パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

地震キター!

2006-08-31 18:05:28 | Weblog
 地震、キター!(笑)
 前の、新宿のビルは、他の点はともかく、作りはえらくがっしりしていて、よほどの揺れでもない限り大丈夫という安心感があったのだが、秋葉原の三春ビルは、なんとなく華奢な感じで、地震でどうなるかがちょっと気にかかっていたのだが、かなり本棚が揺れたものの、倒壊はしませんでした。ホッ。

 ところで、今、テレビをどうしようかと思って悩んでいる。
 前にも書いたとおり、テレビがないと寂しいのでワンセグ携帯を買ったのだが、ちょうど今の地震速報なんかを確かめるには適当だけれど、「楽しむ」というわけにはいかない。やはり、「楽しむ」にはある程度の大きさが必要だ。しかし、「楽しむ」と書いたけれど、そんなに見たい番組なんか、正直いって全然ない。しかし、ないと、やっぱり「寂しい」。

 話のネタによく使わせてもらう社会学者の多田道太郎氏によると、日本人のテレビ視聴時間は世界で一番といっていいくらい、長いけれど、これは特に日本人がテレビ好きということではなくて、日本のテレビが「面白い」からなんだそうだ。一瞬、「えっ?」と思ったが、多田氏の言う「面白さ」とは、番組評論家や何かが言う、「番組の質」とは関係がない、全体的な状況としての「面白さ」なんだろう。「くっだらねーなー」と思うとしたら、そう思うこと自体が、テレビに対する一つのコミットメントとなって、「なんとなく見てしまう」という状況が現出する。そして、それが間断なく続く。

 とはいえ、今の地上波テレビだけでは、これからのテレビライフ(笑)が成り立たないであろうということは明らかだろう。やはり、BSとかCSとかを組み込むことになるにちがいない。となると、それを前提としたシステムを考えなければならないが、今のBSなどの番組表を見ると、見たいのはスポーツ中継と映画だ。特に、豊田四郎を是非見たい。となると、ハードディスクつきのDVD録画器械を買い、録画したものを後でじっくりと見る、ということになるが、私はどうも、そういう見方があまり性にあっていないのだ。行き当りばったり、犬も歩けば……式に、チャンネルを変えているうちにたまたま面白そうなのにぶつかり、始めは寝っ転がってみていたのが、正座してじっくり見る……これが理想で、いったん、いつでも見れるように録画してしまったら、そのままお蔵入りということになりかねない。いや、実際そうなのだ。安売りしていた『パルプフィクション』のビデオを買ったものの、いまだに見ていないし(もっとも、これはちょっと見て、おしゃべりが多すぎてめんどくさくなったということもあるが)。
 でも、ハードディスクに入れておいて、ラインナップをチェックして見るということだと、ちょっと違うかも知れない。ビデオを箱から取り出してセットして、見終わったら取り出してしまって……というのが、私にとっては案外に面倒臭いのだ。単に、物臭とも言うが。

えらいものを見てしまった

2006-08-29 21:21:15 | Weblog
 えらいものを見てしまった。飛び下り自殺だ。
 場所は新宿。小暮元BSK会長の会社に用事があって行ったのだが、ドアを叩いても返事がない。どこかに食事にでも出ているのだろうと思って、近くでぶらぶらしているうち、喉が渇いたので、近所の公園の水道で水でも飲もうと思って、その公園に入ったが、水道がないので、それもあきらめ、どうしようかな~と思いながら、ふと横を見ると、公園脇の道路に年輩の男性が倒れているのが見えた。酔っ払いか? でも午後6時で、ちょっと時間が早過ぎる。それとも、老人なので、なにか発作でも起こしたのだろうか、いずれにせよ、ともかく救急車を呼んだ方がいいのではないかと思っていたところ、ビジネスホテルの支配人のような風情の中年男性がとことこと走ってきて、今、電話をしたと言った。この男性が第一発見者ということらしい。
 男性は、依然、びくともしない。なんか様子がおかしいと思って、見る位置を変えたところ、頭から鮮血が流れている。わからないでもないのだけれど、第一発見者が妙に躁状態になっていたので、そんなに深刻なことが起きているとは思わなかったのだが、そう、「飛び下り自殺だ!」
 
