パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

格差社会とお釈迦様

2008-03-31 21:02:37 | Weblog
 草森さんは、独り者だったので(ただし、子供ひとりあり……だそう)、死後十日くらいたって、連絡のないことに不審をもった編集者によって発見されたのだそうだ。

 いわゆる「孤独死」というやつで、政府・マスコミは、この「孤独死」の防止に躍起になっているが、なんで「防止」しなければならないのか。これからは、このような「死」が普通になるだろう。どうしても、「孤独死」がいやなら、創価学会に入ればいいだろう。あそこは、友達葬というのをやってくれるそうだし。

 そもそも創価学会が数を伸ばしたのも、僧侶不要の「友達葬」が受け入れられたのだ。枕元でドンつくドンつく太鼓を叩きながら、南無妙法蓮華経を唱えられちゃうが、でもこれはこれで、賑やかでいいかもしれない。

 草森さんの住まいは、隅田川の川向こうの団地。なんか、いかにも草森さんにぴったりの場所だなあと思っていたが、出身は北海道(釧路だったかな)で、ちょっとびっくりした。高校生時代は野球選手でショートを守っていた。背も高く、地元では結構鳴らしたらしいが、最近では、隅田川の橋をわたるのに、何回も休憩をとる必要があったくらいに体力が衰えていたとか。

 2年程前にお会いした時は、元気そうだと思ったのだが、旧知の間柄だったM氏は、「歩くスピードが全然遅くなっていたよ」と言っていた。

 ちょうど私よりひと回り年上のようなのだが、私もこれからひと回りで……なんてことにならないように、ともかく「歩け、歩け」の毎日。うちの父親を見ても、明らかに、足から衰えていた。それで、新宿に事務所を変えてからは、最低でも1万2000歩は歩いている。そういう地理的条件なのだ。よぉっしゃ~。(から元気)

 明日から、いろいろ制度が変わるらしいが、すべて「おせっかい」路線。たとえば、メタボ検診制度なんてのができて、40歳以上の日本人は基本的に全員、メタボ検診を受けなければならなくなった。そこで、その効果を上げるため、「受診率」が規定にみたない施設は、ペナルティを課せられるそうだ。てことは、もうじき、降る矢のごとく、「検診を受けろ」というお知らせが届くのだろうなあ。ああ、うっとおしい。

 生活習慣病が急増し、健康保険制度を圧迫しているんだったら、生活習慣病は保険対象外にすればいいじゃないか。健康保険の支払いの大半は、「生活習慣病」がらみらしいから、それを「対象外」にすれば、保険料は劇的に下がる。その分、イザと言う時に備えて貯金するか、あるいは、民間の医療保険に入ればよい。

 となると、アメリカ式医療制度に近くなるが、アメリカでは盲腸を手術しただけで破産するくらい、金がかかるという。しかしそれは、おそらくビル・ゲイツみたいな金持ち相手のいたれりつくせりの病院の話ではないか。
 もちろん、実際のところはどうなっているのか、よく知らないのだが、普通に考えれば、金持ち向けのあらゆる面で充実した病院と、赤ひげ先生みたいなボランティア中心の貧乏人向け医療施設と、その中間の、「中流」が行くそこそこ立派な病院に別れている、つまり、「格差社会」に応じた仕組みになっているのだろう。

 というわけで、結局、格差社会は是か非か、という問題に立ち戻ることになるのだが、この問題を考える前に、一つ、目からウロコのお話を。

 ホッブスという、イギリスの17世紀頃の哲学者が言っているのだが、人間は何故争うのか、というと、「人間が平等に生まれついているからだ」というのだ。「え? 逆じゃないの?」と思われるかもしれないが、ホッブス曰く、人間は、一方的に相手を圧倒するほどの知力体力があるわけではない。たとえば、ダビデが巨人ゴリアテを石礫で倒したように、どんなに体力で圧倒されていても、工夫を凝らせば、やっつけることができる。
 そういう意味で、「人間は平等に生まれついている」のだが、しかし、現実には、運、その他で、境遇に差がでる。そこで、差をつけられた方は、それをばん回するために「強者」あるいは「成功者」に挑まないわけにいかない。つまり、人間は、「平等に生まれついている」ために、争いが起こるのだ。

