パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

四里は長いぞ

2007-01-31 22:15:03 | Weblog
 柳沢大臣の「女性は子供を生む機械」発言に対して、作家(エッセイスト?)の室井祐月が、「許せないのは、機械という言葉を使ったということより、少子化の責任を女性に押し付けているところだ。私たちは子供を生みたいのだが、社会の環境がそれを許さない。夫だって、育児休暇をとると上司に皮肉られたりする世の中だ。政治家は、少子化の原因がどこにあるのか、本当のことを全然わかっていない」と怒ってみせていたが、どうしてこう、安易に政治家のせいにするかなあ。
 「少子化」は、ほとんど例外なしに、近代化に成功し、生活が安定し、豊かになるとどの社会でも起こる現象であることは、明々白々な事実ではないか。ヨーロッパ(西欧)各国は、まさにこの問題でずーっと悩んでいるし、韓国なんか、急激な近代化で日本より出生率は低いはず。アメリカのみ、例外的に人口が増え続けているけれど、これも増えているのは貧困層(ヒスパニック系とか)で、白人の上流階級は、少なくとも比率としては急激に低下しつつある。

 つまり、少子化の原因が「生活が豊か」になったところにあるとすれば、政治が成功したから少子化が進んだとも言えるわけで、たとえば、堺屋太一あたりは、人口が減っても、やりかた次第で生活を良くすることができるとか言っているが、たしかに、少子化の淵源が政治の成功にあるのだとしたら、その社会は、すでに能力的に実績があることを証明しているのだから、少子化にも対応できると考えることもできないではないかもしれない。
 しかし、この堺屋理論は、「良いデフレ」論みたいで、私としてはいまいち信用できない。実際のところは、社会主義による計画経済のみが公害を解決できると信じられていたのに、実際は、大失敗してしまったように、机上の空論に終わる危険性が大きいのではないか。何故なら、人類は、誕生して以来ずっと、「生産性」を右肩上がりで向上させることで生き残ってきたのだから。

 おっと、また大風呂敷を広げてしまった。

 田山花袋の『田舎教師』を読みはじめる。田山花袋とか島崎藤村のような「自然主義」は大嫌いなのだが、文章は好き。『破戒』の、「蓮華寺では下宿を兼ねた。」の出だしは余りにも有名だが、実際、かっこいい。『田舎教師』の冒頭は、「四里の道は長かった。」だ。これも、かっちょいい。
 しかし、四里というと、約16キロだ。これは、長い! 
 主人公の清三は、学生(中学校)時代、毎日、行田から熊谷まで三里の道を歩いて通ったと回想している。行田と熊谷がどれくらい離れているのか、私は両方とも知らない町なので、実感としてわからないが、わかる例で言えば、大体秋葉原から新中野あたりまでだろう。それを、毎日歩いたって?!
 「信じられなーい!」だ。
 実は、昨日、秋葉原から西川口まで自転車で帰ったのだが、この間、約18キロ。もちろん、スポーツ車だが、それでも、へとへとになってしまった。
 昔の人はよく歩いたものだが、これは、「健脚」とか、「頑健」とかいうよりも(もちろん、それもあるだろうが)、むしろ、時間感覚の現代人との違いが大きいのではないだろうか。
 我々は、自動車や電車に乗り馴れていて、その時間で生きている。たとえば、秋葉原から新宿まで15分も電車に揺られていればついてしまう。これを歩いたとしたら、1時間半は優にかかるのではないかと思うが、我々は、体力的に不可能という前に、都内の目的地まで「1時間半」かけて移動するということをしない。そもそも意識にない。この違いが大きいのではないか。

 てなことを考えた。

奥が深い家電製品とは?

2007-01-29 20:42:55 | Weblog
 一昨日、久しぶりにフリーマーケットに行った。お目当ては、オーブントースター。引っ越しの時に、いらないや、と捨ててしまったのだ。後で考えると、決して捨てていいものではないのだが、性能が悪く、愛着が持てずにいたのだ。
 そもそもトースターなんて、簡単な構造だから、エジソンが発明して以来(ちなみに、今はだいたい一日三食食べるけれど、これは、エジソンがトースターを売るために意図的に作った習慣だそうだ。テレビでやっていた。「あるある」ではない)、大して変わっていないだろう。つまり、どれを買っても「五十歩百歩」の製品だろうという思い込みもあって、パンを食べたくなったら、ガスで焼いて食べていたのだが、表面だけ焼けて、中は生パンのまま。これは、さすがに不味い。
 というわけで、もし、適当なのがあったら買おうと思って会場に足を一歩踏み入れたら、すぐ右手のコーナーにオーブントースターが転がっていた。
 「いくら?」と、ちょっとテキや風のおっさんに聞くと、「1200円」だと言う。そして、「いい品だよ。買って損はないよ」と言う。
 今書いたとおり、私は、トースターなんてみんな五十歩百歩だろうと思っていたので、「いい品」という言葉がいまいちピンと来なかったが、いきなり出くわしたのも何かの縁だろうと思い、「1000円でどう」と言うと、おやじは、黙ってそのオーブントースターを袋につめ、それを私に差し出して、「持ってけ」という。
 あ、いや、別に「買う」と言ったわけではないのだが、と思いつつ、簡単な器械なんだから、すぐに壊れるようなこともないだろうと、1000円札を出した。

