パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

エレベーター遭難記(付・ガガ丸遭遇記)

2011-09-27 22:17:36 | Weblog
 エレベーターに閉じ込められてしまった。

 場所は、知人のY卓、いや、Y宅。

 二十歳半ばで事故のため車椅子生活者となり、そのためかどうか知らないが、お父さんが4階建てのビルをつくり、以来その一室で暮らしている。

 3階の、そのY宅を辞したのが夜九時過ぎ。

 近所のコンビニでデジカメのプリントをしたいので、手伝ってくれというので、二人で一緒にエレベーターに乗ったのだが、2階近辺で突然止まってしまった。

 もともと住宅用の小さなエレベーターで、車椅子と私だけでいっぱいいっぱいになる。

 身体をひねるスペースもない状態で、「緊急時にはこのボタンを押してください」とあるボタンを押し、エレベーター管理会社に連絡、3、40分でエンジニアが駆けつけてくれたが、どうしても必要なエレベーターの機械室の鍵を管理してるYのお母さんが入浴中で、電話をしてもつながらなかった。

 これなんかも、立派な「想定外」の事態だ。

 エンジニアがエレベーターの天井の上に降り立つと、エレベーターが揺れたり、ドアを開いたら腰のあたりにフロアがあったり、往年の名画「死刑台のエレベーター」を思い出したりした。

 いい映画だったなあ、本当に。

 さて、そんなこんなで一時間あまりで、我々は「救出」されたのだったが、Yは、もうプリントなんかあきらめたかと思ったら「行く」という。

 普通の人だったらいい。

 でもYは車椅子なのだ。

 コンビニで用を済ませて戻ってきたら、また故障で動かないなんてことになったら、普通だったら非常階段を使えばいいが、車椅子ではどうしようもない。

 だからプリントはまた別の日にと思っていたら、「行く」というのだ。

 エンジニアに、自分は、このビルの住人ではなく、用事が終わったら帰るのだが、エレベーターは確実に直っているか?と尋ねると「たぶん、大丈夫」とニコニコ笑いながら言う。

 「たぶん、だってよ」とYの横顔を見ると、どうしても今日中に行く気分満々の顔をしている。

 しょうがないので、車椅子を押して5分ばかりのところにあるコンビニへ行った。

 そもそもデジカメなんか使ったことがなく、Yも撮るだけ撮ったあとは、写真屋でプリントしてもらっていたそうだが、その写真屋がつぶれ、コンビニでやるしかなくなったが、コンビニの機械を使ったことはないのだそうだ。

 自分の写真ならともかく、他人の写真なんで熱意がないことおびたたしいまま、コンビニでぶらぶらしていると、突然、大相撲秋場所で大活躍した「ガガ丸」がやってきた。(Yのビルは両国にあるのだ。)

 エレベーターが故障したのはちょうど日曜日、つまり相撲が終わったばかりで、今場所好調のガガ丸は、さぞや「喜色満面」……と思いきや、思いっきりブスッとした顔でジュースかなにかを買っていた。

 空色の浴衣を着て、背はそんなに高くなく、199キロの体重もそんなにあるように見えなかった。

 今場所好調を反映して、体全体が締まっていたのかもしれない。

 コンビニのプリント操作に手間どり、店員に聞いたりなんかしたので、予想外に時間がかかったが、「そろそろ電車がなくなるので、オレは帰るぞ」とYに告げ、西川口に戻り、テレビを見ると、ガガ丸は敢闘賞だった!

 それも、三日続けての黒星の後、千秋楽で勝利し、喜びのあまり勝ち名乗りを受けるのを忘れるほどの喜びよう。

 なんだったんだ、さっき見たあの「仏頂面」は?

 まあ、これもなんかの縁だし、これからガガ丸のファンになるかな。

 しかし、それにしても、夜九時過ぎにエレベーターに閉じ込められたときには、午前零時過ぎとはいえ、その日のうちに帰って大相撲ダイジェストを見れるなんて思ってもみなかった。

 昔、三島由紀夫が東大全共闘との討論会で「行動」の利点を「時間がかからないこと」と言っていたことを思い出した。

 逆に言うと「ああでもない、こうでもない」と「考える」ことは、とても時間がかかることなのだ。

 でも「作家」って、そういう「時間がかかること」をする人でしょ……と思うのだが、三島は「そんな仕事にはあきた」と言っていた。

 しかし、実際には最後(と思っていた)の作品を書き上げ、することがなくなったと思ったのかもしれない。

 でも、それはそう「思った」のであって、「思った」こと自体、すなわち「作品を書くこと」は、未然の出来事として「未来」に属するのであって……うーん、最近、ウィトゲンシュタインの「青色本」を読書中で、頭が混乱中です。

 まとまったら、また。

台風体験記

2011-09-22 00:55:48 | Weblog
 台風直撃!

