パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

新聞のない日

2008-07-10 15:23:20 | Weblog
 先週の日曜日、2万歩、今週月曜日、1万5000歩、火曜日、1万2000歩、昨日、1万2000歩……。

 これだけ歩いているのに、夜、なかなか眠れないのは相変わらずで、疲労がとれない感じ。5000歩以下の日を一日くらい設けないとまずいかも。

 今日は新聞を買わず、Macにもよらず、新宿についてからウェンディーズのハンバーガーを単品購入、事務所でパソコンをみながら食す。

 ウェンディーズではボローニャハンバーガーというのを買ったが、パンの味が、どちらがどうとは言えないが、Macとはかなりちがう。ちなみに、ウェンディーズは、たまたま近くにあったから立ち寄ったのだが、Macを除いて(ターミナルから遠いせいかMacだけない)他にもあるので、試してみよう。

 私はそもそもあんまりお米の御飯が好きではないのだ。悪いね、福田君。

 しかし、私のような活字中毒人間が新聞を買わなくなったということは、新聞マスコミは大問題だと思う。テレビもスポーツ以外見ないし。メジャーマスコミと言われてきたマスコミが、影響力を急速に失いつつあるのだ。視聴率なんか、問題でない。これまでのように、世論の誘導を行うことができなくなってきたのだ。ざまーみろである。

 たとえば、数年前から気になっていたのだが、「誰某さんが、○○日に亡くなっていたことがわかりました」とニュースで言う。あるいは、事件一般でもそうである。「……ていたことがわかりました」という言い回しがやたらに多い。

 ここは、「○○日」が今から一週間以上前だったとしても、「誰某さんが、○○日に亡くなりました」でいいはずである。発表が遅れた事情を、特に放送したければ、それを言えばいいだけだ。おそらく、「実態にそった言い回しが望ましい」という風潮に影響されて、「……ていたことがわかりました」と言っているのだろうと思うけれど、なんとも「中途半端」な、自信のない言い方であるように思う。

 新聞紙形態のメディアについて言えば、フリーペーパーに移行するのではないだろうか。もっとも、この間(かん)、東京なんとかという、フリーペーパーとしてはかなり老舗の新聞を読んでみたのだが、数年前に読んだときと編集方針がまったく同じ。全然おもしろくない。売り物であるはずのインタビューの人選にしても、なんか、ずれているように思う。流行の先取りをしたいのだろうが、でも実際には一周遅れている感じ。中途半端な既視感がただよう。

 「無料」が、いい方向に働いていないのだ。

 私が編集者だったら……「ゴルゴ13」の形態模写をしているお笑いコンビをドーンと表紙にもってきたりして。

 コンビの名前は知らないのだが、デューク東郷の形態模写が絶品なのだ。胸板がやたら厚いが、チビのずんぐりむっくりで、肩パットを目一杯入れ、太いまゆげや眉間の皺は全部、黒々とした太い線の手書き。おもちゃの機関銃をもっている。見た瞬間、「あ? え? でも、ゴルゴ13て、もしかしたら、これでいいのかもしれない」と思わせる。

 でも、アイデアとして、最低3ヶ月間くらいは頭の中で寝かせておく必要があるだろう。「中途半端な既視感」は、この「寝かせる時間」をとっていないせいかもしれない。

 書きたいことが、他にあったはずなのだが、忘れてしまったので、今日はこれまで。

原油高騰の原因は?

