アリストテレスの現象学的解釈(M・ハイデガー 高田珠樹訳 平凡社)は、「ナトルプ報告」といわれています。(経緯は省略します。)
論考のボリュウム(ページ数)は、大変少ないです。
講義のノートがベースになっており、大学の員外教授のポストを得る為に纏められたものです。
原稿が散逸しており、M・ハイデガー若かりし頃の幻の草稿とかいわれていますが、『存在と時間』の原初となるものと考えられます。
アリストテレスの著作の論考に入る前に、「解釈的状況の提示」が置かれています。
この部分が、僕的には面白い個所でした。
アリストテレスの著作「ニコマス倫理学」、「形而上学」等の論考の内容は、書かれていることは理解できるに過ぎません。
きっと、「別の読み方がある」ことにしておきます。
で、「解釈的状況の提示」について、簡単なメモをします。
違和のないセンテンスとして例えば、
「事実的な現存在がそれ本来の在り方をするのは、必ずや自己固有の現存在としてであり、何か人類全般を代表する現存在一般としてではない。」(p12)
(注12 本文中に速記体で追記されているが、確実に解読できなかった。)
「人間存在、「生の中に在る存在」は、いかなる存在性格をもったいかなる対象性として経験され釈意されているのか、でなくてはならない。」(p52)
を抜き出しました。
僕自身の中に、スッーと落とし込まれるセンテンスですが、読後に何故、違和が生起しないのかの「ボー」とした時間が必要です。
違和のあったセンテンスとして例えば、
「事実性の理念の中には、それぞれ本来的な事実性、文字どおりの意味での自分に固有の事実性、固有の時代や世代の事実性だけが、探求の対象であるということが含意されている。」(p42)
どの個所に違和があったかは記しませんが、「違うだろう」です。
この類(失礼)の本は、内の妄念に構造を見出せることです。
そのようなセンテンスがありました。
論考のボリュウム(ページ数)は、大変少ないです。
講義のノートがベースになっており、大学の員外教授のポストを得る為に纏められたものです。
原稿が散逸しており、M・ハイデガー若かりし頃の幻の草稿とかいわれていますが、『存在と時間』の原初となるものと考えられます。
アリストテレスの著作の論考に入る前に、「解釈的状況の提示」が置かれています。
この部分が、僕的には面白い個所でした。
アリストテレスの著作「ニコマス倫理学」、「形而上学」等の論考の内容は、書かれていることは理解できるに過ぎません。
きっと、「別の読み方がある」ことにしておきます。
で、「解釈的状況の提示」について、簡単なメモをします。
違和のないセンテンスとして例えば、
「事実的な現存在がそれ本来の在り方をするのは、必ずや自己固有の現存在としてであり、何か人類全般を代表する現存在一般としてではない。」(p12)
(注12 本文中に速記体で追記されているが、確実に解読できなかった。)
「人間存在、「生の中に在る存在」は、いかなる存在性格をもったいかなる対象性として経験され釈意されているのか、でなくてはならない。」(p52)
を抜き出しました。
僕自身の中に、スッーと落とし込まれるセンテンスですが、読後に何故、違和が生起しないのかの「ボー」とした時間が必要です。
違和のあったセンテンスとして例えば、
「事実性の理念の中には、それぞれ本来的な事実性、文字どおりの意味での自分に固有の事実性、固有の時代や世代の事実性だけが、探求の対象であるということが含意されている。」(p42)
どの個所に違和があったかは記しませんが、「違うだろう」です。
この類(失礼)の本は、内の妄念に構造を見出せることです。
そのようなセンテンスがありました。
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