 しかし、こんなにもろに直撃するとは思わず、朝、小さな折り畳み傘を携えて出かけた。

 そのときは、雨は降っていなかったが、新宿に着いたら猛烈な吹き降りになっていたが、歩き出して間もなく、横の男性が傘をさしていない。

 よく見ると、雨が上がっている。

 それで、自分も傘を畳んで歩き出したら、一分も経たずにまた雨が降り出した。

 この繰り返しで、新宿御苑近くのマルスの事務所に着いたときには、ずぶ濡れになっていた。

 でも、裸になるわけにはいかないので、新聞紙を身体の前後にはさみ、なおかつぐしょぐしょになった五本指ソックスと、その上に履いているもう一つのソックスを脱ぎ、これも新聞紙にはさんで椅子に敷期、その上で仕事をした。

 30分も経つと、新聞紙がぐっしょり濡れている。

 「新聞紙は役に立つ!」と感心しながら、何度も新聞紙を替えた。

 そうこうしているうちに午後5時過ぎになり、なにやら外が本格的に荒れ模様となってきたようで、なんとなく事務所も落ち着かない様子になってきたが、他の諸先輩方は今日明日にも片付けない仕事があるので、私だけ、やや早めに失礼することにしたのだが、外に出て驚いた。

 すっかり「台風」である。

 ほぼ乾いてしまっていたソックスも、100メートルも歩かないうちにまたぐっしょりになってしまった。

 しかし、昼と異なり、風が猛烈で、傘をさしている意味がない。

 歩いている人もほとんどいないのだが、その歩いている人も、多くは傘をささずに歩いている。

 しかし、私は頭からずぶ濡れになるのは嫌だったので、半開きにした傘を頭上にかぶり、後は濡れるに任せるかたちで伊勢丹まで歩き、そこから地下に潜ったが、歩いている人々は、そんなに「濡れた」風情ではなかった。

 もしかしたら、全身ぐしょ濡れの私も、他人から見たらそんなに濡れて見えてはいなかったのかもしれないが、ともかく、そんなこんなで新宿に着くと、新宿発着のすべての鉄道は止まっているという。

 マルスを出る直前、ネットで調べたところでは、京浜東北線が走っているような雰囲気だった(蒲田以遠が止まっているような表示だった)ので、新宿から秋葉原に出て、秋葉原から京浜東北に乗ればいいと思っていたのだった。

 どうせ埼京線には期待していなかった。

 埼京線では、風にあおられて布団が線路に落ち、それで一時間近く止まったことがあったのだ。

 「布団が吹っ飛んだだけで!」と半分笑いながら、怒り心頭に達したことがあり、以来、埼京線は信用していないのだ。(それだけではないけれど)

 それで、びしょぬれの身体で駅の階段に腰掛けながら、持参していた大森荘蔵の哲学書を繙きながら、時間をつぶしていると、山手線が再開したとのアナウンスがあった。

 これだ!

 これで田端まで行き、京浜東北線に乗り換えればいい。

 それで、駅員に京浜東北線は走っているかと聞いた。

 新宿は、京浜東北線は関係ないのだ。

 駅員は、京浜東北線が走っているという情報は自分は受けていないという。

 もしかしたら、走っていないのかもしれないが、とりあえず田端まで行くか、それとも、この際、早期の帰宅はあきらめて、Macあたりで時間をつぶすかと思い迷っているうち、再びアナウンスがあり、再開した山手線が、再度、止まっているという。

 「やっぱり!」とあきらめながら、下を見ると山手線の車両が見え、それが空いている。

 それで、Macではなく、山手線に乗って、座りながら再発車を待つことにすると、15分ほどで、うまい具合に発車してくれた。

 しかし、半乾きのシャツ、ズボンの身には、弱冷房の風がこたえる。

 そんなこんなで、田端着。

 駅員に、京浜東北線の上りは走っているかと聞くと、下を指差しながら、今来ているが、この後、間隔がだいぶ空いているので、少し込んでいるが、乗った方がいいという。

 見ると、超満員で、多くの乗客がすでに入り口からはみ出したかたちで、発車を待っている。

 「えい、ままよ!」と、人ごみの中に突っ込んだ。

 半乾きのシャツを満員の中で乾かそうという魂胆もあった。

 それでまあ、なんとか九時半過ぎに西川口に戻ることができたのだが、驚いたのがNHKのニュース。

 すっかり雨も風もやみ、道路も乾いているのに、延々と台風関連のニュースがつづく。

 福島原発が「すごいことになっている」ときだって、途中でスポーツニュースが挟まっていた。

 ところが、今回はそれもない。

 実は私は大相撲のチェコ出身の力士がどうなっているのか、知りたかったのだが、私は知ったのは、新幹線が止まったため、「ひいおじいさん(のお墓)に、自分の子供を会わせに行く予定だったが、できませんでした、オホホ」と語る若い奥さんの美しい顔であった。

 それも、都合四回!

