Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編366. 浅草2. 教育研究業績書

2018年05月27日 | Tokyo city

 浅草も2回目となると通俗的な話題しか書くことがない。だから少し堅い話をしよう。

 大学教員が自ら書く書類に、教育研究業績書がある。大学教員になる時、昇進する時、あるいは研究室のホームページを作成した時など、これまでの論文の題目、掲載誌、日付、そして文科省の様式に従えば、200字の論文概要まで付けさせられる。それだけではなく、原則民間企業に在籍していたら自ら関与した業績も全て書くことになる。ようは何をしてきたかを全て書くというのが原則なのだ。

 だから私の場合でも、論文概要付きでA4版36頁になったこともあった。それだけの執筆をすると、行送りとかアキなど印刷時で必要とされる校正が必須になって、やってみたら400カ所も修正した。そして大学の各研究室のホームページをみれば、主催者の研究業績書の全文または一部がアップされている。それは業績を自慢するためではなく、社会に対して正確な判断材料を提供するというのが趣旨なのである。

 だから私が出版した本「環境デザインのプロデュース・コンセプトワーク・スケマティックデザイン、井上書院、2017年」でも業績は、200字の論文概要を除いて全て掲載し、さらに私が直接関与した都市開発プロジェクトや雑誌などの目録も掲載している。そうした業績にもとづいて、この本を執筆しましたから、貴方にとって私の本が買うに値するか、或いは値しないかは、貴方ご自身で判断くださいという意図で業績リストを付けている。

 どんな場合でも、教育研究業績書を自慢してつける研究者はいない。社会の判断材料として提供しているのであって、大体は量が多すぎて面倒くさいから全部付けておく、はい!、それで全部ですぅーーと解釈してアップしたことはすっかり忘れてしまうのが研究者の頭。

 白を切る、という言葉がある。それは知っていることを知らないと偽ることだが、研究者は忘れているのだから、白を切る以前の話なのだ。

 もちろん忘れているから、後で61番目の学会発表論文の内容でおたずねしたいのだが・・、といわれても実は全然覚えていないのよね(笑)。工学系の人間は、過ぎ去ったことには関心がないので、文化系のように過去の発言が・・云々なんていわれても、しらねぇーーよ!。書いてあるだろ、そこに・・と開き直ってお終いです。

 人間は、明日どうするかという考え方で私達の暮らしが成り立っているのであって、歴史ばかり追っかけてゆける裕福な人間はよいとしても、普通の人類だったら過去を追いかけても食べてゆけないでしょう。

 しかし気がつくと、我ながら珍しく感心なことに、この話も以前ブログで書いた記憶がある。書き直すのも面倒なのでよしとしよう。

 

2000年、東京都台東区浅草

Leitz M-4P,Summicron50mm/F2.0、トライX

コメント
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