パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

もしも信号がなかったら

2008-06-30 21:52:13 | Weblog
 ユーロは終わったけれど、ウィンブルドンをやっているし、オリンピックも控えているし……。

 ここまで、スポーツというものが社会的に大きな位置を占めるようになるとは、未来学者の誰が予想しただろう。って、未来学者なんてものそのものが消えたけど。

 往々にして決勝試合というものは、凡戦に終わることが多いが、スペイン対ドイツはまあまあ、といったところだろうか。なんて偉そうに。

 新宿駅を歩いていたら、50センチくらいの台の上に乗った警官があたりを見回していた。サミットのためだろうが、感じ悪~い。台をけっ飛ばしたくなったが、そんなことしたら、たちまち公務執行妨害で一ヶ月は出てこれないだろう。

 そう言えば、先週の金曜日だったか、埼京線で臨時電車が出た。終電の二本くらい前だったが、埼京線の最終近くはいつも混むので、乗客から文句が出たのかもしれない。最終電車が深夜零時前に出てしまうというのは、実際、いかにも早い。

 75歳以上の老人が運転していますので、周りの人、よろしく、という「もみじマーク」というのがあるらしい。煙草のなんとかカードといい、役所はどうしてこうバカバカしいことをやるのだろう。

 ドイツのある町では、実験的に、交通信号を全廃したんだそうだ。なかなか面白い試みだ。

 実は、車(オートバイだったが)を運転していてもっとも「あぶない!」と思ったのは、東陽町の近くの大きな交差点で信号待ちをしていたときだった。

 なかなか信号が青にならなかったので、前の「赤」から、横の「青」の信号に目を移した。これが黄色になったらただちにギアをローに入れ、スタートするつもりだった。ところが、この青もなかなか黄色になってくれない。

 「やれやれ」と思って、視線をタンクの上に落とし、しばらくしてから顔を上げて信号を見たら「青」になっていた。

 今だ!と思ってアクセル全開、ブオワーと発車したら、信号待ちしていた人や運転手があっけに取られている雰囲気が伝わってきた。

 「あれれ?」と思いながらかなり広い交差点の半ばまで来て、気がついた。

 「青」の信号は、さっきまで顔を横向きにしてみていた右横の信号で、私の前の信号は依然として「赤」だったのだ。

 本当に、たまたま、交差点に進入してくる車がなかったからよかったものの、下手したら、「信号無視の暴走で激突! バカ即死!」と新聞に出たかもしれない。

 というわけで、信号があるが故に事故が起きるということも皆無じゃないというお話だが、正直言って、信号がなくても、事故はそんなに増えないと思うが(信号がないとわかっていれば、それだけ気をつけるだろうから)、渋滞が増えて、経済効率が悪くなることは確実だ。

 ということは、交通信号は事故防止というより、道路を使った経済活動の効率化のためにあるのだろう。

 ちょっとした思考実験でした。

言っちゃった

2008-06-26 19:52:15 | Weblog
 突然、Macが起動しなくなってしまった。といっても、こうして書き込んでいるのだから最終的には起動できたのだが……。あわててマニュアル本を探しているうち、ふと振り返ったら、起動を始めていたのだ。しかし、こわいなあ。

 北朝鮮の拉致問題は、どうもよくわからない。何か隠していることが絶対にあるはずなのだ。

 で、何を隠しているかというと……はっきり言って、行き当りばったりに誘拐したわけではないだろう、ということだ。しばらく前、名前は忘れてしまったが、拉致被害者が実は、拉致の実行者だったとか、「週刊現代」で暴露されたことがあった。結局、うやむやに終わったけれど……あり得る話だと思う。

 当初、警察がまったく動かなかったのも、拉致の「実体」がわかっていたからじゃないかという疑いがどうしても拭えない。

 中島梓が、事件が発覚した時、「拉致された人たちは北朝鮮の生活に馴染んでしまっているだろうから、放っておくしかないのではないか」とブログに書いて炎上、閉鎖に追い込まれたことがあったが、「拉致事件」に限るなら、正論じゃないかなと、当時から感じていた。