2008-07-07 22:19:27 | Weblog
 フェデラーVSナダル戦を最後まで見てしまった。

 すごい、の一言。日没のため翌日再試合になるかと思われたとき、フェデラーが力つきた。夕闇の中の表彰式のドラマチックで美しいこと! 期待していたインタビューも、まあまあ悪くはなかった。フェデラーが、「また帰ってくる」と言って,インタビュアーが、「それをききたかったんですよ」は、同感。

 しかし、現在の男子テニス界は、二人の実力が抜きん出ていて、それ以外はみんな団子の背比べ状態だから、逆に言うと、錦織選手も準決勝までは充分に進出可能だったわけだ。頑張って欲しい。

 原油の高騰が続いているが、投機的取り引きの横行が原因の一つだから、規制しろという意見もあれば、投機は、先物市場で行われ、現物のやりとりがあるわけではないから、関係ないという意見もある。じゃあ、先物市場っていったいなんだ?ということで、例によってウィキ等でしらべたら大体次のようなことらしかった。

 たとえば、ある酪農家がいて、来年の飼料のトウモロコシが値上がりしそうだと懸念していたとする。酪農家は先物市場でトウモロコシを現状価格で1ブッシェル3ドルだとしたら、100万ブッシェル、つまり、300万ドル分を購入する。(ただし、現物のやりとり1年後であり、先物市場に払う金も、「証拠金」だけである。)

 1年後、トウモロコシの値段は見通し通り、1ブッシェル4ドルに値上がりしていたとする。酪農家は、300万ドルで買ったトウモロコシを売って、400万ドルの収入を得ることができる。差し引き100万ドルの利益が出たので、酪農家は、1ブッシュ4ドルのトウモロコシ100万ブッシェル分の買い物に、先物市場で得た利益を加えて、去年の1ブッシェル3ドルだったときの価格で手に入れることができることになる。

 このような、価格変動のリスクをさけるために設けられたのが先物市場だが、先物市場に払う金が「証拠金」のみでよいため、手持ち金額の何十倍もの取り引きを行うことができ、そのために一獲千金の投機目的に利用されることが多くなった。

 ということらしい。

 では、本来目的にしぼって、「証拠金取り引き」なんか廃止してしまえばいいではないかということになるが、そうではない。

 というのは、証拠金のみの支払いで架空の取り引きとはいえ、その膨大さから、トウモロコシならトウモロコシの、原油なら原油の「適正な価格」が割り出されるというメリットがある。

 「適正な価格」というものは、非常に難しいもので、ただ単に、費やした労働代金+原材料費で決まるわけではない。どんなに高い金をかけて生産しても、それを欲しい人が少なかったら、安い価格しかつかない。この価格メカニズムは、実際に市場に出してみないとわからないが、「先物市場」は、バーチャルとはいえ、そのための格好な場を提供してくれるというのである。

 というわけで、現在、原油価格を決めているのはOPECだが、実際にはこの「先物市場」の価格を参考に決めているらしい。

 だとしたら、現在の原油の高騰は、要するに、「原油が値上がりするだろう」という予測が明々白々であるため、実態もそうなっているのだということに過ぎないということになる。(投機家が買い占めているとか、そんなことはあり得ないが、世間一般はなんとなくそんな風に考えているのではないか。大正時代の米騒動だって,別に「買い占め」をしていたわけではなかったわけだし…詳しいことは忘れてしまったが)

 しかし、「過ぎない」と書いたものの、「原油の値上がり」の理由が、明々白々に中国だということになると、これまでの原油高騰問題とは少々質が異なるのかもしれない。

 まあ、あまり偏見をまき散らしてはいけないだろうが……たとえば、チベット問題は一服状態みたいだが、世界が忘れたわけではないとか、日本の長距離ランナーのホープが、中国合宿でウィルスに感染してオリンピックどころか競技生命すら危ないという新聞記事を読んだのはほぼ一ヶ月くらい前だったが、続報はどうなったんだろうとか……。

 中国の影響力が増すことはやむを得ないにしても、中国が世界を支配するようになったら、即、地球は終わりだという認識(いや、本当にそうだと思う、あり得ないけど)を、ぜひ、G8の首脳が共有すべく、福田首相に説得を期待……できるわけがない。

