Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 補遺その10

2011-12-19 21:40:35 | 異形の滓
自 由(freedom、liberty)その1

言葉が与えられていない事象から、言葉をすくい上げると次第に劣化(腐敗)し、果てにはそもそもの事象を異化させます。

愛犬と愛猫は一日中したいことをして過ごしています、そこに「自由」の認識はありません。(と思われます。)
愛猫は、ベランダのガラス越しに、庭に来る野鳥を見続け、また野鳥がやってくるのを待ち続けて半日過ごすこともあります。

商いに従事していると自分と対極にあると考えます。
ですから、朝晩の食事、オヤツ、散歩は飼い主に管理されているのですが、「不自由」の認識はありません。(と思われます。)

「自由」という語彙についても、以前取り上げましたが仏典の「自ずからに由る」と。
「自らによりなさい」の「自ら」そのものが手強く先哲(現在も)のテーマ(命題)になっています。

今回のメモは、「自ら」そのものではなく、また、己の「自由」と他者の「自由」の関係(衝突)をメモするものではありません。
初めに書きましたように「事象の異化」となる例をひとつメモするものです。



フリーダム(freedom)は、遡れば、好ましい、愛おしい、温和で、優しいなどの意味で、またリバティ(liberty)は、解放する、しなくてよいなどの意味であり、現在の自由(気ままさ、傲慢さ、自由奔放、自己決定の権利等)とは異なる語彙でした。

また、freedom、libertyともに、「高貴なる者の特権」と定義されていた時代もありました。

つづく

*金正日が病死しました、陰謀説はないのでせうか。


*周辺国にとっては、絶好とも言える機会だと考えるのですが。


ちょっと一服 №107

2011-12-16 07:06:41 | 未分類
先日、野暮用があり新札幌へ。
時間がちょっとあったので紀伊國屋書店厚別店へ。

ら・がぁーる新札幌Duo店は、この秋に閉店となりました。丸善の店員の方の知識量には一目置いていたのですが残念です。

品揃えは大型店と違って劣るのは止む得ませんが、ちょっと時間を潰すには手頃です。
文庫と新書を何冊か手にして店内を歩いていると、文学の棚に場違いに「完本 情況への発言」が一冊並べられていました。

「試行」の巻頭を約35年間に渡り連載されていた「情況への発言」が一冊にまとめられています。

「試行」の熱心な読者ではありませんでしたし、書店を覗いてあれば購入する程度でした。また、約35年間の「情況への発言」は何冊かに分かれて出版もされていましたが、購入していませんでした。

1997年12月に「試行」第74号で終刊となったことは全国紙でも報道されました。



「完本 情況への発言」(吉本 隆明 洋泉社)

吉本 隆明の著作は「大衆の原像」、「戦争体験」、「自立思想」などが書かれており、ある面詩的発想(文学的)の論考が読み取れます。

マルクスに関して教条主義は徹底して否定しますが、マルクスそのものは評価していると考えます。(自分自身もマルクスの哲学はヤワではないと考えています。)

書かれている事象は旧聞でしょうが、切り口、視点、考え方をゆっくり読み込みたいと、また楽しみたいと考えます。

読みたい詩篇があり「吉本隆明詩集」 (現代詩文庫 思潮社)を探したのですが見つけ出せません。一度積読山脈を整理しなければと・・・・・

(2011.12.14記)


2011-12-15 09:03:57 | 未分類
ニュースを見ていて、恒例となった今年の漢字は「絆」で清水寺貫主が大きな文字を書く様子が流れました。

彼女が今年の漢字は「地」だと思うけれど、自分はどうなのか聞いてきました。
いくつか思い浮かびましたが「地」を越える漢字はありませんので黙ってしまいました。

リンクしています晴走雨読氏のブログで、今年の漢字は「絆」と予想されていました。

「絆」にプラスのイメージである家族の人との結びつきが強調されていますが、広辞苑に「ほだし(絆し)」の意味がしっかりと書かれています。

「ほだし(絆し)」は「人の身体の自由を束縛するもの」の意味であり、「絆」の本来の意味である「馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱」から派生していることが分かります。

このように拘るのは、ひねくれ者であることもありますが、フアフアした雰囲気で呪縛され、「絆」に反する行動、言説を非難、否定する萌芽があるからです。



何度か書きましたが、福島原発周辺の都県の野菜等は購入していません。

「絆」の典型が、農林水産省の「食べて応援しよう」キャンペーンです。農林水産大臣及び消費者担当大臣の共同メッセージ(平成23年4月28日)すら出しています。

「食べて応援しよう」は、福島原発周辺の都県の農家の方々を応援することではなく、東京電力が農家の方々に補償すべきことの責任回避に加担することです。つまり補償したくない東京電力を応援していることになります。