 またまたNHK批判につながってしまった。

 それで、最後に、少し話を変える。

 インドのマハトマ・ガンジーのお墓には、「社会的罪」として、「理念がない政治、労働なき富、良心のない快楽、人格のない学識、道徳がない商業、人間性がない科学、献身のない信仰」が掲げられているそうです。いや、この碑文はすごい。すごすぎる。

 私は、NHKが、このガンジーが指摘する社会的罪のどれか一つ、または二つ、あるいは全部を犯していると言いたいのではない。

 あんなにエラそうに言うのなら、せめてこのガンジーの碑文を理解してからにしてくれと言いたいのだ。

 理解する知力があればね。

 ところで、この「すごい、すごすぎる」というのは、実は私の言葉ではなくて、日本アイン・ランド協会の会長さんの藤森みよこさんという方。

 どこかの大学で英文学だか、英語だかを教えている方で、アイン・ランドというのは、ロシア出身のアメリカ人作家で、藤森さんはそのランド女史(アイン・ランドはロシア出身のアメリカ女性)を紹介しようということで、ホームページをつくったのだ。

 「アイン・ランド」なんて名前も知らず、もちろん読んだこともない私が、なんで「日本アイン・ランド協会」のホームページを知ったのかというと、具体的な経緯は忘れたが、3、4年前になんかの拍子で行き会い、面白いと思ってブックマークしたのだった。

 それが、つい昨日だったか、数学基礎論の世界的権威、竹内外史氏(現イリノイ大学名誉教授というすごい人)の「数学的世界観」という本で「アイン・ランド」なる名前を目にし「あれ? どこかで見た名前だぞ」と思って、調べたところ、ガンジーの墓碑銘にこれまた行き会ったのだった。

 ちなみにランドは1982年に亡くなっているが、アメリカでは、一部の知識人からは「俗悪」と罵られることもあるスーパースターだそうだ。

 「俗悪」という評価が、どういうところから来ているのかわからないが、彼女の「知」を支える哲学は、あの竹内外史氏が自著で大量に引用しているところからも、本当にすごそうだ。(ただし、ガンジーの墓碑銘は、藤森さんの独断の掲載で、ランド女史の意見とは無関係のようだが、でも藤森さんのセレクトは、ランド女史の立場からしても正しい、と私は思う。)

鈴木教授、NHKに抗議

2011-09-17 22:22:37 | Weblog
 昨日のNHKの「生活保護」に関する番組で、クズニートは死ね、という「2chなみの過激な意見」を披露した学習院の鈴木教授は、「私はそんなことは言うつもりはなかった。湯浅氏との意見を際だたせかったNHKの捏造である。このままではもうNHKの取材は受けない」と抗議したそうだ。

 なるほど、そういうことだったのか。

 でも、こちらとしては問題にしているのは鈴木教授の意見ではなく、NHKの、自分の「正しさ」を演出すべく左右の極論を仕立て上げ、自分をその中間に置く、その卑劣な態度なのだ。

 しかも、斯く主張する自分のどこがどう「正しい」のか、その検証もない。

 何故なのか。

 それは、NHKの主張が、NHKのエゴイズムの発露でしかなかったからだ。

 活字メディアの場合、事後の検証を受けるが、放送メディアだとそれも実質、存在しないから、自身のエゴイズムに気づくこともない。

 私はよ~く覚えているのだが、地価が異常に値上がりしたバブル末期、NHKが連続四日間の特番を組み、その直後、橋本首相が不動産の「総量規制」を実施、バブルがはじけて地価が大幅値下がりに転じたのだった。

 その番組の最後に、番組の進行をつとめた担当アナウンサーは、「地価の異常な値上がりで庶民にとって一戸建て住居の購入は夢のまた夢となりましたが、では、地価が下がったら、どうなるか。それもまた大変な事態になることが予想されます」と言って番組を締めくくった。

 私は、テレビの前で「そりゃそうだ」とうなずき、問題の深さに気づいたのだが、肝腎の番組では、「もし、地価が値下がりしたら」という問題設定も提起もまったくなされなかった。

 それで、なんとなく不安に思っているところに、橋本が総量規制を言いだし、マスコミがそれを後押ししため、バブルがはじけたわけだが、バブルがバブルである限り、バブルは必ずはじけるのであって、問題は、NHKのアナウンサーが番組の最後に言った通り「はじけたその後、どうするか」なのだった。

 具体的には、「住専問題」をどう処理するか、それが問題だったが、時折しも、政権奪取を狙う小沢一郎が「政局」がらみで問題を紛糾させ、一方、「平成の鬼平」こと八重野日銀総裁が、バブル崩壊に伴う市場の収縮に対し、「金融引き締め」で応じるというとんでもない悪手を継続的に行ったこともあって、ずるずるずるずるずるずるずるずる……今日まで来てしまった、というわけだ。

 もっともこの辺のことについては、論じる人の立場によって様々なようで、私も正直言ってよくわからない。

 要するに、日銀を含む日本政府当局の危機対応が適切であれば問題は乗り切れたのか、あるいは、問題の本質は「資本主義の危機」にあるのか、それがよくわからない。

 「バブル」は、先に書いた通り、資本主義にはつきもの、言い換えれば「資本主義の本質」と言ってもいいような現象であり、これまで何度もそれが繰り返されてきたのだった。

 つまり、バブル発生、バブル崩壊、立て直し、バブル発生、バブル崩壊、立て直し…を繰り返してきたのだったが、日本が20年前のバブル崩壊後、いっこうに立て直しができず、あまつさえ欧米が「日本化」しつつあると伝えられる事態に、もしかしたら、今度こそ「資本主義」が限界に来ているのかもしれない、とも考えられるわけで、そう考える人がだんだん増えている。

