パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

お嬢様っ?

2009-11-26 19:35:06 | Weblog
 昨日、不思議なものというか、言葉をテレビで聞いた。

 フジテレビの深夜のクイズ番組で、司会は課長次長の河本。解答者はえびすよしかずなんかがいた。

 一種の「私は誰でしょう」なのだが、3人の女性が出てきて、それぞれ自分の特技をもっていると主張するが、本物は一人、それを当てるというもの。

 3人は全員40台から50台といった感じなのだが、河本が、「お嬢さん」と連発する。

 画面にも、「お嬢様」の文字が頻繁に流れる。

 「特技」というのは、出場者の娘がもっている特技なのかなと思ったが、どうもそうでもない。

 結果を言うと、真ん中に座っていた、犬のトリム業歴30年という人の、犬の鼻をなめただけで犬の種類を当てることができますというのが、正解、というか、ほかの人の「特技」は全部うそなのだが、トリム歴30年というなら、どう考えても現在50台だろう。

 それが、なんで「お嬢様」なんだろう?
 

 他の二人も大体同年代だが、彼女たちに対しても、河本は「お嬢様」と呼んでいた。

 なんなんだろう。

 さっぱりわからないが、番組のディレクターが、「おば様とか言うと文句をつけられるかもしれないから、お嬢様で通すように」と、出演者たちに命じたとしか思えない。

 しかし、「さすが、トリム歴30年のベテランの技ですねえ」とか言いながら、そのベテランに「お嬢様」と呼びかけるのはなんとも違和感というか、ともかく、むちゃくちゃである。

 「むちゃくちゃ」と言えば、必殺仕分け人、れんほうが、「われわれに、説得力あるように説明していただけませんか」と、防衛省の役人に話しかけていた。

 なんだんだろう、このへんてこな言葉遣いは。

 恋人同士の痴話げんかで、煮え切らない男に女が「私を説得して頂戴」とか言うことはあるかもしれないが…。

 NHKで中国の映画制作の現場を放映していたが、いやはやなともものすごい鼻息、自信で、かえって危うさを感じてしまった。

 ちょっと前には、中国における電気自動車の開発レポートを放映していたが、電気自動車の問題点はバッテリー問題で、あとはガソリン自動車のような蓄積されたノウハウは不要で、ごく簡単にできるんだそうで、あちこちのちっちゃな町工場で若者たちがいけいけどんどんで作っている。

 はっきり言ってバブルなんだけれど、日本やアメリカにおけるバブルが、「実体」の上に生じたバブルだとすると、中国のそれは、全部がバブルというか…。

 将来的に、この「ゆけゆけどんどん」方式で作ったものが有形無形の財産として残るかというと、全然ないとは言わないけど、ほとんどは外国の資本、技術によるものしか残らないのではないだろうかと思ってしまった。

 

デフレ下の「価値」とは

2009-11-22 18:39:21 | Weblog
 デフレの恐怖、連鎖断ち切る「付加価値」

 という見出しを見て相変わらずサンケイはあほなこと言っているなと思い、たまには読んでみようと買ってみた。

 みると、東芝が、今考えうるあらゆる付加価値をつぎ込んだ、価格百万円前後の高機能テレビを年末に売り出すことになったのだそうで、東芝の担当重役いわく「安さばかりを追ってもしょうがない」「デフレへの挑戦」なんだそうだ。

 バッカジャナカロカ。

 と思わずトニー谷になってしまったが、根本的に考え違いを犯している。

 デフレ状態において「価値」があるのは、低価格なんだ。

 つまり、できるだけ付加価値を削り、必要最低限の機能だけで、低価格を実現することが、今は「価値ある行為」なんだ。

 しかし、日テレの番キシャを見ると、ここでも、「低価格は誰も幸せにしない」と叫んでいた。

 「高くても売れるようなものを作ること」がデフレ対策だなんて、頭が悪すぎる。ホント。

 「価値とは何ぞや」という哲学的思考を怠ってきたために、こうなる。

 カナダのスケート大会を見る。

 地元のロシェットがぶっち切りの高得点をあげたが(ショート段階で)、見ていて、来年のオリンピックの大本命はロシェットかなと思った。

 対抗馬ははやり浅田真央。

 キムヨナは、多分失速して4位あたりじゃないだろうか。

 というのは、ロシェット、キムヨナの高得点が現段階では抜けているし、そのままなら、二人が大本命だ。

 この二人の異常な高得点に対抗できるのは浅田のトリプルアクセル以外ないというのが現状だ。

 しかし、キムは前大会でおおこけしたように、失敗する可能性がある。

 だとすると、ロシェットの対抗として残るは浅田真央ということになる。

 彼女が、安全策をとって、技術レベルを落としたらどうかという意見に同意せず、あくまで高度な技を目指すといい続けているのは、こういう背景があるんじゃなかろうか。

 まあ、彼女がオリンピックに出れるとしたら、なんだけど。

布団がふっとんだ

2009-11-19 22:44:48 | Weblog
 突如、パソコンが立ち上がらなくなってしまった。

 まだ写真集の編集がすんでいないのに、えらい抹茶、もとい、えらいこっちゃと思ったが、外付けのUSBの分配器を取り外したら元通りになった。

 USBは便利だが、ちょっと怖い。

 ファイヤーワイヤーのほうがいい。マックの場合だが。

 日テレの辛坊次郎が、国民年金の後始末に4、5年で5000億円を使うことについて、何も全部調べる必要はないだろう、国民自身が「俺のところのはおかしい」と思ったら、その旨役所に訴え、役所はそれについてのみ、誠心誠意対処すべればいいので、あとはごめんなさいでいいじゃないかと言っていた。