 そもそも、なんで、自分で脱出しようとした形跡がないのだ? 日本赤軍にオルグられたのじゃないか? 「あ~あ、言っちゃった!」。

 しかし、アメリカがあそこまで対北朝鮮の制裁解除に熱心な理由もわからない。放置しておいて、衛星カメラで徹底的に監視していれば、すぐにぼろをだしそうな気がするのだが。

真面目にコツコツ

2008-06-25 22:22:46 | Weblog
 もともと、牛肉はあまり好きなほうではないので、最近はもっぱらMacポークとドリンクとシャカシャカチキンを注文している。しめて300円。安い! 先日は、午後二時過ぎていたので、さらに50円安くて、250円だった。これには驚いた。

 本当は、ドリンクは水でも全然かまわないのだが、ちょっと、そこまでの勇気はない。

 テニスの錦織選手を見る。強い! 途中でリタイヤしたのは残念だが、雰囲気、風格がちょっと普通じゃない。焦るとか、慌てるということがまったくなくて、マイペースで悠々と試合をすすめる。ゴルフのタイガー・ウッズに似ている。雰囲気がね。でも、実際、目つきなんかは似ている。

 しかし、日本人選手が登場すると、当然、観客席に日本人が目立つのだが、はっきり言って、女性はいいのだけれど、男が……見ていていやになる。傲慢で知性がない。自分が男なので、余計に気になる。

 「もの作り大国」とか言うけれど、「もの」を磨いても、知性が磨かれるわけじゃないのだと痛感する。

 もちろん、「もの作り」を軽視していいと言っているわけではない。それは、大事なことだが、では、なんで大事かというと、はっきり言って、「誰にでもできる」からなのだ。ここが肝心だ。一定程度の訓練を受け入れる能力があれば、「誰にでもできる」。だからこそ、もの作りは、大事なのだ。

 これにたいして、科学や芸術の「大事さ」は、「誰にでもできる」もの作りの大事さとは対極にある。科学や芸術は、「誰にでもできるものではない」から大事なのだ。 

 もちろん、その両方とも大事なのだが、それを、「真面目にコツコツ、誰にでもできることを一心にやってきた」ことで、すべてを、つまり、芸術や科学をも超越して、倫理的に優れているがごとき錯覚に陥った挙げ句が、傲慢で知性のない男たちの大量出現ではないのか。言い換えれば、芸術や科学の失墜が招いた、世界共通の事態とも言えるわけだが、だからといって、梅原猛みたいなのが出てきてしまえるのが、日本の文化的浅さなんじゃなかろうか。

 と、なんとか昨日の話に続いたところで、また明日。

第一次世界大戦たけなわ!

2008-06-24 21:28:37 | Weblog
 また牛肉偽装事件が起きたが、反グルメ人間としては、どうでもいいニュースだ。摘発された会社の社長がいかにも傲慢なタイプで、テレビマスコミに格好の標的になってしまっているが、あたかも一大疑獄事件かのように、大人数の警察が捜査に入るほどの事件か。そもそも、業界基準の品質表示に違反して、「警察沙汰」というのが変だ。農林省が「注意」すればいいだけではないか。

 もっともっと大事なことがあるのではないか。

 たとえば、臓器移植法案の改正が、民主党の「問責」決議案のあおりで裁決できなかった。もっとも、この改正案の内容をよく知らないので、改正されたからどうなるかもわからないのだが、アメリカで幼児の臓器移植の権威として活躍している日本人医師が、日本の学会か何かに出席するために帰国して、そこで、今の日本では15歳以下の臓器移植は全面禁止、他の移植についても、実質的に禁止しているという事情をアメリカではまったく知られていないが、もしこれが広く知られたらとんでもないスキャンダルになるので、法律の改正を至急おこなわなければならないと話していた。

 それはそうだろう。どこの国でも臓器は臓器提供者の利他精神の賜物であり、その意味で極めて貴重なものだ。それを、自国では禁止されているからという理由で、外国から来て横取りしてしまう。

 なぜ、日本で臓器移植が遅々として進まないかというと、脳死問題がクリアされていないからで、なんでクリアされていないかというと、梅原猛みたいな、「子供の頃から空想好き」(ウィキペディアより)なだけのトンデモ学者が権威を保っていて、それが猛反対していることが、すべて……ではないにせよ、大きい。

 しかし、梅原はどんな理由で反対しているのか?