 やがてサイレンとともにパトカーと救急車が到着。

 実は、以前も一度、飛び下り自殺の現場に出くわしたことがあるのだが、その時は、トラックの運転席の屋根にぶつかったので、それがクッションとなって即死状態ではなく、救急隊員が声をかけて反応をみていた。もちろん、その人も死んだのだけれど、今回は、そんなこともせず、到着するや否や、白墨で身体の回りに、テレビドラマのように、白線をひいた。頭が割れて、大量の血が流れているのだから、死んじゃっているのは明らかということなのだろう。それでも、手の脈は一応とっていたが。
 その後、警察官が、どなたか目撃された人はいますかと訊ねた。この老人(がっしりした、生きていたとしたら、元気そうな男性で、年齢は60台後半といったところか)が道路に激突した瞬間を見た人はいますか、という意味なら、誰も見てはいない。ただ、公園で涼んでいた中年男性二人が、「物凄い音を聞いた」と言っていた。飛び下り自殺で、地面に衝突する時、ものすごく大きな音がするとは聞いたことがあるが、今回もそうだったのだ。しかし、私はその音は聞いていない。そんなに離れているとは思えないので、ちょっと不思議だったが、でも、二人で声を合わせて、「自動車がぶつかったかなにかしたのだろうと思った」と言っていた。
 
 そのうち、死体の前のマンションの上のほうから声があった。遺品らしきものが階段の踊り場にあるというのだ。9階の踊り場だという。しかし、そのマンションの住民(おばさん)は、見たことのない人だ、と言っていたので、自殺者は飛び下りる場所を探していて、たまたまそこのマンションの玄関が開いていたので、入り込んだのだろう。
 しかし、そうやって場所を見つけても、すぐに飛び下りたというのではないだろう。やはり、10分や20分は逡巡はするのではないだろうか。そして、そのうち、考えるのが面倒臭くなって、えいっと飛び下りたのだろうか。きっとそうだろうな~。私も時々考えるのが面倒臭くなるが、そういう時は、結果は決してよろしくない。クワバラクワバラ。

 第一発見者は相変わらず躁状態で、「連絡された方は?」と警察官が言うと、マンションのおばちゃんと立ち話をしていた第一発見者は、「ハイ、ハイッ、私で~す」と子供のように手を振りながら、警察官の方に走り寄った。わかるよ、「躁状態」になっちゃうのは。そうでもしないと、一人の人間の命が断たれた現場には対処できない。

 その後、小暮元会長と近所のデニーズに入った。デニーズは、すぐ近くで人が一人、命を断ったことなどどこ吹く風の、夏休みの成果を誇る、真っ黒けの男の子、女の子で一杯だった。当たり前だけど……死んじゃあ、おしまいだ。

赤くなったり青くなったり

2006-08-26 21:48:08 | Weblog
 皆さん、知ってましたか? カトゥーンがジャニ……じゃなくて、デビッドカードなるカードは存在しないことを。デビッドカードって、元B21のデビッド……じゃなくて、買い物をした時、その場で預金口座から引き落とすことのできるカードのことだけれど、別に、特別にそのためのカードがあるわけではなく、銀行のキャッシュカードをそのまま、その場でスキャンして情報をコンピュータに送るシステムの名前がデビッドカードなんだそうだ。全然知らなかった。銀行の窓口で「デビッドカードを作るにはどうしらたよいのですか」と聞いたら、奇麗なお姉さんにそう説明され、赤恥をかいた。

 それはともかく、そのデビッドカードで何を買ったかというと、カラーのインクジェットプリンター。これまではあまり必要を感じなくて、モノクロのレーザープリンターを使っていたのだが、ここにきて、カラープリントが必要な場面がちょこちょこ出てきたのだ。
 どんな場面かと言うと、たとえば、プリントセンターなどにデータを持ち込んで、それを自分の望む「色合い」に出力してもらいたい時なんかだ。
 というのは、そのデータがコンピュータのモニター上でどんな発色を示しているのかは、もちろん、私は、それを見てわかっている。ところが、それを、違うコンピュータで開くと、プリント以前に、モニター上の「色合い」が、すでにかなりちがってしまうというのだ。じゃあ、どうしたらよいかというと、正直なところ、「決め手」はなく、結局、依頼者が「こんな感じで」と、見本のプリントを持参するしかないという。

