パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

平成版「次郎物語」

2009-10-25 22:53:01 | Weblog
 真央ちゃん、まさかの5位。

 無心になればいいだけなのだが、それがむずかしいわけで、まあ、しょうがないか。

 しかし、男子、プルシェンコのすごいこと。

 最後、「決めポーズ」もとらずに、滑り終え、審判に向かって自分の実力をアッピール。

 電車の中吊りに「自転車無断放置追放協議会」とかなんとかいう財団法人らしき組織のアピール広告がぶら下がっていたが、天下りというのは、こういう財団を勝手に作ってそこにOBを送り込むことを言うのであって、郵便会社の社長に元大蔵官僚トップが就任することは、必ずしも「天下り」ではないと思う。

 斉藤次郎という人が適任かどうかということとは、別に。

 今のマスコミの反応だと、官僚の再就職まかりならぬということになってしまう。

 繰り返すが、天下りが問題なのは、わけのわからない、たとえば、「放置自転車対策協議会」みたいなのをつくって、そこで引退官僚を養おうとする、そのシステムがいけないのだ。

 こんなのは、即刻民営化か、NPOにして、税金や、特別会計の金を使わせないようにすればいいのだと思うのだが、官僚はそこは抜け目がなくて、天下り先に財団法人を作るときには、ちゃんと法律を一緒につくるので、廃止したり、民営化したりできない仕組みなんだそうだ。

 しかし、斉藤次郎って、懐かしいなあ。

 私は、深夜の記者会見で「国民福祉税」という名前を聞いたとき、これはいいアイデアだと、大いに期待したのだが、あくまで総理大臣になりたかった武村官房長官と、「下駄の雪」呼ばわりされていた、社民党が反発して、細川首相の辞任にまでいたってしまったのだった。

 だから、今回、あらためで斉藤次郎に期待するとか、そういうことではないのだけれど…でも、「斉藤次郎」って、なんか、懐かしいような名前だ。

 「路傍の石」の主人公みたいな。

 いや「次郎物語」か。

 って、どっちも読んだことないけど。

貧乏は正しい…?

2009-10-24 21:10:02 | Weblog
 昨日、朝生を見ていたら、東浩之が「ベーシックインカムしかない」と突然言い出した。

 司会の田原は一瞬「ん?」みたいな顔でとぼけたが、ぜんぜん聞いたこともないということではないようだった。

 ただ、まったく荒唐無稽の話に過ぎない、と考えているみたいで、積極的に話しを続けようとはしなかった。

 その場の雰囲気としては、ベーシックインカムなんか聞いたこともないという人はいないようだったが、賛否はほぼ半々という感じだった。

 雨宮なんとかという、元右翼で今は反貧困活動で活躍していぅ女性に、田原が「湯浅君はベーシックインカムについてどう考えているの?」と聞くと、彼は興味がないみたい、と答えていた。

 雨宮女史も右に同じという感じだったが、なんで興味がないかというと、貧困問題は企業の責任であり、企業が解決しなければならないという考えだからだそうだ。

 そうだろうなあ。

 ベーシックインカムは、企業側にとっても非常に都合のいい話だから。

 森永卓郎も、当然、ベーシックインカム論議に積極的に加わってもいいはずなのに、そうしなかったが、彼も、企業に責任があるという急先鋒だからだ。

 「ベーシックインカム」の一言で、学者、評論家のややこしい立ち位置が見えてきたような気がする。

 森永は、現在の貧困問題は企業に責任があるということから、企業に全責任を負わせ、解雇を禁止すればいいのだ、社員は全員正規社員でなければならな法律で決めればいいのだと、びっくりするようなことを言い出した。

 しかし、企業に責任があるのだとしたら、その企業に問題を解決させるというのは変じゃないのかな、森永さん。

 本当に企業に責任があるのだとしたら、その企業は退場しなければならないんじゃないのか。

 それは、不祥事を出した企業の社長さんが、「責任のある私が問題を解決します」と言って居直るのと同じ論理じゃないのかな?

