ポスト唯物論
訳者(増田一夫)は、「唯物論」は脱構築の対象とはならないと書かれていますが、脱構築の対象とならないのは、「唯物論」ではなく「弁証法」ではと考えます。(再掲)
「物質」そのものの概念が極められつつある現在において、「唯物論」そのものは一度バラバラに解体する必要があります。
「クォーク」は「エネルギー」であり、「物質の存在」は「エネルギーの差異」と捉え直すことが可能です。
・ ・ ・ と、メモを書き上げてあるのですが、余りにも長文かつドクマを払拭しきれていません。(アップする前に再読してみて。)
主に「哲学事典」(平凡社1413P~)、「現代マルクス=レーニン主義事典」(社会思想社 下巻2159P~)、また、雑多に先哲の書籍を参照しましたが、オリジナルの思考と引用した思考の境界が曖昧と化したため、再び妄念のスープに戻しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/06/9e6f146d8fc3ad6d04344501eeff8cbf.jpg)
今朝の散歩で。
冬枯れの にわかに飛び立つ 雉の声
訳者(増田一夫)は、「唯物論」は脱構築の対象とはならないと書かれていますが、脱構築の対象とならないのは、「唯物論」ではなく「弁証法」ではと考えます。(再掲)
「物質」そのものの概念が極められつつある現在において、「唯物論」そのものは一度バラバラに解体する必要があります。
「クォーク」は「エネルギー」であり、「物質の存在」は「エネルギーの差異」と捉え直すことが可能です。
・ ・ ・ と、メモを書き上げてあるのですが、余りにも長文かつドクマを払拭しきれていません。(アップする前に再読してみて。)
主に「哲学事典」(平凡社1413P~)、「現代マルクス=レーニン主義事典」(社会思想社 下巻2159P~)、また、雑多に先哲の書籍を参照しましたが、オリジナルの思考と引用した思考の境界が曖昧と化したため、再び妄念のスープに戻しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/06/9e6f146d8fc3ad6d04344501eeff8cbf.jpg)
今朝の散歩で。
冬枯れの にわかに飛び立つ 雉の声