パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

早ッ

2008-01-28 22:06:30 | Weblog
 橋下弁護士、大阪府知事に当選。
 民主党は、「知名度に負けた」、と言っているみたいだが、そうかなあ。
 私は大阪府民ではないので、なんとも言えないが、テレビ等で見る限り、熊谷とかいう、民主党推薦候補はものすごく感じが悪かった。大学院の教授だそうだが、傲慢,冷血以外の何ものでもない感じで、落選が決まった画面でも、能面のような表情に薄ら笑いを隠しているように思った。それに比べ、橋下は、ともかく必死にやっているという感じは受けた。
 昨年の参院選挙の安倍大敗も、地方格差の拡大が原因とか言っているけど、私は、塩崎官房長官の高をくくったような応対が原因じゃないかと、今でも思っている。本当にあいつは感じ悪かった。どうでもいいことは確かなのだが、「法律に違反していないからいい」の一点張り。おかげで、その「どうでもいい」ことが何であったか忘れてしまったが、塩崎の感じの悪さだけは、今も残っている。塩崎、もしくは安倍首相の一存でいくらでも処理できることなのに、それをしないから、「どうでもいい」ことはわかっていても、どうしてもこだわってしまう。赤城大臣の絆創膏なんか、本当にどうでもいいのだが、隠すからこだわってしまう。

 ところで、リンダ問題、って知ってますか? 山本リンダは処女か否か(60過ぎだが)という問題…ではなくて、社会正義にあふれた女性で、大学時代は哲学専攻、環境保護を訴えるデモにも積極的に参加していた。
 さて、このリンダ、今、どうしているでしょう? 次のA、Bから選んでください、というもの。

 A。銀行の出納係。
 B。銀行の出納係で、フェミニズムの運動家でもある。

 論理的に考えると、シナリオが詳しいほど事実である確率は減るので、答えはAなのだが、感覚的にはシナリオが詳しいほどあり得る話に思えてしまうので、Bと答える人が圧倒的に多い、という。

 これが、「リンダ問題」で、カーネマンというノーベル経済学賞を受けたえらい学者が考えたのだそうだ。皆さんはどうですか? 私は、Aと答えましたけど。理由は、まさに、シナリオが詳しいほど事実である可能性は低いだろうと思ったのだが、一般的には9割ちかくが、Bと答えるらしい。
 それで、ちょっと面白かったのが、このリンダ問題を日本の大学生とインドネシアの大学生に聞いたところ、日本の大学生は、Aが25パーセント、Bが75パーセントだったが、インドネシアの大学生は、Aが11パーセント、Bが89パーセントだったんだそうだ。
 日本人て結構こすっからいなーと思ったが、それはそれとして、インドネシアの人、というか南方の人は、いかにも人が良さそうだ。私が大学生時代、ベトナム、インドネシア等、南方からの留学生がたくさんいたが、みんな人が良かった。でも、あんまり勉強はできなかったような記憶が…。すみません、南方の方。

 白鵬、朝青竜を破る。
 産経の一面に勝負がついた瞬間の写真が載っていたが、朝青竜のお尻が土俵につくかつかないかといった時に、早くも控えに座っていた琴光喜が、土俵から目を離して、腰をあげている様子が写っていた。「早ッ」、ってこうい場合に使うのかな、と思ったが、本当に早い。やっぱり、同業者は見るところが一般ファンとはちがうのだろうなあ。

冷水シャワーでひらめいた!?

2008-01-27 16:52:48 | Weblog
 寒い。今朝も、がんばって冷水シャワーを浴びてきたのだが、さすがに一分間が限度だった。

 夏だったら、最初から水シャワーでいいのだが、冬となるとそうはいかず、はじめは熱めのシャワーをたっぷり浴びてから、冷水に切り替えている。ここ一週間ほどは、さすがに勇気がいるが、でも、その後はポカポカして気持ちいい。
 しかし、真冬に冷水シャワーなんて、なんとかの冷や水と言われそうで、実際そうなんだが、でも、温水シャワーだと後が気持ち悪い。以前、銭湯に行っていた頃も、上がり湯かわりに冷水シャワーを浴びていたのだが(でも、冬はしなかった)、その時、直前に誰かが使っていた場合、必ず温水になっていたものだった。だらしねーなー、日本の庶民は、と思ったものだった。