 これが、「事実」であることは、たとえば、インドのカースト制度が逆の形で証明している。つまり、インドでは、人間は、それぞれのカーストに生まれるのであって、絶対に「平等」に生まれついているわけではないが、これは、まさに、「争い」を避けるための制度なのだ。

 しかし、生物学的に言えば、人間はみな「同じ」であることは確かだ。つまり、インドのカースト制度は、人間の「生物学的事実」を捨象(無視)して成り立っているわけだ。なんのために? それは、「争い」を避けるためだ。お釈迦様も、人間の生物学的「事実」を直視したら「争い」が必然であることを知り、「悟り」という認識論的枠組み、すなわち「知恵」に逃避せざるを得なかったのだ。

 といったことを前提に、「格差社会」を考えると、さてどうなるか……?

 ええ……何を書こうと思っていたのか……そうだ、ガソリンのことだった。

 どこかのニュースショーで、事態の解説にあたっていた若いアナウンサーが、政府も新聞も、しきりに「混乱する」と言っているが、それは政府、新聞の側から見てのことで、こちらとしては別に混乱なんてしていない、といったようなことを喋っていて、私が昨日書いたことと完全に同じではないけれど、ニュアンスは近いように思った。

 では、昨日、どんなことを書いたかと言うと、要するに、官僚不在の元で展開するブレイクスルーの感覚を、「自由の感覚」として再編成し、これをもって対官僚の闘う剣とすべきというのだ。簡単に言うと、「再値上げなんてしたら、黙っちゃおかねえぜ」ってことだ。(吉本隆明みたいな口調になってしまった)

大っぴらな陰謀

2008-03-30 16:50:45 | Weblog
 草森紳一さんが亡くなった。新聞でしったのだが、心不全とのこと。……ということは、やっぱり煙草が原因だろうなあ。両切りのピースのチェーンスモーカーだった。月光の原稿も、原稿料は「ピース缶ワンカートン」だった。

 享年70歳。充分に書いて書いて書きまくった評論家人生だから、本人、思い残すところはないだろうが、永井荷風ですら80まで生きたんだから、それくらいまで生きていて欲しかったずら。(もっとも永井荷風は、「このオレが80まで生きるとは信じられない」、と死ぬ少し前に言っていたらしいが)

 そういえば、永井荷風が死んだ時のニュースを覚えている。どこかの新聞社が、いつもの通りに外出しようとして急に倒れた、その現場写真を訃報に添えたものだから、後でだいぶ揉めた。あと、ユングが死んだ時も、新聞の訃報記事を見た記憶があるし、谷崎潤一郎も覚えている。

 荷風もユングも谷崎も一面ではなかった。「大物」が多かったのだ。今では、市川昆が一面で扱われ、「お別れ会」的なことでもニュースになっているが、「大物」が少なくなったせいだろう。この分だと、森繁が死んだら一面トップになりそうだ。

 ところでチベット問題だけれど、中国解放軍の若い兵士たちが、チベット僧侶に扮して事件をわざと引き起こした可能性が高くなってきた。

 たとえば、小わきにチベットの仏教僧の特徴ある赤と黄色の法衣を抱えた制服姿の中国の若い兵隊が集まっている写真がネットに載っている。「ちょっとは隠れろよ」と笑ってしまうくらい、堂々と写っている。ただし、写されたのは2003年なので、今回の事件とは直接関係がないけれど、挑発的陰謀の可能性は充分に考えられる。

 しかし、いったい何のために?というと、普通に考えればダライラマ14世を追い落とすためと考えられるが、実はそうではなく、今の中国の最高実力者コキントーを失脚させるために、上海系の実力者が仕掛けた罠だというのだ。

 チベット人はいい迷惑というか、とんでもない迷惑なのだが、三国志の国、中国では、今でも大いにあり得ることなのだろう。

元禄か!

