パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

テポドンと火病

2006-07-31 18:49:45 | Weblog
 北朝鮮のサッカー選手が、今回は女子だが、またまた大暴れ。事情通らしきコメンテーターが、「北朝鮮では試合に負けて帰ると厳しい処分が待っているので、そのプレッシャーでああなってしまうのだ」、みたいに解説していたが、何を言っちょるか! 彼らが母国に帰ってからどうなるか知らないが、いずれにせよ、そんなことは関係ない。解決のつけようがないと思われる時、発病する朝鮮人特有の疾患、「火病(ファビョン)」とはあのことだ。火病を知らずして挑戦を語るなかれだ。
 暴行を受けた審判は、「本当に殺されるかと思った」と話していたが、それはない。何故なら、そもそも相手を殺すことができるくらいなら「火病」なんか起こさないからだ。それができないから、ああなっちゃうので、では最後はどう収まりがつくかと言うと、泡吹いて気を失っておしまいである。「火病」の観察記録によると、特に症状の激しいのは中年女性で、そのまま死んじゃうのではないかと思えるような激しさであると書かれていたが、そこにもある通り、不満を抱いている相手を殺すとか、そういう方向には行かないのだ。外見とは裏腹に、内向的な感情なのだ。逆に言うと、だからこそ火病を起こすのである。
 北朝鮮のミサイル発射騒ぎは、まさにこれと同じで、北朝鮮という国が火病を起こしているのであり、したがって――もしかしたら心配している人がいるかも知れないので、この際、はっきり言うが――北のミサイルが日本に飛んでくるおそれは百%ないと断言する。今回、対アメリカが念頭にあったという長距離ミサイル、テポドン2がわずかの距離を飛んで落っこちてしまったそうだが、あれは、テポドンが火病を起こしたのである、なんちゃって。

 あ、大事なことを書き忘れ。
 昨日の日曜日、「サンデーモーニング」を見ていたら、田原が香港の討論テレビ番組に出演して靖国問題について話している録画を流していた。こんなやつが日本の代表的マスコミ知識人であると思われるのはまことに恥ずかしいことで、なんとかしてほしいと思うが、それはさておき、「最近の中国人は以前ほど独善的ではなくなり、国際世論を気にするようになった」証拠として、番組に視聴者から寄せられた意見を紹介していたが、それは、「かつて我が国はジンギスカンがヨーロッパに侵入して多数の人を殺した歴史があるので云々」というものだった。つまり、中国人は反省もするようになったと、田原は言うのだが、おいおい、ジンギスカンはモンゴル人だろうに。もちろん、後で「元」という中国風の国号を持つ国となり、ジンギスカンも元祖だか太祖だかの諡名をもらったが、モンゴル人による征服王朝だったことに変わりはない。中華民国建設のスローガンは「滅清(満州族)興漢」だったんだし、そんなことを当の中国人が知らないはずがない。ところが、そのモンゴル人、ジンギスカンを、しらっと「中国人」のように言う。これが「中華思想」というやつなんだろうが、朝青龍が怒って殴り込むぞ。
 でも、田原は言うんだろうな、「んなーこた、たいしたこじゃとないっ!」って。

