パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

わかることとわからないこと

2012-05-23 22:02:44 | Weblog
 小沢、NHKニュース出演し、野田首相との会談について説明。

 「党員なのに党の決定に何故したがわないのか」という大越アナウンサーの質問に「消費税引き上げの党の決定は議論を強制的に打ち切った結果。野田首相こそ、選挙前にマニフェストを党で決めた際、自ら賛成しているのだから、筋が通っていない」と反論。

 「日本の財政危機は深刻、今や、消費税上げは待ったなしだと野田首相は言っている」との大越アナに「10年、20年、このままでいいとは思わないが、時間はある。今、すぐに消費税を上げないとだめだというわけではない。現に円高だし、日本国債も暴落していない。EUのような危機ではない」

 と、大越アナは首をかしげていたが、言っていることは一々まともだと思うし、わかりにくいところはないと思う。

 小沢インタビューの後は、福井原発の再開問題のニュースだったが、関係者一同の言っていることが難解で、大越アナの解説がなければ何を言っているのか、まったくわからない。

 しかし、原発の「再開問題」は最初からこうで、NHKをはじめ、マスコミは最初から、普通の人には理解不能の「再開」のシナリオを行政当局から与えられていて、ここはこういう風に解釈するように、というアンチョコを渡されているに違いない…と思ったりする。

 で、ニュースの最後は、新藤兼人監督100歳で死去ニュース。

 死亡ニュースだけど、年齢も年齢だし、「おめでとう」は言い過ぎだけど,まあ、そんな雰囲気。

 新藤作品はあんまり知らないのだけれど、「裸の島」が一番好きだ。

 いっさい台詞なしで、水を汲んだりするときの「自然音」は入っていたとおもうけれど、人間の言葉はなし。

 ただ、島から近くの町に買い出しかなにかで来たとき、町の電気屋に並べられたテレビから一瞬、人の声が聞こえたと思う。

 これはものすごく印象的だった。

 「原爆の子」は最高の名作。

 アカデミー外国映画賞にノミネートされたのを、日本政府がアメリカに気兼ねして辞退させたとか聞いたことがあるけれど、まさかその「規制」が生きているわけではないだろうが、「原爆の子」は、ポスターが隅に写っていたくらいで、話題は、95歳すぎてから作った作品のことばかりで、後、モットーは「死ぬまで生きる」だったとか、そんなくだらぬエピソードばかり。

 インタビューも流していたが,しきりに強調していたのは「仕事」の二文字。

 「映画づくりは私の仕事だからやるんだ!」と、そんな意味のことを何度も何度も言っていて、それを大越アナも、隣のアシスタントアナウンサーも、「力強い,いいお言葉です」と晴れやかな顔,声で讃えていた。

 え?

 「映画監督の仕事は映画を作ること」って、ナンセンスなトートロジーとしか私には聞こえないけれど……。

 そう思ったとき、不可解な原発再開問題ニュースも理解できたと思った。

 原発関係者が再開に必死なのは、原発が彼らの「仕事」だからで、それをナンセンスなトートロジーで守ろうとしている。

 しかし、「仕事」という「価値観」が一人歩きして、マスコミにも以心伝心で伝わるものだから、伝えるニュースもどうしても歯切れが悪く,意味不明になる。

 ところで、新藤監督の「映画づくりは私に仕事」という言葉が、私には不可解なのは、あたかも「モノ造り」のようなイメージでそう言っているように思えたからだ。

 ところが、大越アナの「賛意」も、まさにそこ、すなわち「モノ造り」に寄与する新藤監督の職人精神あたりにあるのだろう。

 少しでも新藤作品を見ていれば、あんな安易な「賛意」は示さないはず。

 岩見隆夫なんかは結構見る目があると思うが(桜田淳子が芸能界を引退したことを、彼女の演技力を評価して残念がったのは岩見くらい),大越アナは、野球とか相撲はまあまあ自信があるようだが、芸術関係はまるでだめ。多分。

