パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

中川自民党幹事長自治労潰し発言から、あれこれ

2006-10-31 16:07:15 | Weblog
 もう、40年近く前だが、国鉄の労働組合(国労)によるスト権ストというのがあった。公務員は、身分の安定性とバーターで、ストをうつ権利がないが、そのスト権利を与えろ、といって、ストをしたのだ。たしか、八日間続いたと思うけれど、結末はどうついたんだったか覚えていない。というか、結末はつかないまま、「不便だ!」という世間、というか、マスコミの圧力で元の状態に復帰したんだったと思う。
 その時、つくづく思ったのだが、ストをする権利くらい当たり前に与えればいいではないかと。そもそも、ストを禁止されてたってやっているのだし。
 もちろん、その場合には、公務員の「身分保証」なんてものはなくなるわけだが、それを承知で国労は「スト権を与えろ」と叫んでいたのかというと、そこがさっぱりはっきりしない。新聞もTVも、それを指摘しない。もし、身分保証はそのままで「スト権」を与えろ要求しているのだとしたら、あまりにも虫のいい話で、世論の大半はそれを支持しなかっただろう。
 一方、政府のほうも、「じゃあ、スト権を与えるから、身分保証なしだぞ」とはっきり条件を呈示したかというと、それはせず、ただ、公共の仕事に従事しているものたちにスト権を与えたら、国民の生活に大きな影響が出るから駄目だ、としか言わない。

 つまり、肝心要の「条件」を双方共に封殺してしまっているのだから、結論が出るわけもなく、うやむやに収束することは、今考えるとわかりきったことだった。いや、当時からわかっていたのだが、じゃあ、なんでそんなストライキを行ったのだろう。これがいまだによくわからないのだが、それはともかく、この懸案の公務員のスト権について、自民党の中川幹事長が、スト権を与える代わりに身分保証を廃止すると講演会で明言したらしい。
 よくぞ言ってくれた、中川君。
 まだ、直接、相手(今では国鉄も郵便局も民営化されたわけだから、幹事長発言の相手は自治労ということになるが)に提案したわけではないが、正式な話となったら自治労はどう応えるのだろう。まさか、「スト権なんかいらないから、身分保証を残してくれ」なんてみっともないこと、口が裂けても言えないだろうから、「自治労潰しが目的の陰謀だ!」と言って、提案自体を無視する戦法に出るだろうが、国会における野党の審議拒否という戦法がもはや成り立たなくなっている現在、それもほぼ不可能だろう。
 逆に言うと、それがわかっているからこその幹事長発言なのだろうし、その向こうには来年の参議院選挙における対民主党勝利をめざして、という大目標が、露骨なぐらい、ありありと控えている。
 では、その民主党はというと、自民党が政策のグランドデザインと選挙対策を結び付けることに成功しつつあるのに対して、旧社会党のように、ただ、「なんでも反対」を叫ぶしかなくなっている。
 新聞をみると、「次回の参議院選挙では一般に民主党が有利と言われている」と書いてあるが、何が「一般に」なんだろう。民主党勝利の芽は、万が一にもないと思われるが……。

 あるとしたら、今から二年半程前、つまり、小泉が電撃的に北朝鮮を訪れる直前、自民党内で四面楚歌だった小泉(だから、北朝鮮訪問という大ばくちをうったわけだが)を支持すればよかったのだ。特に、道路公団や郵政民営化問題では民主党は小泉に近かったのだし、実際、鳩山は小泉支持を打ち出したのだったが、党内から反発を食らって、あっさり撤回してしまった。
 もっとも、鳩山民主党が小泉支持を打ち出して、自民が分断されたとして小泉内閣がどういうことになったかはわからない。小泉支持の鳩山民主党に、小泉が呼応したかどうかも、わからない。小泉はえらく《したたか》だからだ。
 でも、チャンスと言えば、あの時だけだったのだ。しかし、それを知ってか知らずか、鳩山は、あの時の党内の猛反発がトラウマになったのか、以後、なにがなんでも反自民党という姿勢になってしまった。

 それはともかく、北朝鮮訪問を決断した当時の小泉を形容すると、「孤独」の二文字だったにちがいない。そして、本当の事を言うと、小泉は、その「孤独」のうちに退陣という可能性が大だった。
 ところがっ!なんと、とハリセンがあったら、ここで机をバンバン叩くところだが、その小泉を救ったのが、9.11テロなのであった!
 というわけで、9.11のぼっ発数カ月前から数えて、ほぼ二年間は、日本の政治史にとって、特筆すべき二年間であり、いずれ、詳細な研究が望まれると、私は今、断言しちゃうね。(ということは、ここしばらくは、重大な政治路線の変更はないということだ。変化があるとしたら、公明党の出方次第だが、自民の邪魔をしなければ友党として手厚く扱うという地位に安住する可能性が高い)