2008-03-29 19:11:34 | Weblog
 朝まで生テレビを見る。テーマは「地方分権」。昨今の政局がらみの問題はあえてスルーして、より根本的、本質的問題を語るのだー!と言いたいのだろうが、そりゃ無理だよ。あんたらの頭では。

 大体、「政局」がらみでやっさもっさしているうちに、事態が打開されるということもなくはない、というか、結構頻繁にそういうことは起こりうるのだ。

 それはさておき、地方分権の最終形態は、いわゆる「道州制」の採用なのだが、これについては、世論の理解がほとんど進んでいないので当分、というか、半永久的にあり得ないといった結論のようだったが、あんたたち、郵便民営化はどうだったか忘れたのか? ほとんど、世論は興味なかったのに、小泉一人で強引に民営化にもっていったじゃないか。それが正解であったかどうかは別として、郵政民営化は、ほとんど小泉の口から吐き出される、「言葉(音声)の勢い」で決まったようなものではないか。

 浅野元宮城県知事が、「できるんだったら、もちろん賛成ですよ。でも、できない。やっても中央政府にだまされるだけ。だから反対。」なんて、妙なことを言っていたが、「世論」がどうあれ、「これしかない」という執念でかかれば、道州制だって実現不可能ではないだろう。

 言い換えると、今の福田のピンチは、彼の言葉の「勢い」の無さが原因なのだ。どんなに凄いことを言ったとしても、もそもそ、ぐつぐつ、独り言でしかないのでは、どうしようもないという話だ。

 ところで、民営郵便局はうまくいっているのだろうか? 昨日、近所の特定郵便局(「特定」ということばも、もはやないのかもしれないが)に行ったが、別にどこがどう変わったということもない。ただ、以前は、文句を言っても、どうせ役人言葉しか返ってこないだろうと思うと、口に出すのに、ちょっとためらいがあった。しかし、民営化してそれがなくなった。民営化して愛想が良くなったとかそういうことではなく、こちら(客)が、「変」だと思ったら、実際に言うか言わないかは別として、どんどん言える雰囲気があるように思った。要するに、こちらの心構えの問題なのだが、風通しがややよくなっているような感じがした。

 今回の、「政局の混迷」で、ガソリン代が下がりそうだが、この「役人不在」で行われるプロセスにも、一種の「風通しの良さ」を感じる。

 新宿御苑の花見客で、近所のカフェが、どこも満員。まるで、「元禄か!」と突っ込みたくなるようなハデな着物をぞろり~と羽織った、頭に桜の枝をさしたお○まちゃんなど、場所柄、妙なのがいるが、よく見ると、女性にも「妙」なのがいる。2丁目に「戻ってきた」感、ありありの昼下がりであった。

今日この頃……

2008-03-25 20:31:30 | Weblog
 ちょっと古い話……といっても、1週間くらい前だが、女子レスリングの浜口京子が北京オリンピック出場資格を獲得して、親娘ともども大感激していたが、見ていて……別に、チベット問題を考えろとは言わないが……あまりにも、余裕がなさすぎではないか。それが、「顔」に現れちゃっている。つまり、アホ面になっている。(ように見えた)。

 たかがオリンピックじゃないか。といっても、あんな状態では通じるわけがないが、でもやっぱり、たかがスポーツ、親父の呪縛を離れて、もっと気楽にやってくれといいたい。

 浦和レッズがなかなか勝てないが、だからといって、サポーターの前でレッズの責任者が頭を下げるというのも変だ。「相手もあることだし、思う通りにはいかないが、いずれ勝つよ」でどこがいけないだろう。それでも勝てなかったら、辞任すればよい。「謝る」という類の問題じゃないだろう。

 そのようなわけで、かつて浅田彰が日本人を、「土人」と呼んだ気持ちがわかるような気がする今日この頃なのだが、しかし、あの時の浅田の言い方は、浅田自身が、「自分は土人じゃない=近代人だ」と言いたかっただけのような気がする。

 だとしたら、浅田はそう言うことで、実は自分がいくらか「土人」であるということを、問わず語りに白状したようなものではないかと思うのだ。実際、絵に描いたような土人(前近代人)もいなければ、絵に描いたような洗練された近代人もいない。みんな、その間のどこかに位置する。それを、いかにも、「絵に描いたような近代人」として自己演出しようというのが、実は、浅田が「土人(前近代人)」である証拠なのだ。

 なんて突如、浅田彰批判をはじめてしまったが、というのも、ポストモダンへ向けた世界史的な大転換が模索されている今、ポストモダンを唱導してきた浅田とか柄谷なんかが、すっかり沈黙している(ように思うのだが……)のがどうにも解せないのだ。

正直じいさん

2008-03-23 22:17:42 | Weblog
 今日、新宿駅前の歩行者天国を通ったのだが、道路交通法により、路上の商売、パフォーマンスを禁止しますという立て看板があり、実際、バンドや大道芸人が一人もいない。

 なんでだ?