 そもそも、映画づくりは、監督を職人にたとえたりすることはあっても、「モノ造り」とはちがう。

 じゃあ映画監督の仕事は何かというと、結構むずかしいけれど,人々の様々な視線(主観)を一つに束ねて物語というかたちにすること、とか、そんなところだろうか。

 映画といえば、「MIB」をテレビで。

 いや最高である。

 あれ、原作というか、ジョン・キールというアメリカのUFOライターのルポをもとにしていると思われるのだが、全然誰もそれに触れないので、次回あたりに。

日本における科学技術。その傾向と対策

2012-05-21 23:07:57 | Weblog
 菅前首相が事故時の対応を「証言」して、東電が3月12日頃には「全面撤退」しようとしていたことは、枝野の証言もあるし、ほぼ事実のようだが、菅は、そのとき、社長に「そんなことしたら、東電がつぶれるぞ」と言ったと、どこかで言っていた。

 菅が,どんな意味でそう言ったのか、わからないが、東電の最上層部が「お手上げ」だと言ったのだから、全面撤退を認めて、後は自衛隊と米軍に任せる、という手もあったのでは。

 自衛隊も米軍も、核戦争の願ってもない訓練の場と考え、ファイト満々でやったと思うし、東電は潰れるし、万々歳ではないか。

 中でも万々歳なのは、原子力ムラが潰れることだ。

 科学評論家の村上陽一郎氏が言っていたが、原子力技術は日本の科学技術の世界の中でもかなり特殊な世界なのだそうだ。

 そもそも19世紀における科学技術の発展の基礎は、蒸気機関の発明者ワットがそうであったように、科学ではなく、技術からはじまった。

 原子力のはじまりだって、もとはと言えば、鉄の溶鉱炉の温度を測るのを、職人のカンに頼っていたのを、もっと正確、確実に知りたいという産業界の要請があって、それを研究しているうちに、ドイツのプランクが量子仮説という仮説を考えたところ,それですべて説明がつくところからはじまったのだった。

 それまでは、科学は、あくまでも自然哲学だったが、産業革命をきっかけに技術が介入して来たのだが、本来の姿を言えば、技術者と科学者は生きている世界からしてちがうのだが、それが日本では少しちがっている。

 日本における科学技術教育は,もちろん明治維新からはじまったわけだけれど、維新政府は最初、工部学校というのをつくった。

 これはまあ、職人養成学校、今の高専みたいなものだろうが、この工部学校は4、5年で廃止し、できたばかりの東大に工学部というのをつくって、そちらに科学技術教育は統合した。

 実は、これが意外なことに世界初の大学の工学部なんだそうだ。

 それまで、欧米では「工部学校」的な学校が技術教育の中心で、それは今でも同じらしい。

 もちろん、科学、とりわけ近代科学は、職人技術が基礎となっていて、純粋な科学をやる科学者というのは、それこそ古代ギリシャに端を発しているような、「技術者」とは一線を画した存在,要するに哲学者なのだ。

 ところが,日本ではそれを「科学技術」という名前のもとに一つにしてしまった。

 もちろんそれには「いい面」もないことはないのだろうが、原子力に関しては、その悪い面が全面的に出てしまった、というのが村上陽一郎氏の意見だ。

 たとえば、鉄道技術の技術者なんかは、欧米の技術者とまったく同じメンタリティをもっていると言っていいが、原発の技術者は、鉄道技術者と本質的に変わらない欧米の原発技術者とまったく違うメンタリティをもっている(らしい)。

 要するに欧米の原子力の技術者は、鉄道や自動車や飛行機を造り、管理する技術者と全く同じだが、日本で原子力を扱う技術者は、ちょっとちがっているというわけだ。

 多分、先端的科学者としてのプライドみたいなものが過剰にあるのだろう。

 でも、例えば湯川秀樹だとか、アインシュタインが原爆を作れるかというと、作れないし、原発の管理なんかも全然できない。

 それはあくまでも産業技術者の仕事なのだが、その「産業技術者」としての自覚が日本の原発に携わる技術者には足りない、というより「ない」のだ。

 その辺のことは、私は、元理工学部の学生なので、イメージ的によくわかるのだ。

 私が影響を受けた先生というと、サイバネティックス(自動制御)の高橋利衛先生なのだが、その高橋先生も、近代の科学技術はワットの職人技術が始まりであること、お前たち(学生)が卒業して、様々な現場に出たら、高専出身者をうまくつかうことだけを考えろ、「技術者」としては彼らの方が上だから、お前たちは大局だけ見ていろと言っていた。

