パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

落第生が見る夢を、落第生として想像する

2012-07-16 13:54:56 | Weblog
 一昨日だったと思うが、NHKで原発に関する討論番組があって、そこに関西の経済団体の副会長で、阪急電鉄の社長とかそういう肩書きの人が出ていて、その社長さんが、冒頭、日本政府が、原子爆弾の破裂に等しい重大事故に備えて世界最高の知識と技術と経験を備えているアメリカ軍が申し出た全面協力を日本政府はなぜ断ったのか、私はこれが不思議でならない。原発の重大事故なんて、そんなにめったに起きるものではなく、したがって原発事故出動は、アメリカ軍にとっても極めて貴重な体験、情報収集の現場となるものであり、協力申し出は決してリップサービスではない。日本政府の誰が、どんな理由でその申し出を断ったのか、是非調べてほしいと発言した。

 まさに同感。

 ところがNHKの司会者は、「それはまた後で」と言って、結局後になっても、この問題が話題になることはなかった。

 別に、NHKが政府から圧力を受けているとは思わない。単純に「問題意識」になかっただけだろう。

 ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」の最初に、ここに書かれていることは私と同じ問題意識を持っている人だけがわかる、と書いているが、ではその「問題意識」は、哲学を学んではじめて、問題意識として理解されるのかというと、全然そうではない。

 普通の人間が普通に生活しているなかに「問題意識」は隠れているのだ。

 たとえば家庭の主婦がスーパーで新鮮な食物を選んで買いながら、買って冷蔵庫に保管した食物は古いものから使うという日常行為がそうだ。

 この生活者に日常的に見られる恣意的作為性は、実はウィトゲンシュタインの言う「問題意識」の現れなのだ。

 と思う。

 話が逸れたけれど、その「問題意識」において、討論番組でもっとも拙劣と思われたのは寺島実郎で、彼は、今後も世界的規模においては、推進され続けるので、日本が原発から撤退して技術力を失ったら原発輸出競争に遅れをとると言っていた。

 ハハーン、日本政府は、現在、ベトナムに原発輸出兼技術援助を行おうとしているが、あんな事故を起こしてなお、原発輸出を夢見ていることを不思議に思ったが、寺島は鳩山のブレーンで、普天間基地の「最低でも県外」発言のもとだったそうで、その寺島の影響が、民主党において、まだあるのだとわかった。(鳩山がまだ民主党員であることに象徴されている。)

 「事故を起こしたことは事実だが、起こしたからこそ、それを克服し、より安全な原発をつくることができる」と、日本政府はベトナムに言いたいのかもしれない。

 まさにそれこそ「夢」なのだ。

 福島だけでない。

 東海村でバケツで臨海を引き起こして二人を死なせるという、原発落第生であればこそ見る夢だと、工学部の落第生である者として断言する。

 アメリカの援助を日本が断ったのは、それを受け入れると、自分が落第生であることを認めることになるからだし、SPEEDIの情報公開をしなかったのも、自分が失敗者であることに直面したくなかったからだ。

 マスコミは、SPEEDIであれ、なんであれ「情報公開」すべきであったと、「情報公開」が絶対正義であるかのごとく、強調するが、情報公開した後の事態を考慮せずに、闇雲にアナウンスしたら、パニック等、もっと酷い目になることが起きたかもしれない。

 だとしたら、「SPEEDIの情報」は、関係者(政府当局、警察・消防、自衛隊)のみが知ることにとどめ、彼らが、北西に向かう人、車両の通行を制限すればいいではないか。

 「そんなことをすると、北西が危ない、ということを教えることになる」と言う人がいるかもしれない。

 というか、当時の日本政府、官僚はそう考えたのだろう。

 もし情報を明らかにしてパニックを引き起こすことと比べれば、現状程度(当時の)の被爆線量なら、あえて浴びてもらった方がパニックを引き起こすことと比べれば「ベターだ」と。

 しかし、そこまで冷静だったとは、考えにくく、だとしたら、SPEEDIの管轄が文科省だったので他の省庁に情報がまったく伝わらなかったという巷間伝えられている「縦割りの弊害」が「現実」かもしれない。

 「原発落第生」としては、それがもっともあり得る話だ。

 それはそうと、阪急電鉄の社長さんは「原発推進派」として登場していたが、再生可能エネルギーについて、「再生可能エネルギーを否定するわけではないが、それよりLEDをはじめとする省エネ技術の開発の方が現実的」と言っていた。

 これもまさにその通りだろう。

 話が飛ぶが、整備新幹線を復活させた理由を野田政権は明言していないが、多分、新幹線が全国を走るようになれば景気も復活すると「なんとなく」思っていて、でもそんなことを言うと、「なんとなく人にバカにされそう」で、それで自民党時代の懸案処理という感じで話を進めているのだろう。