 ところで、今、若い男性、といっても30台全域も「若い男性」ということでくくられているようだが、その若い男性が職が得られずに苦しんでいることについて、雨宮女史が、「私たち女性が苦しんできたことを今若い男たちが経験しているのだ」と、「ざまあ見ろ」的な顔で言った。

 これに、小沢のおばちゃん(名前忘れてしまった)が、「そうよそうよ」と満腔の笑みをもって賛意を表していたが、それはちがうよ、ご両人。

 橋本治が「貧乏は正しい!」で言っている様に、若い男性というのは、元来、貧乏であり、若い女性は金持ちなんだ。

 なんで、若い女性は金持ちというと、世間が貧乏な若い女性という存在をほって置かないからだ。

 若い女性は美しく着飾らないと惨めになるような存在だからだ。

 が、しかし、世の中には貧乏な女性も当然いる。

 そういう彼女たちが、こう言った。

 「私はただ貧乏なだけで、ブスじゃないわよ」。

 これが、ウーマンリブのはじまりだと橋本治は言うのだけれど、雨宮女史は論外として、小沢女史もこの理屈は「なに言ってるの、ぜんぜんわからないわ」と怒るだろう。

 たしかにややこしい理屈だけど、基本的に正しい。

 その証拠に雨宮女史、いつもきれーな帽子をかぶって、「私は、貧困な若者を代表している」と言っている。

 そんなに高いものではないだろうが、でも、あれは、「自分は貧乏だけど、ブスではない」と主張するためにかぶっているのだ。

 いやまあ、それより、言いたいことは、「若い男性」が貧乏であることはあんりたいした問題じゃない。

 若い男性は、自分が貧乏であることがあたりまであり、かつそれをほこりにするような存在であるべきなんだ…というのが、「貧乏は正しい!」という奇妙なタイトルの意味なのだが、そういうわけで、朝生出席者の一人が最後のほうで言っていたが、貧困問題というと、マスコミは「若い男性」ばかりをとりあげ、大人、特に中高年以上はたっぷり溜め込んでいるというイメージで報道しているが、実は、「貧困問題」が深刻なのは中高年以上の男性なんだ、と言っていたが、まさにそのとおり。

 これこそメインテーマなのだ。

 秋葉原で暴れて大量殺人を犯した奴も、別に給料が安くて頭にきたわけではない。

 彼女ができないことを、安い給料、派遣社員のせいだと思って、それで頭にきたのであって、あれじゃあ、もてないのも当然だなという話なのだ。

 ほこりをもって、自分が貧乏であることを「正しい」と言うことのできる男が、「金持ち」の若い女性からもてるのだ。

 ナゼって、そういうせりふは若い女性には絶対に言えないから。

 と思うのだがね。

相葉ランドかと思ったら

2009-10-19 16:55:47 | Weblog
 書き忘れたので追加。

 体操選手権の個人総合で中国選手がまったく出てこないのでどうしたのだろうと思っていたら、昨年から個人総合と種目別がまったく別の種目になってしまっていたらしい。

 今までは、個人総合の各種目の6位以内とか、そういう感じで種目別に出場資格が与えられていたと思うのだが、それだと、体操の技術があがってしまったので選手の負担が大きすぎるということなのだろう。

 だったら、最初っから、種目別を目指す選手が普通になって当たり前で、中国選手はそっちに切り替えたということなのだろう。

 日本では多分、今でも、体操をやるものは総合を目指すのが当たり前、ということでともかく全部やるのだろう。

 それはそれで「美学」かもしれないが…いずれ、背に腹は変えられずということになりはしないか。

 というより、体操の競技ルールが演技の採点方法以外にも根本的に変わったということをちゃんと教えてくれよ。相葉君。

 しかし、相葉君、相葉ランドのようなわけにはいかなかったみたいで…今頃落ち込んでいるのだろうなあ。

 「お、俺ってだめだぁ」

 小倉が多分慰めてくれるだろうが、しかし、フジテレビ、相葉ランドを見て相葉起用を決めたんだろうか?