 それはともかく、湯船につかるようなことはしなくなったため(面倒くさいし、汚れるし)、水道使用量もガスの使用量もかなり少なく、基本料金だけなのだが、それでも下水道、ガスをあわせると、月々4000円くらいになる。電気代も入れれば、5000円は下らない。貧乏人には大きい。

 しかし、以前も書いたことがあるのだが、そもそも「基本料金」ってなんなんだ? どんな根拠があってこんなシステムが存在しているのだ? 理由がさっぱりわからない。
 格差対策とやらで、ガソリンの代金を下げるとかなんとか国会でもめているが、本当に低収入の生活者のためを思うなら、公共料金の基本料をゼロにすればいいではないか。もちろん、基本料金をゼロにする代わりに、料金曲線(使用量と支払額の相関関係を表す曲線)の傾斜を急にするのだ。そうすれば、収入金額の総額は変わりがないはず。
 もっとも、基本料金をゼロにすると、金がないからとがんばって倹約しすぎて凍死したりする人が出かねない(まあ、そんなことはないだろうが)と言うなら、料金に換算して、例えば百円分まで無料ということにすればいい。百円分以上使ったらはじめて料金が発生するようにするのだ。
 
 亀井静香先生が、ガソリンの基準料金を、たとえば1リットル120円なら120円にして、それ以上に値段が上がった場合、領収書を役所にもっていけば値上がり分を戻してくれるようにすればいい、とか話していたが、それもいいけど、基本料金システムというヘンテコリンなシステムを見直すことも考えてくれないかと言いたい。
 くりかえすが、基本料金をゼロもしくはマイナス(百円分以上使ったらはじめて料金が発生するシステムは、いわば、基本料金マイナスシステムと言える)にして、その分、料金曲線を急にすれば、当然、たくさん使った人は、従来よりも多く払うことになり、以前だったら反対理由になったかもしれないが、「たくさん使った人」は、要するに「金持ち」なのだから、今なら、こう言える。

 「これこそ、まさに格差対策だ!」

 ちなみに、請求書の書類にも、この「料金曲線」のグラフを同封し、その線上に印をつけて、「あなたはこれだけ使ったので、料金はこれこれです」と書き添えれば、一目瞭然、シンプルになる。

 なんで、誰も提案しないのかなあ…。

ロボット社会を想像しよう

2008-01-26 22:04:54 | Weblog
 「男子三日あわざれば、刮目して待つべし」と言うが、福田にはがっかりだ。小泉内閣の官房長官を辞してから首相として復帰するまで2年余の時間があったことについて、最初は、この間に勉強を重ねた上での満を持しての再登板であろうと、好意的に理解するようにしていたのだが、その期待は全然大はずれ、勉強なんてちっともしていなかったことがバレバレだ。いつもきょろきょろ自信なさそうな表情で周りを見るばかりで、「刮目して待つ」必要なんかぜんぜんなかった。いったい、なんのために首相になったのか、はたまたなりたかったのか、さっぱりわからない。
 しかし、マスコミも、「不勉強」の点では同じなので、いろいろ批判してみせるが、口先だけだ。

 たとえば、一昨日だったか、福井日銀総裁と太田金融担当大臣(かな?)が国会中継で、今年の経済成長が後半にいたって毀損したことについて両氏とも、明確に「姉歯事件後の改正建築基準法のせい」と言い切っていたが、太田大臣は、そう言った後、「いえ、基準法改正自体は正しいんですけどね」と付け加えていた。マスコミ報道によると、現在の混乱は「慣れていないから」で、時間が経てばOKらしいのだが、本当にそうか? 自分が火をつけたものだから、及び腰になっているだけではないのか? 「吉兆」だって、再開後は大繁盛だそうじゃないか。辛坊は、「《ささやきおばさん》に会いたいと、ミーハー気分で来ている人が大半じゃないの? 時間が経つとわからないよ」とか言っていたが、そのミーハー気分の中に「反マスコミ」的感情はなかっただろうか?(=ないわけがない)