コブラ落札

2006-07-30 23:24:04 | Weblog
 思い出したぞ! 弁当屋の名前。「初音(はつね)」というんだ。典雅ないい名前じゃねえか。

 ところで、バンザーイ! ヤフオクでパナソニックのCDラジカセ、通称「コブラ」を713円で落札成功!
 昨日書いた通り、携帯CDプレイヤーが壊れてしまったのだが、もともと、イヤホンで聞くのが、耳の穴が小さいのか、苦手なのだ。それで、CDを聞く時は、フリーマーケットで、でかいので持って帰るのが大変だからということでただでもらったCDラジカセで聞いていたのだが、「ただ」の割には音がいい。クラシックだって全然平気。しかし、ちゃんとしたアンプを備えたオーディオシステムと聞き比べたわけではないし、そもそも、そんな高価なシステムの音を聞いたことがないから、自信をもって「いい音だ!」と判断していたわけではない。ただ、なんとなく、満足していたのだが、それも半年ほど前に寿命がきたのか、駄目になってしまった。
 それで、安いCDラジカセでも買おうかと思ったが、安いのだったらヤフオクでと思って調べるうち、「本当に音のいいラジカセは何?」という2ch風のスレの過去ログを見つけ、そこに、十数年前、つまりバブル期に作られたCDラジカセは、今時の安物ラジカセは言うに及ばず、生半可なステレオコンポなんかとは比べ物にならないくらい音が良く、特定のマニアもついているというのだ。
 なるほど、フリマでもらったCDラジカセが音が良いと思っていたが、それは実際音が良いのだ……なんか、変な言葉づかいになったが……ともかく、それで再度ヤフオクに戻って調べたら、たしかに、そのスレッドで話題になっていた機種は、完動品なら、それなりの――だいたい一万円前後の値段がついている。ただし、「CDを時々読み込まなくなります」といった断わり書きなんかがあると、当然だが、値段はつかない。あと数時間といった時点で、500円だったりするが、特定のファンがいるなら1000円くらいには行くだろう。でも、1000円ならと思ったが、しかし、「時々だめです」はちと不安だ。そこで、マニアに評判の機種ではなくても、バブル期のどでかい製品ならまあ、それなりに聞けるに違いないと思ったが、それでも完動品なら3000円くらいにはなりそうな雰囲気だ。
 さてどうするか、と思いながら、ヤフオクのジャンルを「ラジカセ」から、「アンプ一般」に変えて調べたら、やったね! 前出ログで名前の出ていたパナソニックコブラが、500円で出品されていて、しかもあと3時間の時点で誰も入札していない。きっとマニアたちに知られていないのだろう。もっとも、二つあるテープの一つが動かないと書かれていたので「完動品」ではないが、テープでダビングしない限り、二つは必要無いし、よし、これで行こう!と決意、締めきり5分前に500円で入札したら、最高額に達していない。ちょっと焦ったが、10円単位で入札したら、530円で最高額となった。よしよしと思いつつ見守っていたら、「最高額入札者」の表示が消えた。もっと高く入札した奴がいるのだ。それでいろいろやりとりした結果、713円で最高額入札者のお札を貰った。
 この時点で時間は残すところ、あと3分。3分の間に、奪われてしまう恐れは十分ある、と落ち着かない気分だったが、ふと気がついた。
 ヤフーオークションは自動入札システムなので、「最高額」の表示は、その時点での二番目の値段がつくのだ。ということは、私は今、713円で購入権利を持っているわけだが、仮に800円という数字を入れても、810円以上の値をつける人が他にいない限り、「713円」という金額は変わらないはずだ。
 そこで、ためしに800円と数字を入れてみたら、最高額713円の表示はそのままになっている。なるほど。自動入札のコツがわかったぞと思ったが、もし、今競っている相手がマニアか、あるいは、マニアの情報を知っていて、コブラに応札していたとしたら800円以上の値段をつけてくる可能性がある。もし、たとえば、あと10秒の時点でこれをやられたらどうなるか。1000円でも買うつもりはあるが、しかし、数字、パスワードを入力し、送信手続をとっている間に制限時間オーバーになる可能性がある。
 ということで、800円でも安心できなくなり、「買うつもり」のある1000円を再度入力した。これできっと大丈夫だ。何故なら、競っている相手は、入力しても入力しても、1000円を越えない限り、落札権が得られない。多分、そこまでは競らないだろうし、競ろうと思っても、残りン十秒の時点では、もはや物理的に無理だ。
 ということで、一安心して、画面の残り時間を見る。
 あと20秒……15秒……10秒……5秒、4、3、2、1……じゃーん、「おめでとう、あなたが落札者です」とメッセージが表示された。

 さあ、あとは実物の到着を待つばかりじゃ!

 あ、ねんざはかなり具合良くなりました。昨日は値段をパソコンで調べたりしていたのだが……幸い、その必要はなくなった。でも、ちょっと使ってみたかった。なんか、カッコいくない? 松葉杖って。

死ね、じじい!(私以外)