 そんなわけで、最近はプリンターがパソコンのおまけについてくる御時世だし、ということで、ちょうど、ファックスの調子が悪いこともあって、ファックス機能つきのhp製品を買ったのだ。

 しかし、機能盛り沢山なのはいいけれど、設定がそれだけ難しく、ファックスに関してはまだ成功していないのだが、プリントはできる。
 それで、早速プリントしてみたのだが、もう、この時点でモニター上の発色とは全然ちがってしまっている。「決め手は実物と比べるしかない」と言ったのは出力センターの担当者だが、これは、モニターで見た色合いと、現物のプリントが、「完全」はムリでも、「そこそこ近い」ことが前提の筈だ。であればこそ、「現物と比べる」ことが意味をもってくる。それがちがうのでは、モニターで見たような色合いにするためには、今度は、モニター上の「見た目」に手を加え、「手を加えない前」の発色に近付けるしかない。ところが、それをしたら、私が「これでよい」と思った「見た目」の色合いとは違う風にデータをいじることになる。そんな風に弄くったデータを出力センターのコンピュータに持ち込んだら、いったい結果はどうなっちゃうのか。もちろん、そこに、私が目的とする色合いに近い「現物」が添えられていれば、担当技術者がそれに近付けるようにしてくれるわけだが、実は、それも担当技術者の「主観」で行うことになるわけで、かなり不安がある。
 

 ……等々、考えているうちに頭がこんがらかってしまったが、実は、決定的「決め手」がないわけじゃない。それは、「人間の肌」だ。人間の肌が自然に見えるように調整すれば良い。実際のところ、すべての映像システムは、この「人間原理」(宇宙の「人間原理」とは、たぶん、違う……いや、もしかしたら、違わないかも……)をもとにしているのだが、残念ながら、私が持ち込もうとしているデータには、「人間」はいないのだ。じゃあ、人間がいないのだったら、基準がないのと同じようなものだから、たとえば、赤が青になったとしたって構わないじゃないかというと、そうではないのが不思議なところで、苦労しているところでもあるのだ。(人間のいない場面でも、人間の認識が反映されているというのは、アイルランドのバークリーの主張そのものなのだが、これはもしかしたら、宇宙の「人間原理」とどこかでつながっているのかもしれない)

呆れた話

2006-08-24 10:42:12 | Weblog
 三日ほど前だが、大宮のリベラル右翼、Sさん来社。
 前にもどこかで書いたことがあると思うが、Sさんは、昔、ちょっとした賞をとったこともある元漫画家で、「あの漫画家は今どうしていか?」という某漫画雑誌(名前は忘れた。あまり聞いたことのない名前だった)の特集に作品とともに取り上げられ、「つげ義春を思わせるタッチで云々」と書かれていたそうで、「な~に言ってるんだ、俺の方がつげより漫画家のキャリアは古いんだ。真似されているように思われたんではかなわん。《消息を御存知の方は編集部まで》って書いてあったんで、右翼やってるよ、って電話しようと思ってさ。しなかったけどな。うわっはっは」と笑っていた。
 「つげ義春」を思わせる作風とは知らなかった。

 そのSさんの来社の目的だが、いつもと同様、「脅し」のための……いやいや、「言論報国」のための、お役所糾弾記事だ。正直言って、前回は、ちょっと無理矢理の感がなきにしもあらずの記事だったが、今回はちょっと違うみたいだ。