 私も、後者の考えに近づきつつあり、それで、ベーシックインカムに賛成なわけである。(「働かざるもの食うべからず」という言葉が嫌なせいもある。実際、食わなかったら生きていけない。生きていけなきゃ、働くこともできない。死ね、パウロめ。)

 実際、ベーシックインカムが資本主義を救うという人は、結構多い。

 逆に「だからベーシックインカムはよくない」という左系の人もいる。

 いろいろ論点が錯綜しているが、錯綜しているところがいいわけで、今週はじめのたけしの「テレビタックル」では、かなり本格的にベーシックインカムが紹介されたし、世間の風向きが変わってくることを期待したい。

「事実」を見よ!

2011-09-16 22:36:03 | Weblog
 生活保護受給者が近年激増していることについて、今(9月16日午後10時)、NHKでやっているが、働く能力がある人に生活保護を与えるのは、ダメという2chなみの過激な意見を吐く学習院の鈴木教授と、まず雇用が必要だと言う湯浅誠が意見を述べ、NHKは「働くことが人間の尊厳を与えるのだ」と、ぬかす。

 その前に、まず、事実を見よ、と私は言いたい。

 生活保護の国際比較はなかなか難しい問題だが、生活保護費用の対GDP比で言うと以下の通り。

 イギリスは4%、フランス、ドイツは2%、アメリカは4%、日本は、わずか0.2%。

 受給者数の対総人口比については、イギリス16%、フランス2%、ドイツ5%、アメリカ10%、そして日本は、これまた、わずか0.7%だ。

 生活保護の受給額こそ、日本はかなり高いが、これには交通費を含む公共料金、食費など、生活費が日本は高いという事情がある。

 今年の春だったか、アメリカのフロリダ州が、日本の新幹線をいったん導入決定したものの、その後、拒否したが、これは「運賃、高すぎ!」というのが理由だった。

 中国が新幹線をどんどん作ろうとしているが、それは、今後増えるであろう、金持ち層がお客になってくれるという見込みがあるからだ。

 かつて、高度成長を前に、新幹線を建設した日本がそうであったようにね。

 ちなみに、日本の生活保護費は月12万6千円。

 食費、交通費、公共料金の現状を考えれば、適当と言っていいだろう。

 逆に言うと、よく言われるが、年金支給額が6万6千円と生活保護の半額程度でしかないというのが問題だ。

 それで年金制度の国際比較なのだが、イギリスの場合、日本の国民年金に相当する、自営業者が負担する掛け金は、月1600円。

 安ッ!である。

 対する、日本は1万6000円!

 「高ッ!」だ。

 イギリスの場合、44年間すべて払うと、満額で月6万4000円もらえるのだそうで、これは日本とあまり変わりないが、掛け金が1600円だからねえ…。

 日本の場合は、40年間、欠けることなくすべて払えば満額受給(6万6千円)となるが、最低25年払わないと受給資格はまったくない。

 イギリスの場合、最低11年間払うと受給資格が生じる。(44年に達していないと、受給額は減らされる。ただし、まったく払っていない場合でも、救済制度はあったはず。確か、80歳以上だと無条件で老齢年金がもらえるとか、そんな感じだった。)

 いずれにせよ、イギリスにおける年金支給額の「実態」は、平均月額7万4千円で、満額支給の場合の支給額、6万4千円を上回っている。

 対する日本の平均支給額の「実態」は、満額支給の6万6千円を下回る5万4000円だそうだ。

 25年以上、毎月1万6千円とられて、5万4000円!

 ちなみに、健康保険がないと評判の悪いアメリカの医療制度だが、低所得者向けのメディケイドと高年齢者向けのメディケアを併せると国家予算の16%が医療費に割かれている。

 対する日本は、国家予算に占める医療費は、ゼロ!

 なんでゼロかというと、日本の健康保険は、発案者である厚生省自身が認めているのだが、被保険者の保険料でまかなう「頼母子講形式」なので、国家予算(税収入)には頼っていないわけだ。

 もちろん「そんなこんなの結果」、ヨーロッパ、そしてアメリカは未曾有の財政危機に陥っているわけで、財務当局としては、なんとしてでもこれらの「事実」を日本国民に知らせたくないと思っているにちがいない。

 もし、日本国民が知ってしまったら、日本国民は「欧米並みにしてくれ」と言いだしかねない。

 民主党政権の樹立は、そうなる可能性をうかがわせるものであり、もし本当にそうなったら、まさに「破綻」が現実になるというわけだ。

 逆に言うと、日本は、今書いたような、「そんなこんなの結果」、実際は財務当局が言うような「破綻の危機」なんかではないのだが、でも、手強い小沢が政権を掌握すると、どうなるかわからない。

 そんな折しも、遅い来った未曾有の大津波!

 これぞ、カミカゼと欣喜雀躍した財務省の小役人ども。

 「一つになれ日本」、「絆が大事」と、現体制守護(実際は、特別会計制度の守護)の大キャンペーンを展開、NHKも「御説ご尤も」とばかり、口裏をあわせているわけだ。

 民放?