食べて応援しよう」は、『食べて内部被曝しよう』のフレーズそのものです。

言葉としては死語に近いですが、被災された方々もされなかった方々も「絆」ではなく、「自由な人間による自由な連帯」によることが必要と考えています。

広辞苑「絆」
(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)

(2011.12.13記)


東電の法的責任

2011-12-13 06:53:01 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
東京電力の西沢俊夫社長は、福島原発事故については「お詫びするが、法的責任とは別」と言い放ちました。(2011.12.06朝日)

東日本大震災は、天変地異であり想定外であり不可抗力ゆえ東電には法的責任はない、と考えていることが分かります。

徹底した史実と証言を取材し、検証、調査のうえ事実のみを書く作風の小説家吉村昭の『三陸海岸大津波』において明治29年の大津波、昭和8年の大津波、昭和35年チリ大地震大津波が調査、確認されています。
たかだか百数十年間に3回の大津波、東京電力は金があるのですから地層、古文書を徹底して調査、検証を行えば、この500年、この千年の「天変地異」を確認すべきです。(すべきでした。)

福島原発のある地形は、もともとは標高35mの台地であり標高10mまで掘削整地しましたが、被災するために25 m掘削したこと自体が狂気です。
単に、復水器冷却用水の取水の経済性(ポンプ能力、非常時電源、LC等)だけを考えていたのでしょう。

同朝刊に、原子炉格納容器内の気体を外に逃して圧力を下げるベント(排気)を実施する際、配管が地震で壊れていたために操作が難しくなった可能性を指摘する社員がいた、と報じられています。
地震でベント配管が損傷したとの外部の人間の指摘もあり、耐震性など初めから軽視していたと考えられます。

お詫びには、お詫びせざるを得ない原因がありますが、東電は想定外の天変地異が原因としたがっていますが、津波の被災を受ける為にわざわざ原発を低地に設置し、十二分な耐震性がない原発を耐震強化もせず放置、これらは不可抗力ではなく人災そのものです。



プルトニウム239の半減期は約二万四千年で、四分の一になるためには約4万八千年かかります。さらにプルトニウム239はアルファ崩壊によってウラン235ができますが半減期は約7億年四分の一になるためには約14億年です。この間も以後も放射線を出し続けます。

万年、億年単位の時間軸は、空想と考えます。
言語が残っているのか、人類はいるのか、そもそも地形は変貌していることでしょう。

このような物質を扱っている認識が皆無であることに、法的責任があると考えます。


共・有時試論 補遺その9

2011-12-10 09:07:27 | 異形の滓
シュメール

略奪の宝庫とも言える大英博物館に「ロゼッタ・ストーン」があります。
神聖文字(ヒエログリフ)、民衆文字(デモティック)、ギリシャ文字でひとつの事柄が書かれており、読解に時間が掛かりました。(黒っぽい花崗岩で思っていたより小さいでした。)

古代の文明として、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明、メソアメリカ文明、アンデス文明、長江文明(昔は四大文明とか言われましたが)があります。
紀元前8000年頃に初期のメソポタミア文明(またはシュメール文明)と言われるシュメール人が文明を築きましたが、アッカドやバビロニアの支配を受けると、シュメール人が跡形もなく姿を消しました。

他の地に逃れた(?)シュメール人は、楔形文字を他の地に伝えたのでは考えます。

北海道にも小樽市の手宮古代文字、富岡古代文字石、忍路古代文字石、余市町のフゴッペ古代文字、泊村の泊絵文字石、そのほか自然石に線刻があり文字、絵と考えられるものがありますが、読めません(意味が伝わりません)。

彼女と林檎のふじ(Fuji)を食べながら、愛犬の食欲について話をしています。
彼女は林檎の蜜のことが過りますが、話題にしません。
僕は、林檎から、旭(Macintosh)、MacOS、スティーブ・ジョブズと連なりますが、発語しません。

林檎は平安時代に「利宇古宇」(りうこう)と言われていましたが、現代では語彙として断絶しています。
たかだか千数百年前の言葉が理解できなくなっています。

イデオロギーの概念とする語彙の意味性の共有は、明確に定義するほど限界を露呈、思惟の限界を晒します。

過去にあった事柄、眼前に繰り広げられる事柄に対して、曖昧な共有を観念して通交しています。



***

北海道にも残されている古代文字が、楔形文字の流れを組むものであれば、また、縄文、石器時代より以前に、また重なるような文明を夢想します。

つづく