 いずれにせよ、福田登板以後、めっきり官僚統制が復活してきている。いや、実際は、小泉がやめる半年ほど前から、官僚の態度がでかくなってきていたのは顕著なので、あの頃、何かがあったんじゃないかとにらんでいるのだが、それはともかく、辛坊、「規制も必要ならやるべし」と言い切っていた。そして、その例として、アメリカの航空会社が規制緩和で倒産が続出したことに触れていたが、なんて昔の話を! 大体、アメリカの航空会社は規制緩和による大競争を乗り越えて新体制への移行に成功したのではないか? 日本の場合、なぜできないのか?

 しかし、問題はその後。辛坊いわく、「いや、ニッポンはまだまだ大丈夫。ロボットがあるから」といって、日本が誇る(?)人型ロボットをいろいろ紹介していたが、あんなもの、何の役に立つのか! 人間に似ていない芋虫型ロボットとかなら使い道がありそうだが、人間そのものが、何十億もいるってのに。

 鉄道駅の改札口でうろうろしていると、ロボットがすっと近寄ってきて、「ドウシマシタカ?」とか聞いてくるのだが、仕掛けはどうなっているかというと、改札口の天井の四隅にカメラがついていて、それで立ち止まっている人を選別し、ロボットが動くという仕組みらしい。なんというローテク! こんなのを「日本が誇るロボットシステム」なんていったら恥かくぞまったく。それすらわからないから、「不勉強」だというのだが、辛坊以下コメンテーターたちは、「鉄腕アトム」の時代が間近だとか喜んでいた。(「喜んでください」とディレクターが事前に指示し、本番中は後ろで見張っているのだろうけど…なんて悪態をつきたくなるほど、アホらしい場面だった)

 しかし、よく考えてみたまえ。人間と全く同じ機能を持つ人型ロボットが完成し、量産体制に入ってサービス産業に従事するようになったら、どうなるかを。まず、第1に、給料はいらない。なぜなら、彼らは「生活」をしないからだ。仕事が終われば、倉庫にしまわれるだけだ。一方、ロボットに職場を追われた人々は、ロボットとは違って、「生活」をしなければならない。ということは、ロボットを導入した企業(あるいは国)は、その代わりに職場から追い出した人々の生活を無条件で保障する義務が生じるのだ。そして、その義務が果たされてはじめて、ロボット社会はその目的を達することになるのだ。だってさ~、もしも、ロボットに職場を追われた人々が、ロボット生産工場に雇われたりしたら、なんのためのロボット導入かってことになるじゃんかよ~、って、急に変な口調になってしまったが、せっかく人型ロボットのことを論じるならば、そこまで考えて話さないと全部ナンセンスになるよ、と言いたいのだ。

 ところで、「生活を無条件で保障する」って、つい最近どこかで書いた記憶が…そう、ベーシックインカム制度だ。ロボットが多くの労働をになうような社会でこそ、まさに、ベーシックインカム制度は可能になるのだが、実は、現在の欧米と日本は人型ロボットなんかいなくとも、すでに様々なロボットが大量に導入され、それが膨大な生産力を発揮する一方、多くの人々の職場を奪っている社会になっている、というのがベーシックインカム導入論者の意見なのだ。

 いつものこととはいえ、牽強付会なストーリーでごめん。(ちなみに、どこかの科学雑誌で「20世紀においてもっとも成果を上げた科学思想は何か」という質問をしたら、「生活世界」という答えがもっとも多かったらしい。「生活」は、科学におけるもっとも重要なタームになりつつあるのだが、これはまた、「生活」を持たないロボットがまったく時代遅れのコンセプトの産物でしかないことを証明しているのではないか)

できるのか?