アレゴリーについて2

2008-07-05 21:18:38 | Weblog
 またもや、ログインにパスワードを要求された。実は,2週間ほど前にも要求された。毎日書き込んでいるのに、なぜそんな必要があるのだ、1週間とか10日間書き込みがない場合に本人確認をすればいいじゃないか、とメールで文句を言ったが、「さいでございますか」と答えがあっただけ。数ヶ月間、間隔があく時もあれば、今回みたいに2,3週間でまた本人確認を求められる場合もある。抜き打ち検査なんだ。神様じゃあるまいし,傲慢なお役所体質は変わっていない。2chも書き込み規制が頻繁だし、本当にOCNは糞だ。その親会社のNTTは、もっと大糞だ。

 数ヶ月前に、ソフマップで買い物をした時に、2万5000円キックバックについ騙されてはいってしまったのだけれど、公正取引委員会は、このNTTの露骨な利益誘導勧誘商法は規制すべきじゃないだろうか、って思うくらい,目に余る。

 NTTって、一応民間会社のはずなのに、「金の心配はしない」、みたいな姿勢がほの見える。よくわからないが、政治的な何かがありそうだ。

 それはさておき、アレゴリーなんだが、これは難しい。ベンヤミンが、「ゲーテもまちがっていた、イェーツも理解できなかった」と言っているくらいに難しい。

 昨日書いたように、豚にコックの扮装をさせるような擬人表現がアレゴリーの典型であって、こんなことに「どんな意味がある?」って思うのが、ゲーテだろうが、イェーツだろうが、普通なのだが、ベンヤミンに言わせると,これが案外大事であり、実際,近年、アレゴリーがかなり復権してきているのだ。

 たとえば、豚が、トンちゃんの愛称で親しまれる(?)「食用の家畜」であることをナンセンスな擬人化であるとして否定したらどうなるか。

 実のところ,人間の肉も豚の肉も同じ動物性蛋白としては同じものだ。だとしたら豚の代わりに人間の肉を食べたっていいわけだが、人肉食は大体ほとんどの民族で(中国はちょっと怪しいが)タブーになっているから、人を殺して食べたりはしない。では、人肉食をタブーにさえすれば,自動的に牛や豚を殺して食べることが許されるかというと、そんなことはない。

 例の『蠅の王』で、無人島に流れ着いた少年たちが、土着の豚を殺して食用にする場面があるが,あまりのショックに,彼らはみな精神がおかしくなる。端的に言って,『蠅の王』という小説はそういう小説なのだが、そのように、業が特別な職業とみなされるのは、日本だけじゃない。肉食を常食とするヨーロッパでも、職人は「特別な人間」なのだ。

 つまり、人間が、生物学的にはほとんど同類の存在である哺乳類の肉を食べるには、ある「壁」があるのだ。殺した瞬間に,豚や牛が,実は根源的に自分たちと異なる存在ではないことがわかる。それは、『蠅の王』でしつこく言及されていた通りだ。つまり、職人が「特別な人間」とみなされているのは、自分が生き延びるために越えねばならない「壁」が存在することを暗示しているのだが、じゃあ,職人にを任せておけば,あとは、見て見ぬ振りで、なんの気兼ねもなしに「肉」を食べることができるかというと、そうではない。牛や豚は食用である、彼らを食べても罪にはならないという観念を、間断なく刷り込むことが不可欠である。そのための強力な方法がアレゴリー(擬人化)なのだ。

 言い換えるなら、たとえば、ライオンやオオカミのような肉食動物は、共食いを避けながら、他の動物の肉を食べる。これは,本能だ。しかし、人間は、岸田秀じゃないが、本能が壊れている。その壊れた本能の代わりとなるのがアレゴリーだとも言えるだろう。

 昔,中平卓馬という写真家がいた。外語大のスペイン語科出身だが、本質的に理科的資質の持ち主だったのか(損な感じが昔からしていた)、擬人的表現というものを極端に嫌い、焼き肉をつつきながらも、「なんで、この肉が人の肉であってはいけないのだ?」と悩み(いや、これは嘘)、あげくに、世界のナベアツじゃないが、「アホ」になってしまった。