 民放は、な~んにも考えていない。

チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャンチャ~ン

2011-09-16 01:09:43 | Weblog
 暑い。

 運動会の練習中に熱中症で倒れる小中学生が続出らしいが、校長らしき人物がテレビで「本番では熱中症対策に配慮して…」とか言っていたが、天気予報で「本番」当日に猛暑が予想されるようなら、延期すればいいではないか。

 そもそも、夏休みが終わって新学期が再開されて間もない、今、「残暑」が厳しいことは想定済みのはず。

 「想定外の暑さで…」とは言わせない。

 何が何でも、決めたスケジュールは厳密に実施する、という官僚的思考は、もういい加減やめたらどうか。

 「運動会」自体は、悪くないと思う。

 いや、大好きだった、小学校の2年生までは。

 それが、突如、3年になってから運動会のあり方が変わってしまった。

 2年生までは、親がお弁当を作ってくれて、それを、狭い校庭だったが、みんなで食べたのだった。

 のり巻きとか、おにぎり等を。

 それが、3年生か、4年生になったとき、「中止」になり、家族たちはいったん家に食事に帰り、子供たちは教室でいつもの通りの給食を食べたのだった。

 また、あわせて、一等賞、二等賞等の賞品授与式もなくなってしまった。

 私は運動神経があまりよいとは言えず、3等に入ることもなかったので、「賞品授与」の栄に預かることもなかったのだが、3年生以後、参加賞として鉛筆を一本、全部終わってから教室でもらったように思う。

 ともかく、そういうわけで、小学校後半期の運動会は、全然面白くも何ともなかった。

 「興奮」がなくなってしまったのだ。

 中学生になると、環境も変わり、体格的にも大きくなるので、それなりの「興奮」を味わった。

 いや、「再現」したというべきか。

 ボルトが失格した先月の世界陸上なんか、まさに、「運動会」以外の何ものでもない。

 特に、最後に行われる「400メートルリレー」は、見ていると、運動会に決まって流れるクラシック音楽が私の頭の中で流れてしまう。

 「チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャンチャ~ン」

 それにつけても、と私は思うのだ。

 今、東京が再びオリンピックに立候補している。

 たぶん、震災後という同情票を集めて、開催決定になると思うのだが、そうなると「決めたスケジュールは厳密に実施する官僚的思考」が猛威を振るうことになるのだろう。

 そう思うと、ニッポン(東京)は、オリンピックを開催する場として選ばれて欲しくないとすら思ってしまう。

 少なくとも、日本が今のまま、「頑張れニッポン」を合い言葉にオリンピックを開催しようとする限り。

 この辺の理屈のつながりは、今少し、はっきりしないんだけれど、少なくとも、「なでしこジャパン」について、あるいは「侍ジャパン」について、私はごく自然な気持ちで、「勝ってほしい」とは思うけれど、それは東北の災難とは関係ない。

 それにしても、「元気を与えたい」と言い、言われたほうは、「元気をもらいました」と言い、これで「会話」が成り立っているのが不思議である。

お耽美と全共闘

2011-09-11 23:30:56 | Weblog
 昨日の話の続きだが、数日前、私は川口市役所に行き、健康保険の説明を受けると同時に、自動引き落としの手続きをとったのだった。

 「説明」してもらいたいと思ったのは、これまでの滞納分をどうしたらよいのかということだったが、市役所の係員の態度はまことに剣もほろろ、自動引き落としの対象ではないので、あなたがコンビニなり、金融機関に出向いて払ってください、というのだった。

 払い終わるまで、しつこくハガキが届くのだろう。

 嫌だなあ。

 こっちとしては、健康保険証がもらえればそれでいいのだが。

 それはさて、私の横で、ちょっとオタクっぽい小太りの青年が「月1万円なんて絶対無理です」と訴えていた。

 係員は、「では、5000円では?」と言っていたように記憶しているが、こちらはこちらで、渡された書類に目を落とすと、今年になって新たに請求されている介護保険分が入っていない。

 それで、そう言うと、介護保険は窓口が違うという。

 私は、オタク青年の訴えがどう扱われるのか、最後まで聞いていたかったのだが、そういうわけにもいかず、後ろ髪(?)をひかれる思いで指定された「別の窓口」へ行ったが、私はそこで、「万一寝たきりになってしまったら、お困りでございましょ?……」と、女性係員の説明を聞かされる羽目になってしまった。

 私は、「万一の事態には、枕元に青酸カリでも置いておくしか“打つ手”はないだろう」と真逆のことを考えながら、口では「ハアハア」と相づちを打つしかなかった。

 その後、自動引き落としのことを聞くと、開始月が一月ズレている。

 「ちがってますが」と言うと「ハイ、そうです」と言う。

 要するに、あちらはあちら、こちらはこちらのやり方でやっております、ということなのだろうが、そういえば、両方とも「保険」を名乗りながら、両者の間には、住民票とか、印鑑登録とか、外国人登録とか、非常に多くの人がやってくるであろう部局が挟まっていて、なんとなく仲が悪そうだった。