2008-01-22 22:33:29 | Weblog
 天気予報が当たるようになった、と言ったとたんに、雪の予報が外れた。朝起きると一面銀世界、って好きなんだけどなあ。事務所に向かう途中で、数人のおばちゃんが、「雪って言ってたぺよう、うそばっかりだっぺよう」「うんだ、ぽかぽかしてあったかっぺよう」と言っていたが、暖かくなんかはないと思うぞ。と、これは、昨日の午前中の話。

 アメリカでは大統領の予備選挙がたけなわだが、民主党の話題ばかりで共和党の話題はとんと聞こえてこない。まあ、やむを得ないところもあるが、ちょっと注目したいのが、ハッカビー候補。元牧師の、ばりばりのキリスト教原理派、つまりは右翼だが、なんと、所得税廃止、全部消費税でまかなうという政策を打ち出した。ちなみに、ネットで調べたら、ロン・ポールという、ハッカビーよりさらに「右」の候補も同じように、所得税廃止を言っているらしい。
 このニュースはもう一ヶ月くらい前のことで、その後、彼らがこの政策をどう宣伝しているのかわからないけれど、いったい、所得税廃止、消費税に移行とはどういうことか。そんなことができるのか?というと、実はできちゃうのだ。といっても条件が合って、これまで何度も書いてきたが、ベーシックインカム制度の導入とワンセットでなければならない。
 ベーシックインカムのことは、報道では伝えられていないのだが、多分、ベーシックインカム導入をもくろんでいることはまちがいないと思う。なぜかというと、そうでないと、「税金はすべて消費税で」は不可能だからだ。
 その理屈を説明すると、税金をすべて消費税でまかなうとすると、消費税は50パーセント近くになる。つまり、従来1000円だったものが、1500円になるわけだが、実は、その1000円には、従業員の所得税、年金の掛け金、健康保険の掛け金などが含まれている。それを計算すると、1000円の価格のうち、半分近くをゆうに占めてしまうのだが、ベーシックインカムを導入してあれば、それらの社会保障関係の負担はゼロなので、消費税が50パーセントでも、実際の価格は1000円に少し上乗せしたくらいで、さして変わりない。(これは、本で読んだ説明の鸚鵡返しである。念のため)

 つまり、「所得税廃止、税金はすべて消費税で」は、ベーシックインカムの導入なしにはあり得ない政策なのだ。報道はちゃんとそこまで教えてほしいものだ。記者ならベーシックインカムの名前くらいは知っているだろうに。ぶつぶつ。

 ところで、すべて消費税でまかなうとなると、どうしても、金持ちが有利になるという声があがるだろう。しかし、消費税は、実際は、消費した額にかかるわけだから、億万長者が爪に灯をともすような生活をして消費税を倹約したとしたら、結局、その億万長者の生活は貧乏人の生活と変わりがない。
 とはいえ、金庫にお金があるとないとでは大違いと言われるかもしれない。たしかにその通りのように思うけれど、しかし、ベーシックインカムが導入されていて、貧乏人にも生活の保障がなされていたとしたら、どうか。金庫の中で寝ているお金に嫉妬することもないのではないか。
 そう、結局は「嫉妬」の問題なのだ。

「ず」と「づ」

2008-01-19 21:52:10 | Weblog
 新宿への引っ越し準備のために、本棚の本を段ボールに詰め込み始めたが、つい、立ち読みしてしまう。
 その立ち読みで、言語学者の大野晋と文芸評論家の荒正人、評論家の梅棹忠夫の三人の座談会を読み、笑ってしまった。テーマは、文部省による漢字規制は是か非かというものだが、結論的には3人とも役人がこの漢字は使ってよい、あれはダメとか、送り仮名のもんだいとかを決めるのはナンセンスだということでは一致しているのだが、呉越同舟というか、話が進むと全然噛み合なくなる。

 たとえば、荒正人の場合で言うと、
 荒「官僚が拙速で決めることはないのです。もっと長い目で見なければ」
 大野「その通りです」
 荒「日本に漢字が入ってきてから1500年。だったら、今後1000年、いや、3000年、いや、1万年を見なければなりません。」
 大野「あ、いや、ちょっとそれは…」

