小沢、NHKニュース出演し、野田首相との会談について説明。
「党員なのに党の決定に何故したがわないのか」という大越アナウンサーの質問に「消費税引き上げの党の決定は議論を強制的に打ち切った結果。野田首相こそ、選挙前にマニフェストを党で決めた際、自ら賛成しているのだから、筋が通っていない」と反論。
「日本の財政危機は深刻、今や、消費税上げは待ったなしだと野田首相は言っている」との大越アナに「10年、20年、このままでいいとは思わないが、時間はある。今、すぐに消費税を上げないとだめだというわけではない。現に円高だし、日本国債も暴落していない。EUのような危機ではない」
と、大越アナは首をかしげていたが、言っていることは一々まともだと思うし、わかりにくいところはないと思う。
小沢インタビューの後は、福井原発の再開問題のニュースだったが、関係者一同の言っていることが難解で、大越アナの解説がなければ何を言っているのか、まったくわからない。
しかし、原発の「再開問題」は最初からこうで、NHKをはじめ、マスコミは最初から、普通の人には理解不能の「再開」のシナリオを行政当局から与えられていて、ここはこういう風に解釈するように、というアンチョコを渡されているに違いない…と思ったりする。
で、ニュースの最後は、新藤兼人監督100歳で死去ニュース。
死亡ニュースだけど、年齢も年齢だし、「おめでとう」は言い過ぎだけど,まあ、そんな雰囲気。
新藤作品はあんまり知らないのだけれど、「裸の島」が一番好きだ。
いっさい台詞なしで、水を汲んだりするときの「自然音」は入っていたとおもうけれど、人間の言葉はなし。
ただ、島から近くの町に買い出しかなにかで来たとき、町の電気屋に並べられたテレビから一瞬、人の声が聞こえたと思う。
これはものすごく印象的だった。
「原爆の子」は最高の名作。
アカデミー外国映画賞にノミネートされたのを、日本政府がアメリカに気兼ねして辞退させたとか聞いたことがあるけれど、まさかその「規制」が生きているわけではないだろうが、「原爆の子」は、ポスターが隅に写っていたくらいで、話題は、95歳すぎてから作った作品のことばかりで、後、モットーは「死ぬまで生きる」だったとか、そんなくだらぬエピソードばかり。
インタビューも流していたが,しきりに強調していたのは「仕事」の二文字。
「映画づくりは私の仕事だからやるんだ!」と、そんな意味のことを何度も何度も言っていて、それを大越アナも、隣のアシスタントアナウンサーも、「力強い,いいお言葉です」と晴れやかな顔,声で讃えていた。
え?
「映画監督の仕事は映画を作ること」って、ナンセンスなトートロジーとしか私には聞こえないけれど……。
そう思ったとき、不可解な原発再開問題ニュースも理解できたと思った。
原発関係者が再開に必死なのは、原発が彼らの「仕事」だからで、それをナンセンスなトートロジーで守ろうとしている。
しかし、「仕事」という「価値観」が一人歩きして、マスコミにも以心伝心で伝わるものだから、伝えるニュースもどうしても歯切れが悪く,意味不明になる。
ところで、新藤監督の「映画づくりは私に仕事」という言葉が、私には不可解なのは、あたかも「モノ造り」のようなイメージでそう言っているように思えたからだ。
ところが、大越アナの「賛意」も、まさにそこ、すなわち「モノ造り」に寄与する新藤監督の職人精神あたりにあるのだろう。
少しでも新藤作品を見ていれば、あんな安易な「賛意」は示さないはず。
岩見隆夫なんかは結構見る目があると思うが(桜田淳子が芸能界を引退したことを、彼女の演技力を評価して残念がったのは岩見くらい),大越アナは、野球とか相撲はまあまあ自信があるようだが、芸術関係はまるでだめ。多分。
そもそも、映画づくりは、監督を職人にたとえたりすることはあっても、「モノ造り」とはちがう。
じゃあ映画監督の仕事は何かというと、結構むずかしいけれど,人々の様々な視線(主観)を一つに束ねて物語というかたちにすること、とか、そんなところだろうか。
映画といえば、「MIB」をテレビで。
いや最高である。
あれ、原作というか、ジョン・キールというアメリカのUFOライターのルポをもとにしていると思われるのだが、全然誰もそれに触れないので、次回あたりに。