 なんか、話が飛んでしまったようだが、何の話をしてたんだっけ……あ、そうか、スト権ストの話だったのだ(笑)。

 とりあえず、今日はこのへんで。

鏡の世界

2006-10-30 20:27:49 | Weblog
 鏡に映った像は、なぜ実像と左右だけが逆で、上下は逆ではないのか。昔から問われてきた、そして今でも子供たちがよく問う問いである。しかし、この問いに答えようとする前に、本当に鏡は左右を逆にしているのかと問い直す必要がある。鏡に向かって右手を挙げてみよう。すると鏡の中の私も、私から見て右側の手を挙げている。鏡象の頭と私の頭が《上同士》で対応しているように、鏡象の右側の手と私の右側の手は対応している。そもそも光学的に考えるならば、鏡が逆にするのは、左右や上下といった鏡に対して平行な向きではなく、前後が逆になるのである。

 ……と哲学者の永井俊哉のブログに書いてあった。ざっと見たところ、このブログは大変に面白そうで、「鏡像問題」も、上記の基本問題以外に、いろいろな話題が懇切丁寧に解説されている。たとえば、「鏡象の頭と私の頭が《上同士》で対応しているように、鏡象の右側の手と私の右側の手は対応している」のなら、何故、文字は左右逆になっているのかという疑問については次のように説明される。

 まず、紙に文字を書き、それを、鏡に映るようにするには、文字の書かれた面を鏡に正対するように、くるりとひっくり返すだろう。この、時に、すでに文字は、左右逆になっている。それを、鏡は忠実に反映しているだけなのだ。たとえば、ショーウインドウのガラスに文字を書く場合、ガラスを外すことができれば、紙に文字を書くように書いて、それをえいやっとひっくり返して窓にはめ込めばよいが、それができない場合は、裏文字で書かねばならない。

 というわけで、「鏡像」に謎なんかはないはずだけれど、でも不思議なことはまだまだある。
 
 たとえば、鏡の中の私と私は握手はできない。右手と右手がガッチャンコしてしまうからだ。
 しかし、通常、握手とは右手と右手でやるものなのだが……。

 そもそも、通常の「写真」の場合、写真に映った人物と私は握手しようと思えばできる体勢にある。この両者の映像の違いについての永井氏の説明は、レンズを使わない「鏡像」とレンズを使う「写真」の違いだと書いてあった。

 なるほど。先だってのぺっちゃんこの缶コーヒーの缶をスキャンした展覧会の「作品」は、「レンズを使っていない」というところにポイントがあると思っていたのだが、そういうことだったわけだ。といっても、まだ判然としたわけではないのだが。

昨日の、続き

2006-10-28 14:34:59 | Weblog
 ……というわけで、どうにもわけのわからないのが、日本の左翼、および右翼の一部が、ほとんど問答無用の勢いで小泉、安部ラインを忌避していることだ。「今こそ、本当に今こそッ、米騒動を再評価すべきなのです」と涙目で訴えた内橋克人が、何故か小泉、安部の名前を出さなかったのも、別に思惑というか、戦略があってそうしたわけではなく、二人の名前は、口に出すことすら穢らわしいという思いがそうさせたような感じがしてならない。
 それに比べると、右翼の一部、たとえば小林よしのりとか西部邁なんかの反小泉感情は、わかりやすい。要するに、反米感情だろう。
 ただし、小林の反米主義は、実体は反アングロサクソン感情のようで、その点で西部とはちょっと違っているようだ。西部の場合は、日本とアメリカは軍事的同盟関係にあって、アメリカの核の傘で守られているが、いざとなったら、アメリカがその約束を守って、究極的には核による反撃ということになるが、そんな多大なリスクを負うつもりなんか、あるわけがない。もし、本当に守ってくれるとしたら、日本がアメリカ合衆国の一州になってアメリカに帰属するしかない。そんなわけにはいかないのだから、日本は、核武装を含む真の自立を目指さなければならない、というのだ。
 日本がアメリカに守ってもらうためには、アメリカ合衆国の一員になるしかないという箇所は、西部自身がそう明言しているのだが、なんでそんな非現実的な条件をわざわざ挟むのか、それがわからない。
 そうすれば、説得力が高まると思っているのか……多分、そうだと思うが、だとしたら、西部は、何か、非常に大きなものに頼りたいという気持ちの強い人なのかも知れない。田島陽子に対して、「女が嫌だと言ったって、俺(男)は女を守るんだ」と朝生で言ってたけれど……これは、ある種、逆転心理なのだろう。
 そういう、心理的あれこれがあったって別に構わないのだが、参考までに西部のHP、「発言者」をのぞいたら、冒頭で、「日本や世界の進むべき方向について確かな指針を与えるべく」このHPを解説した旨、宣言されていた。
 「日本の進むべき方向」というのはわかるが、「世界の進むべき方向に確かな指針を与える」というのはちょっと変だと思う。「世界の有り様」というものは、いわば所与のものであって、その中で、「日本はどの方向に進むべきか」という議論が成り立つ。
 たとえば、日本も、江戸時代以前は、日本が世界そのものに近かったわけで、そういう場合は、「日本の進むべき方向」という問題自体が成り立たない。ただ、歴史が伝える我が国の有り様のみがあって、それを連綿として伝えて行くことが、「日本の進むべき方向」ということになるけれど、もちろん、その間も日本は変化はしてきたわけで、したがって、「世界の進むべき方向」は、基本的には意図的に決めることはできないのだが、その中で、自分たちの進むべき方向は決めることができ、そうやって世界は徐々に変わって行く。これが、「保守の立場」なんじゃなかろうか。