 といった感じ。大野氏によると、お役人は、たとえば、「づ」か「ず」か、という問題一つをとってみても、「づ」と「ず」の使い分けには、必ず一般法則があって、したがって、その法則を見いだし、それに則った政令を作ればいい、といったイメージでやっているようであるが、実際にはそれは無理で、判断がつきかねる例が必ず出てくる。つまり、ひとつひとつ「しらみつぶし」にやるしかないのであって、それは、まさに「今」の積み重ねで解決するしかない問題だという。
 つまり、大野氏の言う「長い目」とは、「今」の積み重ねが、結果的に「長い時間」になる、という意味なのだが、一方、荒正人氏の「長い目」は、いきなり数千年単位に話が飛んでしまう。「今」がない。こんなんで、よくまあ、文芸評論家をやってられたもんだと思うけれど、まあ、荒氏は、純文学の研究者、評論家のくせに(?)UFO宇宙人説に入れ込んでいたことで有名な人で、数千年,数万年、いや何兆光年なんて時間を平気で口にしちゃう人ではあったのだが、本職に弊害が及んでいたのだな。民主党も、いつか「弊害」が来るぞ!って、とっくに来てるか。

 ところで、梅棹氏の場合は、西洋のアルファベットの場合は全部で26文字だが、日本(もちろん、中国もということになるが)の場合は漢字が数多くある。したがって、欧米では印刷のコンピュータ化に有利だが、日本は決定的に不利だ、なんとかしなければならない、というのだが、でも、氏は漢字廃止論者ではないらしく、技術開発に総力を挙げれば、漢字をコンピュータにのせることもできるだろうと言う。じゃあ、それでいいじゃないか。実際に、日本語入力(どころか、さらに困難なはずの中国語入力も)は、機械,ソフトの発達でお茶の子さいさいになったわけだが、梅棹氏は言う。「問題はコストなんです。技術は進むでしょう。でも、コストが高かったらなんの意味もない」。

 はい、おっしゃる通りなんですが、でもその「コスト」も、まさに劇的に下がったわけで…。もっともこの本が発行された頃(昭和55年くらい)に読んでいたら、梅棹氏の意見に賛成していたかどうか…う~ん、よくわからないが、いかにも、「俺は科学的、合理的思考ができるんだ」といった、ニュアンスが感じられる。

 それはともかく、「ず」と「づ」の使い分けだが、数年前に、「原則すべて《ず》にする」と「結論」とも言えぬ「結論」が出たと思う。しかし、明瞭に「ず」であるべき場合は、あんたに言われなくとも、誰もがわかるんだよ!と言いたい。天気予報と同じで、「わからない」場合にどうするか、なんだ、問題は。
 例えば、「ず」も「づ」も、「原則すべて《ず》」というのなら、全部、Z+Uでいいかと思い、パソコンでそう入力しても、場合によっては、D+Uでないとダメだったりする。これは、ソフト制作者の責任ではない。じゃあ、「原則」を取っ払って、「すべて《ず》でいけ!」、と命令しても、それはできないだろう。できないものはできない。大野氏が言うように、豆粒を数えるように、ひとつひとつ検討して、論理的に説明のつく、妥当な表記(必ずあるはずなのだ)を見つけるしかないのだ。
 天気予報は、最近、予報が困難そうな場合でもずいぶん当たるようになったような気がするが、国語審議会は全然だめだ。

今度は「紙」か!

2008-01-17 16:53:52 | Weblog
 またまた「偽装」発覚で、今回は年賀はがきの古紙混入率を、郵政省と約束した40パーセントよりはるかに少なかったというもの。この「偽装」は、コピー用紙などでも同じように行われていた。というか、「再生紙」と銘打っているものは、ほとんどが「偽装」ということだ。

 コピー用紙はよく買うのだけれど、「再生紙」と書かれているのを見て、本当かなとは思っていた。再生紙で、あそこまで白くはならないだろうし、もし、本当に「再生紙」だとしたら、ものすごく大量の漂白剤を使っているのではないか、だとしたら、再生紙こそ環境に優しくない、ことになる、などと思っていたのだが、実は、「再生紙」という表示そのものが「偽装」だったというストーリーは考えていなかった。