 でも、「アホ」になると、いいこともある。中平卓馬の最近の写真は、私たちに、「あんたもアホになれよ。楽だぞう」と言っているがごときである。(私はお断りしますけどね)

トンでもない話

2008-07-04 20:56:51 | Weblog
 ベニヤ板をネット通販で申し込んだ。金曜日の5時を過ぎていたので、品物がつくのは来週の火曜日くらいだろうと思っていたら、即メールで返事が来て、「明日お届けします」と言ってきた。「早ッ!」てのは、このことか。

 産經新聞のコラムの質の低下の問題だが、今日のコラム、「断」で言えば,この通り。

 水族館に行くと,水槽に小さなドジョウがいることがあるが、これは展示されているのではなく、「餌用」である。餌としては縁日などで見かける金魚すくい用の金魚のほうが安いのだが、来乗客から「かわいそう」というクレームがくるのでドジョウにしたそうなのだが、金魚もドジョウも同じ魚類、まったくおかしい話である。感情移入しやすい動物にだけ愛情をそそぐ「かわいそイズム」(オレ=伊藤の造語)だ。鯨問題も鯨への「かわいそイズム」だ。なんでも欧米には「牛や豚は神が人間に与えた食物」という理屈があるそうだが、都合よすぎ。云々。

 書き手は劇作家の伊藤えん魔という人物。全然知らない人だが、伊藤さん、あなたは劇作家だそうだから、聞くけれど、舞台に食事のシーンがあったとしたら、食卓に金魚を出すか? 金魚鉢にアジを入れるか? まあ、「金魚を好んで食べる人」がテーマの芝居でない限り、そんなことはないだろう。

 てことは,要するに、金魚は観賞用、ドジョウは食用ということなのだが、これは、「金魚もドジョウも同じ魚類」という問題ではなく、「表現」の問題なのだ。

 私もだいぶ前だが、金魚屋で金魚を飼ったとき、金魚やの親父が、「ついでに」という感じで、すぐ隣を泳いでいた金魚を肉食カエルにぽいと放り投げ,カエルがその金魚を頭から食べるのを見て,ぎょっとしたことを覚えているが,金魚は観賞用という刷り込みがあるから、どうしても違和感が生じるのだ。

 繰り返すが、金魚もドジョウも同じ魚類、という問題ではないのだ。「表現」の問題なのだ。

 犬やネコは愛玩し、牛や豚は殺して食べてしまうのも同じだ。犬やネコは食用には適していない(肉の量が少ないからとか)からという「合理的」な理由も少しはあるかもしれないが、より本質的には、「表現」の問題なのだ。

 たとえば、トンカツやの広告に、豚がコックに扮して、「おいしいよ!」とか言ったりする。これは、豚にしてみればトンでもない(シャレじゃありません)話だが、でも、豚には「表現」という問題意識がないので、何千年もの間、一方的に食用に供せられながら、豚が怒って立ち上がったなんて話は聞かないのだ。される時には,非常な恐怖を感じていることは確かなのに(人間が想像するものとはちがうかもしれないが)、でも、それを「表現」することはないのだ。(なぜかというと、たぶん、言葉を持たないからだろう。)

 聖書に、「神は家畜と動物を作った」、と、食用の動物と野生の動物を分けて書いてあるのも、野生の動物を食べることはウィルスの問題などがあって危ないから、というような合理的な理由もあるのだろうが,基本的には、「家畜」という言葉、すなわち「表現」の問題なのだ。

 牛や豚だって、それ以外の(もちろん人間を含む)すべての動物と同じ動物なのだが、それを人間は,「家畜」と、勝手に別の名前で呼ぶ。このことを、表現技法として、「アレゴリー」(「別のもの」というのが元来の意味)という。豚にコックの扮装をさせるのも同じだ。これは,日本には、まだ若干,牛や豚を食用に供することに抵抗があるので,それを和らげるために「食用家畜としての牛や豚という、別のイメージ」、すなわち、アレゴリーの流布をトンカツ協会(?)あたりが中心になっておこなっているのかもしれない。