 実際、「世界が進むべき方向」は、つまるところ、世界国家の実現が最終目的にならざるを得ず、それを目指したのが共産主義だったのではないだろうか。あ、そうか。西部はもともと共産主義者として出発したんだっけ。

 西部にひっかかって左翼の小泉、安部嫌いの分析にいたらなかったが、一言で言うと、「田中角栄のほうがまだまし」という気持ちなんだろうが、その「気持ち」で小沢支持に走っちゃう没論理が問題なのだ。おそらく、この没論理は、「おかか一揆」(米騒動)が没論理的行動であったことに端を発しているのだろう。そして、なおかつ、それを「民主主義」と称揚し、無批判に引き継いでしまった。彼らは、いずれ、欲しいものを買ってもらえなかった子供のように、「ひっくひっく……いいもんねー」と泣きながら現状肯定に至ると思われるが、それは、何が「いいもんねー」だかわからないが(自分で書いておいて)、「なにがなんでも」「駄目なものは駄目」(おタカさん)といった、論理軽視がもたらした必然的結果だと私は思う。

米騒動について

2006-10-27 12:58:30 | Weblog
 NHK、「その時、歴史は動いた」、米騒動編の再放送を見る。

 米騒動についてはほとんど知らないのだけれど、番組を見た限り、寺内首相の無能で説明がつくように思ったが、番組制作者は、これを大正デモクラシーのはじまりとして説明しようと必死になっている感がありありだった。解説の内橋克人なんか、「米騒動の意義は、今こそ、今だからこそ、再認識されるべきです」と、ほとんど涙目で訴えていた。小泉~安部じゃ格差社会が拡大するばかりでだめなんだーって、はっきりいえばいいじゃんと、思わず笑ってしまったが、しかし、米騒動が日本の民主主義の夜明けを告げる事件であったという歴史認識は一般的なのだろうか。
 現社民党の前身、日本社会党のそのまた前身の日本労働党(だったっけ)が、別名「おかか(主婦)一揆」と称される米騒動から誕生したことは、おぼろげながら覚えているが、これはまさに今の社民党が「おかか党」である事実と照応している。三つ子の魂百までとはよくいったものと、しみじみ実感。

 話が戻るけれど、米騒動が日本における民主主義の始まりであるとするのは、明らかに史実にあっていないだろう。民主主義を、「おかか」たちの「家族を飢えさせるわけにはいかない」という危機意識を基礎とする下克上運動と定義するなら別だけど。
 もちろん、おかかたちの、「なにがなんでも子供や夫を飢えさせるわけにはいかない」という意識は、有り難いというか、凄いというか、ある意味、頭が下がるといってもいいのだけれど、反面、これは、夏目漱石の「道草」で、漱石の妻の言う、有名な台詞、「あたしを養ってくれる(食料を買う金を与えてくれる)なら、泥棒でも構わない」に通じるもので、男としては、唖然としつつ、その「なにがなんでも精神」は傾聴に値すると認めるに吝かではないけれど、しかし、このような闇雲な精神から民主主義が生まれるわけはないのだ。

 持上げ過ぎかも知れないが、明治時代には、旧士族を中心とする「上から」の貴族的民主主義の兆しがないではなかったのだが、明治末年頃から、「持たざるもの」による下克上を是とする左翼的観念に基づく「民主主義が」マスコミを中心に徐々に台頭し、それが寺内首相の無能に基づく失政をつく形で、政治勢力を構成してしまったあたりから、おかしくなってしまったのではないだろうか。
 いずれにせよ、米騒動によって寺内内閣が倒れ、後を継いだ原敬が寺内の失政を修正しつつ、政党政治の実現に力を注いだものの、暗殺されて中断……といった、あたりは日本近代史の中でも最重要な場面で、詳細な研究もなされ、優秀な学者も数多存在するのに、それを差し置いて、内橋みたいなおかかフォロアーに、米騒動の意義を語らせるなんて、偏見が過ぎるぞ、と思う。