 さて、ところが、買って帰って、実際に使って、びっくり。感激するくらい性能が良い。電熱部分は、単純な棒が上下に2本ついているだけで、前、使っていたのと同じで、焼き具合の調整つまみなんかも似たようなものがついているのだが、新しく買ったものにはサーモスタットがついていて、自動的についたり消えたりする。そして、意外に短い時間で、ピーと音が鳴って、焼き上がりを教えてくれる。

 取り出して、感激した。きつね色にこんがりと、全面、満遍なく焼けている。

 書いたように、熱の源は一本の棒でしかない。それでなんで、「満遍なく焼けるのだろう」と不思議にすら思った。(いや、本当に不思議だ。パンを乗せたお皿がぐるぐる回るとか、そういうこともない)しかも、2枚でも同様に、2枚裏表、すべて「満遍なく」こんがりと焼けているのだ。もちろん、中もカラっと焼けている。

 奥が深いなあ、トースターって。

なんか世間が“変”では…

2007-01-29 00:08:58 | Weblog
 グレーのG4は今のところ至極快調。音が静かなのが有り難い。
 パソコンの故障を防ぐため、また匡体を汚さないためにも、購入以来、禁煙実行! 今日で四日目くらいか…意外に長続きしている。
 本格的なヘビースモーカーではなくて、自分の家で吸うことはいっさいない。家の外で、なんとなく落ち着かない時などについ手が伸びてしまうだけなのだが、それがかえっていけない。禁煙の動機付けが弱いためか、ずるずると煙草を吸ってきた。

 クレイジーキャッツの桜井千里が同じタイプらしい。家ではまったく吸わないのに、家を出ると、とたんにヘビースモーカーになってしまう。その気持ち、よくわかる。
 できれば、人に会ったりせず、一人で篭ってこつこつやっていたいタイプだ。それなのに、人前でふざけるのが嫌いではなかったみたいで、不思議な人だ。まだ生きていたら、谷啓と二人の珍道中映画なんか、見てみたい。デビッド・リンチの『ストレートストーリー』みたいなやつ。

 谷啓は元気のようで、テレビでもちょくちょく見れるのが嬉しい。特に、NHKの深夜に、時々やっている、『美のなんとか』というのがいい。ステッキに四角い鞄を下げ、例えば、盆栽とか、陶芸の名品を訪ね歩くという趣向。「なるほどなるほど~」としきりに感心するだけで、それを作った職人なんかも出てこないが、それがすっきりしてていい。だいたい、職人は表面に出てくるべき存在じゃあないだろう。

 なんか、話がそれちゃったなあ。
 本当は、こんなことじゃなく、誰もが感じていることだろうが、今年に入ってから、なんか世間が“変”だということを書きたかった。
 頻発するバラバラ殺人、しかも身内。「身内同士」であれば、他人に被害が及ぶ恐れは少なく、したがって世間は一見平和であり…といったあたりが“変”な理由かとか…ちょっと陳腐か。

 もちろん、それは、今年に入ってから急にというわけではなく、実際には2、3年前からつづいていることで、私は、それは、自衛隊のイラク撤退を求める現地グループに捕まった三人組が「自己責任」を理由に非難されたあたりからではないかと思う。今、「自衛隊のイラク撤退を求める現地グループ」と書いたけれど、書いていて、思わず「プッ」と吹き出したくらい、非現実的というか、間の抜けた「要求」であり、「誘拐劇」は彼等の自作自演の可能性が強いと私は今でも考えているのだが、それはともかく、あの場面で、「自己責任」の有無が問題になるなんて、まったく馬鹿げていると思うのだが、小泉首相が、それを肯定するかのような発言をしたあたりから、すっかり「自己責任派」が勢いを得てしまった。
 もちろん、「自己責任」という倫理的原理はあり得るし、重要でもあると思うが、それは、あくまでも、当事者自身の問題であり、他人がとやかく言うことではない。(例えば、私が装備不十分のまま山に登って、遭難したとすると、、その場合、私は「自己責任」の原則に則って、救助隊に助けられる資格はないということだろうか。そんなことはない。)

