2060年には、日本の人口は4割減って、8400万(8800万だったかな)になるそうだ。
4割というと驚くが、8400万というと、私が小学校時代に教え込まれた日本の人口にほぼ等しい。
この頃に教え込まれたことって、非常に根深いものがある。
輸出が大事とか、鯨は全身捨てるところがないとか、日本は水力発電が多いとか、今となっては全然ちがうのだが、イメージとしては、人口8400万ともども、ずっと強く残っている。
にしても、地域の人口というのは常に変化しているので、例えば、中国では例の三国時代に飢饉、戦乱等で9割以上死んでしまい、偉大な「古代中国」は実質的にこの時滅亡し、西方の遊牧民族が取って代わった、と岡田なんとかという歴史家が言っていた。
その古代中国も、東方の民族だった殷王朝を西方の騎馬民族の周王朝がとってかわって打ち立てた文明なわけで、ここにも相当な「断絶」があるのだろう。
しかし、その中国はかなり不思議な民族で、「国家意識」というものがない代わりに、「族」の意識が極めて強い。
だから、外国に移民しても「族」のつながりは失われず、チャイナタウンを形成する。
これと正反対なのが日本人で、外国に移民するとあっという間に日本人であることを止め、現地の国民になってしまう。
これは本当に「日本人だけ」の現象なんだそうで、それを考えると、日本人が遠からず、世界から消えることもあり得ると思える。
結構ユニークな民族で、他のどこにも見られない、歌舞伎とか能とか相撲とか生け花とか茶道とか落語とか俳句とか盆栽とか切腹とか、一部珍妙なものも含み、有していたのみならず、一時期はアメリカと大戦争をやらかしたり、負けたあと復活して経済覇権を再びアメリカと争ったりとか、世界の皆さんに往時を偲んでもらえたら嬉しいんじゃないかとか、思ったりする。
しかし、真面目な話、ニュース番組のなかで、どこかの教授が、これからは老齢者のための格安の公営マンション住宅をつくれば、高齢者も安心できるだろうと言っていたが、本当に、こんな簡単な施策がなんでできないのかと不思議に思う。
この住宅公団の「大失敗」をマスコミも学者も指摘しないのが不思議なのだが、住宅公団は、高度成長政策の成功で舞い上がり、貧困者向けではなく、中流向けの高級アパートの建設に邁進、それがバブルの破裂で破綻し、住宅公団もURとかいう機構に衣替えして、自分の失敗に頬かむりしているのだが、そもそも公営住宅が「貧乏人向け」でないなんて、考えられないほど、バカげてるのに、マスコミも学者もそれを指摘しないのは、学者もマスコミも同じくらいバカだからだろう。
くりかえすが、日本では貧乏対策は、貧乏人を救うのではなく、貧乏人の収入を上げることだと官僚は考えてきたし、もしかしたら今もそう考えている。
それでも発生する貧乏人は「生活保護」で面倒を見ようというわけだ。
あ、そうだ、貧乏人云々と書いているうち、これを書きたかったんだ!というのを思い出した。
何かというと、昨日だったか一昨日だったか、消費税が10%にする際の貧乏人対策として、食料など、貧乏人も金持ちも等しく消費する物品にかける消費税を低くするという対策は全世界のどこでもやっていることなのだが、日本だけはちがう。
なんでかと思っていたが、理由は結局、「線引き」が難しいからということらしい。
あの商品は消費税をかけ、これはかけないとなると、それを扱う業者から必ず文句が出る。
それで、均一にするというわけだ。
でもこれは、日本の官僚が日本国民を信用していないことの現れなのだ。
太平洋戦争でも、日本の官僚は戦費を公債で国民から集めることをせず、郵便貯金を流用した。
その郵便貯金を集める標語が「欲しがりません,勝つまでは」だった。
「欲しがりません」で、貯金させ、それを戦費に使ったのだ。(一方アメリカはドナルドダックに公債募集をさせた。)
「日本人を信用してはいけない。彼らは自分勝手でエゴイストだ。彼らの勝手にやらせたら絶対に話はまとまらない。だから投網で上からバサッと網をかける。そうすれば彼らは文句を言わない。自分が損をして、他人が得をするのは絶対に許せないが、自分も損、他人も損ならことは収まる。これがドン百姓の日本人を扱うコツだ。わかったか!」と先輩官僚が、はるか江戸時代にさかのぼるであろう諸先輩から学んだ支配のコツを新人官僚を教え込んでいるのだ。
というわけで、私は、官僚支配の旧弊の打破に向け、地方自治からの改革をスローガンにしている橋下を支持したい。
まだまだ正体不明の所あるけれど、先週の「朝生」の橋下を見て、イメージが変わった。
あくまでも、選挙民(住民)の自由意志を尊重するというのが基本姿勢であるようなので、だったらいいのではないか、と。
石原は、「国柄」がどうのって、陳腐すぎる。
私は亀井静香ファンなので、亀井の行動に注目だ。