シンジョーに望むこと

2006-10-26 21:55:45 | Weblog
 「肉のハナマサ」で煮豆を買ったら「原産国中国」とラベルに書いてあった。こんなものまで中国は作っているのか。
 新宿の旧事務所の近くに中国人の劉さんが経営する中華料理屋があって美味しいので評判だったが、ある日、ランチを食べにいったら、スープに味噌汁が出てきたことがあった。多分、中華のスープが切れてしまったので、急遽、味噌をお湯にとかして出したのだと思うが、まずいというかなんというか、まるで、「味噌汁」になっていない。ダシもとっていないし、具も、わけのわからないものが入っている。劉さん、日本の味噌汁を食べたことがないわけはないだろうに、全然、日本の味噌汁とは何ぞや、という基本がわかっていない。腕のいいプロのコックなのに。
 さすがに、翌日から味噌スープは姿を消したが、つくづく思ったのは、中国人は自国の料理に絶対的自信を持ち、他国の料理というものに、全然興味がないのだろうということだ。あるいは、大陸国家の特徴なのかもしれない。

 で、その中国人が、日本独特の「煮豆」を作っていて、しかも、ちゃんと日本の味になっている。日本人スタッフがいくら指導をしたって、「舌」の感覚というものは、五感のうちもっとも変わりにくいと言われているくらいだから、コンスタントに「日本の味」に仕上げるのは至難の業というべきだろう。
……てなことをつらつら考えたのだが、よく考えたら、「原産地中国」というのは、原料のマメの産地が中国という意味だった。

 とはいえ、本当に、日本国中、というか世界中、メイド・イン・チャイナだらけ。中国現地には、度胆を抜くような大規模な雑貨卸しセンターのようなものがあって、世界中からバイヤーが集まってくるらしいが、阿呆宮、万里の長城を作ったお国柄、東京の築地の魚卸市場が観光地になっているように、卸しセンター自体が観光地になったりして。少なくとも、私は見てみたい。

 日本ハムファイターズ、日本一に。
 それはいいんだけど、テレビカメラがシンジョーのカットばかりをしきりに抜いているのはどうにかしてほしい。まるでアイドルじゃないか。事実、アイドルに近いのかも知れないが、でもスポーツファンは誰も彼をアイドル扱いすることは望んではいないと思う。普通に撮ってればいいのだ。
 今年限りで引退らしいが、年を越したらあっさり前言撤回し、楽天あたりに入って、マスコミどもの阿呆面に思いきり泥を塗って欲しいものだ。

 話は変わるが、いじめ自殺が相次いだ。これは、子供達がマスコミを利用して、自分をいじめた相手に復讐を行っているのだ。だからといって、報道するなというわけではないけれど、それを自覚して報道することで、報復自殺を考えている子供達に対する牽制になる。
 このことは、前回(もう、十年近く前になる)、いじめを原因とする自殺が頻発した時に、多くの論者たちの討論を経て得られた貴重な教訓だったはずで、実際、マスコミがセンセーショナルな報道姿勢を改めてから、いじめ自殺は少なくなったように記憶しているが、マスコミ自身、この教訓をすっかり忘れてしまったらしい。バカは死ななきゃ治らない、か。

児童相談所って何?

2006-10-24 12:52:15 | Weblog
 水野美紀が、地方のじみ~な映画祭のじみ~なトークショー(なにしろ、会場が公立小学校)で、「私には代表作がないから……」と嘆いた由。ブログのタイトル、「いいことばかりじゃないけれど」といい、つくづく謙虚な性格であると再認識。
 この情報は2ch由来だが、同スレには、この発言に対し、「ガメラ2」があるじゃないかとの書き込み多数あり。(他には、「くの一忍法帳」があげられていたが、私は見たことない……というか、知らない)そうなんだよ。見ている人は見ている。

 児童虐待問題に関し、児童相談所の役割が云々されているが、そもそも児童相談所って何なんだ? 民生委員とやらと同じ、ボランティアによって成り立っているのかと思って、検索して調べたら、どうも、地方自治体に属する公的部門らしい。つまり、児童相談所の所員は公務員であり、例えば、税務署に勤める役人が税金の専門家であるように、児童問題の専門家ということだろうが、だとしたら、マスコミの突っ込みに対するしどろもどろの対応は全く論外だ。税金泥棒と言われてもやむを得ない。

 ところで、児童相談所のHPをのぞくと、まず最初にその設置についての法的根拠のようなものが書かれていたが、それを読んで、これはアメリカの地方自治制度の精神をそのまま持ち込んだ、というか押し付けられたのだなという感じを強く抱いた。つまり、自分たちの存在意義がまったくわかっていない。だから、何をしたらいいのかわからない。「教育委員会」なるものが、極めて大きな権限をもっているのも、「アメリカ的自治精神」から来ているのだろうが、これも同様に、教育委員会自身を含め、なんでそうなっているのか、自分たちの権限がどこから来ているのか、理解できない。もちろん、私だって理解できない。