 ところが、イラク事件以来、世間はすっかり頭に乗って、本来介入する権利などない事柄に平気でずかずかと侵入して論難するようになってしまった。言い換えると、自分が被害者でもない事柄に、被害者であるかのような顔をして、「介入」しようとする。

 もちろん、不二家の杜撰さは非難されてしかるべきだ。しかし、「被害者」が一人も出ていないことも確かなのであり、したがって、それを非難するにしても、たとえば、ガス湯沸かし器で21人も死なせてしまったパロマを非難することとは、その程度がおのずから違って当然であるのに、そのことに、気付かないのは、自分が「被害者」だと思っているからだろう。

 あるいは、妹の母親に対する言葉遣いが許せないからと言って、妹を殺した兄も同じだ。それで「殺して死体をバラバラにする」というのは、正直言って理解に苦しむのだが、いずれにせよ、「夢がないね」と言われてグサリと来て、殺意を抱くということはあり得るとは思う。しかし、その「殺意」を、「母親に対する言葉遣いが許せない」と、より一般化した「理屈」で説明し、あたかも、自分が妹の被害者であり、妹が殺されたのは、妹の「自己責任」だと言っているみたいだ。しかも、驚いたことに両親まで、それに同意している。びっくりしたな、もーである。

アメリカ式と日本式

2007-01-24 21:17:58 | Weblog
 ……というわけで、MacのグレーのG4を購入。26000円ちょっと。青白のG3とは形が同じだから、2台並んでいると、「タッチ」みたいで可愛い。26000円ちょっとは、ちょっとちょっと安すぎない?てか。
 たしかに前のG3は安かったものの、買った当初からいまいち調子が悪かったので、念をおしてみたが、店員は、ラベルに書いてある仕様で値段をつけているのです、と言うばかり。そのラベルに書いてある性能は同じように見えるのに、値段が違うマシンがあるのは何故なのかというのがこっがききたいことなのだが…。

 そんなこんなしているうちに、店員がぽろりと、「○○すると、スリープさせるとそのまま起動しなくなるトラブルがあるんですよね」と言った(○○が具体的になんであったかは忘れてしまった)。それそれそれ。前の青白G3は、最初からそれがあって、買った後で店員に聞いたが、わからなかったのだ。しかし、今頃わかってもな~である。

 しかし、G5は中古でも相変わらず高い。20万、30万は当たり前にしている。ということは、この価格でも買う人がたくさんいるということだが、いったいどういう人が買っているのだろう。私が思うに、出版、デザイン関係ではなく、音楽とか、CG関係だろうが、どうも、私は、X以降の、「直感操作を可能にするデザイン」が苦手だ。日本のアニメが好きな人は、概してディズニーアニメが嫌いだが、大体、あんな感じである。なんとなく押し付けがましいというか。

 実は、私はeMacも持っているのだが、OSXの画面に馴染めず、ほとんど使っていない。しかし、食わず嫌いを改めれば、クラシック環境で9も使えるわけだし、これに再挑戦すれば費用がかからないでよいのではないかと思っていたのだが、DVDドライブすらついていない。
 それで、Macに問い合わせて確認したら、私の持っていeMacは、DVDはおろか、CDドライブも読み込み専門で書き込みはできないという。実はあまり使っていなかったので、CDの機能をチェックすることもしていなかったのだが、まさか、書き込みもできないとは! 
 「そんなeMacなんてあるんですか」と聞くと、「あるんですよ」と言う。

 それで手持ちのeMacの有効活用は諦めることにしたのだが、Macでネットをやるには、ブラウザーがサファリでないと制限が多く、サファリは10.3以降でないとダメ。それで、いずれタイガーを入れたいと思っていると、店員に言うと、タイガーを9に上書きインストールし、起動時にどちらかを選べば、9もタイガーも両方使えますと言う。

 ええ? そうなんだ…。

 てことは、「X」上で「9」が使える、いわゆる、「クラシック環境」とやらはなんだったのだろう。Macマニアの間ではとっくに総括は終わっているのだろうが、あまり意味はなかったのではないだろうか。
 もちろん、アプリケーションを選んだ時に、自動的に「9」か「X」を選択してくれるというのは有り難いのだが、「9」の機能がすべて使えるわけではない。たぶん、アップル社としては実用上問題のないレベルで選択したということなのだろうが、別にどうということのないちょっとしたことでも、それができないと、ずっと気になってしまう。ふとんの上に藁が一本あっただけで気になって眠れないようなものである。