亀井が動けば、何かが動く。
4割というと驚くが、8400万というと、私が小学校時代に教え込まれた日本の人口にほぼ等しい。
この頃に教え込まれたことって、非常に根深いものがある。
輸出が大事とか、鯨は全身捨てるところがないとか、日本は水力発電が多いとか、今となっては全然ちがうのだが、イメージとしては、人口8400万ともども、ずっと強く残っている。
にしても、地域の人口というのは常に変化しているので、例えば、中国では例の三国時代に飢饉、戦乱等で9割以上死んでしまい、偉大な「古代中国」は実質的にこの時滅亡し、西方の遊牧民族が取って代わった、と岡田なんとかという歴史家が言っていた。
その古代中国も、東方の民族だった殷王朝を西方の騎馬民族の周王朝がとってかわって打ち立てた文明なわけで、ここにも相当な「断絶」があるのだろう。
しかし、その中国はかなり不思議な民族で、「国家意識」というものがない代わりに、「族」の意識が極めて強い。
だから、外国に移民しても「族」のつながりは失われず、チャイナタウンを形成する。
これと正反対なのが日本人で、外国に移民するとあっという間に日本人であることを止め、現地の国民になってしまう。
これは本当に「日本人だけ」の現象なんだそうで、それを考えると、日本人が遠からず、世界から消えることもあり得ると思える。
結構ユニークな民族で、他のどこにも見られない、歌舞伎とか能とか相撲とか生け花とか茶道とか落語とか俳句とか盆栽とか切腹とか、一部珍妙なものも含み、有していたのみならず、一時期はアメリカと大戦争をやらかしたり、負けたあと復活して経済覇権を再びアメリカと争ったりとか、世界の皆さんに往時を偲んでもらえたら嬉しいんじゃないかとか、思ったりする。
しかし、真面目な話、ニュース番組のなかで、どこかの教授が、これからは老齢者のための格安の公営マンション住宅をつくれば、高齢者も安心できるだろうと言っていたが、本当に、こんな簡単な施策がなんでできないのかと不思議に思う。
この住宅公団の「大失敗」をマスコミも学者も指摘しないのが不思議なのだが、住宅公団は、高度成長政策の成功で舞い上がり、貧困者向けではなく、中流向けの高級アパートの建設に邁進、それがバブルの破裂で破綻し、住宅公団もURとかいう機構に衣替えして、自分の失敗に頬かむりしているのだが、そもそも公営住宅が「貧乏人向け」でないなんて、考えられないほど、バカげてるのに、マスコミも学者もそれを指摘しないのは、学者もマスコミも同じくらいバカだからだろう。
くりかえすが、日本では貧乏対策は、貧乏人を救うのではなく、貧乏人の収入を上げることだと官僚は考えてきたし、もしかしたら今もそう考えている。
それでも発生する貧乏人は「生活保護」で面倒を見ようというわけだ。
あ、そうだ、貧乏人云々と書いているうち、これを書きたかったんだ!というのを思い出した。
何かというと、昨日だったか一昨日だったか、消費税が10%にする際の貧乏人対策として、食料など、貧乏人も金持ちも等しく消費する物品にかける消費税を低くするという対策は全世界のどこでもやっていることなのだが、日本だけはちがう。
なんでかと思っていたが、理由は結局、「線引き」が難しいからということらしい。
あの商品は消費税をかけ、これはかけないとなると、それを扱う業者から必ず文句が出る。
それで、均一にするというわけだ。
でもこれは、日本の官僚が日本国民を信用していないことの現れなのだ。
太平洋戦争でも、日本の官僚は戦費を公債で国民から集めることをせず、郵便貯金を流用した。
その郵便貯金を集める標語が「欲しがりません,勝つまでは」だった。
「欲しがりません」で、貯金させ、それを戦費に使ったのだ。(一方アメリカはドナルドダックに公債募集をさせた。)
「日本人を信用してはいけない。彼らは自分勝手でエゴイストだ。彼らの勝手にやらせたら絶対に話はまとまらない。だから投網で上からバサッと網をかける。そうすれば彼らは文句を言わない。自分が損をして、他人が得をするのは絶対に許せないが、自分も損、他人も損ならことは収まる。これがドン百姓の日本人を扱うコツだ。わかったか!」と先輩官僚が、はるか江戸時代にさかのぼるであろう諸先輩から学んだ支配のコツを新人官僚を教え込んでいるのだ。
というわけで、私は、官僚支配の旧弊の打破に向け、地方自治からの改革をスローガンにしている橋下を支持したい。
まだまだ正体不明の所あるけれど、先週の「朝生」の橋下を見て、イメージが変わった。
あくまでも、選挙民(住民)の自由意志を尊重するというのが基本姿勢であるようなので、だったらいいのではないか、と。
石原は、「国柄」がどうのって、陳腐すぎる。
私は亀井静香ファンなので、亀井の行動に注目だ。
亀井が動けば、何かが動く。