 まだ勉強中なので確固としたことは言えないが、教育問題に熱心な点では、アメリカは日本と並んで世界の双璧とも言える国柄らしい。しかし、日本とはまるでちがうのは、アメリカは移民の集まってできた社会だということだ。つまり、お互いに異なる生活文化、習慣をもった人々が集まっているのだが、「アメリカ社会」の基本的決まりは、その子供達に対する「教育」で教え込まれる。たとえば、アメリカ人が「ホームタウン」と言う時、それは生まれた故郷というのではなく、「アメリカ人になるべく、初等教育を受けた学校のある町」という意味なのだそうだ。したがって、移民第一世代の家庭などでは、アメリカ社会の決まりを親が子から学んだりするらしい。通常の伝統的社会とは有り様がまるで逆なのだ。ただ、大概の場合、「初等教育を受けた学校のある町」は、自分の生まれた町と一致するだろうというだけなのだ。
 したがって、――これは私の想像なのだけれど――、アメリカにおける「教育委員会(的なるもの)」の仕事は、教育によるアメリカ的精神の浸透に対し、当然予想される移民たちの抵抗をいかにスムースに除去するか、あるいは妥協点を提示するかといったところにあるのではないだろうか。

 アメリカにおける教育制度の重要さは以上のように大変に大きなものがあるわけで、近年しばしば報道される、特にヒスパニック社会を中心としたアメリカ的教育の崩壊に対する伝統的アメリカ人の危機感も、我々が想像する以上に深刻なものがあるのだろう。

 それはともかく、翻って日本を考えるに、日本を占領したアメリカは、まず第一に、教育制度を改めようとしたのだが、その時、アメリカ人の脳裏にあったものは、当然のことながら自国の教育制度であって、それが世界的に極めて特異なものであることなどは、慮外の外にあったちがいない。
 じゃあ、どうしたらいいのかということだけれど、結局、日本における「公的」とはいかにあり得るかという問題につながる。これは、本当に難しい問題だけれど、私が考えるに、「公」の本来の意味、つまり「朝廷」を持ち出すしかないと思う。例えば、上野区立第五小学校なるものがあったとしたら、恩賜上野区立第五小学校にするとか(笑)……いや、かっこいいじゃないか。

 藤岡啄也死去。ニュースでは、その名前の前に、「名脇役」と冠言葉のように添えられているが、どこだったかのモーニングショーのコメンテーターが、「脇役というイメージではないけどなあ」とぽつりと言っていた。同感。ただ、脇役でなければ、主役ということになって、これもちょっとイメージがわかないが、まあ、ハッキリ言って、大根役者というか……いや、そうではなく、使う方が、最初からイメージを限定していた感がある。もっと、ハチャメチャなことをやらせれば、それなりに演じたのではないあろうか。いずれにしても、まともに見たことがないのでえらそうなことは言えないが。

ああ勘違い、北朝鮮編

2006-10-22 13:33:54 | Weblog
 北朝鮮問題でわからないこと。

 その一。何故北朝鮮は拉致した日本人を全員返さないのか? 返せば、日本政府から大金をせしめることができるのに。

 その二。これは今後の展開含みだが、何故北朝鮮は、日米が無条件で開かれていると言っている六者会議に復帰しようとしないのか? 

 この二つは、いずれも、いわゆる「弱者の恫喝」(核実験も同じ)だが、北朝鮮は、この「恫喝」による見返りを自ら否定しているようにみえる。

 そこで、少し参考になるかも知れない歴史的事件がある。
 日本で言えば江戸時代のはじめ頃、長崎に向かっていたオランダの貿易船が嵐に遭い、鎖国中だった朝鮮の済州島に漂着し、乗り組み員30数人が京城に送られた。オランダ人船長は、自分達は長崎に向かう途中に事故に遭ったので「鎖国」を犯そうと思ったわけではないと弁明し、日本に行かせてくれと頼んだが、国王は許さなかった。その理由は、「我が国に入った外国人を国外に出してはならないという祖法があるからだ」という、わけのわからないもので、実際、国王もその「祖法」の意味を理解していたとは思えなかった。というのは、当時の宗主国にあたる清から使者がやってくる度、国王は拉致したオランダ人を清の役人の目にとまらぬようにせよと自国の役人に命じたのである。これは、恐らく、「祖法」の根拠を清の役人に説明する自信がなかったからと思われるが、ともかくその結果、オランダ人は、清の使者がやってくる度、朝鮮の役人に引きつられて国中を逃げ回ったのである。
 オランダ人たちはこうして、異国に20年近く抑留され、最後に、監視の隙を見つけて漁船を奪い、長崎に逃れた。その時生存者は、たしか13人だったと思う。(いずれにせよ、日本に帰ってきた拉致被害者の総数と同じだったと記憶している)

