的場昭弘
先日、雑誌コーナーの「朝日ジャーナル1989-2009」を見つけ、昔日の習性で買っていました。
同誌掲載の的場昭弘「資本主義の神話を撃つ──〈反革命〉としての地殻変動」読んでの雑感です。*
的場昭弘は、フランシス・フクヤマの言説をなぞっているだけです。
現在の資本主義の状況に対して、的場昭弘自らのオルタナティブ・グローバリゼーション提示することなく「資本主義は始まって以来の深い谷間へと進みつつある。これは資本主義の終りかもしれない。」(同誌45Pより)と締めくくっています。
ジャック・デリダ前掲同書147P「われわれがマルクス的伝統に依拠した問題提起と言っているのは、まさしく、その特徴となっているべきであり今後も特徴となるべきである開口と絶えざる変形とをともなった問題提起のことであり、正統マルクス主義の沈滞と装置の数々に結びつくマルクス主義の教義のことを言っているのではない。」で批判している典型の主義者と考えます。
例えば、南米を見ると、世界のグローバル資本主義化の反動で、反新自由主義の左派政権の誕生が相次いでおり、フランシス・フクヤマの言説は先進諸国中心の視点でしかなく、約200の地域・国家全てが先進国になるはずもありません。
このような座標からもフランシス・フクヤマの言説を批判できると考えます。
*的場昭弘の著書は未読です。Wikipediaによると新MEGAの日本編集委員会・歴史グループ代表とあります。
「朝日ジャーナル1989-2009」
先日、雑誌コーナーの「朝日ジャーナル1989-2009」を見つけ、昔日の習性で買っていました。
同誌掲載の的場昭弘「資本主義の神話を撃つ──〈反革命〉としての地殻変動」読んでの雑感です。*
的場昭弘は、フランシス・フクヤマの言説をなぞっているだけです。
現在の資本主義の状況に対して、的場昭弘自らのオルタナティブ・グローバリゼーション提示することなく「資本主義は始まって以来の深い谷間へと進みつつある。これは資本主義の終りかもしれない。」(同誌45Pより)と締めくくっています。
ジャック・デリダ前掲同書147P「われわれがマルクス的伝統に依拠した問題提起と言っているのは、まさしく、その特徴となっているべきであり今後も特徴となるべきである開口と絶えざる変形とをともなった問題提起のことであり、正統マルクス主義の沈滞と装置の数々に結びつくマルクス主義の教義のことを言っているのではない。」で批判している典型の主義者と考えます。
例えば、南米を見ると、世界のグローバル資本主義化の反動で、反新自由主義の左派政権の誕生が相次いでおり、フランシス・フクヤマの言説は先進諸国中心の視点でしかなく、約200の地域・国家全てが先進国になるはずもありません。
このような座標からもフランシス・フクヤマの言説を批判できると考えます。
*的場昭弘の著書は未読です。Wikipediaによると新MEGAの日本編集委員会・歴史グループ代表とあります。
「朝日ジャーナル1989-2009」