 その記事というのは、全国の自治体に公民館なる施設がいくつも建てられているが、その運営に関わる組織の横の連携をとるために、全国公民館連合会という組織があるのだそうだ。その公民館連合会の某県連合会の患部職員の一人が、同会から不当な援助を受けているというもの。具体的に言うと、その職員、某氏は、社宅という名義で、月額17万円の一軒家を借りているが、そのうち自分で払っているのは5万円弱で、残り12万円強は連合会から出ている、これはおかしいじゃないかというもの。
 連合会側の言い分は、「某氏の件については、正式な会議を経て決まったものなので問題なし」だそうだが、17万の家賃のうち、某氏が5万弱しか払っていないこと、そのような特権は某氏一人だけであることは、は事実その通りということだ。

 呆れるのは、ただそれだけではない。実は、某氏は別にちゃんと自宅を持っており、それを人に貸した上で、格安の借家に住んでいるというのだ。その自宅というのが通勤圏内にないために人に貸しているのか、ちょっとここらへんのことは某県住人ではない私にはよくわからないところだが、いずれにせよ、某氏は、2つの家を住みわけることで、たとえば自宅を月10万で貸していたら、5万円、15万だったら月々10万円の「純利益」を上げていることになる。

 公務員は一般に、それで何をしたいかというよりなにより、まず生活の安定・安心を求めてその職についている場合が多いと聞く。まあ、それはそれで個人の生き方であって、嘴を挟むつもりはないが、それが嵩じて、ここまで卑しくなるか!との思い強し。

アディオス、金魚君

2006-08-21 10:39:05 | Weblog
 カトゥーンがジャニーズ事務所だとは知らなかった。嵐、頑張れ。やっぱり、あまりにも名前がよくなかったか? 
 しかし、ジャニーズ事務所の番組はリラックスして見れるのがよい。ダウンタウンみたいに、見るものに緊張をしいるのはやっぱりよくないと思う。緊張して見なければならないほどすごいことをやっているわけじゃなし。(お笑いの中では、アンガールズの田中って、なにか凄いことを考えているような気がする。気のせいか……)

 昨日の夜9時過ぎにカレーの「壱番屋」に入ったら、その日、朝マックを食べている時、隣に座っていた小学三年生くらいの女の子とその両親三人がやはり隣で食事中で、ちょっとびっくりした。(こういう、単純な事実を単純に書くのが、文章を書く上で一番難しいように思う。上の文章も、何回も書き換えたのだ。実は。しかし、どうも、いまいちだ。私が美好沖野さんの「オキノニッキ」を高く評価するのはここなのだな)

 引越し最終作業として、金魚をバケツに移して、新宿2丁目の新宿公園の池に放した。2匹いたのだが、残念ながらそのうち1匹は、引越し作業中に騒音やらふりかかる埃やら何やらでストレスを感じたのか、跳ねて外に飛び出してしまった。床の上で息も絶え絶えになっているのを見つけて、あわてて水に戻したらまた元気に泳ぎだしたので、なんとか助かったかと思ったのだが、1日後に死んでしまった。

 アディオス、金魚君。

前に進まない

2006-08-17 22:21:09 | Weblog
 ヤフオクで買った1ドア冷蔵庫がようやく届いた。一昨日着くはずだったのが、何故か届かなかったのだが、今日もってきた配達員も、部屋がわからなくて電話がかかってきたのだが、宛先が305号室になっていた。ここは405だ。
 やれやれと思いながら、包みをほどき、待ってました、と買ってきた西瓜を入れた。そんなにすぐには冷たくならないだろうから、その後、近所の定食屋でホッケ定食を食べるなどして2時間ほどたってから取り出したら、全然冷えてない。製氷室を見たら、これまた氷が出来ていない。指を突っ込んだら、喫茶店のお冷や程度でしかない。うす氷も張っていない。
 その後、さらに3時間ほど待ってみたが、まったく変わらない。
 そこで、売り主に電話をしたら、もし駄目だったら代わりの冷蔵庫を送るということだったが、ともかく一晩待つことにした。どうせ駄目だろう。

 新品にすればよかったのかも知れないが、冷蔵庫なんか、そんなに壊れるものでないだろうし、それに、一応ギャラリーで、お客さんのもってきたペットボトルとか缶ビールとかを入れるためにも、サイコロスタイルの四角い個室用ではなく、製氷室と一体になった少し大きめの1ドア冷蔵庫がサイズ的にいいのだが、室内用エアコンと同様、今ではあまりつくっていないらしいのだ。