 それはさて、また、奇妙な夢を見た。

 ある集まりがあり、その散開時に渡されたチラシに書かれたシンポジウムに行った。

 場所はどこかの公民館のようなところなのだが、シンポジウムのテーマが「70年代を考える」とか、そんなようなもので、パネリストも、当時の、いわゆる新左翼、あるいは全共闘系の懐かしい論者が顔を揃え、集まった聴衆も私と同年代とおぼしき「団塊の世代」の親父たちが雁首をそろえている。

 しかし、「論者」たちは一向舞台に現れず、シンポジウムも始まらず、待ちくたびれているうちに目が覚めた。

 ……というだけだが、「ある集まり」があったことは事実で、そこで渡されたチラシも現実なのだが、ただ、そのチラシは「耽美の誕生・ボーイズラブ前史」という、明治大学米沢嘉博記念図書館が現在開催中(10月2日まで)の催しのチラシで、その内容が、同じ集まりで、途中、チラシを私にくれた女性とは別のところで話題になった「全共闘関連の話」にすり替わってしまったのだ。

 ただ「夢の最初」は、この「すり替え」に気づかず、むしろ現実に手渡されたチラシの「現実感」が夢の全体を支配していたので、シンポジウムのことも「夢」とは全然思わなかったのだ。

 その「現実感」が非常に「奇妙」だったのだ。

 あ、ちなみにその「集まり」とは、「月刊OUT」の元編集長を中心とする集まりで、私はそこで、集まりには出ていなかったが、歴代編集長の一人、鈴木倫太郎氏が、ノンポリの典型人物でありながら(私はそれ故に倫太郎氏と結構ウマがあったのだった)、そのお姉さんが京大パルチザンで著名な滝田修(竹本信弘)氏の妻であるということを知って、はなはだしく驚いたりしたので、多分、その記憶が「全共闘をしのぶシンポジウム」に変形したのだと思う。

 まあ、もしかしたら、かつて、私の脳裏を占めていた「全共闘関連の話」が「お耽美」にすり替わったのが、「アラン」だの「月光」だったりしたのかもしれないのだが。

消費税考2

2011-09-10 13:13:02 | Weblog
 前々回、消費税について触れたのだが、ネタ元が2ch経由(そのものではない)だったので、ちょっと不安に思い、調べたところ、財務省のHPには次のように解説されていた。大変にわかりやすいのでリンクしておきました。

 ウィキペディアによると、そもそも消費税には多段階方式と、最終消費段階のみで課税する単独方式があるのだそうで、本来であれば、単純だし、公平性も確保される(何故、公平性が確保されるのかはよくわからなかったが、そう説明されていた)単独方式が望ましいのだが、単独方式だと最終消費段階の税率がどうしても高くなる。

 政府はそれを回避するために、多段階方式を採用したが、事業者たちに配慮して、業者が仕入時に支払った消費税は、後で還付される仕組みになっているのだそうだ。

 業者への「還付」は、それだけでない。

 輸出業者、たとえば自動車メーカーなどが現地で売って消費税を現地の政府に納めた場合も、還付の対象となるのだが、その場合、トヨタならトヨタ一社が還付を受け、下請け企業にはまったく還付されていないので、去年だったか、共産党が予算委員会かなにかで追究したことがあり、当時担当大臣だった与謝野が「(還付を独占するとは)品性下劣である」と答えたのだそうだが(私も何となく覚えている)、その後、どうなったか。

 さらにわけのわからないことは、政府の全税収のうち、消費税が占める割合で、日本の場合は5%→約25%と五倍に跳ね上がるが、イギリスの場合は、17%→38%、フランスは20%→47%、ドイツは19%→34%と、大体二倍前後が「相場」なんだそうである。

 一体、何故五倍にもなるのか?というと、よくわからないが、もしかしたら、支払った消費税を申告せず、還付を受けていない業者が結構あるのかもしれない。

 私が「月光」を作っていた最初の頃は、まだ消費税が導入されていなかったし、その後も赤字がつづいていたりで、本の制作に絡み、支出した消費税の還付を請求するなんて、考えもしなかったのだが、赤字であればこそ消費税の還付を要求すればよかったのだ、と今にして思うのだが、「後の祭り」である。

 財務省(当時大蔵省)は、その辺りのことを、経験で知っていたのかもしれない。

 日本の法人税が他国に比べて「高い」と言われるが、これも還付その他、いろいろな「抜け道」があるので、実際にはそれほど高いわけではないと財務省は、「法人税が高い」と批判されると言い訳するが、実際には、外国企業が日本の法制度の「習慣」的な側面まで知っているわけはなく、説明を聞いて日本進出をあきらめるケースが多いそうだ。

 これも外国企業にはなるべく来てもらいたくない、財務省の「遠謀深慮」なのかもしれない。(今は、来てもらいたいのだろうが、そのために税体系をシンプルにすると、失われるものも多いと思っているのだろう。わからないが)

 要するに、どんなに制度が複雑でも、それ自体として法的に筋が通っていれば、それで批判を押しのけるのだ。

 しかし、法的に筋が通っていればといっても、全然、それ以前の段階で、話を通してしまうこともある。 

 たとえば、今、健康保険は「健康保険税」となっているが、じゃあ、健康保険は税金なのかというと、そうではない。

 あくまでも、管轄は厚労省だ。

 ぶっちゃけて言えば、厚労省が胴元の「頼母子講」システムが、日本の健康保険制度、および年金制度の実態だ。

 みんなが同じ頼母子講の仲間になりましょう、仲間になって積立金を払っておけば、いざ困ったとき、積立金から取り崩して助けてあげますよ、というのだ。

 しかし、「仲間」になるには、勧誘しなければならないし、「金がない」とかなんとかで断われればそれまでだ。

 だったら、なんで税金でやらないのか?