 まったくそのとおりだが、私はずっと前から言っていた。


 インフルエンザのワクチンだって、社会保険制度のないアメリカで無料で、世界一と称する日本の社会保険制度で有料、それも5000円とかの高額とはどういうわけだ。

 国民年金の記録の入力やり直しに年2000億円近く使っておいて…。

 ともかく、長妻は無能である。

 顔を見ればわかる。

 依然自信がなさそうだ。

 しかし、テレビをひねるとどこでも介護老人問題で、死に掛けの老人ばかり見せられていやになる。

 もちろん、重大な問題ではあるのだが、はっきり言って、あの扱いは「スズメバチ番組」を同じ。

 視聴率が取れて(いや、わからないが)、しかも誰からも文句が来ない。

 昨日、もう、毎日のことだが、JRが遅れて、その車内放送。

 「先ほど○○近くで線路に布団が落ちておりまして、安全確認に時間がかかり遅くなったことをお詫びいたします」

 布団がふっとんだか…。

 しかし、安全基準が厳しすぎやしないか。

 ちょっと風が吹くとすぐに止まってしまう。

 私鉄の安全基準と差があるみたいで、台風18号のときは、JRにあわせて運休した私鉄があったが、どうにかしろよといいたい。


 

抹茶アイスは私も好きだ

2009-11-17 21:03:29 | Weblog
 大相撲の九州場所が惨憺たる有様だ。

 ガラガラ。

 先場所は白鵬と朝青竜のガチンコ優勝争いで盛り上がったのだが、その反動か、それとも、鳩山政権誕生、オバマ来日、市橋逮捕、森繁逮捕などに話題を奪われてしまったのか。

 ともかく、普通だったら少しは事前に報道がなされるのだが、気がついたら始まっていた。

 ところで、市橋が深くフードを下ろして連行される姿が「かっこいい」と、女子を中心に盛り上がっているらしいが、確かに、あれはかっこいい。

 履歴書の字もきれいで、話し方もとても知性が感じられたと雇用者側が言っているみたいだが、偽名の「井上康介」もなかなかハードボイルドチックでかっこいいと思った。

 しかし、今のところはフードに顔の大半が隠されているので、本当のところはわからない。

 夜目遠目傘の内って言うからね。

 フードを取ったらがっくしとなる可能性はあるが、でも、あのあごのシャープな線はちょっとぐっとくるものがある。

 いい役者が少ない昨今、余計にそう思うのだが、その役者の森繁が死んで、世間はもう少し騒ぐかと思ったが、そんな風にも感じられないのがちょっと意外だった。

 もちろん、テレビなどでは一応いろいろやってはいるのだが、世間はまったく森繁の死に関心を持っていない。

 それで、追悼番組もまったくおざなりでしかないが、中では、中村メイコが、「森繁さんは老人になってから老人を演じていた」と言っていたのが印象的だった。

 そうだ。そういう森繁のやり方に世間は食傷気味で、飽きていたのだと思う。

 しかし、森繁といえば、小林信彦が狩り出されると思ったがテレビでは今のところ出番なし。

 小林の場合は、どちらかというと、森繁批判になるからか。

 森繁に「社長シリーズ」の話を振ると、あんなのは芝居のうちに入らないと露骨にいやな顔をされるらしいが、この森繁のシリアス志向を世の森繁にあこがれるコメディアンたちは追随し、失敗する。

 これを小林信彦は「森繁病」と言ったのだが、コメディアンというのは意外なことに、勉強家が多いのだそうで、みな小林の「日本の喜劇人」などを熟読し、参考にする。

 ゆびぱっちんのポール牧もその一人で、「俺は絶対に森繁病にはかからない、一生芸人で通すんだ」とがんばったが、がんばりすぎで自殺してしまった。

 ポール牧なんかは、シリアス映画でまじめな役をやったってぜんぜん大丈夫なタイプだと思うのだが。

 要するに越えようとしてもだめ、逆をやってもだめと、何をやっても日本の役者は森繁という壁に拒まれてオリジナリティを獲得できないのだが、ただし、北野武の映画だけは別で、実にたくみに森繁という壁を避けている。