 しかし、700円也で落札したCDラジカセも全然連絡すらない。もちろん、メールで問い合わせはしたけれど、別になきゃないでいいし(だったら、買うなって、と一人で突っ込む)と、そのままなのだが、なんか、さっぱり物事が前に進まないなー。とちょっぴり鬱気味。胸突き八丁ってところか。
 
 でも、入魂の論文、「映画の研究」は、ようやく終わった。論理的に甘いところをチェックしていたら、時間がかかってしまった。

ナハッナハッ……

2006-08-16 14:52:20 | Weblog
 アメリカの有力上院議員が、今、世界は第三次世界大戦になっているのかもしれない、と発言したそうだ。「なっているのかもしれない」とは、妙な言い方だが、でも欧米なんかでは、それは実感としてあるのだろう。
 そんな中で、日本のマスコミは靖国参拝で大騒ぎ。バッカじゃないの。それも論点が、「中国、朝鮮に対する配慮」から、「日本は戦争責任を曖昧にしてきた」と歴史問題に議論のバランスを移しつつあるようだが、いつまで丸山真男を崇め奉る積もりだろう。林房雄は、丸山理論を「書生の観念的理論」と痛罵したが、林の言う通り、曖昧にすせざるを得なかったという見方もあるのだ。「絶対に曖昧に済ませはいけない」んだったら、「日本は悪くなかった」と結論が出ることもあり得る。このことは承知しているのだろうか、朝日新聞は。それとも、「結論は必ず我が方に利あり」と決まっているとでも考えているのだろうか、朝日新聞は。きっとそうだろう。だから、みんな脳天気って批判するのだ。

 上野の昭和通り沿いの本屋に入ったら、ぱらぱらと並んでいる本はすべてエロ雑誌かエロ小説かエロ漫画かエロ写真集ばかり。情けないことこの上なし。別にエロ本が悪いというわけではないが……まあ、上野という街は昔からこうなのだ。

 その後、インド・スリランカ料理店で日替わりランチカレーを食す。うまい。ドリンクつきで650円。日替わりメニューを見たら、かなりバラエティに富んでいる。ここにしよう。
 隣で、インド人のビジネスマンが日本人の老夫婦に、「インドにはボケ老人は少ないです。カレーのスパイスがボケ防止にいいんですよ」と話していた。インド人ビジネスマンの言葉の真偽のほどはともかく、日本にボケ老人が多いことは確かだ。というか、ボケた老人を、「子供に戻っちゃった、かわいー」とか言って、周囲で持上げちゃう。「何でも鑑定団」なんか、ボケさえすりゃあ、審査員特別賞をもらえる。でも、これがよくない。必ずしもそれほどボケていなくても、ボケたっぽい振りをするとみんな笑いながら助けてくれるものだから、味をしめちゃうということもあるのではないか。老人養護施設で働いている人が、そんなことを言っていた。「ホントは自分でできるんですよ。でもしないんだ」と。
 これから先行き短いんだし、今さら批判してみてもしょうがないということかも知れないが、でも、まえにも書いたけれど、これからは老人は、必然的に孤独な存在にならざるを得ないのだから、甘やかしちゃあかんと思う。

 百円ショップの前を通りかかったら、せんだみつおの「ナハッナハッナハッナハッ」を大音量でエンドレスに流していた。
 ナハッナハッナハッナハハハハ~……って聞いているうちに、なんか、情けなくなった。