2006-07-29 14:33:18 | Weblog
 「好事魔多し」というけれど、別に好事がなくても、魔は起こる。
 昨日、ちょっとしたはずみで左足の甲をひねってしまった。最初は、大したことはないだろうと思っていたが、そのうち痛みが増し、やがてまったく歩けなくなってしまった。特に、左足のつま先を上げて歩いていたせいで、左足の臑が突っ張ってしまって、七転八倒。イテテイテテイテテ……と、バナナボートソングを独唱する羽目になってしまった。
 そのうえ、痛みを癒そうと、水で濡らしたTシャツで患部をぐるぐる巻きしてモーツァルトをCDプレイヤーで聞いていたところ、Tシャツから水の雫が一滴二滴、プレイヤーの蓋の上に落ちてしまった。あ、まずい、と思ったが、ほんの少しだし、蓋の上だから大丈夫だろうと思っていた。実際、その時はちゃんと聞くことが出来ていたし。ところが、これまた時間が経つに従い、動作がおかしくなって、最後には、まったく動かなくなってしまった。水を落とす前から、少しおかしかったので、水のせいではないと思うが……。それにしても、モーツァルトのバイオリン協奏曲第五番イ長調ケッヘル219はすごい。アバンギャルドな自由さが、ほとんど「狂」にいたっているというか。また聞きたいよ~と思ったが、聞けない。

 それだけじゃない。
 痛い足を引きずりながら、デリカテッセンのお弁当を買いにいったのだが、二種類しか残っていない。一つは豆腐ハンバーグ、もう一つはひき肉とピーマンのチンジャオロースだ。どちらにしようかと覗き込んで手にとったら、奥から六十をかなり過ぎていると思われるじじいが出てきて、「あんた、何をしてるんだ!」と怒鳴り付ける。え?と思ったが、「弁当を買いに来たんですよ」と言うと、「弁当はないよ」という。びっくりして、「だってあるじゃないの」と目の前の弁当を指差したが、何も答えずにくるりと背を向け、店の奥に引っ込んで何やら伝票に書き込みはじめた。「この弁当は売り物じゃないの?」と奥に向かって声をかけたが、依然、知らんぷりである。
 営業時間を過ぎているからかと思って、「この店は何時までやってるの?」と聞くと、「何かないの?」と聞こえたらしく、「ないない、何もないよ」と言う。「そうじゃないよ、何時までやってるの、と聞いたんだ」と言うと、「3時まで」と答える。今、3時半だ。ふーんと思いつつ、営業時間の問題じゃない、目の前に商品があるのに売らない、というか、「ない」という言い草が問題なんだと腹に据えかねながら、外に出てウィンドウを改めて見ると、営業時観は、午前10時から5時までとなっている。
 足が痛くてろくすっぽ動けないので、やむをえず、そのまま店を出たが、十数メートル歩いたところで、「売り物じゃないんだったら、引っ込めておけ!」と、弁当をじじいに投げ付けに戻ろうかと思った。本当にそう思ったのだが、十数メートル歩くのも非常にしんどい。ちくしょーと思いつつ、結局そのまま歩いた先にあった壱番屋で野菜カレーを食したのだが、一体、何者なのだ、あのじじいは。口振りから見て、経営者なのかもしれない。JR御徒町駅から秋葉原方面に徒歩2、3分の高架下にあるデリカテッセンで、屋号はなんていったか、いったん忘れてしまって、さっき思い出したのだが、また忘れてしまった。思い出したら、書き込みます。

 そんなわけで、よく、「若い者は礼儀知らずで、接客態度もなっていない」、「人生経験豊かなリタイアした老人なら安心だ」とか言うけれど、私の経験した限り、若い連中に嫌な思いをさせられたことはない。(理屈っぽいお宅店員に辟易したことはあるが)チェーンをずらずらぶら下げた、モヒカン刈りのお兄ちゃんたちに部屋を貸したこともあるが、まったく気持ちのいい連中だった。
 逆に、中年以上、特にじじいには何度、心底イヤな思いをさせられたか! オートバイで走っていてガス欠させてしまい、自転車屋に飛び込んで、ガソリンをコップ一杯でいいから売ってくれ、と頼んだら、じじいが出てきて、目の前にガソリンタンクがあるにも関わらず、「うちはガソリン屋じゃないから売れないよ」と言われたこともある。「近くにガソリンスタンドがある」と言うのだが、それは知っている。でも、七、八百メートル離れている。やむをえず、炎天下、重いナナハンのバイク(200キロはある)を押してガソリンスタンドまで行ったが(そのガソリンスタンドは廃業になったが、別に新しい店が出来たわけでもなく、今もそのままだ。野口記念館の真ん前で、ものすごくいい場所なのだが……。前を通るたび、あの夏の日のイヤな思い出が蘇る。くそ! 死ねじじい!)、自転車屋だが小型バイクも売っていて、バイクに関しては半ば専門家なのだから、炎天下ナナハンバイクを押して歩くのがいかに大変かわかっているだろうに。