 製紙会社としては、他社が「再生紙」と銘打っている限り、自分のところもそうしないと売れないわけで、同情の余地はあると思うのだが、あの社長以下、雁首そろえて頭を下げる謝罪会見を見るのは、嫌だ。もっと、胸を張って、「言い訳」しなさいよ、と言いたい。
 月光の読者さんの誰だったかわすれたが、我が家の家訓は「言い訳できないことをするな」で、したがって、「言い訳できることはあくまで言い訳する」と言っていた人がいるが、同感だ。ちゃんと理屈が通るならば、の話だが、いくらでも言い訳していいのだ。言い訳できないので、頭を下げて謝る、というのならわかるが、言い訳できる余地があるのなら、言い訳すべきだ。

 まあ、今回の「再生紙偽装」は、製紙会社が全部やっているそうなので、かえって話は簡単だ。みんなで申し合わせて、正直な古紙混入率を表記すればいいだけだが、でも、それだと「エコリサイクル」の理念そのものが危殆に瀕することになる。でも、しょうがない。

 いずれにせよ、今回の件で具体的に犯人を挙げるならば、古紙混入率40パーセントなんて、あり得ない数字を強要した郵政省だろう。40パーセントも古紙を入れたら、郵便番号の数字を読み取れないくらいの品質にしかならないそうで、なんで製紙会社は、「それは無理」と断らなかったかというと、他の会社が嘘を言って注文を取ってしまうからだ。ということは、「嘘」が官僚相手には通用しちゃうということで、結局、発注者の官僚が「現実」を全然知らなかったことが原因ということになる。

 年金行方不明問題だって、ことの始まりは、コンピュータを使ってさえいれば、全部自動処理できると思い込んで、システムを新しくしなかったことにあるわけで、それで最近、エリート官僚のキャリアたちには、若い頃に数年間民間会社への出向を義務づけて、「現実」を知るようにしているとか聞いたことがあるが、なんでそんなまどろいことせなあかんねん!どうせ「目黒のさんま」がおちやろって、思わず関西弁になってしまったが、発想そのものが、江戸時代か!って言いたくなるくらい、ものすごく現実離れしている。

 ところで、今回の芥川賞は関西弁小説だそうで、う~ん、『細雪』は好きなんだが…しかし、受賞者,美人だ。

渋い!

2008-01-16 16:29:05 | Weblog
 前回の「斜陽」というのは、もちろん、太宰の「斜陽」のことで、そこに「戦争に負けるのっていやねえ」といった元華族の未亡人の台詞があったと思ったのだが、さっき、ちょっと探したところでは、見つけられなかった。

 フリマでソニー・ロリンズの「ブリッジ」を500円で購入。日本版LPには、「橋」って書かれていたような気もするが、「橋」では、多分間違いではないのだろうが、あまりとはいえあまりな表記だ。「狂言か?」って感じだ。
 フリマで買ったのはCDで、表記は「bridge」となっていたが、しかし、「渋い」なー。ロリンズというと、「豪快さん」がトレードマークだが、「豪快」より「渋い」があっているような気がする。なぜって、「豪快」をキーワードにしてしまうと、必ずしも「豪快」では語れない「渋い」曲目に出くわすと面食らってしまいかねないが、「渋い」をキーワードにしていれば、「豪快」に出くわしても慌てる必要がない。

 「渋い」と言えば、昨日の、司会イノッチ、解答者ジャニーズジュニアたちの「百識」を見ていたら、テーマが「お風呂」で、メンバーが自分好みの入浴剤を作るという場面があって、一人はチョコレート風味(!)、もう一人は、日本茶風味の入浴剤に挑戦した。チョコレート味はともかく、日本茶風味の入浴剤はなかなか感じがよく、作った本人も、「渋いだろう」と大満足。しきりに「渋い」を連発してイノッチに、「お前、なんで、そんなに渋いにこだわってんだよー」とかからかわれていたが、からかわれた後から、「渋い!」をまたまた連発、イノッチがあきれていた。

 しかし、「渋味」を本当にわかる頃には、本人が渋くなっている必要があるわけで、したがって、「渋味」がわかるっていうことは、あんまり楽しいことじゃない。ロリンズの「渋味」がわかる、ということも同様。若い頃にはわからなかったものが、なんとなくわかるようになって、嬉しいが、でも嬉し恥ずかしというか、そんな感じなのだが、ジャニーズJr.君はなにしろ10台も前半。「渋味」なんかわかるはずもないのだが、でも、それを「わかりたい」と一途に望む心が、いかにも男の子なのかもしれない。