 全然、税金で構わないはずである。

 今、「健康保険税」と「税」を名乗っていても、厚労省に徴税権があるわけではなく、まったく虚仮威しの無意味な「名前」であり(「虚仮威し」なりの効果はあるのかもしれないが)、そのことをじっくり考察すれば、日本の官僚システムの隠された真相にまでたどりつけるはずである。

 すなわち、莫大な健康保険の掛け金の徴収、運用を厚労省にまかせることで「全体としての官僚支配」を確固たるものにしようというのが財務省の魂胆であり、それを「税」を名乗ることを許可するというか、黙認することで、さらに強化しようとしているのだ。

 何故か?

 それは、まさに、今、官僚がつくってきたシステムが「危機」にあるからだ。

 と、私は「官僚支配国家日本」の現状を見立てているのだが。

京浜東北線VS埼京線

2011-09-07 22:11:34 | Weblog
 ケータイを忘れたことに、川口駅で気づいた。

 どうしようかと迷ったが、大宮方面行きの電車が向かいのホームに走り込んで来たので乗ってしまった。

 しかし、よく考えると、西川口駅からアパートまで20分以上かかる。

 往復40分。

 今日はケータイなしでいいやと思い直し、一本遅れと思われる京浜東北線上り線に乗り直し、埼京線に乗り換えるべく赤羽駅で下車……したが、埼京線のホームは人でいっぱい。

 だったら、もうすぐ電車が来るかと思ったが、そうではない。

 それから優に10数分は待った。

 ホームは人であふれそうになった。

 印象的に、埼京線は京浜東北線に比べ、運用本数がかなり少ないという印象を持っていたのだが、現実に少ないのだ、と確信をもった。

 なんでだ!

 埼京線には、何故か、途中停車駅たった3駅(十条、板橋、池袋)の赤羽⇄新宿というものすごい短い路線が走っている。

 私は、高校生時代、高田馬場から赤羽に行くため、池袋⇄赤羽という、さらに短い路線を何度か利用したことを覚えているが、その「赤羽線」(名前は正確には覚えていない)の「名残り」なのだろうか、赤羽⇄新宿というのは。

 もしかしたら、池袋⇄赤羽なんてのも、今もあるのかもしれない。

 あったりして。

 でも、池袋⇄新宿は、多分ない。

 何故なら、池袋⇄新宿は、赤羽線の理念に反するからだ。

 結構、こういうことを気にするのではないかな、旧国鉄マンは。

 それはさて、現実には、埼京線は非常に利用者が多い。

 いつもホームに人があふれんばかりに待っている。

 JRは、なんでこのような状態を放置しておくのか。

 前にも書いたが、新宿発の埼京線の最終電車は、たしか11時55分だった。

 最終電車が12時前!

 山手線は深夜一時過ぎまで走っているし、京浜東北線も同じくらいだろう。

 いったい、この差別的待遇は何故なのだろう?

 JRは、もしかしたら、埼京線の使い勝手をよくすると、痴漢が日本一多いと言われる埼京線沿線の住民がさらに増えることになるので、それを怖れてたりして。

 駅内キオスクを土日祝日には休んでしまうという、奇妙な経営姿勢を思うと、そんなこともあり得るかもしれないと思うのだ。

 京浜東北線を3~4本乗り過ごしても、埼京線に全然余裕で間に合ってしまうのはなんでや!と軽い話題のつもりで書き始めたのが、「責任者出てこい!」になってしまった。

留守番

2011-09-06 22:27:25 | Weblog
 奇妙な夢を見た。

 場所は、あるマンション。

 それは、ここ10年以上、ずっと夢の舞台になっていたマンションで、以前は月額家賃にして10万円くらいだったような感じだが、その後、徐々に部屋が広くなり、昨日見た夢では、少なくとも20万円以上する感じだった。