 これは大変に有名な事件で、済州島には記念碑も建てられ、韓国の歴史教科書にも大きくのっているが、その記述では、「我が国は鎖国中でも外国人を迎えいれていた」とか、そんなふうに説明されており、読んで目が点になった。

 それはともかく、わからないのが、「我が国に入った外国人は返してはならない」という、「祖法」だ。
 私が想像するに、当時の朝鮮は、記録文書はすべて漢文である。しかもその漢文は、中国の正統的な文語体の漢文で、朝鮮人が日常的に使用している言語体系とは断絶している。日本政府の公式文書が英語で書かれていて、日本語訳がついていないようなものだ。しかも、英語の場合は文語体と口語体がある程度一致しているが、漢文は、全く言語体系の異なる東西南北各地方に中央の指令を通達するために使われた、一種の暗号のようなものなのだ。
 だから、日本でも大昔は正式文書は「漢文」だったわけだが、それはかなり日本語化された「漢文」で、やがて漢字仮名交じり文として完璧に日本語化されたわけだが、朝鮮の場合はそうではない。漢字の母国、中国をもしのぐ程の正統的「漢文」であって、それが彼らの誇りでもあったのだが、いかんせん、今書いたように、漢文は基本的に暗号であって、その解読は、まず古典として成立している過去の文書との照合、有名詩人等によって多くの人に通じるようになった熟語、それに若干の助詞的漢字を参照した上、「全体の意味の流れ」として推測されるもので、確固とした「文法」(暗号解読表)がない。
 ねんか、めんどくさいことを書いたけれど、要するに、「我が国に入った外国人を国外に出してはならぬ」という「祖法」は、もしかしたら、「我が国に入った外国人は国外に出さなければならない」の読み間違えだったりしてるのじゃないかと思うのだ。でなきゃあ、到底、理解できない。もちろん、その祖法の元となった文書が残されていれば、後でそれを検討するという方法が残されているが、彼の国にそれが残されている可能性はほとんどない。ということは、いかにチンプンカンプンなものであれ、それを是正することは不可能ということになる。

 というわけで、北朝鮮問題だが、まさか、李朝時代の「祖法」に縛られていることはないだろうが、金日成の言葉に縛られている可能性はある。拉致日本人の多くは、金日成によって「金の卵」と称されたよど号をハイジャックして北に渡った日本赤軍によるものだし、核開発も金日成の下した政策であることに間違いない。そして、金正日には、おやじの命令を覆す力は、たぶん、ない。つまり、おやじの金日成あっての息子、金日正であるからには、そのおやじのカリスマに頼るしかない。
 ということは、金正日の次の指導者になれば、金日成の政策は金正日の政策とみなされ、それを覆すことも可能になるかもしれないという理屈になるが……。しかし、こんなことをやってるようでは、北の未来はないけれど。(とっくにないか)

「先生」、フー?

2006-10-20 22:19:47 | Weblog
 ドアを開け放してパソコンをいじっていたら、いきなり、「先生!」という声がした。振り返ると、中年おやじが五、六枚の何かの招待券のようなものを扇状にこちらに向けて広げ、「差し上げます」と言う。なんだろうと思ったが、貰えるなら貰おうと手を出したら、「新聞、とって下さい」。
 なんだ、新聞勧誘か。どこの新聞かは知らないが、コンビニで買うからいいよ、と断ると、男は、「先生、先生は何の研究をしているのです?」と言う。「い、いや別に……」と言葉を濁すと、「量子力学ですか?」と言う。多分、本棚にナツメ社の「図解雑学シリーズ」の、宇宙とか量子力学なんてのが並んでいたので、それを目敏く見つけておだてにかかったのだろう。まことに光栄なお見立てだが、私を「先生」と呼ぶ人は他にもいる。大家さんだ。いや、どうも……。

 と、おだてに乗って、古本屋で、ハイゼンベルクの「部分と全体」を見つけて買った。以前、豪徳寺の古本屋で見たが、難しそうで買わなかった。しかし、おだてられたもので……いや、まだ、最初の「原子学説との最初の出会い」という章しか読んでいないが、実にわかりやすく、かつ面白い。

 ハイゼンベルクは物質の最小単位である素粒子の世界では観測によってその状態を確定的に知ることは決してできないという経験的事実を、「不確定性原理」という「原理」として確定したことで有名な物理学者だが、若い頃から登山が好きで、まだ二十歳にならない前、同好の友とハイキングをしているとき、我々が与えられている教科書には一個の炭素原子と二個の酸素原子が「ホックと留金」で結び付けられて、炭酸ガスの分子となっているが、「ホックと留金」って、あれは何を意味しているのだろうと言った。この「問いかけ」から友達との問答がはじまるが、その結論は、「我々はそれを見ることは決してできず、ただ、その働きを知るだけだろう」と、後年の量子力学の原理を予見するような結論を得ている。友達ともども、ツゴイ。