 自分がじじいの年齢にさしかかってみて、はじめて何となくわかったのだが、儒教的社会の名残りで、世間が老人を甘やかしているのだ。そのため、独善的で、横柄になる。朝鮮や中国のような本格的儒教社会では、老人であることは万能であることを意味するが、その分、「徳」が要求される。それが、「大人(たいじん)」ということなのだろうが、日本は「儒教の理」を徹底的に追い詰めて成り立っている社会ではないので、「徳」ではなく「独善、横柄」ばかりが目立つということになるのだろう。
 しかし、団塊の世代はもうそろそろ老人になるが、彼らの場合はどうなるだろう。私も彼らの仲間みたいなものだが、注目してみたい。

「週刊朝日」を買ったら……

2006-07-27 23:05:32 | Weblog
 「週刊朝日」の表紙に、でかでかと黒く太いゴシックで「天皇も不快な靖国参拝」と書かれていたのを見て、朝日に金をやるのは悔しいが、買ってみた。
 しかし、買ってびっくり、「天皇も不快な靖国参拝」に該当する記事はない。というか、あるにはあるが、エロ托が「靖国問題は総裁選挙の争点になりますよ」と「太鼓判を押した」とか、そんなインタビューと、あと、例によって加藤紘一が、「森が福田の出馬を断念させた。残念だ」と、靖国問題を争点にしたい思いだけの記事。ゴシックの「天皇も不快な……」は、ほとんど気に入らないアイドルタレントのポスターに書き込んだ髭と同じ。いっそ、小泉の顔写真に悪戯書きして表紙にすればいいのに。

 近所に安くて旨くて、量もそこそこの飯屋はないかと自転車で捜しまわったが見つからない。カレーの「壱番館」とか、牛丼の「松屋」などのチェーン店ばかり。「壱番館」の夏野菜カレーは結構うまいが、ちょっと高い。あと、トンカツ屋が少なくなったような気がする。

 などなどだが、今日、デリカテッセンのお弁当を買ったら、安くて(500円)うまかった。あと、サンクスの塩味のトンカツ弁当はうまい! 肉も厚くて柔らかいし、正直言って、コンビニのお弁当は、そんじょそこらの専門店よりうまい。でも、弁当を買って冷房のない部屋で食べるのは、毎日はちょっと、である。サービスのお茶を飲みながら、ゆっくり冷房のきいたところで食べたい、と思うのだが、贅沢かな?

 

御帰宅下さいませ

2006-07-25 17:19:52 | Weblog
 天皇に謝られてトウ小平が真っ青になったという話は、元毎日新聞の論説委員、岩見隆夫の『陛下の御発言』という本に出ていたものだけれど、さっき読み返してみたら、「真っ青」ではなく、「電気にかけられたようになった」だった。これだけだったら、さして違いはないけれど、岩見氏は、何故トウ小平が「電気にかけられた」ようになったかという問題にはまったく触れず、むしろ、この「事件」をきっかけにトウ小平が昭和天皇を信頼するようになったかのように書いていた。だとしたら、トウ小平の「電気にかけられたような絶句」は、昭和天皇の誠実な謝罪に感激した結果ということになるが、それはないんじゃないかなと私は思う。
 いずれにせよ、私の書き込みは、原著者である岩見氏のそれとは大分ちがっていたわけだが、それは、天皇の謝罪に、何故トウ小平が「電気にかけられた」ようなショックを受けたかという、肝心カナメな疑問を岩見氏がスルーというか、その存在自体に気がついていないため、読者である私が想像で補う羽目になったのだ。