 アップル社に電話した時、電話をしただけで、「お客さま番号」を割りふられ、次に電話をする時はこの番号を言ってくださいと言われた。KDDIの時は、KDDIが勝手に相談内容を記録していて、1週間以上後に他の部署に電話をした時、私が相談した内容を全部承知していて仰天したが、どっちがよいだろう。
 ハッキリ言って、私はKDDI式のほうがいいと思う。たぶん、アップル社は、電話を受けた時点で相談内容を勝手に記録しておくのは、後で何か問題が生じた時にまずいと判断しているのだろう。
 ハンバーガーのマクドナルドも同じで、日本のお店にはふつうに置いてある、「不必要なレシートを捨てる箱」が置いてない。それで、多くの人がカウンターに捨てたり、募金箱に突っ込んだりしているのだが、店側はそれでも一向に改めようとしない。
 何故、「不必要なレシートを捨てる箱」を置かないのだろうと、ずっと考えていたのだが、アップルに相談電話をして、日本人社員だったが、「お客さま番号をメモしてください」と言われた時、気がついた。彼等は、客の責任と店側の責任を明確にわけないといけないと考えているのだ。マクドナルドもアップルと同じで、レシートを捨てるという、客の違法行為(かどうか正確にはわからないが)に加担するわけにはいかないという理由で、「不要レシートを捨てる箱」を置いてないのだろう。

 確かに理屈を言えばそうなるのだろうが、世界的には、KDDI式のほうが歓迎されるのではないだろうか。たかが数百円のレシートの有無が問題になるようなことはないと思う。しかし、それでも、頑として「これでよいのだ」式に押し付けるところが、アメリカ式ということかもしれない。

青くなったり白くなったり

2007-01-22 21:39:06 | Weblog
 パソコンの調子がいまいちよろしくないことは、以前からちょくちょく書いてきたが、一昨日から突如、モデムがうんともすんとも反応しなくなってしまった。「内蔵モデムの種類を選択せよ」と指示が出るのだが、とっくに選択済みである。
 それで、“どうせ直ったためしがないので使ったことがほとんどない”ディスク修復ファイルとやらで診断、修復を試みたが、「直りません」という答え。
 それで、最後の手段としてOSの上書きインストールを試したが、中途で「ハードディスクに問題があるのでインストールできませんでした」と、これまた腹立たしいほどのそっけない返答。

 最初、買った時、ハードディスクの容量が非常に大きい(80GB)のに、やたらに安かったので、つい飛びついて買ってしまったのだが、店員に、なぜ安いのかと聞くべきだった。

 しかし、今さら後悔しても後に立たずというわけで、なんとか無事に起動できている今のうちにデータをコピーしておこうと思ったが、ついスケベ心を出して、外付けのハードディスクにコピーした上で、その外付けのハードディスクにOSを入れて、そこから起動することができれば、データの移動も必要なく、一石二鳥ではないかと考え、ヨドバシでめぼしいものを見つけて相談したら、「マックではできません」と言って、カタログを見せられた。なるほどと思いながら、そば屋でそばを食いながら、そのカタログを再度見ると、「、」の位置が微妙で、マックを除外しているともいないともいえない文章になっている。そこで、次にソフマップに行き、店員によって、「できる」「できない」と答えがまちまちで、迷っていると訴えると、それはどこかと聞くので、「ヨドバシだ」と言うと、店員は、加藤武のごとく、拳骨で手のひらをぴしゃりと叩くようなことはしなかったが、かんらからからと大笑いしながら、「ヨドバシの店員ができないというのはマックのことをよく知らないから」と自信満々に言い切った。そして、「ファイアーワイヤー接続ができるならば、OSを投入できる。これマックの常識」と言う。
 この店員の態度に気おされ、中でも最低価格だった、1万5000円弱の外付けHDを購入、事務所に戻って接続してみたが、なんと、認識されない。

 あれこれやっても駄目なのでソフマップに電話をして聞きながら、あれこれやっているうち、細かい話は省くが、とどのつまりが、アチャー、外付けのディスクにOSを読み込んだはずが、古いHDに「新規書き込み」してしまった。ということは、つまり、データが全部パー。