 ちなみに、ハイゼンベルクの「部分と全体」は稲垣足穂がもっとも「執着」した本で、「ハイゼンベルク変奏曲」という未刊の原稿を残しているそうだ。なぜ、未刊かというと、その内容がほとんど「部分と全体」そのものだからだそうだ。もちろん、未刊だから我々はそれを見ることができないが、「ハイゼンベルク変奏曲」の第一章のタイトルは、「ホックと留金」だそうで、内容もなんとなく想像がつくような気がする。たしかに、「ホックと留金」とは、いかにも足穂らしいが、彼がどこまで量子力学を理解していたかはわからない。なんたって、図解雑学シリーズがなかったからなあ(笑)。いや、あれは、実にいいシリーズだ。

 ところで、同じ古本屋で、植草甚一スクラップブック「ハリウッドのことを話そう」を購入。植草甚一スクラップシリーズは全部で44巻もあり、その多くは無名時代の原稿らしい。「ハリウッドのことを話そう」もそうで、一番新しいので1969年の「話の特集」掲載原稿。一番古いのは1949年、ほとんどは1950年代で占められている。これは年齢的なものもあるだろうが(1908年生まれ)70年以降のいわゆる「ニューシネマ」は、あまり肌に合わなかったのかもしれない。
 いずれにせよ、無名時代の古いものも、アメリカの雑誌や小説の紹介引用という、植草スタイルだ。それも、どこからどこまでが引用なのか、よくわからなくなったりするが、うまいものである。もちろん、ただうまいだけではなく、どこを引用するかが重要で、ここですべては決まってくるが、それがさりげないのでつい気がつかない。読み手が「気がつかない」のでは、しょうがないではないかと思ったりするが、実は、そこが植草甚一の「粋」なところ。
 たとえば、1969年の原稿は、日米合作の「トラ・トラ・トラ!」について、こんな風に書いてある。
 プロデューサーがスタッフを集めて、こう言った。「これはとても大事なことなので、忘れないようにしてもらいたいが、たとえばシカゴに男がいたとする。頭の程度は普通だ。その彼が世界地図を開いて日本を見たとすると、日本は、彼の左側にある。したがって、映画でも、日本の爆撃機は必ず、左から飛んでこなければならない。それを、我がアメリカの戦闘機が右から現れて左へ追い返すのだ。ともかく、左から右に飛んでいる飛行機があれば、それは日本機だとすぐにわかるようにしなければいけないんだ」

 阿呆みたいだが、映画では大事なことだ。何故なら、映画とは観客の主観で見ているわけだから、日本軍の飛行機が右から現れたら、アメリカ人の観客の頭の中の世界地図と合わず、混乱してしまう。もちろん、ドッグファイトの場合は別だが、その場合は、必ず、たとえば「うしろを振り返って驚く米軍パイロットの顔」といったシーンがインサートされなければならない。そしてこれが厳格に守られるのがハリウッド映画なんだ。

 なんか植草調になってしまった。

時間をさかのぼって映すカメラ

2006-10-17 14:11:20 | Weblog
 たしか、一昨日だと思うが、NHKで、「アシカをくわえながら空中でジャンプするサメ」の超スローモーション画像を見た。海面近くを回遊する、すばしこく、用心深いアシカを、サメが海中から不意打ちするのだが、そのとき、勢いあまって空中にまで飛び出してしまうのだ。潜水艦から発射されるミサイルみたいだ。

 しかし、こんなシーンはそう簡単にはお目にかかれないはずだが、それを、「超スローモーション」で捉えるなんて、どうやったのだろう。サメの空中ジャンプは、おそらく一秒の数分の一にも満たない。普通のカメラだったら、ずっと回しっぱなしでチャンスを待つ、ということもできるだろうが、一秒あたり数千コマを費やす超スローモーションカメラではとてもそんなことはできない。

 不思議に思っていたら、番組の最後で種明かしをしてくれた。なんと!サメがあっという間に海中に姿を消してから、シャッターを押すのだそうだ。そうすると、五秒前にさかのぼった画像が撮れると。

 「不思議の国のアリス」の、罪を犯す前に牢屋に入れられちゃう「気狂い帽子屋」、マッド・ハッターの話みたいだが、つまり、そのカメラは常に超スピードで回っていて、それを五秒間に限り、メモリーとして記憶する。五秒を過ぎたら、メモリーはいったん廃棄される。これを始終繰り替えしていて、これぞ、というときにシャッターを押すと、メモリーは廃棄されずに記録される、というわけだ。つまり、通常のシャッターとは、ある瞬間に情報を取り込む機能のことを言うが、このカメラは、逆で、シャッターを押すことで情報の流入をカットするわけだ。