「党員なのに党の決定に何故したがわないのか」という大越アナウンサーの質問に「消費税引き上げの党の決定は議論を強制的に打ち切った結果。野田首相こそ、選挙前にマニフェストを党で決めた際、自ら賛成しているのだから、筋が通っていない」と反論。
「日本の財政危機は深刻、今や、消費税上げは待ったなしだと野田首相は言っている」との大越アナに「10年、20年、このままでいいとは思わないが、時間はある。今、すぐに消費税を上げないとだめだというわけではない。現に円高だし、日本国債も暴落していない。EUのような危機ではない」
と、大越アナは首をかしげていたが、言っていることは一々まともだと思うし、わかりにくいところはないと思う。
小沢インタビューの後は、福井原発の再開問題のニュースだったが、関係者一同の言っていることが難解で、大越アナの解説がなければ何を言っているのか、まったくわからない。
しかし、原発の「再開問題」は最初からこうで、NHKをはじめ、マスコミは最初から、普通の人には理解不能の「再開」のシナリオを行政当局から与えられていて、ここはこういう風に解釈するように、というアンチョコを渡されているに違いない…と思ったりする。
で、ニュースの最後は、新藤兼人監督100歳で死去ニュース。
死亡ニュースだけど、年齢も年齢だし、「おめでとう」は言い過ぎだけど,まあ、そんな雰囲気。
新藤作品はあんまり知らないのだけれど、「裸の島」が一番好きだ。
いっさい台詞なしで、水を汲んだりするときの「自然音」は入っていたとおもうけれど、人間の言葉はなし。
ただ、島から近くの町に買い出しかなにかで来たとき、町の電気屋に並べられたテレビから一瞬、人の声が聞こえたと思う。
これはものすごく印象的だった。
「原爆の子」は最高の名作。
アカデミー外国映画賞にノミネートされたのを、日本政府がアメリカに気兼ねして辞退させたとか聞いたことがあるけれど、まさかその「規制」が生きているわけではないだろうが、「原爆の子」は、ポスターが隅に写っていたくらいで、話題は、95歳すぎてから作った作品のことばかりで、後、モットーは「死ぬまで生きる」だったとか、そんなくだらぬエピソードばかり。
インタビューも流していたが,しきりに強調していたのは「仕事」の二文字。
「映画づくりは私の仕事だからやるんだ!」と、そんな意味のことを何度も何度も言っていて、それを大越アナも、隣のアシスタントアナウンサーも、「力強い,いいお言葉です」と晴れやかな顔,声で讃えていた。
え?
「映画監督の仕事は映画を作ること」って、ナンセンスなトートロジーとしか私には聞こえないけれど……。
そう思ったとき、不可解な原発再開問題ニュースも理解できたと思った。
原発関係者が再開に必死なのは、原発が彼らの「仕事」だからで、それをナンセンスなトートロジーで守ろうとしている。
しかし、「仕事」という「価値観」が一人歩きして、マスコミにも以心伝心で伝わるものだから、伝えるニュースもどうしても歯切れが悪く,意味不明になる。
ところで、新藤監督の「映画づくりは私に仕事」という言葉が、私には不可解なのは、あたかも「モノ造り」のようなイメージでそう言っているように思えたからだ。
ところが、大越アナの「賛意」も、まさにそこ、すなわち「モノ造り」に寄与する新藤監督の職人精神あたりにあるのだろう。
少しでも新藤作品を見ていれば、あんな安易な「賛意」は示さないはず。
岩見隆夫なんかは結構見る目があると思うが(桜田淳子が芸能界を引退したことを、彼女の演技力を評価して残念がったのは岩見くらい),大越アナは、野球とか相撲はまあまあ自信があるようだが、芸術関係はまるでだめ。多分。
そもそも、映画づくりは、監督を職人にたとえたりすることはあっても、「モノ造り」とはちがう。
じゃあ映画監督の仕事は何かというと、結構むずかしいけれど,人々の様々な視線(主観)を一つに束ねて物語というかたちにすること、とか、そんなところだろうか。
映画といえば、「MIB」をテレビで。
いや最高である。
あれ、原作というか、ジョン・キールというアメリカのUFOライターのルポをもとにしていると思われるのだが、全然誰もそれに触れないので、次回あたりに。