読書ノート番外編
新左翼の遺産 その2
約40年前に端を発した新左翼運動を『新左翼とポストモダンには、国家対個人、政治権力対人権、・自由、という対立図式を基本にもつ近代的啓蒙主義者(モダニスト)からの発想転換』と『普通の人々・マジョリティによる「権力行使」としての「加害」についての認識である。西欧のポストモダンにおいては、近代社会がもつ(暗黙の)特権者と非特権者の「差異」の問題として認識され、同時に非特権者のアイデンティティの剥奪として問題化された。』の二つの面から、新左翼のおよびポストモダンによる社会認識の転換の意義を考察する。としています。
*『 』は序章より引用。
50年後半から登場した思想、政治運動、文化運動・文化現象の総称とし、その世界的現象の背景として『政府による経済の管理と福祉の誕生という社会主義が掲げてきた二大目標が、社会主義国家の移行(生産財の私的所有の廃止と全面的計画・統制経済の導入)によることなく実現した』、『社会主義に移行した国家において政治的抑圧が甚だしく、さらには資本主義国家で実現した豊かさが社会主義国家では到達できない』、『核による大量相互破壊の可能性がこれに加わった。体制選択以前に、全人類の破滅を回避しなければならないという緊急の課題が生まれた』3点の背景があり、それぞれの背景の内容を先進諸国と日本について展開されています。
書かれた背景、定義などについて細部では異なる見解もありますが、異議は、根本的な異議はないと考えます。
*『 』は第一章「一世界的現象としての新左翼の誕生」より引用。
新左翼のラディカリズムと「新しさ」の観点から思想、運動の面から『社会主義・既成左翼をエリート主義化かつ官僚主義化した思想・体制であると批判』、『企業・工場、大学、医療機関などでの内部権力関係を正面からとりあげる』、『現実の労働運動に大きな比重をもつことはなかった。略 むしろ他の様々な解放運動(平和運動、マイノリティの運動、発展途上国の反植民地運動)と結びつく傾向があった』、『代議制批判や国家権力の問題への第一義的関心からの脱皮という面において、近代的民主主義原理と鋭く対立する』と整理し、近代思想そのものへの根源的批判の芽を宿している。よって、ポストモダン哲学の先駆的存在であると新左翼の位相を確認しています。
社会主義=モダン思想として批判し、モダニズムの限界を突破する運動の契機となりましたが、前回にも書きましたように、「ポストモダン哲学」そのものを論じているわけではない為、深みがなく曖昧と読み取れるのはやむ得ません。
*『 』は第一章「二ポストモダン的発想の登場」より引用。
鹿児島生まれだけど、暑いのは苦手だワン。
新左翼の遺産 その2
約40年前に端を発した新左翼運動を『新左翼とポストモダンには、国家対個人、政治権力対人権、・自由、という対立図式を基本にもつ近代的啓蒙主義者(モダニスト)からの発想転換』と『普通の人々・マジョリティによる「権力行使」としての「加害」についての認識である。西欧のポストモダンにおいては、近代社会がもつ(暗黙の)特権者と非特権者の「差異」の問題として認識され、同時に非特権者のアイデンティティの剥奪として問題化された。』の二つの面から、新左翼のおよびポストモダンによる社会認識の転換の意義を考察する。としています。
*『 』は序章より引用。
50年後半から登場した思想、政治運動、文化運動・文化現象の総称とし、その世界的現象の背景として『政府による経済の管理と福祉の誕生という社会主義が掲げてきた二大目標が、社会主義国家の移行(生産財の私的所有の廃止と全面的計画・統制経済の導入)によることなく実現した』、『社会主義に移行した国家において政治的抑圧が甚だしく、さらには資本主義国家で実現した豊かさが社会主義国家では到達できない』、『核による大量相互破壊の可能性がこれに加わった。体制選択以前に、全人類の破滅を回避しなければならないという緊急の課題が生まれた』3点の背景があり、それぞれの背景の内容を先進諸国と日本について展開されています。
書かれた背景、定義などについて細部では異なる見解もありますが、異議は、根本的な異議はないと考えます。
*『 』は第一章「一世界的現象としての新左翼の誕生」より引用。
新左翼のラディカリズムと「新しさ」の観点から思想、運動の面から『社会主義・既成左翼をエリート主義化かつ官僚主義化した思想・体制であると批判』、『企業・工場、大学、医療機関などでの内部権力関係を正面からとりあげる』、『現実の労働運動に大きな比重をもつことはなかった。略 むしろ他の様々な解放運動(平和運動、マイノリティの運動、発展途上国の反植民地運動)と結びつく傾向があった』、『代議制批判や国家権力の問題への第一義的関心からの脱皮という面において、近代的民主主義原理と鋭く対立する』と整理し、近代思想そのものへの根源的批判の芽を宿している。よって、ポストモダン哲学の先駆的存在であると新左翼の位相を確認しています。
社会主義=モダン思想として批判し、モダニズムの限界を突破する運動の契機となりましたが、前回にも書きましたように、「ポストモダン哲学」そのものを論じているわけではない為、深みがなく曖昧と読み取れるのはやむ得ません。
*『 』は第一章「二ポストモダン的発想の登場」より引用。
鹿児島生まれだけど、暑いのは苦手だワン。
日共の活動家は60歳から70歳代ばかりです、社民も生活保守主義に固まった組合上がりが大半です。(いわゆるダラ幹)
その新左翼へも、連赤で社会から孤立させられて以降、人材供給が止まっています。今は、団塊の世代の元活動家からチラホラとなつかしのメロディーが聞こえてくる程度です。
このような情況を、大嶽氏はどのように分析しておられるのか興味のあるところです。