 だとしたら、いくらなんでも無謀と思うが、そもそも、相葉ランドって、日テレじゃなかったか。


おらは死んじまっただ

2009-10-19 14:48:25 | Weblog
 …と裏亭さんのミクシーに書いてあったが、加藤和彦が首をくくって死んでしまった。

 私は、あちこちでこれまでも書いてきたのが、フォークというやつが大嫌いで…。

 でも「フォーククルセイダーズ」というのは、ちょっと微妙であった。

 泉谷の「春夏秋冬」を作ったその人でもあるし(とかいって、それも今回はじめて知ったのだが)。

 しかし、その泉谷のCDをフリマで100円で買ったものの、捨ててしまった。

 なんでって、やっぱり「フォーク」なんだもん。

 基本的に、いつも最先端でいたい人だったようで、でも実際はそれほどでもなく…ということの繰り返しに疲れてしまったのではないか。

 しかし、2年ほど前に木村カエラをボーカルに、サディスティックミカバンドを再生させていたそうで、それも私は知らなかったのだが、このキャスティングは最高でしょ、ドノヴァン!これなら正真正銘、最先端でいれるよといいたいのだが…なんか、今ひとつずれているのかなあ…。

 ちなみに、ドノヴァンというのは、彼のニックネームらしい。

 やっぱり、私にはついていけませんです。このセンス。


 ところで、キムヨナがぶっちぎりで優勝したが、いくらなんでも点数で過ぎでしょ。

 その後、というか、その前後、体操の世界選手権の種目別の鉄棒で中国人選手が同じく「ぶっちぎり」のスコアで優勝したが、これも「いくらなんでも」の点数だった。

 他の選手が大体15点代前半で、この中国人選手のみ16.2だったかを出してしまった。

 これはどんなにがんばっても無理という点差。

 解説の米田元選手が、「今日の○○選手はらしくないですね」と元気のなさを指摘したとたんのむちゃくちゃな点数に、米田元選手、その後は黙ってしまった。

 選手自身も、もう興味は優勝ではなく、2,3位争いだという露骨な雰囲気を醸し出していた…と見るのは偏見か。

 中国も朝鮮も本質的に、「賄賂社会」。

 というのは、要するに儒教社会ということで、神様にも賄賂が効く。(日本は儒教社会ではないので、特に役人には賄賂は効かない)

 昔読んだ話で面白かったのは、ある男が仙人に願いことをする。

 仙人は、「それは私にもできないが、某所にお酒と肴を持って行きなさい。そこでは、二人の老人が碁を打って楽しんでいるから、その右の人(まあ、左でも可
)に黙ってその酒と肴を出しなさい。すると老人はそれを食べてしまうだろう。そうしたら、願いことを言うのです。実はその老人は、神様なのだが、出されたものを食べた以上は願い事を聞いてくれるよ。」

 というわけで、男はまんまと願い事をかなえるという話だが、今では世界中が回帰というか、民族の習慣と言えば、それで通る雰囲気なので、「これ、ほんの気持ちあるよ、気にしないで受け取ってほしいあるよ。私たちの習慣ね。では、よろしくね」とか言って贈り物を渡しているんじゃなかろうかとか思ったりする。

ドストエフスキーは一人だけ

2009-10-13 22:18:40 | Weblog
 野暮用が多くて更新がままならないが、昨日、カトリーヌ・アルレーの「わらの女」を読んだ。

 アルレーというと、世界的ベストセラー作家だが、女性だったのだ。

 知らなかった。

 カトリーヌなら、女に決まっているのに。

 さて、「わらの女」というと、そのアルレーの代表作で、私も名前だけは知っていたのだが、読んでみて…はっきり言って、がっくりである。

 もちろん、面白くないことはないのだが、意外に単純、かつ浅薄なお話で、不満が残る。

 超のつく、世界的大富豪の秘書が、その大富豪の遺産を狙って、新聞に花嫁募集の記事を出し…という話だが、読んでいない人も多いと思うので、ストーリーはこれまでとするが、ともかく、その秘書が完全犯罪を達成するという話だ。

 別に勧善懲悪でなければならないなんて言うつもりはないが、はっきり言って、これでは淡白すぎる。

 夫殺害の嫌疑をかけられた新妻が、あらゆる状況証拠が黒であるのに、必死に無実を訴える。

 秘書のたくらみで、その状況証拠は完璧。

 だとしたら、にもかかわらず、なんで自白をしないのか、と捜査官としては思うはずであり、そこから、捜査を進めると、意外や意外、秘書が怪しい…ぐらいの展開を見せてくれなくっちゃだわだ。