 緊急事態に頭が真っ白になりながら、「あのー、ぜんぶだめになりましたー」と伝えると、件の店員は電話の向こうでしばし絶句。
 その後、あれこれやりとりをしたが、結論を言うと、私が使っている青白のマックG3は、確かにファイアーワイヤーがついているが、例外的に、機構上、「つながらない」ということがわかったという。そして、「私どもの説明不足でした。返品を承ります」と言う。

 それで、先ほど、返品換金してもらってきたのだが、実を言うと、電話の後、青白Macの前で、まさに青くなったり白くなりながら、あちこちいじっているうち、数個のファイルが、ひょこんとデスクトップに現れた。ポンコツメディアの中にやみくもの入れておいたデータがのこっていたみたいで、しかも、それが結構重要なデータだった。いや、びっくり。(みなさん、何が起きようと、はやまってはいけませんよ。)
 しかし、データが残っていても、それが不安定なパソコンの中にあるので安心できないことは、最初と同じ。それで、CDに焼くことにした。

 それくらい、最初からやっておけ!って? もちろん、やった。でも、なぜか、それまでできていたCDへの焼き込みができなくなったのだ。実のところ、これが一番の「困っていたこと」だったのだが、念のためと思って、ファイアーワイヤー接続からUSB接続にかえてみたら、あっけなくつながった。

 どうも、ファイアーワイヤーの接続機能がおかしくなっていたらしい。
 実は、電話で相談した時も、「USBでつないだらどうでしょうか」と聞いたのだが、店員に「無駄です」と却下されていたのだ。私の言う通りにしていたら、もしかしたら、返品の必要もなかったかもしれない。上手の手から水が漏れたわけだ。

 しかし、最悪のピンチは一応免れたものの、抜本対策は必須であるが、そもそも、アップル社自体が、機種で「G5」、OSで「タイガー」限りでパソコン事業から撤退しそうな雰囲気だ。だとしたら、今のところ、予算の壁があるが、ネット用として「タイガー」、出版印刷用として「9」の組み合わせが、「最終形態」という感じになりそうだ。がんばるべー。

 で、その後は、どうなるんだろう、スティーブン・ジョブスさん、アラン・ケイさん、教えて……もしかして、「出版事業」そのものがなくなるだろうという読みでしょうか……そう、冷静に考えれば、出版事業は、少なくとも、「営利事業」としては、成り立たなくなることは必至だろう。実際、『月光』の価格なんて、経済的合理性は全然なくて、「喜捨」みたいなもの……皆様、ありがとうございます。

賢い主婦は…

2007-01-20 23:08:42 | Weblog
 “冷蔵庫に新しい牛乳と古い牛乳があったとする。あなたはどちらから飲む? 賢い主婦なら、古い牛乳から飲むだろう。古い牛乳を無駄にしないためだ。それと同じで、スーパーでも、手前に並んでいる古い牛乳から買うべきである。”

 そんな意見広告が昨年、全国新聞各紙に繰り返し載ったそうだ。それも1ページ大の大広告である。
 私は全然知らなかったが、広告主は財団法人日本新聞協会だそうだ。新聞屋がなんで、スーパーの牛乳の買い方に意見するのか、いまいちわからないが、ともかく、この広告と不二家問題をからめて呉智英が、これは、古い牛乳から買わないと、期限切れの牛乳は捨てられることになるのだぞ、という「恐るべき恫喝広告」であり、スーパーの主婦が、家庭内の行動とは逆に、“新しい牛乳”から買うのも、これまた「牛乳を無駄にしたくないから」であって、至極当然である、この広告主は、「もったいないから」と古い期限切れの牛乳を使った不二家の担当者をどう思うか、今まで被害者が出ていないのは、現行の消費期限が不必要に短いからだと、「賢い主婦」なら思うはずだぞ、と噛み付いていた。

 論旨はなんとなくわかるような気がするのだが、呉にしては珍しく(でもないかも知れないが)、細かいところがよくわからない。不二家の「古い牛乳」を使った担当者は、広告の趣旨からすれば、「賢い」ことになるのだぞ、と言いたいのか?
 あるいは、家庭内の行動と、家庭の外の行動では、行動基準が180度違う可能性がある、という論旨とも考えられる。私は、こっちのほうに興味がある。

 たとえば、風見しんごの娘の事故死だ。

 もう、3、4年前だが、ラジオ放送で、小学校の先生が次のように話していた。

 「手を挙げて、横断歩道を渡ろうよ」という交通標語があるが、手を挙げても、それを自動車の運転手が見逃している可能性があるので、今の小学校ではこの交通標語は教えていないというのである。じゃあ、どうするのかというと、大事なのはアイコンタクトである。運転手の「目」を見ろ。そうすると、運転手は必ず、子供の視線に気付くから、そうしたら、渡りなさいと今では教えていますと。