 新事務所の近所にメイド喫茶があるのだが、その入り口に、「どうぞ御帰宅下さいませ」という貼り紙が。一瞬、本当にめまいがした。

ボタン外すぞ

2006-07-24 17:37:00 | Weblog
 極楽トンボ(山本、好きだったんだけどなあ)スキャンダルでテレビのレポーターに、「(四日で)責任は済んだと思うのか」と聞かれた欽ちゃん、「おい、つまんないこと聞くなよ。シャツの第一ボタンはずしちゃうよ」と答えていたが、「第一ボタンを外す」とは、どういう意味だろう。多分、なりふり構わず(=ボタン外して)、ケンカでもなんでもするぞ、という意味だろうが、だとしたら、よくぞ言った、欽ちゃん。「四日で責任云々」は、おそらく上司の指示によるものだろうが、テレビのインタビューのくだらなさは目にあまる。
 その「怒りの欽ちゃん」の画面が流れたすぐ後で、今度は秋田の幼児連続殺人事件の件で、殺された男の子の祖母に対し、女性レポーターが、「夏休みになりましたね」と話しかけていた。「殺されてなければ、楽しい夏休みの日々を送れてたのに」と水を向けて、涙のひと雫でも流して欲しかったのだろうが、お祖母さんは、「(孫はまだちっちゃかったから)毎日休みみたいなもんだったからねえ」と、まさに、欽ちゃんなら、「つまんないこと聞くなよ」と言わんばかりの返答だった。

 テレビのニュースに登場する一般人のほとんどが首から上をカットされていることについて、当人の申し出によるものではないという話をよく聞くが、では一体何の為に自主規制してるのだろうと不思議に思っていたが、実は自主規制みたいな殊勝なものではなく、証言者の顔を出さない事で番組を盛り上げるためなんだそうだ。ある外国人作家が知り合いのテレビディレクターに聞いたという話で、朝日新聞に載っていたのだが、つまり、バラエティ番組やワイドショーなどで散々無意味に期待を盛り上げておいてCMに入る、あの演出と基本的に同じなのだ。なんとまた、愚かなというか、稚拙なというか、ひとりよがりな、というか、びっくりしたなもー、と誰も知らない台詞を言っちゃうよ、まったく。

靖国問題について

2006-07-23 23:30:33 | Weblog
 荷物をほどき、本棚に並べなおしながら、なんでこんなものまで持って来てしまったのだろうと思う事しきり。キャンディミルキーの同人誌『ひまわり』なんかもある。(キャンディーちゃんはどうしてるのだろう。本業は写植打ちだったと思うが、滅び行く商売だしなあ……)いや、『ひまわり』が駄目本っていうわけではないのだが……んなことを気にしながら、あれもこれも持って来てしまったのだ。きりがない。

 今朝、久し振りに「サンディプロジェクト」を見たら、管直人と加藤紘一が口を揃えて、「(昭和天皇の合祀批判メモ発見で)靖国問題は国内問題である事がはっきりした」と発言していた。あれれれ? 二人(というか、合祀反対派)は、外国(中国、南北朝鮮)が問題にする限り、靖国問題を国内問題であるといって突っぱねる事は出来ない、と主張していたのではないのかと思ったが、どうやら、福田が靖国問題で国論を二分すべきではないといって、自民党総裁選不出馬を表明した事を念頭においた発言のようだ。つまり、大いに国論を二分して討論すべき、重要な「国内問題だ」と。ややこしいな~(笑)。しかし、二人は、もし靖国以外に追悼施設を作るとしたら、そこにA級戦犯を合祀すべきではないと言っていた。お里が知れるとはこのことだ。「国内問題」と言いつつ、やっぱり、中国、朝鮮、特に中国の意向を気にしているのだ。(ちなみに、福田の決断はグッドディシジョン!と私は思う。もちろん、自分が合祀賛成派だからというようなケチな了見から言っているのではない。討論の機会が失われたという、産経新聞を含む諸批判は浅薄極まりなし。)

 そもそも昭和天皇は、他のことはともかく、対中戦争については「申し訳ない事をした」という気持ちが非常に強かったそうだ。多くの情報を受け、その取捨選択に長けているという天皇陛下にしてそうであられるならば、私もまた中国の主張に一定の理がある事にやぶさかでないが、しかし、そうやって天皇を始め、多くの責任ある立場の日本人が何度も誤っているのにそれを受け入れないのはどういうこっちゃである。
 たとえば、トウ小平が初めて日本に来た時、宮中を訪れたトウ小平に、昭和天皇は、いきなり「中国にはまことに申し訳ない事をした」と謝罪したという。これはまったく予定にない事で、日本側の関係者はびっくりしたが、もっと吃驚したのがトウ小平で、仰天して真っ青になり、直ちに中国大使館に戻って対応を側近と協議し、翌日の晩餐会のスピーチで天皇の謝罪を無視、つまり、受け入れる事を拒否することになったらしい。
 ところで、なんで真っ青になったかというと、もし天皇の謝罪を受け入れて中国に帰ったら、どんな酷い目に遭うかわからなかったからだと思う。もちろん私の想像だけれど、中国人同士の猜疑心(ところが、外国人に対しては案外正直だったりするらしい)は他国人には想像できない根深いものがあるそうなので、そんな想像もありかと思う。