 70過ぎまで独身だった、人間嫌いの大富豪とまんまと結婚してしまうくらいだから、「わらの女」(でくの棒という意味らしい)どころか、大変に頭がよく、かつしたたかな女性で、実際、結婚するまでは実にはつらつとしているのだが、警察に捕まると、とたんに「わらの女」になってしまう。

 それで、彼女はなす術もなく独房の中で…と書くとお話をあらまし紹介してしまったことになってしまうが、彼女、ないしは先に書いたように捜査官あたりが,「反撃」してくれないと。

 もっとも、その「反撃」を十分に描くとなると、最低2倍、いや、3倍に膨らむだろう。

 そして、そこまで描ききれば、まさにドストエフスキー並の大文学になりえたと思うが、まあ、ドストエフスキーは何人もいないということだ。


ミニパソコンで快調だべさー

2009-10-09 22:34:58 | Weblog
 モバイル接続の調子がよろしくないので電話相談で解決を図った。

 担当者(男性)が熱心に対応してくれたが、あれこれやっても、なかなか解決しない。

 時間がたつにつれ、電話から聞こえる声が次第に熱を帯び、お国訛りが表面化してきた。

 東北弁、それも、沖野さんで聞きなれた、青森だ。

 東京人の私には縁のなかった、石川啄木が駅の人ごみをかき分け「お国言葉を聴きに行く」とうたった感性がなんとなくなつかしくしのばれ、「くすくす」と忍び笑いをこらえているうち、画面に「エラー」が表示されているにもかかわらず、ネットがつながってしまった。

 「そりゃーおっかしいんだべさー」(いい加減)

 と担当者は驚き、「モバイルのスティックがおかすいか、マックがおかすいか、どっちかだべさー」ということになり、「じゃあ、おまけでついてきたミニパソコンでやってみましょう。ウィンドウズを使ったことはあまりないんだけど、がんばって」と言うと、「そうしてけろ」ということになり、今もミニパソコンでやっているのだが、まあ、快調だべさ。

ゴキブリの人生

2009-10-06 18:04:50 | Weblog
 親知らずを抜いたが、なんでこの年までほっておいたかというと、抜いた親知らずを見てわかった。

 むちゃくちゃでかい。

 たぶん、かつてそれを見た医者は、「これを抜くのは大変だから、抜かずにおきましょう」と考えたのだろう。

 ところで、抜歯した後というのは、ずっと喪失感がそこに残るものだが、親知らずの場合はそれがない。

 要するに、これまでまったく不要だったのだ。

 でかくてがっしりとしていても、「不要」。

 誰かさんみたいだ。(誰?)

 亀井静香ではない。

 亀井静香はあちこちで物議をかもしているようだが、私は基本的に彼を信用している。

 昨日も、日本の殺人事件は半数以上が親族間で行われていることを指摘し、経団連の会長に、「あんたのせいだ」と噛み付いたらしいが、経団連のせいかどうかはともかく、日本の殺人事件の多くが親族同士であることは印象として言えると思う。

 そしてこのことに言及した政治家はこれまで一人もいなかった。

 それだけでも、亀井静香という政治家が貴重な存在であることは確かだ。

 首相になってほしいと思うくらいだ。

 ゴキブリネタを。

 ゴキジェットを吹きかけられて、逃げ出したゴキブリが、部屋の隅で仰向けになってひっくり返った。

 ぴくとも動かない。

 よく効くなあと思いながら、すぐには処理せず、1時間後くらいたってからつまんで捨てようと思い、ティッシュを手に近づいた。

 ゴキブリは1時間前と同じ姿勢で依然ぴくりともしない。

 完全に死んでいると思ったが、ティッシュでつまもうと触った瞬間、手足をばたつかせて逃げようとする。

 なんという生命力。

 ひたすら回復を待ってじっとしていたのか?

 スリッパでひっぱたいて中身が半分出たまま、放っておいたら翌朝いなくなってしまったこともあった。

 まあ、そのゴキブリがその後回復を果たし、ゴキブリ人生をまっとうしたかどうかはわからないが。