 しばらく歩いていると、一人のおばちゃんが、「ネグリ来日中止に抗議する」ビラを配っていた。ネグリという人は、名前は時々見かけることがあり、反グローバリズムを主張するイタリアのポストモダンの思想家ということくらいしか知らないが、そのネグリがなんで入国拒否されたのか? 具体的理由は、どうやら、かつてイタリアのモロ首相を誘拐殺害したイタリアの極左組織,赤い旅団と関係があって、自身逮捕されたことがあるので、それでらしい。要するに、洞爺湖サミットを控えて警戒を厳重にしているということで、歩行者天国におけるパフォーマンス禁止もそのためなのだろう。きっと福田が「あらゆる可能性を考え、事前に備えてね、ふふふ」とか警察庁長官に言ったかしたのだろうが、せめて市橋くらい捕まえてから、でかい顔したいならしろよ、アホ警察どもと言いたい。(なんにせよ、警察にでかい顔されるのはごめんだが)

 その同じ歩行者天国の隅で、一人のホームレスが「ビッグイッシュー」を売っていた。「ホームレスに仕事を与え、自立を促す」ために発行されている雑誌で一部300円。

 参考のためにと思って買った。なんの「参考」かというと、ベーシックインカム問題が扱われているかどうか、興味があったのだが、表紙に、「ホームレスに仕事を与え、自立を促す」とキャッチフレーズが書いてあって、「あ、こりゃだめだ」と思った。ベーシックインカムは決して「自立」を目的となんかしていないからだ。

 それはともかくとして、中身が限りなくつまらない。多分、編集者が左寄りなので、それを隠すために、わざわざつまらなくしているのだろう。左翼の論理を打ち出したら、多くの人の支持は得られないと思っているのだ。しかし、だったら、なんで、「左」をやっているのだろう。
 いずれにせよ、もっともっと、論争的にならなければならないし、なれるテーマの雑誌のはずなのに。もったいない。

 ところで、「自立」といえば、吉本隆明だが、その吉本の『初期ノート』を引っ越しで捨てた。

 もともと、吉本信者なんかでは全然ないし、ちゃんと読んだこともないが、周りでいろいろ言うものだから、一応、その吉本の原点と言われる『初期ノート』を買ってみたのだ。しかし、全然意味不明のまま、いずれ分かる時が来るのかもしれないと思って、捨てずに30数年。結局、それだけの価値のある本ではないと思い定めて、ゴミ箱行きとした。あーさっぱり。

 でも、吉本を全然評価しないわけではない。『反核原論』とか、『私の「戦争論」』とか、吉本信者にとってはゴミ本かもしれないが、結構面白い。

 中でも、『私の「戦争論」』で、インタビュアーが(インタビュー本なのだ)、「復活した日本資本主義に抵抗するというのが旧左翼と異なる新左翼の闘争論理だったとおっしゃいますが、そこにどんなモチーフがあったのですか? 敗戦から10数年たって日本経済は復興した。それは曲がりなりにも資本主義の復興だったわけですね? 資本主義が復興したおかげで日本人の生活は良くなった。これは事実でしょう。だったら、新左翼は、その功績は一応認めるが、それでも抵抗する、ということだったのでしょうか。それとも、理念として資本主義を全否定しようとしたのですか?」と聞いている。

 これは、非常によい質問だと私は思う。というのは、私も「月光」の連合赤軍特集で戦後の学生運動の歴史を調べたのだが、もっともわからなかったのがこの問題なのだ。社会主義社会を目指すなら、資本主義社会を否定し、打倒しなければならないのは当たり前にしても、「復活に反対する」という言い回しからは、その「本気度」が伝わってこない。こんなスローガンで、どうやって学生をはじめとする「同志」を集めることができたのだろうか?