 そういうわけで、「断」というコラム名は、話を単純に,力強く語りたいという意欲の現れなんだろうが、でも、「ハンバーガー食いながら、鯨を食べるななんて言えないはずだ」では、「単純=バカ」にすぎない。

 「アレゴリー」なんて、どうせよくわかってもいない文化用語を持ち出すな,と言われるかもしれない。たしかに、生かじりではあるのだが、でも、犬やネコはバカっかわいがりしながら、牛や豚を殺して食べている現実は、それをちゃんと読み解こうとしたら,結構、難しい問題をはらんでいることはたしかなのだ。

眠い…

2008-07-03 21:12:29 | Weblog
 最近、ちょっと困っていることがある。それは、モーニングタイムをどう過ごすか、なのだが、現在は、毎日、Macで新聞を読みながらMacポークにアイスコーヒーSサイズ、それにシャカシャカチキンかアップルパイを食べている。しめて300円で、本当に驚くほど安いのだが、もう、飽きちゃって飽きちゃって。

 前にも少し書いたけれど,大体,私はケンタッキー派で、Macは嫌いなんだが、これだけ安いとどうしてもMacに行かざるを得ない。でも、それもだんだん限界に達してきた。せめて一週間の半分くらいにとどめたいのだが、代わるものがない。

 もう1つの問題は,私は根っからの活字人間なんで、朝食にはどうしても新聞が欠かせないのだが、これがつまらない。本当に激しくつまらない。

 今,買っているのは産経だが、もちろん、百円で安いからだ。

 しかし、買い始めたのはそうではなく、「斜断機」というコラムを読むためだった。当時は夕刊に載っていたのだが、そのうち朝刊に移動し、その後間もなく,「斜断機」自体がなくなった。

 「斜断機」のファンは少なからずいたはずだ。実際,「斜断機」をまとめた単行本が出ているくらいで,それも私は買ったのだが(古本屋で)、改めて読んでみて、やはりなかなか面白い。案外,政治そのものに真っ向から切り込むのは少なくて,小説,漫画,映画、美術などをネタに世相に斬り込むという感じだ。読み直して、反フェミニズム関連がかなり多いのがちょっと意外だった。

 「斜断機」の後継コラムは、「斜断機」が匿名コラムだったのに対し、署名コラムになった。誰かが、「匿名はよくない」とか言ったのかもしれないが、署名コラムになってからは激しくつまらなくなった。もちろん、つまらなくなったのは署名原稿になったせいではない。新メンバーに才能がない、それだけだ。

 しかし、なぜ「斜断機」は打ち切られたのだろう? 思うに,「難しくて一般読者にわからない」「テーマをもっとストーレートに表現してほしい」といったところだろう。なぜなら、新連載のコラムは「単純でストレート」だからだ。「単純でストレート」なことは、言論人の基本的姿勢として一見よさそうだが、実は必ずしもそうではない,ということを、新しいコラムで教わった。

 「良かった」のはそれだけ。

 あと,もう1つ。私は右翼だが、才能のない右翼と才能のある左翼では、才能のある左翼のほうがましということも教わった。(もちろん、逆もしかりだけど…概して右翼って才能がないのだね。これもわかったこと)

 話が変わるが、しかし、テニス選手って、なんであんなにカッコいいのだろう。男子の話だ。

 昨日見たロシアのサフィンなんて、マルチェロ・マストロヤンニかベッカムか(だいぶ違うか)のハンサム君で、193センチの長身で、しかも、あの運動能力で…癇癪持ちが欠点だそうだが、癇癪を起こすところを見たいという人も多そうだ。

 フェデラーにボロ負けしたクロアチアのアンチッチにしろ、好みは分かれそうだが、現在ランクナンバ-2のナダルにしろ、見ていて飽きない。特にナダルを見ていると、「嵐が丘」のヒースクリフとイメージが重なってしょうがない。

 というわけで…あー、眠い。