 調べたら、いやはや、驚いた。

 「植物に脳はないが、生きている」、「脳の死をもって人間の死とみなすのは、デカルトの心身二元論に基づくもの」、そして結論は、「一神教は誤っている。我が日本の古代からの信仰、アニミズムを復活せよ」となる。

 要するに、すべての生物には、その生存を維持するまだ人類にはよくわからない「生命の秘密」が隠れているのであって、軽々に脳死をもって死と認めるべきではない、というのだ。

 もちろん、人類はまだ「生命の秘密」のすべてを解きあかしたわけではないけれど、わかったことが一つある。それは、「生命の秘密」なんてものはない、ということだ。アインシュタインが言ったように、「理解可能であるということが、もっとも理解し難いこと」なのだ。(アインシュタインは宇宙について言ったのだが、宇宙を「生命」に言い換えても同じことだ……と思う)

 そもそも、脳死状態の人と、肝臓が機能停止してしまった人がいたとして、脳死状態の人から肝臓を取り出して、肝臓が機能停止してしまった人に移植することは可能だが(それが臓器移植なんだから)、では、逆に肝臓が機能停止したが、脳死状態ではない人から健康(?)な脳を取り出して脳死状態の人に移植できるかというと、それはできない。もし移植に成功したら、別の人になってしまうからだ。

 この話は、哲学者の永井俊哉のブログを参照したものだが、永井氏によると、「脳にその人の人格が集約されているので、脳の死をもって人の死とすることが諸国で認められている」のだそうだ。

 それはともかくとして、もし、梅原氏の意見が正しくて、人間の生命の尊厳を犯す臓器移植を禁止すべきなら、国外で臓器移植手術を受けることも、当然、人間の生命の尊厳を犯す行為として禁止しなければならない。それが、反対者として当然の義務と思われるが、梅原自身はどう考えているのだろう。

 サッカーのヨーロッパ選手権が異常な面白さ。準決勝がロシア×スペイン、ドイツ×トルコなんて、なんだか、第一次大戦みたいだ。

夢の中

2008-06-20 16:42:20 | Weblog
 ミクシーで「出番ですよ」と言われちゃったけれど、実は、宮崎勤事件は、もし犯人が女性だったら別だけど、正直言ってあまり関心がないのだ。オウム事件も同じ。吉本隆明は、戦後最大の事件と言っているが、私にはたんなるコメディとしか思えない。

 もちろん両者とも立派な(?)犯罪だけれど、宮崎の死刑については、若干の違和感が残る。というのは、宮崎の犯罪は、彼自身がそう言っているように、朦朧とした「夢の中」でおこなわれた感じがずっと持続していて、絞首台で首をしめたと言われても、それもまた「夢の中」みたいな感じがつきまとう。

 ということは、宮崎の少女に対する思いを吐露した様々な言葉が、依然、私に影響力をもっているということだろう。「可愛くて殺した」、という言葉がもろに信じられてしまうくらい、宮崎はなかなかの表現者だったということかもしれない。

 それにくらべると、佐川一政のルネに対する態度は、「殺さずに食べることができたら一番よかった」とか、ブラックユーモアといえばそうなんだが、ルネ個人に対する愛情のまったく感じられない、まったくもって酷いもので、今でも本当にルネを可哀想に思う。

 てことは、宮崎に殺された四人の少女は……んー、難しいところだが、宮崎の心の中でずっと生き続けてきたことは本当だろう。死刑執行に対する「違和感」は、そのせいかもしれない。妄想の中で生き続けた四人の少女も、妄想主の死刑執行で真に消えてしまったような感じがするのだ。

