Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

曲がり角の日本語

2011-05-25 20:31:47 | 読書ノート
人はもともと自由な生き物であったのか
人はもともと自由のない生き物であったのか

多分、どちらでもない生き物だったのでしょう。

僕の中では、自由、平等、博愛のうち、自由が抜きんでています。
僕の中にいくつかありますが、自由の言葉も「消耗」されつくしています。

ちょっと空いた時間に、「曲がり角の日本語」( 水谷静夫 岩波新書)に目を通しました。

水谷静夫氏は、岩波国語辞典の編者を長年されており、文中に「チョムスキー」に触れている個所などもあり楽しめた反面、大変(僕が)赤面する内容が多々ありました。

僕は、日本語は4音と3音で出来ていると漠然と思っていましたが、水谷静夫氏は、1音と2音で出来ており、1音の箇所は一音分伸ばしており、例として、「観自在」は「2・1・2」で出来ており、「かん、じー、ざい」と。

これは、声を出して本を読むことがなく、すべからく黙読のためだと思います。

水谷静夫氏は、「言葉がすりへってきている。」と書かれています。
本書に何回か出てくるフレーズですが、「言葉が消耗される」と考えている僕にとっと妙にストーンと落ちました。


「曲がり角の日本語」(この頃の本の画像はAmazonから借用)

以前と違って、読みたい新刊などを隣街の大型書店で探すことはしなくなり、近所の何店かに分散して注文することが多くなっています。
単に、手にしても直ぐに読み切れないためだけなのですが。

昨日、本屋で注文書に記入していると、店の方(学生のバイト?)が「入荷していまずが、今日お持ちになりますか。」と。
以前にも書きましたが、ある種の嫌悪感が過ります。

近日発刊の広告で注文していた本で、入荷まで一カ月以上たっていました。

昨夜、当日の朝刊(5/22)を読んでいて(どんな生活をしているかは詮索しないで下さい。)、紙面の片隅の広告に読みたい本がありましたので、今日注文に行かなきゃ ・ ・ ・

(2011.05.23記)

本屋に注文に行きましたが、店員の方が端末を見ながら「二冊とも取扱不可となっています。」と。

「えっ、取扱不可。」一瞬、自分の考えるアブナイ書籍と世間の方のアブナイ書籍のレベルが乖離しすぎたのかと過りました。
店員の方が申し訳なさそうに「取次にも版元にもなく、重版の予定がないのかもしれません。」と。

で、他の本屋を廻り、2冊のうちメインの1冊は、購入できました。

(2011.05.25記)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (管理人)
2011-06-08 06:11:33
カタバミ様へ
コメントありがとうございます。

母音の数は、外国語では最小2か3音、多いと二桁を越えると読んだことがあります。
日本語も、古代(大和言葉)では8音(6音の説もあります。)あったことが、定説のようです。

この頃は時間がとれませんが、二種類の俳句歳時記に漠然と目を通すことがあり、秀句が載っております。
俳句には「切れ」が必要で、「かな」「や」「けり」「か」「よ」「せ」「れ」などの助詞、助動詞の切れ字を用いることと、体言止めにより動詞や助詞を省略し余韻と間を表します。

俳句の「5・7・5」は4プラス1、4プラス3、4プラス1で、プラス1は余韻、間を表現し字数を意識していないためなのかもしれません。
漠然と4音と3音と思っていたレベルなので答には窮します。

古本屋のご主人は年配者では。
大本(教)の教義と皇室の尊厳とは相いれないため、大本弾圧事件(宗教弾圧)があり、当時出版物は発禁となりました。
古本屋のご主人はその辺りを知っていたと考えられます。
返信する
こんにちは。 (カタバミ)
2011-06-04 10:10:35
日本語といいますと、これをネイティブとして操れるというだけで教える立場に立たされやすい環境に居りますので・・・
こうした本も興味深いです。

ところで、Retrieverさんが4音と3音の構成と思われた所以は・・・?
すみません。全くの無知ゆえの質問だと思って下さい。
ここを拝見しただけでは1音と2音の根拠も分かりませんが、見た限りではお経を読むように思えました。
現代文学などのふり仮名が菓にはくゎとあったり観でしたらくゎんと呉・漢読み式にふられていて昔はそう読まれていたのでしょうが、その辺とも関連があるものなのでしょうか。
ご面倒お掛けするコメントでしたらすみません。

あ、「取扱不可」と「アブナイ」で思い出したことがひとつ。
以前、古本屋にある本を持ち込んだところ、主人の女性に
「こういうのって『キワモノ』っていうのよね」
・・・と言われ、言葉の響きにちょっとたじろいでしまった事がありました。
実際にあった「際」物の意味でなのか、ジャンルがちょっと普通と違った方面だという意味で言われたのかその場で訊かなかったので不明ですが・・・

ちなみにその本とは、出口王仁三郎の本でした。
返信する

コメントを投稿