 正直いって、私はこの放送を聞いて感心した。たしかにそうだ。手を挙げている子供に気付かないことを責めてもしょうがない。そういうことはあり得るのだ。逆に言うと、手を挙げさえすれば、見つけてくれるなんてことを期待するのは、なんとも、傲慢な考え方であるとも言える。

 それで、この放送を聞いて以来、私は自転車に乗ることが多いのだが、ちょっとやばいと思うときは、「キッ」と、運転手の方を見ることにしている。そうすると、不思議なことに、ほとんど百パーセントの運転手が私の「視線」に気付く。(ただし、おばちゃん運転手を除く。おばちゃん運転手は、危ない。特に、狭い道から大通りに出ようとする時なんか、もう、やってくる自動車の確認に夢中で、自転車なんか全然見えていない場合が多い)気付いてくれたら、百パーセント安全である。

 風見しんごの娘の通っていた学校では、このことを教えていたのだろうか。どうも、手さえ挙げれば、あるいは、青信号であれば、渡っても良い、と単純に教えていたのではないだろうか。
 しかし、人間の行動は、信号ではっきり区分けできるほど、そんなに単純ではない。
 たとえば、スーパーの主婦は、手前に置いてある牛乳のほうが、奥にある牛乳よりも手に取りやすいから、奥に古いのが残ると推理するが、でも、みんなそろってそう考えるとしたら、逆に、奥にある方がかえって新しいにちがいないと…ん? なんか、わからなくなってしまった。

 ともかく、人間の行動は複雑なんです。

明日はトップだ!

2007-01-19 23:44:16 | Weblog
 去年の暮れ、セールスマンのすすめでメタルプラスに加入したら、ADSLが使えなくなり、一時しのぎにダイアルアップを使っているわけだが、今日、突如、それも繋がらなくなってしまった。どうも、パソコン内臓のモデムが壊れたらしい。
 それで、別のパソコンで、こうして書き込んでいるのだが、「お気に入り登録」が使えないので、「明日はどっちだ5」で検索したら、トップで出てきた。えっへん。(当たり前かな? でも、「明日はどっちだ5」でも、検索数は数万単位だった。グーグルは凄いと改めて思う)

 しかし、調子のおかしくなった古いパソコンは、モデムだけでなく、CDの書き込みもできなくなってしまったので、データの移送をどうしたら良いか、頭が痛い。ADSLが開通したら、モデム不要だから、ひょっとしたら、メールで送ることができるかもしれない、と期待している。

 数日前に注文した、イタリア製の低反発マット、マニフレックスが届いた。

 私は寝つきが悪い。子供の頃からずっとだ。バタンキューで寝床に倒れ、翌朝までぐっすり寝た経験がほとんどない。子供の頃に2回、大人になってから1回だけと、その場面を記憶しているくらいだ。(正確にいうと、“寝る直前”の状態だ)
 それで、よく眠れるということで評判のマニフレックスを注文したのだが、うん、これはいい! おすすめである。

君(キーヨ)と会えて良かった

2007-01-18 22:30:26 | Weblog
 報道によると、不二家の工場は、入荷した原材料の箱を単純に積み上げ、上から順番に使っていたため、古いものが最後まで残ってしまったらしい。ペコちゃんに、「あんた、なにやってんのよ!」と激しく頭突きをかされそうなアホな話である。

 ところで、昨日、フジのスポルトで「早生まれ問題」というのをやっていた。聞きなれない言葉だが、私自身早生まれなので、見ていたら、なかなか面白かった。

 「早生まれ問題」とは何かというと、当たり前の話だが、通常、学校教育は1年単位で行われる。たとえば、1970年4月2日生まれの子供(遅生まれ)と、1年遅く生まれた、1971年4月1日生まれの子供(早生まれ)が同じ教室で、同じ教育を受ける(4月1日生まれが、「早生まれ」として勘定されるとは知らなかった)。つまり、早生まれの子供は、最初からハンディを負っているわけだが、もちろん、成長するに連れ、ハンディは縮まり、高校に入る頃には、ハンディはほぼなくなってしまうわけだが、スポーツの場合、このハンディが重大な結果をもたらすことがある。