 いちいち腑に落ちる話なのだが、安全委員をはじめ、原発関係者は「産業技術者」としての意識を持っていないと結論していいのではないだろうか。

 しかし、菅は、東電社長に「撤退はさせない」と言った後、米軍の救援申し出を断っている。

 断ったのは菅ではないかもしれないが、米軍が何でもすると言ったのに、米軍が何もしなかった(少しはしたのだろうが)のは、東電が「はい,撤退せずにがんばります(から外国の技術者だけは入れないで)」と言ったから、その意に添うことにしたのだろうか。

 なんだか、それが事実のような気もする。

名刺

2012-05-09 21:40:09 | Weblog
  昼夜で異なる料金プランとやらで、NHKニュースでは「まあいいんじゃないでしょうか」とか「昼間はもともとあんまり使わないから」という都民の意見を紹介していたが、新潟県知事は「剣もホロロ」な対応。

 そうだ、もっと言ってやれ。

 東京都民は、自分たちが使っている電気が福島でつくられていることはわかったが、新潟でもつくられていること、実は私も、改めて気がついた次第。

 新潟の地震のときも、新潟の人が大変だなあとか思っていたが、それを使っているのは実は都民だったのだ。

 ニュースでは、その後、蓄電池システムを紹介していたが、その値段が70万円。

 「さあ、みなさん、買いましょう」と、新産業としてバックアップしたい気持ちが見え見えの画面だったが、そんなことより、蓄電池システムなんか、「非現実的現実」でしかない貧乏人のことをNHKは念頭に置いていない。(民主党も)

 貧乏人を念頭に置くなら、前から言っているけれど「基本料金」をどうにかしろと言いたい。

 「基本料金」をゼロにすれば、料金未払いで強制的にカットされてしまうようなことはなくなる。

 その代わり、料金の計算システムのグラフの傾斜を急にすればいいのだ。

 そのNHKニュスのトップは、小沢裁判の強制起訴問題だったが、そもそもあの強制起訴を最初に要求した人物が極めて胡散臭い、その名も日本ナチ党の関係者。

 党首は、本場のドイツのネオナチから手紙をもらったりしていて、「でも日本にユダヤはいないしな」と言って笑っていた。

 じゃあ、なんでナチスを名乗るのかというと、半分は「趣味」、あと半分は、ナチスが今はやりの「エコロジー」の元祖であることは有名だが、日本ナチ党も「エコ」を目指していて、まともな活動家なんかとも連係していたりしたが、その日本ナチ党の党首の知り合いのSさんが、5、6年前に、小沢の強制起訴を要求したのだ。

 そのSさんのことは週刊新潮の記事で知ったのだが、党首殿に言ったら「ヘーあいつが」とか言って笑っていたので、Sさんが個人的にやったのだろうが、Sさんはその後、強制起訴を断念、それをひきついだ市民団体については私はしらないのだが、まあ「うさんくさい」のは似たり寄ったりではないのかと思うのだ。

 そいういきさつについてはNHKも諸マスコミも全然報道しないので、一応、書いておきます。

 で、その同じマスコミなのだが、東京新聞の解説委員が、原発の再開を決定した「民主の仙石チーム」についてかなり突っ込んだことを書いたらしい。

 しかしその委員は、書いた直後、ガンか何かで、連休直後に亡くなったそうで、残念。

 その東京新聞の解説委員の一人が、「グラフィケーション」で毎号書いているのだけれど、最新号は羊羹の「トラ屋」についてでした(笑)。

 でも、偉ぶったりしない、いい人です。

 「偉ぶったりしない」ことをなんでわざわざ書くかというと、一度、朝日新聞の解説委員をしている人から名刺をもらったことがあるのだけれど、その名刺がすごくて、「朝日新聞解説委員」の肩書きと名前だけだった。