 ところが、吉本の説明は笑っちゃうようなものなのだ。

 「日本は敗戦で全土が焼け野原になり、政府はどこにいるのかわからないような状況になっちゃった。そうであれば、必ず革命が起きるはずだ。僕を含め、社会主義のことを少しでも考えたことのある人はみなそう思ったんです。にもかかわらず、革命は起きず、日本資本主義は復活したのです。これは、社会主義の実現を少しでも考えたことのあるものにとっては堪え難いことでした。だから、《敗戦から10数年たって日本の資本主義が日本経済を復興させたじゃないか、それを評価するのかしないのか》って言われても、それ以前の問題として、《日本資本主義が復興した。それは情けないことだ》《許せないぜ》という気持ちがあったんです。これが、《復活した日本資本主義に抵抗する》という新左翼のモチーフだったんです」(短くするために言い回しに若干変更あり)

 なるほど、納得! 《復活した日本資本主義に抵抗する》は、スローガンというより、仲間内の目配せ、符牒みたいなものだったのだ。

 東京オリンピックに備える建設の槌音に資本主義復活の響きを聞いて屈辱を味わうというような感覚は、今の70歳以上の元社会主義者でなければわからない感覚なのだろう…とかいって、このような意味合いで言っているかどうかは,今ひとつわからないのだが、いずれにせよ、「正直じいさん」の面目躍如というべきか。

別次元の人

2008-03-22 21:46:05 | Weblog
 くしゃみ多発は花粉のせい、ぞくぞく寒いのは温度調節の失敗のせいと思っていたら、どうやら風邪をひいていたらしい。ジキニンを多めに飲んで、まあなんとか。

 福田が宇宙ステーションの日本人パイロットと会話パフォーマンスをしていたが、絵面のあまりのおさまりの悪さ、会話のちぐはぐさに、見ていて気の毒になってしまった。日銀総裁問題でも、「民主党さんの言っていることはさっぱりわかりませんねえ」とぶつぶつ繰り返すのだが、言葉に全く力がないから記者の前で、独り言を言っているみたいで、全然民主党を追い込んだ形にならない。

 じゃあどうしたらよいかというと、結局、総選挙を行った上で、政界再編なのだろうが、任期満了までこの状態を続けるわけにはまさかいかないだろう。だとしたら、福田自身による手詰まり解散か、福田辞職後、選挙管理内閣による総選挙ということになるが、どちらも自民党としては危なすぎてできない。(去年、福田就任間もない頃に、ぼろが出ないうちにやっておけばよかったなあ、と自民党幹部は、さぞやほぞを噛んでいることだろう)
 うひゃ~、どうしようもないじゃん。

 だったら、いっそのこと小泉チルドレンが一斉離党し、適当に新党を作って民主と提携したらどうか。今の福田は完全に反小泉的路線なのだし、大義名分は立つ。なおかつ、衆院における3分の2以上の数による優位も失われるのだから、これは、もう総選挙をやるしかないだろう。どうせ、選挙後には再編なのだから、最後に一花パッと…とはいかないだろうなあ。

 しかし、真央ちゃんはすごいな~。あんなに派手にすっ転んでおいて、でもそのあとは完璧に滑ってしまうのだから。EUの解説者が、転んだ時に「信じられない!」と言ったすぐ後で3回転×3回転を決めて、また「信じられない!」と言ったとか。

 何が凄いって、スタミナが凄いのだろう。精神的にも肉体的にも。そしてなおかつ、あの優美さ、力強さ…というのも陳腐。すべての見る人に、新たな言葉(感性)を要求している、ていうか、褒め言葉を探すのが嬉しいというか、完全に別次元の人だ。

諦めモード

2008-03-21 19:01:23 | Weblog
 大坂の市営地下鉄で、痴漢被害を装った恐喝まがいの事件がおきて以来、市当局に「男性専用車両」の導入を望む声が多く寄せられているのだそうだ。

 知らなかったw

 痴漢といえば、片岡義男に、「痴漢事件」は、実は、すべて女性の妄想によるものだったという、ブラックユーモアというか、パロディというか、一種のシミュレーション小説というか、があって、結構面白かった。

 実際、それくらい、普通の男性には、「痴漢」なんて、よくできるなあ、という行為ではあるのだが、でも、いるんだなあ。こんなので捕まったら一生を棒に振るのではないかとか思ったりするのだが、たぶん、現実は、「ヤリ得」感覚なのだろう。

 あと、秋葉原の街頭で盗み撮りDVDが売られていて、その一部に、「作者逮捕のため、入荷ストップしております、暫くお待ち下さい」なんて紙が張ってあったのを見たことがある。盗撮マニアなんてのも、実際は「プロ化」しているのかもしれない。