 しかし、マスコミ的には、「四人の少女も生きていたら今頃、30歳。きっと素敵なママになっていたでしょう」、とか、まあ、実際にそんな文句は、まだ聞いていないけれど……しかし、宮崎は、自分の好みの女の子が、そんな「大人の女性」になってしまうことが許せなかったわけで……。

 新宿通りで、どこかの組織が、宣伝カーで派遣社員問題をうったえている。

 秋葉原事件をきっかけに、派遣社員の給料ピンはね率があちこちで問題になっているが、ひどいという「話」ばかりで、実態がわからない。

 大手派遣会社の中には創業2、3年くらいで自社ビルを建てたところがあるそうで、もし、それが本当だったら、その会社は噂通りに、契約相手からの入金の5割近くを自分の懐におさめていたのだろう。さもなければ、2、3年で自社ビルは無理だ。

 だったら、ピンはね率を諸外国なみの一割くらいに制限すればいいと思うのだが、ところが国はそれをせずに、派遣業そのものを廃止しようとしているみたいだ。一時的な需要は、以前のように、会社自身がアルバイトとして雇うようにせよというのだが、だとしたら、派遣業の悪質な「ピンハネ」は、行政として対応不可能ということか? それはないと思うが……。

 私は小泉改革を全面的に支持するわけではないけれど、小泉政権末期以降、守旧派官僚たちが、意図的なサボタージュでそれを骨抜きにしようとしているように感じる。

人工透析の研究

2008-06-19 16:29:04 | Weblog
 TBSラジオ、「アクセス」の最後に、麻木久仁子が「明日は渡辺万里さんです」とアナウンスしていた。ということは、要するに、渡辺万里と麻木久仁子のダブルキャスティングなのだ。

 私に言わせれば、どっちも同じで、どっちも嫌だ。まったくなんて、酷い組み合わせだと思うが、プロデューサーの好みなんだろう。

 人工透析についてウェブで調べてみた。

 日本の人工透析を受けている人数は、1996年で17万人。2004年で25万人。平均して一週間三、四回、四時間透析を受けるが、それでも、10年後の生存率は42%。五割を切っている。糖尿病が原因で透析を受けている場合は、生存率はさらに下がるらしい。

 この生存率は、一回の透析時間の長さに比例するようで、一回八時間にすれば、10年後の生存率は85%にはねあがるのだそうだ。(フランスの実験結果による)

 かかる費用は、一ヶ月に40万円から100万円が相場らしいが、価格がなかなか下がらない理由は、透析膜を一回使うごとに廃棄しているかららしい。そんなに透析膜って高価なのか! それで諸外国には、透析膜を再生して使っているところもあるらしいが、危険だということで日本ではおこなわれていないらしい。

 じゃあ、透析膜とやらはいったいいくらぐらいなのだろう。透析を一週間に三回受けたとして、月に十二回。かかった費用を40万とすると、40万割る12で、三万三千円。

 もちろん、人件費は捨象、機械本体の価格も減価償却済みということでゼロと見積もったので、透析膜そのものの値段は二万円くらいか……。(しかし、高性能フィルターは最近あちこちで見かけるし、一枚二万円もするフィルターなんて、ちょっと考えにくいが……)

 ところで、透析時間を増やせば、確実に生存率が上がるのに、四時間で止めているのは何故だろう。

 ほとんど週の半分を八時間づつ透析に使うのでは、受けるほうもたまったものではないが、しかし、生存率が倍になるとわかっていたら、我慢して、「八時間やってください」ということになるだろうが、それだと保険がもたないということなのだろう。

 というわけで、肝心の人工透析にあてられる保険の問題だが、法律で窓口負担金額の上限が決められているそうで、患者の窓口負担は一万円だそうだ。仮に週四回だと、月に十六回、一回に払う金額は……625円! 安い! もちろん、足りない分は保険から支払われる。

 というわけで、今の健康保険制度について、最近は「少子高齢化でもたない」と言われることが多いが、それよりも、この人工透析をはじめとする「高額治療」が一般化してきたせいではないのか。

 実際、数年前までは、マスコミ自身、そう言っていたはずだ。マスコミは自分の頭で考え、記事を書くということをしていないから、数年前に自分の書いたことをケロリと忘れてしまい、官僚の意図的誘導に簡単に洗脳されてしまうのだ。お前はニワトリか、と言いたい。(ニワトリを差別するな、か?)

