さきごろ、厚生労働省の派遣法研究会から派遣法改正案について、提言があった。社会問題に発展しているワーキングプアの解消や労働法制を規制強化して、働く人たちの権利強化が図られるものと期待されていた。
しかし、その中身は経営寄りの提言に終始し、研究会そのものが、最初から「結論ありき」のメンバーで固められたと思えるほどの、欺瞞に満ちた結果となったことに強い憤りを感じる。
それは登録型派遣を禁止することが、働く人たちの立場の権利強化に繋がるのに、研究会はこれを「登録型派遣を望む労働者もおり、禁止は適当でない」と結論したことにある。いったいどれだけの人が、不安定な雇用を望むだろうか。誰もいないだろう。
不安定雇用の代名詞である「登録型派遣」をいとも簡単に、これを容認する姿勢は派遣労働現場の実態から目をそらしたものである。経営側に配慮した結果、現状をなんら改善することなく肯定してしまった。
経営側が渇望してやまない登録型派遣を「労働者が望むこと」ともっともらしく置き換えたことは、働く人たちの願いを黙殺してまで、経営側に貢献したい意図があること、一目瞭然であった。
経営側の旗色が悪くなると厚労省は、すぐこのような意味のない研究会を立ち上げ、労働環境向上のために規制強化を求める、国民の声に水を差す振る舞いを演じる。政・財・官が一体になって、国民をだますための巧妙な工作をしていることも透けて見える。
規制緩和で派遣法が相次いで改悪されたが、いったん成立を許すと、たとえ不合理であろうと元に戻すことが、いかに至難であるかを思い知らされる。
それはこの研究会提言をもとに、厚労省の労働政策審議会が、舛添大臣宛に研究会提言が反映された、「登録型派遣」規制を見送るとの意見書が提出されたためである。
このことにより、数ヶ月単位の「細切れ派遣」の契約が何回も繰り返され、不安定雇用の象徴「登録型派遣」は、労働市場から消え去る見込みはなくなった。
労働者の立場を理解できない研究会メンバーが存在したため、派遣労働者の約8割もの人たちが、まいにち「雇い止め」の不安を強要されながら、こんごも就労することとなる。政治を変えて、これを打破しなければ、安心して働くことはできない。
しかし、その中身は経営寄りの提言に終始し、研究会そのものが、最初から「結論ありき」のメンバーで固められたと思えるほどの、欺瞞に満ちた結果となったことに強い憤りを感じる。
それは登録型派遣を禁止することが、働く人たちの立場の権利強化に繋がるのに、研究会はこれを「登録型派遣を望む労働者もおり、禁止は適当でない」と結論したことにある。いったいどれだけの人が、不安定な雇用を望むだろうか。誰もいないだろう。
不安定雇用の代名詞である「登録型派遣」をいとも簡単に、これを容認する姿勢は派遣労働現場の実態から目をそらしたものである。経営側に配慮した結果、現状をなんら改善することなく肯定してしまった。
経営側が渇望してやまない登録型派遣を「労働者が望むこと」ともっともらしく置き換えたことは、働く人たちの願いを黙殺してまで、経営側に貢献したい意図があること、一目瞭然であった。
経営側の旗色が悪くなると厚労省は、すぐこのような意味のない研究会を立ち上げ、労働環境向上のために規制強化を求める、国民の声に水を差す振る舞いを演じる。政・財・官が一体になって、国民をだますための巧妙な工作をしていることも透けて見える。
規制緩和で派遣法が相次いで改悪されたが、いったん成立を許すと、たとえ不合理であろうと元に戻すことが、いかに至難であるかを思い知らされる。
それはこの研究会提言をもとに、厚労省の労働政策審議会が、舛添大臣宛に研究会提言が反映された、「登録型派遣」規制を見送るとの意見書が提出されたためである。
このことにより、数ヶ月単位の「細切れ派遣」の契約が何回も繰り返され、不安定雇用の象徴「登録型派遣」は、労働市場から消え去る見込みはなくなった。
労働者の立場を理解できない研究会メンバーが存在したため、派遣労働者の約8割もの人たちが、まいにち「雇い止め」の不安を強要されながら、こんごも就労することとなる。政治を変えて、これを打破しなければ、安心して働くことはできない。