 したがって、いったんシャッターを押したら、カメラの機能は一旦停止し、すぐにパソコンにデータを移さなければならないし、また、サメがジャンプしたときに、レンズがそれを捉えていなければならないことに変わりはないわけで、「ジャンプするサメ」を撮ったクルーは、撮影に二、三週間を費やしているが、それにしても、すごい、というか、不思議というか、贅沢な機械だ。

 ところで、「マッド・ハッター」の話は「虚無への供物」に出ていたもの。(実は、「アリス……は読んだことがない。トホホである。)「虚無への供物」は、シャンソン好きのお嬢さん、奈々村久生が、殺人が起こる前にそれをずばずば予言するという趣向の探偵小説なのだった。目黒だの目白だの、「地名」しか覚えていなかったが……やはり、面白そうだ。

東京文学散歩、田端編

2006-10-16 15:09:36 | Weblog
 川口まで自転車で往復した帰り道、近道をしようと思ってかえって迷ってしまい、うろうろしているうちに、田端の「切り通し」の崖の上に出てしまった。橋がかかっていて、そこから下界を眺めると、夕方6時過ぎ、ちょうど「暮れなずむ頃」というあたりで、何とも不思議な光景だった。風がひゅーひゅーと吹きつける。Tシャツに半ズボンだったので、寒いのなんの。でも、最前、荒川大橋を渡った時、欄干に吹きつける風が、びよーんびよーんと音楽みたいに鳴っていたようなところまではいかない。
 ここにはもう一本、人ひとりやっと通れるような、山奥の吊り橋のような雰囲気の小さな橋が併行してかかっている。下の通りに出るにはこちらが近道であるようなので、そこを自転車で渡ろうとしたら、向こうから中折れ帽子をかぶった背広姿の紳士が歩いてきたので自転車から下りてやり過ごしたら、紳士は私をちらりと見て、会釈をした。私もちょこっと頭を下げながら、顔を見ると、白人だった。こんなところに外人さんが住んでいるのか!とちょっとびっくり。もちろん、住んでいるかどうか知らないが、いずれにせよ、普通のビジネスマンではない。日本の近代文学かなにかを研究しているのだろうか。だとしたら、芥川龍之介あたりか。

 というのは、たしか、芥川は田端と縁があったと思って、そう書いたのだが、あやふやなので、ウィキペディアで調べたら、芥川龍之介は東京、京橋区出身、牛乳屋の息子で、海軍大学で英語を教えている頃は、鎌倉の材木座海岸の近くに住んでいた。田端の自宅で服毒自殺、とあった。

 そうだったのか。知らなかった。しかし、田端のどこに住んでいたのだろう。切り通しの崖の上ってことはないだろうな。たまに見るならともかく、こんなところに住み、始終こんな眺めに取り囲まれていたら、神経が鋭い人は頭がおかしくなる。(それで自殺したりたのかも、なんちゃって新説)

 事務所に帰ってから、なんとなく中井英夫の「虚無への供物」の文庫版(講談社文庫)を開き、解説(出口裕弘筆)を読んだら、なんと、中井英夫が田端で生まれ、育ったそうで、しかも、「黒鳥譚」という中編小説の、「田端の切り通し」に架かっている橋について書かれた一節が引用されていた。

 『田端の橋たもとまでくると、青年は手すりにもたれて遠くを眺めた。そこは高台の切れ目で、見下ろすと低い町並み一帯は、陽に烟りながら、水に泛んだ見知らぬ都市のようにひろがっている。橋は大きく弓なりに鉄道線路をひとまたぎにし、下町の中へのめり込む。疲れた足をひきずってここまで辿りつくと、ぼうぼうと風に吹かれながらこうして佇むのがいつものことだった。橋の下から白い煙を吹き上げる蒸気機関車。黒い貨車の列。その向こう、蒼味がかった巨大なガスタンクや、川べりの三本煙突などのあいだに、小さな家並みがたてこんで人々は蟻のように動き回っている』

 私は、ガスタンクも、三本煙突も、蒸気機関車も、また、「低い町並み」も巨大なショッピングモール状の建物に埋もれて見ることはできなかったが、「蟻のように動く人々」、「水に泛んだ見知らぬ都市」といったSF的印象は、現在の方がより強いように思う。(今気がついたが、意図せぬ田端彷徨の後、「虚無への供物」を開いたのは、この小説に東京の地名がやたらに出てくるからだ。「虚無への供物」は一度読んで、とても面白かった記憶があるが、どんな話だったかは全然覚えていない。特に、謎解きのトリックなんかはさっぱりだ。「虚無への供物」だけではない。トリックを覚えている推理小説なんて一つもない。こんなんでは、推理小説を読んだことにならない……だろうか? わからないが、こんな時、私はつくづく思う。俺って頭悪いのかな~と。)