 というわけで、問題は、要するに、高額治療を所得の差を問わず平等に受けることができるようにするか、それとも、高額治療はそれなりの代金を払える人でなければ受けられないが、低額の治療は基本的に無料で受けられるようにするか。この二つのどちらを制度設計の際に採用するかということなのだと思う。

 もちろん、日本の場合は前者だが、その場合、かなり高額の健康保険料を、治療を受けようが受けまいが、払わなければならない。しかし、近年の先端医療の進化で、それですら間に合わなくなってしまったので、(財務省の提案で)問題を「少子高齢化」問題に絡めて、あたかも、「新しい問題」が発生したと思わせるようにした、というのが実情ではないか。

 ちなみに、窓口負担率は、日本では平均20%弱だが、イギリスは2%、スェーデン3%、ドイツ6%、フランスは少し高いが、それでも12%弱。もちろん、イギリスもスェーデンもドイツもフランスも消費税が高いが、日本では健康保険料金そのものがメチャクチャ高くて、しかも窓口負担が20%とはどうなってるの!と言いたいところだが、それはまた後で。

西川口市問題

2008-06-18 21:53:58 | Weblog
 去年からとりかかっている写真集の編集がほぼ終わりに近づいたのだが、最後に「撮影データ」を書こうと思って、自分が今住んでいる西川口の地名を入力しようとしたのだが、正式名称がわからない。

 どういうことかというと、要するに、「西川口市」という行政区があるのか否かということだ。たしかに西川口という町名はあるのだ。駅名も「西川口」だ。では、そこは、川口市の西川口なのか、西川口市の西川口なのか?

 「西川口市」でググったら、たくさん出てきた。てことは「西川口市」という行政区があるのだろう。…と思ったのだが、念のため、「西川口市市長」でググったら、そんな人はいない。

 そこで、もう一度「西川口市」でググった結果を見てみたら、みんな、一般名称風に、気軽に「西川口」の後ろに「市」をつけている。「西川口市の歓楽街が取り締まりで全滅した。水清くして魚住まずだ云々」といった具合。(西川口は、少し前まで有名な歓楽街だったらしい。引っ越してきたのはそれが壊滅した後だったので、全然知らなかった)

 いったい、本当のところはどっちなんだ? というわけで、公共料金の請求書を調べたら,「市」の名前がない。郵便番号の後に、町の名前(「並木」というのだが)がいきなり書かれているのだ。郵便番号が七桁になった時,役人が、「こんなに便利になりましたよ」と、喧伝するため、率先垂範で、「市」の名前を省いたのだ。

 まったくもー…。

 TBSラジオの「アクセス」という番組を、プロ野球中継の流れでなんとなく聞く。

 仕切り役の女性アナウンサーが滔々と喋っているが、これが麻木久仁子か、渡辺真理か、どちらなのかわからない。もちろん、絵で見ればわかるのだが、声を聞くとそっくりだ。雰囲気が似ている。多分麻木だろうと思うけど…。ちなみに、二人とも、私は好きでない。特にラジオだと際立つのだが、仕切り方が、慇懃無礼という感じがするのだ。勝手に「滔々」と話を進める。相手の話を聞いているみたいで聞いていないようで,聞いていないみたいで聞いているようで…聞いているようで…こんちくしょーと思う。

 それはともかく、当夜のコメンテイターは、評論家の宮崎哲哉だったのだが、彼が、小麦粉価格について、「国内の小麦農家保護のために、輸入小麦価格に税金をかけて、国産農家の小麦価格にまで引き上げているのだが、その輸入価格は、昨年来の小麦高騰でもまだ全然国内農家より安い。ところが、政府は輸入価格が3割上がったから、国内流通価格を3割上げるという。何でだ? 上乗せ分を削ればいいではないか。なんで、しないのか、私はわからない」と喋っていた。