 しかし野田の本音は、それをはるかに越え、リニア新幹線をも視野に入れているにちがいない。

 私の大学時代、隣の研究室はもっぱら「リニアモーター」の研究ばかりしていて、それがいつのまにか「スター」的な研究室になった。

 その彼らの人生が全否定されることについては「可哀想だ」と思う気持ちがないでもなく、したがって「リニアモーター新幹線計画」については、彼らの見る夢として、なんとなく同情的な気持ちがないでもなかったが、リニアは新幹線の何倍もの電気を使うことを知って、そんな気持ちはなくなり、それどころか、「原発が絶対に必要」と野田が言うのも、リニア新幹線をにらんでの「夢」であると想像することができることに気がついた。

 なんとまた低次元な話であるが、本当のところ、古今東西、そういう次元で話は進んでいくものなのかもしれない。

千尋の冒険って何だったの?

2012-07-07 02:07:43 | Weblog
 対韓国ででゃ従軍慰安婦問題の再燃、対中国(台湾を含む)では尖閣諸島問題が何やら風雲急を告げている。

 MXニュースで、「尖閣諸島を我が国の領土ですと言う勇気を持ちましょう」とかの文句が刷られた東京都のつくったポスターが紹介され,東京都に寄せられた義援金が十数億円に達したそうだが、なんでこんなバカバカしいことになったのかというと、尖閣諸島侵犯事件の「不手際」に端を発している。

 しかし,私は,この件については事件が起きた当初からずっと言い続けているのだけれど、審判した漁船の船長を逮捕してしまったのは,不慣れからくる手違いだったが、アメリカと協議して、逮捕した船長を釈放したのは正しい判断だった。

 中国に対しては「日本国の領土を侵犯したのだから日本の国内法で裁くべきだが、今回は勘弁する」と言えばいいだけ。

 ところが、当時首相になったばかりだった菅直人は、事件の勃発に相当あわてたらしく、中国漁船が日本の海上保安庁の船に体当たりしているビデオをひた隠しに隠した。

 「あんな傍若無人な無法者を釈放した!」と非難されることを恐れたのかもしれないが、「ご覧の通り、傍若無人な無法行為だが、日中の友好関係を重視した。」と言えばいいだけ。

 「ものは言い様」というと、インチキくさいが、世界というのは言葉で成り立っているのだ。

 もし、そうでないとしたら、言葉とは無関係に存在する厳然たる事実が、すなわち真実だということになる。

 でも、そんな事実は存在しないし、存在すると信じても、それは「盲信」にすぎない。

 たとえば、「従軍慰安婦問題」。

 「従軍慰安婦なんて制度は日本軍にはなかった。民間の業者が軍にくっついて動いていただけ。まして、日本軍の将校がやってきて、うら若い乙女を拉致していった、なんてことはあるはずがない」と言うのが,日本の保守派の言い分。

 確かにある女性は、自分が女学生時代に拉致され、5階建ての大きな従軍慰安婦専用船に乗せられ、その一番下に収容された」と言っていたが,慰安婦専用船というものはなかったそうで、これは多分、夢かなにかを事実と思い込んでしまったのだろう。(特に「一番下」というのが、彼女に働いた深層心理を匂わせる。)

 でも、そういう事実は、問題ではない。

 少なくとも,今後はそうなる。

 それで、最近,注目されるのが、クリントン国務長官の発言。

 以前は慰安婦のことを「comfort women」と、かなりグロテスクな表現で言っていたのが、「人権を侵犯された女性」と言い方を変えたそうで、韓国も多分同調するだろう。

 というか、韓国とはもう擦り合わせをすませているのかもしれないが、日本も同調して「解決」を目指すべきだし、解決できるだろう。

 自信をもって,イケシャアシャアと謝るやり方を,イギリスあたりに学ぶべきだ。

 もう先週になってしまったが「千と千尋の神隠し」をテレビでまた見た。

 ただし、前見たときは、両親が豚になってしまってからで、今回は豚になるところあたりから見たので、今や「食うこと」にしか興味がないとすら思える日本人に対する痛烈な批判だと思いながら見ると、湯屋で働いている雇い人たちは、衆愚の典型だし、クモ男のような薬屋の親父は、ニヒルな知識人、もしくは傲慢な職人に思え、また、名前を奪われたために自分の正体を見失うという設定も、「いや、深いなあ」と感心しながら見ていたのだが、そのうち文明批判は影を潜め、豚にされた両親を救おうとする千尋と千尋を応援する異形のモノたちというストーリーになり、醜い豚と化した両親は、救われたのかなんなのかよくわからないまま、でかいつらをふりまく両親として復帰し、いったい千尋の冒険ってなんだったの?と思ったのだった。

 しかし、あの中華料理屋でむさぼり食う、醜い両親の姿を見て「まさに、今の我々そのままではないか!」と気づかないのは、まったく解せない。