 というわけで、同じフリマ会場で、渋い黒のソフト帽を見つけ、ソフトの帽子には、常々、ぜひ一度挑戦してみたいと思っていたもので、年齢的にもそろそろ大丈夫かもと思って、試みに買ってみた。ところが、その「ソフト」が、今の若い人に大流行り。いざ、かぶってみたら、なんだか、若い人の真似をしているみたいで困ってしまった。せっかく、「渋味」が身に付くまで待ったというのに。

平成版『斜陽』

2008-01-10 21:23:28 | Weblog
 この前の書き込みが「荒川河川敷」だったとは! 昨日、そのプリントがあがってきたのだ。白黒のネガフィルムで、ブローニーだが、一本370円だ。フィルム現像のみで、ベタ焼きなしだが、結構安い。
 私の考えでは、普通のフィルムカメラで撮影して、現像は現像所、フィルムをスキャンしてインクジェットプリンターでプリントする、というのが今は最強だと思う。使用カメラは、終戦直後くらいに作られた蛇腹式6×6カメラのフジカシックスというクラシックカメラ。近所の古道具屋で3000円で買ったのだが、結構よく写…らない(笑)。多分、このフジカシックスの数年後あたりから性能がよくなったのだと思うが、レンズがダメ。カメラに合った条件ならちゃんと写るが、カラーなんかを写したら、とんでもない色になっているだろうなあ…それもまた「味」かも。距離計もついていないから、目測で「何メーターくらいかな」と考え、それをさらにフィートに直す必要がある。
 とまあ、とんでもないカメラで、実用に使っている人なんかはあまりいないと思うけれど。

 一方、高性能デジカメというのは使ったことがないけれど、撮ったそばからどんどん見れてしまうというのはせわしなさすぎるし、実際のところ、その場で「善し悪し」を判断することはできない。「失敗した!」と思ったものが、あとで、そうでもなかったということは当たり前に起こることだし、それがデジカメだと、「失敗した!」と思った時点で捨ててしまう可能性がある。「写真撮影」という行為は、その時一回限りの出来事でしかないということは、写真特有の普遍的事実なのだ。絵画だったら、描き直すことができる。写真では、「撮り直し」は基本的にできない。(なぜって、過去に戻ることはできないから)デジカメはそこらへんの原理原則を曖昧にしかねないのではないかと思う。でも、報道カメラマンとかファッションカメラマンとかの、「仕事用」には、便利だとは思う。

 お手製スイーツのつくりかた。
 ハナマサのココナッツビスケットにクリームチーズを塗り、シロップ漬けのプルーンを挟んで食べる。ウマー、なうえに、便秘解消にもよいが、最近、ココナッツビスケットの味が落ちた。多分定価(100円)を維持するために、原材料の小麦粉の質を落としているのだろう。
 そういえば、今、日本で売られているパン類は世界一うまいらしいのだが、これも、最高級の小麦粉を使えるようになったかららしい。以前は、日本のパンなんか、まずくてどうしようもなかったのに(外国人評、私はこんなものだろうと思っていた)、それがまたまずくなるのか? でも、99円ショップの食パンだから、しょうがないというえば、しょうがない。ハナマサのココナッツビスケットの味が落ちたのと同様に、「格差」の顕われといえば、まさにそうなのだ。

 そういうわけで、最近は、99円ショップの食パンは、フレンチトースト専用にしているのだが、それでも、不味いものは不味いとわかってしまう。以前だったら、「不味い」ということ自体がわからなかったのに、「いやねー、戦争に負けるって」って…「斜陽」ってか?