 たとえば、成長の過程にある小学4年生から選抜してサッカーチームを作ったとすると、どうしても、遅生まれ中心のチーム構成になる。早生まれの子供は遅生まれの子供より、生きている時間が短く、成長が劣るからだ。では、1年後、小学5年生になったら? もちろん、早生まれの子供も成長するが、遅生まれも成長するわけで、結局、やはり「遅生まれ中心」のチームになり、早生まれの子供は実戦の機会が少ない。小学6年、中学1年……成長がほぼ止まる、高校生くらいになるまで、事情は同じである。
 その結果、どうなるか。データによると、日本のプロ野球選手、Jリーグの選手のうち、早生まれの選手が占める割合は、遅生まれの選手より極端に少なくなる。(割合で言うと、3分の1くらいらしい)

 つまり、早生まれの人は、特にスポーツで、成長の過程でチャンスを失うことが多い。これが、「早生まれ問題」である。
 ただし、この「早生まれ問題」は欧米ではほとんどない。何故なら、スポーツが学校単位ではなく、クラブ単位で行われるので、学年のサイクルに縛られることなく、チーム編成ができるからだ。
 そこで、この問題を重視したJリーグでは、学校とは別のなんとかリーグを作って、満遍なく才能を集めようとしている。

 というのが、この日のテーマだったのだが、当日のゲストは桑田真澄で、彼は4月1日生まれ、つまり、早生まれ中の早生まれというわけで、三宅アナに、「早生まれで損したと思ったことはありますか」と聞かれた桑田。
 「いや、早生まれでかえって良かったと思います」。
 「なんでですか?」と三宅アナ。
 「清原と会えましたから」と桑田。
 ん? ……そうか、一日遅れて生まれていたら、清原より学年が1年下になっちゃうからね。とても、「キーヨ」なんてため口はきけないものね。さすが、清原のこととなると、反応が早い、クスクス(旧月光読者ならわかるだろう、含み笑い。)。

 しかし、桑田! 早生まれ問題が全然わかっていない。早生まれと清原は関係ない! Jリーグの関係者が、「これは、制度の問題なので(=制度で解決できる)」と言っていように、制度の問題なのだ。
 まあ、日本人は、社会の仕組みを「制度」として考えるという考え方にあまり馴染みがないので、勉強家の桑田も、「関心ないすね」ということになってしまうのだろうが、その桑田がいみじくも、「大きくなれば自然に解決する問題でしょ」と言っていたように、日本では、社会の問題が「自然」と重なってしまう。

 もちろん、社会が「自然」のうちに育まれ、自然のうちに眺められるというのは、幸せなことでもあると思うが、でも、「制度」という要素も非常に大きいのだ。
 たとえば、「賞味期限」の話にしても、ある日付けを境に、牛乳なら牛乳の品質ががらりと変わるわけではない。つまり、「自然」の問題ではない。「制度」の問題なのだ。このことを心得ていれば、「賞味期限」の日付けの後に、(日付けは目安です)とかっこつきででも書き加えておけば、マスゴミにいちゃもんをつけられることもない、という「知恵」も生まれようというもの。(とはいえ、積んだ材料を上から順番に使ったので下に古いのが残ってしまったなんて、アホなことまで面倒は見切れないが)

頑張れペコちゃん

2007-01-17 20:46:53 | Weblog
 不二家といえば、やっぱりこれだなあ。


まつざきあけみ先生の、版権無視しまくり漫画、『ぼくらは青年探偵団』。 


関西系の罵声には、「すっごく頭にきちゃう」、東京の下町のペコちゃん。後ろ姿が可愛い。パンプスをはいているが、これは、まつざき先生のオリジナルかもしれない。

 しかし、「期限切れ」といって、どれくらいかと思っていたが、今朝の産経新聞に、期限切れを使用したことが判明している食品は、現在15点で、そのうち、10点が、すべて「1日」で、後は「不明」だそうだ。
 たった1日でも、期限切れは期限切れ……って、そういう問題じゃないだろう。「賞味期限」とは、単なる「目安」であって、それをどう解釈するかは本人次第。もちろん、企業の場合は事情が異なるが、それでも、「1日」は許容範囲内だろう。何故なら、1日前までは、「大丈夫」ということだったのだから、それが、日付けの変わる12時を境に変質するなんて、物理的にあり得ないからだ。
 なんて、理屈を言ってもさらに反発されるだけだろうが、それにしても、「腐敗した組織、甘い体質」(産経)なんて書かれる程の問題ではないだろうに。(細菌の数を、法律よりも10倍も厳しくする内規を決め、それを守れなくて叩かれるとか、不二家もかなり阿呆らしいことをしているが)
 頑張れ、ペコちゃん。ロイター通信が世界に配信してくれたぞ!


