Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

変人 埴谷雄高の肖像 その2

2009-03-18 20:54:02 | 読書ノート
読書ノート

インタビューを受けた多くの方は、埴谷雄高を評価したり批判したりしますが、否定はしません。
自分の突き詰めた思索とは異質であることは当然であり、突き詰めた思索(思想、哲学)に対しては尊重する視点が読めます。

黒春の頃の自分なら、自分の思索に対する保身の術として軽蔑すべき姿勢と批判したと思いますが、誤謬、資料不足、転向、挫折、曲解等は徹底した思索においても排除しきれないながらも、個の思想として評価、批判はすれども否定しないスタンスは、ある意味明快です。

また、ある特定の思想、哲学、宗教(借り物)で己を語るのではなく、それらは素養とか知識としてあるのでしょうが、自らの突き詰めた思索の言葉で語っています。(27名すべてではありません。)

この辺りのことを吉本隆明は、同書399Pで「個人の思想はその人のものであって集団化することはできない・・・ある人の思想に関してはその人自身の資質が責任を負う以外になく・・・集団の思想で大丈夫だと思っている共産党などは・・・」と語っています。

で、「Credo、quia absidum.」と自分の位相を明確にすべきなのですが、黒春の頃の想念は、既に別の領域に転化しているため、曖昧模糊な捻くれ者の視座のままメモをしました。


猫の額の庭で(鳥の名前は?)


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