 そこに、一人の男が訪ねてきた。

 誰だろうと思っていると、一人の女性が、私の後ろでしきりに首を振っている。

 「え? 誰?」と思ったが、「追い払ってくれ」と言っているようだし、ナイト気取りで、男を追い払ったが、女性は誰なんだろう、と思った。

 同居人はいないはずである。

 不思議に思っていると、その女性が言うには、このマンションは、実は、自分の恋人のものだったが、10年くらい前に、その恋人がアメリカに行ってしまった。

 それで、その間、留守番として入居したのが私なのだ、と言う。

 私は、「なるほど、そういうことだったのか」と思った。

 なんで、「夢」とはいえ、こんな豪華なマンションに住んでいられるのだろうと、以前から思っていたのだ。

 そして、彼女がさらに言うには、その彼氏が久しぶりに日本に帰ってくるので、その先遣として自分がやってきたのだ、と言う。

 なるほどなるほど。

 なんで、同じマンションの夢を見るのだろうと、夢が覚めてから不思議に思っていたが、その「謎」が解けたと思ったのだが、でもだからといって夢から覚めたわけではない。

 そういうわけで、なんだか、変な気持ちでいると、いつの間にか、女性の彼氏、部屋の持ち主が私の前にいる。

 顔その他、全然印象に残っていないが、その彼が部屋の2階に案内してくれた。

 2階があったのだ!

 そこには、多くの美術品――大半は版画だった――が収納されていた。

 彼は美術のコレクターだったのだが、なかなか素晴らしい作品ばかりで、感心していると、じゃあ、自分は帰るからとかなんとか、言い残して姿を消してしまった。

 私は、版画を手に、「どうしよう、きっと売れば相当な金額になるのだが…」と思っているうちに目が覚めた。

 目が覚めてはじめて「あ、夢だった」と気づくのが普通だが、今回のはそうではなかった。

 というより、いつもいつも見慣れている部屋なので、夢の中で「あ、いつもの夢だ」とわかっているし、今回もそうだったが、ただ、その夢の「構造」のようなものが明らかになったのが、今回、目新しかった。

 要するに、私はいつもこの夢を見ながら、なんで自分はこんな立派なマンションにいるのだろう、家賃はどうしているのだろうと思っていたのだが、「留守番」だったのだ。

 夢だと思うのだが、どうしても夢とは思えない、マンション(ほとんどは安アパートだが)は、ここだけでなく、他にもいくつもある。

 そして、その中には、本当に、どうしても「夢」とは思えないものもいくつかあって、そのことを考えだすと、本当のことも「夢」かもしれないと思ったりするのだけれど、実際のところは、本当のことは本当だとわかっているのだ。

 だとしたら、「本当=真」とわかっていること以外は、すべて「偽=夢」とすれば、話は終わりなんだが、でも私は、その「話」が好きだったりするのだ。

聞いてないよ!

2011-09-06 09:35:15 | Weblog
 上島首相がそこそこイメージ的には評判がいいらしいが、「マニフェストを実現せよ」派の私としては、最悪なのだ。

 あと、マニフェスト以前に、「増税」については言いたいことがある。

 日本は消費税をはじめ、税率が低いと一般的にいわれている。

 それで、財政赤字を受けて、税率を上げようと財務省はたくらんでいるわけだが、実際には、財務省管轄以外の、特別会計に計上されている金額(100兆円以上!)の多くは、諸外国では「税金」として集められているものだ。

 たとえば、健康保険や年金の掛け金は直接厚生省に行くし、高速道路の料金にしても、今は民間企業ということになっているが、諸外国では高速道路は無料が原則だ。

 別途とられる、新幹線の「特別料金」だって、特別会計的に含めてもいいかもしれない。

 アメリカで新幹線の売り込みが失敗したのは、料金体系で納得させることができなかったためだそうだ。

 なるほどな、と思う。

 あと、最近知ったのだが、消費税は、諸外国では「消費の最終段階」で消費者が払うのだが、日本では、蔵出し税というか、たとえば本を例にとれば、紙を仕入れ、印刷をし、製本をし、といった各段階できっちり消費税を国にとられている。

 そのようなわけで、現状の五パーセントでも、実質的には、十数パーセントの諸外国とほぼ同じらしい。

 それに、諸外国では、食料品はゼロか、ゼロに近い。

 ただし、外食を除く。

 たとえばイギリスなんかでは、レストランで食事をすると17パーセントとられるが、食材そのものはゼロだそうだ。

 日本では、弁当屋が仕入れた米、肉、野菜等、全部5パーセントの消費税を払い、なおかつ消費者が5パーゼンとはらっているわけだ。

 すっかり自炊派になった私としては、「外食」のみにかかるというのは、いかにも合理的であり、また健康のためにもいいと思うのだが。

 上島首相はこのような実態を知っていて、なおかつ「増税」しようとしているのか?

 財務省の幹部に対し、帽子を投げ捨て、「聞いてないよ!」と言ってくれれば、上島首相を支持する。

 ところで、その「自炊」に欠かせぬ電磁調理器具(ガスではないのだ)の調子が悪く、近所のリサイクル屋に行ったら、電磁鍋があった。

 ちょっと大きすぎることと、お湯を沸かしたり、シチューを作ったりできなさそうなので、他を探してみようと思っているのだが、その時、リサイクル屋のおばさんが言っていた。

 「女子大生が一回使っただけよ」。

 おいおい、同じ台詞を冷蔵庫を買ったとき言ってたじゃないか。

 「女子大生が一回使っただけなんで、きれいでしょ」と。

 いやまあ、実際きれいだったし、今も故障なく使えているので、全然かまわないんだけどさ。