 話が変わりますが、昨日、昔懐かしい、地方小出版流通センターにいって、仮契約したので、『月光』は、以下の本屋さんで買えることになりました。(ただし、仮契約なので、以前のように、「地方小扱いで」といえば、全国の本屋さんで取り寄せてもらえるというわけにはいきませんので、御注意ください)

リブロ?池袋店、青山店、吉祥寺店、渋谷店
ブックファースト?川越店、新宿ルミネ1、2、渋谷店、青葉台店、銀座コア店、大阪梅田阪急店、
ジュンク堂?池袋店
紀伊国屋?新宿本店、新宿南口店
神田三省堂本店
書肆アクセス(神保町)

ただし、契約したばかりですので、実際に店頭に並ぶのは、一週間くらい後だろうと思います。
現在、置いてある本屋さんは、以下の3店。

新宿模索舎、中野ブロードウェイ3F タコシエ、新宿ジュンク堂。

あと、アマゾンです。

とりあえず、お知らせまで。よろしく。

人情紙風船

2007-01-16 23:26:44 | Weblog
 昨日の産経新聞で、曾野綾子がこんな風に書いている。

 「東京と渋谷区の自宅で妹を殺害して、遺体を切断した歯学予備校生の場合、私から見ると情が深過ぎるのである。」

 同感である。もちろん、これは、犯人が自分の気持ちを正直に語っていれば、という条件付きで、私は、最初からそれを疑っていたのだが、その後の報道を読む限り、犯人は、「正義」を実行したと思っていることは否定できないようである。そして、その「正義」の源は「情」である。兄を兄とも、母を母とも思わぬ妹を、兄として「誅殺」したのである。

 もう一つのバラバラ事件は夫婦間であり、やや事情が異なると思われるけれど、犯人が「正義」というと大袈裟だが、「やむをえなかった」と主張しているところは似ている。

 さて、だとしたら、我々は、その「正義」に対して、「否」と言わなければならないのだが、誰も、それを言うことができない。「何故、人を殺してはいけないのですか」という少年の疑問に誰も答えられなかったように。
 そんな積もりはないのだろうが、武藤の弁護士なんか、まるで、彼の殺人が正当であったかのごとき口振りだ。

 私は、キリスト教徒ではないのだけれど、ここは、彼らの知恵を借りるしかないように思う。たとえば、次の文章は、内村鑑三の「キリスト教問答」の一節だ。

 『人情は貴いものであります。しかし、はなはだ危険なものでもあります。人情は道徳の所在ではありません。これは道徳以外のものでありまして、その支配を受けるべきものであります。人の善悪を判別するに彼の人情の厚薄をもってする者は大いに誤ります。……人情の厚薄をもって善悪の差別を立てる間は、世は悪漢の詐術よりまぬかるることはできません。』

 『まことに多くの場合においては人情そのものが罪悪であります。理によって歩まずして、情によって動き、確信によって決せずして感情によって定む。人情はもちろん食欲、飲欲以上の情性であるに相違ありません。しかしながら人情は聖き霊性ではありません。人情は地よりいでしものでありまして、地に属するものであります。人は堕落の底にあってなおよく彼の人情を維持することができます。』

 『まことにそうであります。神を知らざる者のこの世における唯一の頼みは人情であります。これが彼らをこの世につなぐ唯一の縄であります。』

 ……そうなんだよなあ。倫理倫理と口喧しいが、その倫理の基準は、日本の場合、人情でしかない。だから、脳死問題一つとっても、30年以上議論しながら、答が出ない。

 不二家問題も同じ。実害が出てるわけでもないのだから、それなりの報道の仕方ってものがあると思うのだが。倫理倫理で上ッ滑りした挙げ句、「夢を裏切られた」って、アホか。松坂が記者会見で、「夢」という言葉は嫌いだと言っていたが、良く言った!(ちと、話がちがうかもしれないが)

 大体、どこの家でも、お母さんがちょっと味見して、「これなら大丈夫よ」とかやっているわけで、たぶん、不二家の工場でも同じような感じでやっていたのだろうが、それでいいのか悪いのか、実際に取材した上で、総合的に判断して記事にすべきと思うが、そんな様子はまったくない。

 これに限らず、マスコミは、情報をただ右から左に流しているだけのようにしか見えない。自ら踏み込んで真相を糺明しようとする姿勢がないのだ。

 バラバラ事件もそうだ。警察は、当時、「もう一つのバラバラ事件」の犯人をほぼ特定できていたわけで、したがって記者が一言、「新宿、渋谷の事件と関連性はありますか」ときいておけば、私が恥をかくこともなかったのだ。