが、危機に直面した「コミュニティ」が、結束して危機を克服しようとするのは当然だし、それができなければ、その「コミュニティ」は、日本であろうが、アメリカであろうが、中国であろうが、どこであろうが崩壊するであろうことも、当然である。

 私は、「崩壊」を望んでいるわけではない。

 問題は、このスローガンが、発言者が明示された命令形――「一つになれ」ではなく、「一つになろう」とあいまいな話法で示されていることに象徴的に示されていると思うのだが、「一つになる」べき原理原則が「概念」ではなく、当事者同士の「実感」でしかないところにある。

 いや、そうではない。

 当事者同士が「実感」していれば、彼らは、当必然的に、「一つ」になるだろうし、そうなることは、容易に想像がつく。

 というか、「一つになろう」と言ったとき、すでに、「一つ」になっているのだ。

 じゃあ、なんで、いまだに「一つになろう」と言い続けるのか?

 う~ん、なかなかうまく言えないのだが、結局、我々は、責任をとりたくないので、責任を問うこともしないのだ。