 遅いなー。私は、数ヶ月前から書いているぞ。

 でも、気がつかないよりいい。ぜひ、テレビでも「疑問」を表明してほしい。

 さて、「西川口市」問題だが,他の公共料金の請求書に載っていた。それには、「川口市並木…」となっていた。「西川口市」なんてものはないのだった。じゃんじゃん。

修学旅行積立金はなぜ高い?

2008-06-17 20:54:31 | Weblog
 ゴルフ全米オープンの死闘にしびれてふらふらだ。(寝不足で)

 ゴルフなんてもちろんやったことなどないけれど、プレイオフが18ホールの長丁場で、それを見せてしまうのがすごい。さすがタイガー・ウッズと思うが、対戦相手がミーディエイトとかいう無名のおっさんゴルファーなんだが、それが「役不足」…じゃない、「力不足」かな? いや、なんか変だな…「役不足」でいいのかな?…やっぱりそうじゃないか…を感じさせない大健闘。たぶん、ミーディエイト一世一代の大がんばりということなのだろうが、それをさせてしまうところが、アメリカのエンターティメント産業の底力か。(ちなみに、プレイオフは18ホールでも決着がつかず、サドンデスにもつれこんで1ホール目でウッズが勝った)

 今田勇二は予選をぎりぎりで通過ながら、その後成績を上げて、18位で終了。やっぱり実力は世界トップクラスだ。

 それはともかく、日本だったら、18ホールのプレイオフを仮に実行したところで,それに耐えるタレントがいない。

 いや,その前に、お客さんを興奮させてなんぼの商売だ、ということの自覚が、特に経営者にない。プロ野球のセパ対抗戦なんか、2試合戦ったらもう移動日だ。お客さんをおいてきぼりの、悠々マイペース。だから、翌朝,新聞を開いて、「あ、昨日試合があったんだ」と気がつく始末だ。

 それはともかく、今朝の産經新聞に、中学生の子供を持つ女性の,修学旅行の積立金が高い、普通の旅行代理店のパックツアーより高いのはどうしてなのだろう云々という投稿が載っていた。ただし、肝心の積立金の金額が載っていないので,ネットで調べたところ、「世界一周」の修学旅行を実施している学校があるんだそうで、そこは毎月2万円だった。まあ、「世界一周」ではね。毎月2万円でも安いかもしれない。

 もちろん、「世界一周」は、さすがに極端な例で、普通はどれくらいなのだろうと思って調べたがが,はっきりとはわからなかった。でも、大体5000円くらいのようだ。『百識』の「給食特集」で、給食費が(これは「積み立て式」ではないと思うが…いや、「給食費を着服」なんて話を時々聞くし、実際のところはよくわからない)全国平均で月6000円くらいだったから、この二つで軽く月に1万円は突破する。

 しかし、そもそもなんで「積み立て」なければならないのだろう。学校によっては、一括納入も可となっていたので、「積み立て」でなければならない理由はないようだ。昔からの習慣なんだろう。

 健康保険も同じだ。そもそも保険制度というものは、自分で払って自分で受け取るのが原則だ。ただし,その場合は、負担できる掛け金に応じて、受けられる医療の程度も決まってくる。その点を見るならば,たしかに、いざという時に備えて,みんなで医療費を出し合って積み立てておけば、貧乏人でも高額の治療を受けることができる。しかし、積み立て式の健康保険制度の利点はこれぐらいだ。というか、この「利点」が仇となって、医療それ自体が、人工透析を代表とする「高額治療」に偏ってしまった。

 実際、毎月の負担金が同じならできるだけ高い治療を受けたいと思うのが人情だからだ。高ければ高い薬ほど,よくきくと思ってしまうのは、自然なことだ。

 ……ということなのだろう。

人工透析は何故高い?