2丁目恒例(?)、夏祭り

2006-08-14 16:43:39 | Weblog
 お盆休みで街の人影はまばらだが、秋葉原まで出たら相変わらずの人出で、特に子供連れの親子が多い。秋葉原デパート1階の食べ物やでも、両隣りとも子供連れで、子供達はハンバーグを注文していた。子供はハンバーグが好きだなあ。わたしも好きだったけど、最近はあんまり……で、豚のしょうが焼きを久し振りに食べたくなって、注文した。
 ところが出てきたしょうが焼きに添えられたキャベツにオレンジ色のサラダドレッシングみたいなものがかかっているのだが、これが、ドレッシングの味自体もよくないのだろうが、ともかく全然「しょうが焼き」に合わない。
 「なんじゃい! こんなもの食えるか!」とちゃぶ台をひっくり返したくなったが、ちゃぶ台ではなくカウンターではそれも出来ず、やむをえず豚と一緒にぐっちゃぐっちゃにして口に放り込んでいたが、ふと横をみると、ハンバーグを注文した女の子がお皿のキャベツを指差しながら、横のお父さんに向かって何か言っている。口元を見ると、「これ、やだ」とか言っているみたいだ。そして、女の子の指の先にはオレンジ色のドレッシングのかかったキャベツが。
 えらいぞ、お嬢ちゃん。初志貫徹だ! おじちゃんみたいに、「長いものには巻かれろ」で一緒に食べちゃうより、ごっそり残して、その意志を表明してこそ、「進歩」があるのだ。

 添付した写真は、昨日の新宿2丁目のお祭り風景。毎年やっているのだろうが、気がつかなかったなあ。引越しの後片付けで、がらくたを放り込んだ大型バッグを持ったまま、つい好奇心で潜り込んだが、もう、おねえ言葉があちこちで飛び交う大変な大盛り上がりで、バッグを抱えたまま立ち往生してしまった。


困ったこと

2006-08-12 12:11:59 | Weblog
 昨日、新宿に後片付けに戻ったら(まだ続いているんです)、入り口に、私が15センチ×100センチくらいに刻んで、部屋の外に置いておいたプラスチックボードの束が、ゴミ処理券を貼って出してある。
「あ~あ、またか」と溜息。
 実はプラスチックボードが大量にあり、最初は15センチ×50センチくらいに小さく刻んで一般ゴミとして出していたのだが、そのうち、面倒臭くなって、最後の一坪分は、長さ100センチくらいにしたのだ。もし、この大きさでは一般ゴミとしては扱えないというのなら、その旨、貼り紙でもしてくれるか、あるいはほっておいてくれれば、それなりに処理するのに。

 実は、半年ほど前にも同じような、困った経験をした。朝、フロア共同の台所に顔を出すと、私だけが使っているスポンジタワシが、新しくなっているのだ。瞬間、「困った」と思った。
 私が使っていたスポンジが汚れていたので、誰かが親切心からか、あるいは逆に嫌味なのか、わからないが、百円ショップで三個百円くらいのものを買ったかしたのだろう。ともかく、大した金額ではないことは確かだが、それでも、金銭的負担をかけたことは確かなので、その限りではお礼を言わないといけない。しかも、今「誰かが」と書いたが、実は、同じフロアには、当時、二部屋しか埋まっていなかったから、誰が新しいものに代えたのかはわかっている。要するに、202号室の事務おばちゃんだ。そして、それは向こうもそれはわかっている。つまり、新しいスポンジの提供者が自分(=202号室のおばちゃん)であることを、相手(私=205号室の住人)はわかっているということを、わかっている。ということは、誰が新品に代えたかわからない状態なら、それを口実にシカトも可能だが、202のおばちゃんがそれをしたと、私がわかっていることは、202のおばちゃんもわかっているのだ。
  ややこしい説明になったが、要するに、私は202のおばちゃんにお礼を言わなければならなくなったのだが、しかし、もし、「ありがとうございました」と言ったら、それは、「スポンジをここまで使ってすみません」と謝ることと同じになってしまう。それだけではない。「すみませんでした。これからはスポンジをすぐに取り替えます」と徹底的反省を込めた謝罪ということになるのだ。
 しかし、それを使っているのは私だけだ。私のスポンジなのだ。それをどこまで使おうが、私の勝手だろう。ゴミ屋敷の住人のように、他人に迷惑をかけているわけではない。もし、迷惑をかけているとしたら、「汚いものが目に入って、やだ」ということになるが、それは、オーバーでなく、私に対して「あんた、汚くてやだわ」と言っているに等しい。
 もちろん、そんな風におばちゃんが私のことを思っていることはわかっている。「もじゃもじゃの胡麻塩頭の何をやって食っているのかわからない得体の知れないおっさん」と考えているのだろう。そんな風に思われたって全然構わない。そんなことは奥に秘めて、しらっとしていれば済むことだからだ。しかし、今回の件は、そういうおばちゃんの内心を具体的に示すことになってしまった。つまり、今後は「しらっと」対応できなくなる可能性がある。実際、それまでもある程度そうだったのだが、このことがあって以後は、さらに確信をもっておばちゃんを避けるべく、工夫を凝らすようになってしまった。