 電話も住所もなし。

 まあ、この人だけなのだろうが、そんな名刺を見たのは、他に皇族の「三笠宮」だけだった。

 もちろん、三笠宮に会ったわけではない。

 三笠宮の「ガールフレンドだった」という女性に「皇族の名刺ってこういうのよ」ということで見せてもらったことがあるのだけだけれど、電話も住所もなく、ただ名前だけ。

 そっくりだった。

 まあ、私に対して偉ぶっても、あまり意味がないと思うけれど。

シナリオ

2012-05-08 22:48:25 | Weblog
 連休中、ネットにつながらなかった。

 理由は、データカードを使っていること、そのバージョンが古いので性能が悪く、ネットが混むと、つながらなくなってしまう…のだろうと思うのだが、よくわからない。

 今も、途中で切れてしまい、再度つなげたところだ。

 新バージョンには無料で交換できるのだけれど、パソコンを買い替えなければならない。

 でも今は、クォークを使っている関係で、どうしてもOS9でないとダメなので、新しいのに買い替えるわけにいかない。

 結局、ネット用にレオパルドを買うのかというと、そんな気にはなれない。

 ネットをやるだけなら、マイクロソフトのXPで充分のはずだし。

 と、以上は枕がわりのグチ。

 これから本題のグチなのだが、政府は拡大ASEANみたいな集まりで、新たな通貨危機に備える積み立て基金をつくるという名目で、ン兆円の支出を約束したそうだ。

 つい1、2週間前にはヨーロッパの通貨危機に備える基金に同じくン兆円たんいの支出を決めていて、あわせて少なくとも十兆円の支出を外国に対して約束したわけだが、これだけ財政危機を煽っていながら、マスコミは何の反応もしない。

 それどころか、新幹線はつくるは、第二東名はつくるは。

 さっきも、その第二東名のSAが紹介され、お祭り騒ぎだったが、SAがどんなに汚い利権の塊であるか、ということはすっかり忘れているみたい。

 お父さんの会社は大変なんだということで、子供たちには質素節約を説き、一歩外へ出ると、一転の「大盤振る舞い」。

 かどうかはわからない。

 本当に、お父さんの会社は大変なことになっているのかもしれず、それ故に、お父さんは外に「いい顔」をしているのかもしれない。

 それで、お父さんから事情を言い含められているお母さん(マスコミ)が、子供たちに、「お父さんはサラリーマンだから、ちゃんと背広にネクタイをして、毎晩接待しているし、付き合いのお金も必要なんだけど、でも会社は火の車で、給料も安いの。だからあんたたち、我慢してね」と言っているのかもしれない。

 でまあ、これが一番ヤバいんだが。

 いずれにしろ、テレビをつけるとどこでも、グルメ番組ばかり。

 グルメ番組でなくても、しょっちゅう口をもぐもぐさせていて、醜いったらありゃしない。

 昔から、日本のドラマは飯を食ってばかりいると、批判されていたのだけれど、最近はこの「批判」もどこへやらだ。

 話がそれたが、政府、日銀は、私の記憶している限り、20年以上前から、日本国民には、財政が危ういと言い、外に対しては「大丈夫」と言い続けてきた。

 そしてそれをマスコミは黙認してきた。(「黙認」でなければ、これほど明々白々な事実を説明できない)

 いったい、真実はどこにあるのか?

 もっともあり得るシナリオは、お父さんの会社の不振は、事実ではなく、でも内には厳しい顔をしていた方が都合がいいからそうしているというもの。

 じゃあ、今のまま、お父さんの渋い顔を我慢して受け入れていればいいということになるのか?

 冗談ではない。

 子供としては、こんな、子供をだまし、かつ苦しめるシナリオは断然破棄し、たとえお父さんの会社が行き詰まっていなくても、行き詰まって首を吊るのを、万歳して見届けてやる!という気持ちになる。

 私が野田の息子だったら、そう思うね。(野田は私より年下だが。トホホ)

 なんといっても、「だます」のが一番よくないのだ。