入れ歯……

2006-07-22 19:22:19 | Weblog
 一週間前、生まれて初めて入れ歯を入れた。場所は上顎の左右の奥歯だ。
 最初に失われたのは中学2年の時。授業中、ちくちくいじっていて、むき出しの神経に触れてしまい、あまりの痛さに席から飛び上がったことを覚えている。その後も虫歯は増え続け、20代の後半頃に大々的に修理したが、この時はブリッジで、入れ歯は免れた。
 ところが、このブリッジの具合があんまりよろしくなかった。時々しくしく痛んだりするので、さっさと歯医者に行けば良かったのだが、ちょうどこの頃、映画『マラソンマン』を見てしまい、ローレンス・オリビエ卿演じる、元ナチの冷酷非道な歯医者に震え上がり、何がどうあったって、歯医者なんかに行くものか、と決心してしまった。
 そのうち、今から五、六年前だったと思うが、食事中に、これはブリッジではなく、歯冠が一個、ぽろりと落っこちた。何を食べていたかというと、これは冗談ではなく、「豆腐」だった。何を食べても、落ちる状況だったのだろう。しかし、歯医者には行かなかった。『マラソンマン』のオリビエに対する恐怖が、歯冠一個の欠落に伴う不便さよりまさっていたのだ。
 その後、右のブリッジが落ち、左のブリッジが落ち……。それでも歯医者には行かず、落っこちたブリッジを拾い、ガムを接着剤代わりにして、差し歯のように差し込んでいたが、やがて、そのブリッジもどこかに紛失してしまい、おまけに、以前から冷水を飲む時などにしみていた下顎の前歯の痛みが激しくなり、ろくろくものが食べられなくなり、ついに万事窮して、歯医者に行ったのだが、そこでもまだ往生際悪く、ブリッジは無理ですか、と聞いたら、「ムリムリ~」と一蹴されたのだった。
 というわけで、加齢に伴う入れ歯とはちょっと違うのだと、新宿の「M」という写真ギャラリーでたまたま遭った、写真家の石内都に言ったら、「年齢に逆らおうったって、ムリよ」と、これまた一蹴された。
 それはそうだろう……でもね、でもね、体力的に衰えたという自覚はないんだな。もともと体力がある方ではないということもあるが、お酒だって、以前は、缶ビール三分の一でひっくり返っていたが、最近は丸一本飲めるようになった。それも、結構美味しいと感じるようになった。以前は苦いだけだった。お気に入りは、キリンだ。アサヒは何を飲んでも、「スーパードライ」風で、まろやかさに欠けるとか思っていたら、実際、私のように感じる人が多く、キリンがシェアを広げているという新聞記事を読んだ。生まれて初めてお酒の話題についていけた、と嬉しかったりした。

 しかし、こんな状態も、あと五年か、うまくいって十年……という自覚はある。でも、その自覚も、直接的というより、間接的というか、理の当然としてというか……でも、だとしたら、それはすべての年代で成立するわけで……などと言い出すと、また石内に一蹴されるので、やめておこう。

 というわけで、昨日、歯医者でその入れ歯の調整をしてもらったのだが、最初に、「慣れるのが大変ですよ」と言われていたが、本当に大変だ。上顎に風船ガムがぴったり貼り付いている感じで、食べ物を噛むことよりも、噛んだ食物を喉の奥に送り込むのが難しい。舌で入れ歯から引き剥がし、くるくると丸めた上で、一気に放り込む感じ。あと、舌を上顎につけて発音する「たちつてと」が言いにくい。「たちつてと」が言いにくいのは、中学生以来ずっとそうなのだが。

ギャラリー完成

2006-07-21 14:43:17 | Weblog
 ようやっと、秋葉原の新ギャラリー、なんとかかんとか完成、今日から、山本透氏の写真展開催にこぎつけた。名前は、ギャラリーミハル(miharu)。単純……。
 これで、明日から、新宿の後片付けに本腰を入れることができる。そして、「月光」も……。