 渡嘉敷のような元プロボクサーを使うのもそのひとつだし、中でも「ソナチネ」のちゃんばらトリオのおっさんは面白かった。

 シリアスな顔で張り扇を振り回しても全然オッケーじゃないかと思ったりした。

 というわけで、追悼番組にはぜひ北野武を呼んで演技者森繁について語ってもらいたいと思ったのだが、今のところ影も形もなし。

 いずれ、小林も武も何らかの形で発言するとは思うのだが。

 ところで、鳩山首相にマスコミは振り回されているが、普天間基地問題における閣内不一致は、前回の連連立政権における失敗を繰り返さないために、ガス抜きとして反対意見を言いたい放題言わせているのかもしれない。

 という意見が一部にあるが(私だけ?)、本当にそうだったら鳩山は案外ものすごい宰相ということになる。

 でも、わからない。

 ただ、意外に「図太い」ことは確かのようだ。

 でも、時々「屁理屈」を言うのが気がかりだ。

 基地問題で、「話し合いに前提があったら話し合いの意味がない」とか。

 あれは、私が、元来理工系なので思うのだが、理系特有の言わずもがなの「屁理屈」だ。

 しかし、オバマ大統領はすごいなあ。

 「抹茶アイス」の一言で、女子大生なんか、涙流さんばかりに感激していた。

独り者が「我が家」に帰る理由

2009-11-06 14:49:02 | Weblog
 直前の投稿が「路傍の石」についてだったとは、ずいぶん更新を怠ってしまったなあ。

 ちなみに、「路傍の石」の主人公の名前は吾一君です。

 吾一少年は、決して貧しい家の子供ではない。

 むしろ、裕福な家庭の子供なのだが、ものすごく克己心が強くて、頑固で、自ら災いを招いてしまうような少年だ。

 ということは、かなり普通の「おろか」な少年だ。

 言い換えると、「貧乏」ということだ。

 「路傍の石」が貧乏な少年の立身出世を目指す物語と一般的にイメージされているのは、ここからくるのだろう。


 と、書き込んだ翌日に古本屋で立ち読みしながら考えたのだが、ずいぶん以前のことのような気がする。

 よって、中身もいい加減である。

 もう一度立ち読みするので、この話題はまた。

 さて、なんでかくも更新が遅れたかというと、3年越しに取り掛かっている「写真集」がいよいよ大詰めにさしかかったので。

 16万字に及ぶ「撮影メモ」もさることながら、500枚を超える写真の整理が大変。

 500枚もあれば、数枚の「いいかげん」なものが混じっても構わないだろうと考えていたのだが、いざとなると、それがやっぱり、気になってしまうのだ。

 結局、たとえば、25枚の写真しか収めていない写真集に要する心的エネルギーが、500枚だったら、ちゃんと20倍必要なのだ。

 まとめれば、10倍くらいですむ、とか、そういうことではない。

 というわけで、昨晩も、日本シリーズをラジオで聞きながら作業を進め、その後もなんとなくラジオに耳を傾けているうちに、終電に間に合わなくなり、やむを得ず、事務所で一泊した。

 独り者なんだから、別に家に帰らなくてもいいではないか、と思われるかもしれないが、坂口安吾がどこかで書いていたように、「独り者にも我が家があり、我が家に帰る」のだ。

 実のところ、人は、決して愛する妻、かわいい子供、すなわち「家族」が待っているから帰宅するのではない。

 もしそうだとしたら、独り者は、男女を問わず、家に帰る理由がなくなる。

 でも、そうじゃない。(むしろ、所帯持ちほど、実は家に帰りたくなかったりする。)

 なぜなのだ?

 坂口安吾は答えを書いていないが、理由ははっきりしている。

 そこに「自分」がいるからだ。

 公的ではない、私的な、つまり、当人にとって本当の「自分」がいる、あるいは、そういう自分になれるところだから、「帰心矢のごとし」の勢いで帰ろうと欲する。

 「故郷」も同じだ。

 人間が故郷を懐かしく思うのは、そこに両親だの、兄弟だの、親友だのがいるからではない。

 そこに「自分」がいたこと、自分との「再会」を懐かしむのだ。

 このことについての理解がないことが、日本における「地方再生」を困難にしている。

 鳩山首相も、国会で「地域の絆を回復させることが大事」とかなんとかしゃべっていたが、「地域の絆」ってなんなんだ?

 多分、両親兄弟姉妹、ご近所の人々をはじめとする、生まれ育った人間関係のネットワークのことを言っているのだと思うが、だとしたら、それは、「村八分」の正当化の原理ともなりうるものだ。
 
 もっとも、「村八分」の論理も、住民のすべてがそれを受け入れ、納得していたら、問題なく機能する。

 もちろん、実際には、はぐれものがいつでもいる。

 でも、そういった「はぐれもの」の数が少ないうちは問題ない。

 しかし、ある一定以上にまで「はぐれもの」が増えてくると、「村八分」の論理を堅持する地域は、自動的に「縮小均衡」の道をたどることになる。

 地方の過疎化の原因は、根底的には、この「村八分」の論理が、もちろん表立って行われることはないだろうが、心の中に抜きがたたく存在しているのが原因じゃないかと思うのだが…。