 それはともかく、このごろ、暖かくなったり寒くなったり、衣服による調整が苦手な私としては、大変に苦労している。明日は暖かそうだから、薄着でいいだろうと思うと、それほどには暖かくなく、ヘークショイ!なんて、加藤茶してしまったり、警戒して厚着すると、汗びっしょりになったり。

 それで、明日はタイツを復活させようかと思案中だが、しかしそんなことをすると、きっと期待を裏切って温度が高くなるのではないかと思うけれど、では、逆にすれば、またその逆になるに違いない。

 「苦手」というのは、つまるところ、こういうことをいうのだろう、と諦めモードである。

フェルプス君とケンタッキーとマクドナルドとサブウェイと

2008-03-20 21:40:00 | Weblog
 ここ1年くらい、朝食、昼食はなるべく軽くするように、バナナとか焼き芋なんかですましているのだが、毎日だと、飽きてしまうので、たまにランチを食べたりする。昨日は、久しぶりにケンタッキーの2ピース+ビスケット+ソフトドリンクセットを食べた。全部で650円。以前のランチセットはこれにサラダがついて、たしか同じくらいだったと思うのだが、まあ、ともかく食べた。
 お腹いっぱいになるというメニューではないけれど、ランチ抜きとはやはりちがい、若干の満腹感がある。ところが、夕方あたりになると、バナナなどで済ました時と同じようにお腹がすいてしまう。

 別にケンタッキーのカロリーが少ないというわけではなく、お昼を食べるといつも同じだ。朝,昼を抜いた時と、昼ご飯をたっぷり食べた時も、夜の腹の減り具合はほとんど同じなのだ。

 愛読書、『いますぐ朝食はやめなさい』に、お腹がすいたらご飯を食べたくなるのは、ほとんど習慣のなせるわざであって、生理学的には意味がないとあって、「へー」と思ったのだが、こういうことだったのだ。

 しかし、お腹がすくことが、「今すぐ食事をとりなさい」というサインではないのだとしたら、いつ食事をとったらよいのだろう? ぎりぎりまでトライしてみて、そのタイミングを自ら発見するようにすべきなのだろうか? まあ、食事をとるタイミングがわからなくて餓死するなんてことはないだろうから、あまり心配するようなことではない。

 ところで、食事と言えば、水泳の世界チャンピオン、マイケル・フェルプスは、1日の摂取カロリーが80000キロカロリーだそうだ。すごい。信じられないくらい食べるが、でもやせている、というか、太っていない。練習で使ってしまうのだ。引っ越し中、ほぼ1日1万5000歩以上歩いたのだが(引っ越しが済んでからも、なんやかやで1万2000歩くらいは歩いている)、それで消費カロリーが600キロカロリー強だったことを考えると、さらにすごい。

 ところで、このことはNHKの番組でみたのだが、フェルプスは、スタート直後や、ターン直後のドルフィンキックで普通の選手よりはるかに深いところを進むことができるので、その分でタイムを稼いでいるらしい。普通に水面に出て泳いでいる限りは、他の選手より特別早いわけではなく、というか、逆に追いつかれてしまうのだが、ターンで引き離してしまうのだ。

 それを見て、かつての平泳ぎの「潜水泳法」で世界記録を立て続けに出した古川勝選手を思い出した。みんな、しらねーだろーなー。

 古川選手はともかくすごかった。漫才の宮川大助そっくりの風貌ながら、スタートで飛び込んでから、50メートルをターンしてもまだ潜水したまま。たしか、70メートルくらい潜っていたと思う。しかし、その後のルール改正で泳法違反ということになってしまったのだが、そのため、世界記録が一挙に20秒から30秒くらい遅くなったのではないかと思う。そこまではいかなかったかな? よく覚えていないのだが、現在の200メートル平泳ぎの世界記録と古川選手の記録はトントンじゃないかと思う。

 しかし、なんで平泳ぎの潜水泳法を禁止したのか? 全員が潜水泳法になると、潜りっぱなしで、見た目、全然面白くなくなる、ということはあるかもしれないが…やっぱり、人種差別的な気持ちがあった? …なんてことを、フェルプスの映像を見ながら思ったのだった。