2008-06-16 18:15:30 | Weblog
 後期高齢者保険制度について、厚生省のHPでしらべたが、こういうことであるらしい。

 1、まず、患者の窓口負担として、 医療費の1割(現役並み所得者は3割)を払う。(現行の老人医療と同じ)

 2、その他に、「保険制度運営の財源」として保険料を支払うが、これが従来は、税金で、5割分、現役世代からの支援として4割分、被保険者、つまり後期高齢者が負担する保険料として1割分払う

  問題になっているのは、従来、高齢者の負担は、窓口負担の1割以外、原則的になかったものを、保険料負担を創設したところにあるらしい。

 しかし、「保険制度運営の財源」、というのは何だ? HPの説明図版を見る限り、窓口負担分として病院に支払った金も、「保険制度運営の財源」に組み込まれ――ということは、いったん社会保険庁にプールされ、そのなかから、各医療機関に支払われているようだが、窓口負担だけで保険制度は運営できないのだろうか?

 たとえば、治療代が10万円だったとすると、患者が後期高齢者だったら、1割の1万円、国民保険だったら3割の3万円を患者に直接請求し、残りの9万円、7万円は国に請求する。厚生年金の仕組みはよく知らないのだが、患者以外に、国と企業にあて請求書をだすということになるのだろう。

 もちろん、基本デザインに過ぎないが、これでなんでいけないだろう?(社会保険庁がいらなくなってしまいますから、ってか?)

 多分、日本医師会などは、窓口負担で原則統一してしまうと、金のかかる高度治療は金持ちだけが受けることができることになると言って反対するのだろうが……正直言って、それはある程度しょうがないのでは、と思う。

 たとえば、治療費のかかる医療というと、人工透析が必須の糖尿病治療なんかが代表的なものだろうけれど、その95%は生活習慣に起因するもので、昔ながらの言い方をすれば、「贅沢病」なわけで(先日、テレビに出ていた医事評論家は、ちょっとくちごもりながら、「まあ、そうですね」と、糖尿病が「贅沢病」であることを肯定していた)……ものの本によると、人工透析には月50万から140万円くらいかかるのだそうで、3割負担だったら、月15万から40万くらいかかることになるが……贅沢病だからねえ……因果応報というか……私はあまり同情しないのよ。

 しかし、糖尿病患者がこれだけ増えたなら、市場原理が働けば、人工透析の費用も安くなると思うの。そもそも、今使われている人工透析器械の大半は、減価償却は済んでいるはずだ。それでも費用が安くならないということは、医療現場には基本的に「市場原理」が働いていないのだ。日本の健康保険制度の原型は、九州地方で行われていた「頼母子講」のような相互援助システムの発展形だそうだが(ウィキにそう書いてあった)、いずれにせよ、官僚の考えることは、必ず,市場原理は排除する形になるのだろう。

 追伸 改めて調べたら、日本の健康保険制度の原型は、福岡、宗像地区に伝統的に伝えられていた「定札」制度だそうだ。

 定札とは、地域の住人が、病気にかかってもかからなくても一定のお米を持ち寄って、それを医者に渡しておき、いざ病にかかったら、心置きなく、無料、あるいは小額で治療を受けることができるという制度だそうだ。(やっぱり、無尽、もしくは頼母子講と精神は同じだ。)

 まあ,皆が顔見知りの小さな地域に生まれ、そこで死ぬような昔の社会のあり方だったら、機能すると思うけれど(相互監視制度がもとにあるわけで、嫌といえば、これほど嫌なものはない。払わなければ村八分なんだろう)、流動化が進んだ現在、1億人をこの制度で包括するのはちょっと無理があると思う。というか、医者にかかってもかからなくても,おとなしく払っている人がかなりの人数に達する現状のほうが、不思議だ。

 いずれにせよ、日本の健康保険制度が、日本独特のものであることは、今,初めて知った。勉強勉強!