 「困ったこと」というのは以上だが、考え過ぎだろうか? そんな風にも思ったが、しかし、家庭の主婦同士でこんなことをしたら、どうなるだろう、おばちゃんは、女(特に主婦)同士では「タブー」に近いことをしたのではないか? 男だから構わない、と思ったのだろうか? それとも、女同士では、当たり前のことなのだろうか。「まあ、お気を使っていただいて、ありがとうございました」と、かえって親密さが増したりして。……そんなことはないだろうなあ……。わからん。女はわからん。

 というわけで、プラスチックボードについては、新たな「燃えないゴミ」にゴミ処理券をこれみよがしに、おばちゃんに目立つようにべたべた貼付けて、その脇に積み上げることで意思表示して、バランスをとった。

 なんかもう、こんな変な神経戦までやらかしているので、お引越しに時間がかかってしまったのだ。

狐の祈り

2006-08-11 01:26:02 | Weblog
 昨日、夜9時過ぎに新宿の後片付けから戻って来たところ、ビルが閉まっていて中に入れなくなってしまった。もちろん、カギはもらっているのだが、何故か、合わない。見ると、二部屋ほど明かりがついているので、いずれ中から出て来るだろうと思い、外で待つことにした。イライライラ……ん? ケータイがあるではないか。ということで、ケータイでTVを見た。こういう時は確かに便利だ。(もっとも、普通だったらゲームなんかをやるところだろうが、私はテレビゲームをやったことがない希有な人間なのだ。みのり書房の面接を受けにいった時、待たされた喫茶店で当時大ブームだったインベーダーゲームをやったことが一度あるきりだ)
 ビルの正面にある駐車場の車止めの上に座り、NHKの天気予報なんかをぼんやりと見ることしばし……やがて中から人が出てきたので、あわてて立ち上がり、自分はこのビルの新しい住人であることを説明して、入れてもらった。
 やれやれだ。

 その後、ヤフーのオークションでTVを探し、ぴったしかんかんな物件を見つけた。ブラウン管TVで、値段は1500円となっている。しかも室内アンテナつき。新しいところは(以前の新宿もそうだったが)、アンテナ線がないので、室内アンテナが必須なのだ。それで、これだ!と思い、2000円で入札すると、数字は1600円になった。ということは、400円の差がある。この時点で残り30分ほど。何度か更新して確かめたが、入札価格は1600円のままだ。この分なら、最後まで大丈夫だとちょっと安心しながら、他のことをあれこれ考えているうち、流れるように時間が経ち、ふと心配になった。2000円だって充分に安い。そこで、2500円と再度入力した。するとガビーン!、「2100円で入札終了」と表示が。泣いた、泣きましたよ。タッチの差だ。おそらく数十秒単位だろう。もしかしたら、もっと短いかも。
 昔、証券会社は大学のラガーマンを優先的に採用したが、それは、所定の時間に遅れないためには、「走力」が重要だったからだそうだ。今は、コンピュータだから「反応の速さ」が決めてだ。ガンダムのニュータイプというやつだ。
 と、話題をわざとそらしてみたが、悔しさは変わらない。結構、いい物件は見つけるのだが、最後の「反応」の速さで何度か負けているのだ。クヤチーヨー。
 ところで、なんで、安かったかというと、紹介されていたTVは、アンテナをつないでいない状態で映したので、「砂嵐」になっていた。それで、ちょっと不安でみんな敬遠したのだと思うが、かくなる上はこの砂嵐が永遠に続くことを祈ろう。(まさにイソップ物語の狐だ……)