 フェルプスのことを書くつもりはなかった。ケンタッキーが22品目、一斉に値上げというニュースについて書きたかったのだ。

 なんてことだ、ケンタッキー。ケンタッキーとマクドナルドは全然客層がちがうらしいが、私は断然ケンタッキー派で、マクドナルドなんて、数えるくらいしか入ったことはなかったのだが、その「お気に」のケンタッキーから、どんどん「お気に」なメニューが消え、マクドナルドの真似かどうか知らないが、チキンバーガーのメニューばかりになってしまった。
 それで、ここ数年すっかり足が遠のき、嫌いなマクドナルドに通うようになってしまったのだが、そこにきて、ケンタッキーが、一斉値上げ。ケンタッキー終った。って言いたくなる。

 ところで、ちょっと不思議なのは、嫌いなマクドナルドにほとんど毎日通うようになって、マクドナルドが好きになったかというと、さにあらず、依然として、「嫌い」なんだよなー。でも行く。もちろん、安いからだ。(コーヒーはおいしいと思う。ちなみに、フェルプス君は、サブウェイのサンドウィッチのようなのにかぶりついていた)

先が見えた!だといいが

2008-03-19 17:11:17 | Weblog
 前回の日記に、リンクつきのコメントがあったので、リンク先をみてみたら……女性専用車輌は逆差別であるといって、プラカードを持って乗り込んだりする確信派がいるらしい。もちろん、数は少ないのだろうが。
 まあたしかに、女性専用車輌なんて、アイデアそのものがつまらないと思うのだが、だからといって、目くじら立てて抗議したりすると、どつぼにはまる。「女性専用車輌」は、「保守」のレベルをはかるという意味では、絶好のアイデアかもしれない。

 福田ピンチ!

 どうも福田は、今回(日銀総裁人事問題)は民主のほうに世論の非難が向かうと読んで、武藤に固執したらしい。たしかに、新聞の社説などでは民主を批難しているようだが、なぜか、全体の世論にはなっていない感じがする。おそらく、通常は、新聞マスコミの論調をもって「世論」とするわけだが、必ずしもそれに限るわけではないということなのだろう。なんだか、よくわからないが……。

 いずれにせよ、福田の「読み違え」は否定できず、これで福田退陣必至ということにでもなれば、せっかく復活した政官同盟がいよいよヤバいということで、古賀とか谷垣が必死に支えるのだろうけれど、それでも、どんなに長くもっても洞爺湖サミットまで……だったら、もはやサミットを待つまでもなく、一日も早い退陣が世のため人のためと期待する。要するに、「首相の器」ではなかったのだ。

 なんで、こう繰り返し聞いても飽きないのだろう。異常な程センスがよい。……と、案の定、ボブ・ディランにはまりまくりの毎日です。

平成の奇観

2008-03-17 16:28:46 | Weblog
 2週間ほど前だけれど、「女性専用車両」というのに間違って乗ってしまった。

 並んでいるとき、妙に女性が多いなとは思っていたのだが、他に男性がちらほらいたので、まさか「女性専用車両」を待っている女性たちとは知らずにそのまま乗ってしまったのだが、乗って、窓を見たら、女性専用とでかでかとステッカーが貼ってあった。改めて周りを見たら、確かに「女だらけ」(こんな漫画、あったな~)。しかも、時間が遅かったので、おばちゃん、年寄りは皆無で、なおかつ、キャバクラ嬢的な派手過ぎの女性が満載になるほど遅くでもなかったため、ごく当たり前の、薄化粧を品よく施した、けっこう、そこそこ奇麗で清楚(主観)なうら若い乙女だらけ。ウヒョ~、極楽~、と思っていたら、次の池袋駅で駅員に、「これは女性専用ですので、男性はお降り願いま~す」と言われて、他の数名の男性客共々、渋々、降りた。

 というわけで、ほんのひとときとはいえ、浦島気分を味わっておいてなんなのだが、「女性専用車両」というのは、何かに役立っているのだろうか? 痴漢防止、ったって、レズ痴漢がいるかも…てことはないだろうけど…といって、別に「ナンセンス!」「廃止せよ!」と目くじらたてるつもりはない。多分、多くの人(男性)が、同じように思っていると思われるので、当分は廃止されず、そして、やがて、「こんなことしか決められなかった」平成時代にふさわしい天下の奇観として、後世語り継がれることになるのではないかと思う。