荒川河川敷を歩く

2008-01-05 20:21:22 | Weblog
 昨日、一昨日と、川口駅で降りて、駅前から荒川河川敷方面にかけて、カメラをもって歩いた。なかなか面白かった。荒川河川敷は、毎日電車の窓から見ているのだが、いざその場に立ってみたら、広いのに驚いた。しかも、私が見たのは埼玉県側のみで、あと半分、赤羽側にもあるのだから、想像もつかない、なんてほどでもないが、少なくとも、私が知っている多摩川の河川敷に比べると相当ちがう。もっともこれでも、中国へ行ったら、「小川」にすぎないのだろうが。

 そういうわけで、一昨日の万歩計は、1万9800歩、昨日は、感覚的には一昨日よりたくさん歩いたような気がしたのだが、1万7300歩。いずれも、2万歩には届かなかった。

 実は、2万歩が一つの壁になっていて、どうしても越えられない。一昨日がもっとも2万歩に近づいた数字だ。あと200歩で2万歩達成となったら、少しでも遠回りして帰ればいいのだが、2万歩近くなると、そこまでの気力はない。

 2万歩というと、距離に直すと大体10キロくらいだ。ということは、マラソンコースだと、8万歩だ。たったの4倍か?とも思うが、その2万歩に達しないわけだからなー。

 ところで、サッカー選手は一試合、歩数にしてどれくらい歩く(走る)のだろう。そもそも、スポーツの中でもっとも走る距離の長い競技は何だろう? テニスをフルセット目一杯戦うと、東京から静岡まで走ることになるとか聞いたことがあるが、テニスが最強だろうか、それともやはりサッカーだろうか。卓球はどうだろう。野球は大したことなさそうだが、プロ野球は「毎日」やるからな。相撲は(笑)。

 今日、電車から荒川河川敷を見たら、自動車教習所の入り口前に自動車が数十台並んでいた。昨日は、1台もなかった。昨日、一昨日と、河川敷がものすごく広く感じたのは、ひとつには、お正月だったからなのだ。

私、日本人ですが

2008-01-03 20:26:09 | Weblog
 誰もいない事務所に来てパソコンを立ち上げたら、いつもと違う丸い地球のアイコンが出てきて、これは、毎年お正月の恒例なのだが、そのまま点滅して進まなくなった。あれ? ヤバいと思っているうちに、?マークに変わって点滅し始めた。これは、起動ソフトが見当たりませんという警告で、HDがダメになる前兆とかで、ともかくヤバい。対処方法は、OSを入れ直すしかないのだが、一応、外付けのハードディスクに必要なものはコピー保存してあるはずなので、いざとなったら、本体を買い直せばいいと考えた。MacのG4、最近は5,6千円で売ってたりするのだ。
 しかし、システムソフトの入れ替えとか面倒くさいことは確かだが、いろいろ考えているうち、ふと画面を見ると、いつの間にか?マークが消えて、ハッピーニューイヤー、謹賀新年の画面になっていた。

 新年早々ヒヤヒヤさせやがって、であるが、「年をまたいだ」ことが、何らかの形で影響したのだろうか。でもネットにつなぐ前に起きたことだから、そんなこともないのだろう。ということは、やはりメカのトラブルをどこかで抱えているのかもしれない。

 秋葉原のヨドバシカメラの前の歩道を歩いていると、ヨドバシカメラの警備員が、大きく手を左右に広げて、私の行く手を遮った。駐車場から車が出てきたので、交通整理をしているのだが、感じ悪いったら、ありゃしない。そうするように命じられているのだろうが、何も手を広げなくたっていいじゃないか。「でも、手を広げないと、皆さん、するりと渡ってしまわれるんですよ」とか言うかもしれない。たしかに、そうだろう。でも、てことは、要するに、あなた方、「交通整理」を担当してる方には悪いが、あなた方のしてることが不用だってことなのだ。それこそ、車の運転手,歩行者の「自己責任」なのだ(法的には運転手側に全責任があるのだろうが)。まさか、日本人に、それができないわけではあるまいに。

 もっとも「効率的」には、交通整理員がいたほうがいいのだろうとは思う。でも、歩道を歩いていて、いきなり行く手を拒まれる不快感に比べたら、少しくらいの混乱なんか、全然OKだぜ、と思うのだ。どうも、ここらへんの感覚は、私は、どうしても日本人と合わない。日本人なんだが。