 すんません、本当に、遅くて、いろいろと。
 とりあえず、近況ということで。

チャップリン考

2006-07-18 21:04:18 | Weblog
 『チャップリン自伝に』書かれた、チャップリンの超能力話とは以下の通り。

 ある日、友人のプロテニスプレイヤーとバーに入ったチャップリンは、バーの壁にルーレット盤のようなものが三つ掛かっていたのを見て、「あの三つの盤の数字を当ててみせようじゃないか」と言って、でたらめに「一番目は、九、第二は四、三番目は七で止まるぞ」と言ったら、実際にその三つの数字が出てしまった。
 しかし、話を聞いたH・G・ウェルズは「偶然だよ」と相手にしないので、チャップリンは、少年時代の話をした。
 いつも前を通っている、ロンドンの下町の食料品屋の鎧戸が閉まっていることに気づいたチャップリンは、ふと、「何かに駆り立てられるように」、その店の窓の張り出しに登り、ひし形ののぞき穴から中を覗いた。中は暗く、誰もいなかったが、中央に大きな箱が一つ置かれていた。それを見たチャップリン少年は、思わずぞっとして、窓から飛び下りて逃げ出した。
 それから間もなく、連続殺人事件が発覚した。捕まったのはその食料品屋のおやじ、エドガー・エドワーズで、五人の食料品店の主人を窓枠分銅で殴り殺しては、その店の主に納まっていたのだが、チャップリンの見た「大きな箱」には、その連続殺人の最も新しい犠牲者である、件の食料品店の夫婦とその赤ん坊の死体が入っていたのだ。
 しかし、H・G・ウェルズは、「それも偶然だよ」と言って、チャップリンの超能力の証明なんかにはならんよと退けたので、それで話は終わったが、実は、もう一つ、決して忘れられない、強烈な経験があった。
 それは、やはり、少年時代のことで、ある日、喉が渇いていたチャップリンは、酒場に入って、水を一杯くれと言った。すると、黒い髭を生やした、ぶっきらぼうだが、人の良さそうな男がコップに水を入れて出してくれたが、チャップリンは「何故か」飲む気がなくなり、飲んだふりをしただけで、その男が別の仕事に取りかかったすきに、カウンターにそのコップを置いて逃げ出した。
 その二週間後、ジョージ・チャップマンという男が五人の妻を次々にストリキニーネを飲ませて毒殺したことが発覚した。そのチャップマンこそは、チャップリンに水を出してくれた男で、しかも、その日、酒場の二階で、最後の犠牲者となった妻が死にかかっていたのであった。じゃんじゃん。

 しかし、チャップリンの霊能力はこれだけじゃない。第一の友人であった、ダグラス・フェアバンクスが、『独裁者』の撮影現場に遊びにやって来た。フェアバンクスは、すでに現役を引退していたが、まだまだ元気で、一時間ほど、チャップリンの仕事ぶりを見て、大笑いしながら、「こりゃあ、完成まで待てないぞ」などと友人を励まして、帰っていった。ところが、そのフェアバンクスが急な斜面を登って遠ざかって行くその後ろ姿を見て、突然、チャップリンは悲しくなってしまった。
 その二ヶ月後、フェアバンクスの息子から電話があり、父親、つまりフェアバンクスが心臓マヒで死んだことを告げた。

 実は、自伝には、これと似た場面に出くわしたことが、他にいもくつか書かれているのだが、チャップリンは、それを「親しい人との永久の別れ」以外の、何か特別のこととしては書いていない。「気がついていない」のだ。

 「気がついていない」といえば、こんな話も。
 オーソン・ウェルズ(『チャップリン自伝』にはスーパー有名人が続々出てくる)が、今、実在の人物を主人公にした実録風の映画を企画しているのだが、女を誘惑しては次々に殺した有名なフランスの殺人鬼、青髭(ランドリュ)役を引き受けてくれないか、とチャップリンに言って来た。「すばらしい適役だと思う」と言って。
 チャップリンは、忙しいからと断ったが、数日して、これを喜劇仕立てにしたらおもしろいかも知れないと思い、ウェルズに5000ドル払って、そのアイデアを映画にしたのが『殺人狂時代』だというのだ。
 ウェルズが、どんな意味合いで「すばらしい適役だ」と言ったのか、興味の有るところだが、チャップリンは全然そんなことには意をとめず、しかし、結果的にはその話を受け入れているところがおもしろい。しかも、チャップリンは、その『殺人狂時代』を自分の第一の傑作、お気に入りだと書いている。
 もっとも、この「無自覚なストレートさ」が、私にチャップリン映画を「今いち」と思わせてしまうところなのだが……。