チャチャッチャチャララ~♪

2008-06-15 20:22:36 | Weblog
 スポーツニュースで、北島選手が、どこかに移動中の車内でおこなわれたインタビューで、「スピード社の水着が、まさか、あんなに早いとは思わなかった……」と、語っていたが、どこか歯切れが悪いように感じたのは気のせいだろうか。

 後期高齢者医療保険制度について、NHKの討論番組で、自民党の伊吹幹事長が、「御高齢になると、どうしても病気がちになり、医療費がかかります。そしてそのような御高齢の方がこれからどんどん増えてくるから、若い人たちだけで支えることはできない。だから、75歳以上の方を別会計としたのです」と説明していたようだが、わけがわからない。

 75歳以上の世代の医療費が過大になるのなら、その超過分は全世代で薄く広く負担するしかないのではないか。「別枠」にするのではなく。

 実際、後期高齢者保険制度を財政的に支えるのは、後期高齢者本人はほんの少しで、大部分は税による補填と、75歳以前の、つまり、医療費をそんなに使わない若い世代の納めた保険料でまかなうことにしているのだから、なんで、これを「別会計」にする必要があるのだろう?

 というか、これを「別会計」と呼ぶ理屈が、どうにもわからない。

 「別会計」と言えば、今、日本の予算は約80兆円だが、別会計(いわゆる特別会計)として140兆円が確保されている。これは財務省が公式に認めているのだが、その他に、年金の積立金が160兆円ある(ツゴイ)。ただし、この積立金は、将来の支払いにあてられるので、今、手をつけることはできない。というのが財務省の言い分で、民主党などの野党もそれは認めているようだが、なんで手をつけてはいけないのか? というより、なんで、一国の政府が、「将来のために溜めておく」必要があるのか? これが、さっぱりわからない。年金にしろ健康保険にしろ、集めたお金はその都度、支払いに当てればいいのではないか? なんで、「溜めておいた金」から払わなければならないのか?

 私が思うに、少し前、福田がアフリカのインフラ整備のために1兆円を支出すると、アフリカ諸国に約束したが、このような「政策的支出」にも、「溜めておいた金」があてられるのだろう。

 別に、「アフリカ支援政策」がよくないというのではないが、実質的には、特別会計を握る財務省の政策だというところに注目すべきだ。財務省の高級官僚がすべてを決めているのだ。

 財務省官僚「どうです、アフリカ支援を福田政権浮上のきっかにしたら?」
 福田「え? お金出してくれんの?」
 財務省官僚「いいっすよ」

 「もちつもたれつ」どころではない。……たぶん。

 いや、「たぶん」ではなく、財務省の高級官僚は、短期的視点に立たざるを得ない政治家がおこなうより、自分達が差配したほうが、よい政策を打ち出せると、信じているにちがいない。(後期高齢者保険制度の「別会計」も同じような発想で、高齢者への医療から発生する多額の必要額を本予算の「赤字」から外す目的がある……わからないが、そんな気もする)

 新宿通りの歩行者天国で、地下鉄副都心線開通記念の無料ジャズコンサートをおこなっていた。通りを3、40メートルくらい、フェンスで区切り、そのなかにベンチを並べ、5、60代の男性中心の観客がずらりと座っている。

 通行人は両脇の歩道を歩く形になり、立ち止まるとスピーカーで注意される。一方では、白髪頭の団塊の世代が悠々と御鑑賞。

 彼らの責任ではないかもしれないが、なんのこっちゃである。加藤の怒りがわからないでもない、なんて言うと誤解を招くが、別にベンチなんか並べなくても、スタンディングでいいじゃないか。まして、ホコ天なんだし、と思う。

 演奏がはじまった。第1曲目は、「キャラバン」。つまんねー。2曲目は女性ボーカルで、たぶん、「マイ・ロマンス」。お祭りなのになんでしっとりした曲を選ぶか。どうせ主催者は団塊の世代なんだろうから、団塊世代のお祭りナンバー、「ラ・フィエスタ」でもド派手にやってくれればいいのに。

 チャッチャッチャッチャチャチャッチャチャララ~♪