Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編364. 銀座2. 国立大学系と私学について

2018年05月24日 | Tokyo city

 昨日のブログと同じ1990年代の銀座だが、レンズはこの時期に使っていたズミクロンだったかもしれない。そこは記憶にないので、今日は少し堅い話をしよう。

 大学も新学期の一連の騒がしい時間が過ぎ、この頃になるとようやく次年度にむけて準備が始まる頃だ。調度入試関係の各種委員が選任されるのもこの頃である。それによって教員間に喜怒哀楽が走るわけだ。原則として教員の子弟が大学を受験するという場合は、すべての入試関係の委員から外してくれる。だから子弟がいればもれなく申告し、選任から外してもらい研究に専念できる1年間となるわけだ。

 そして受験生は、目標を定める頃だろう。あまりプロモーションとか大学の文化系的な言葉(個性を伸ばす!とかそういう類いの言葉)に惑わされないためにも、ここでは定量的に説明しておこう。

 過去のブログでも書いた事の最加筆だが、国公立大学系と私立大学とではどちらが教育環境が高いか。それは主に文化系、理工学系、芸術系の学部に限っての話だか。

 算出方法は簡単で大学のホームページにアップされている教員紹介から教員数が数えられる。そこで1学年の学科の定員を教員数で割れば、教員1人当たりの学生数が算出できる。教育がヒューマンファクターの産物だと考えれば、やはり教員の眼が届いた方が教育密度は高く、教員一人が受け持つ学生数は低いほど教育密度が高いことになる。

 私が教えた公立大学芸術工学部の建築都市デザイン学科の定員数は40人、これを担当する教員数は13人、従って常勤教員一人当たり3.0人の学生を受け持つことになる。そして学生数3人というのは、そのまま教員研究室のゼミ生数になってゆく。1ゼミ3人の学生まで受け入れますということだ。

 そこで私が非常勤で教えた私学の芸術学部をみてみると、建築学科30人に対して常勤教員数3人となり、教員一人当たり10人の学生を受け持つことになる。

 こうした数値比較をすれば、国公立大学の方が教育環境の水準が高いという結論になる。そこで私学は非常勤講師を大量に雇用して乗り切るわけだ。非常勤である以上私立大学の教育に責任はない。当然会議も参加できないし、ゼミ生を持つこともない。その分数少ない常勤教員が頑張るわけであり、過重労働の可能性すらあるかもしれない。

 工学系でこの値だから、文化系になったら当然私学の数値は増大する。そして注意しなければならないのは、私学のホームページをみると常勤教員と非常勤教員との区別をしない書き方をしているところが多い。あたかも非常勤教員が常勤教員であるかのようなホームページもある。従って私学の常勤教員数はWEBではわからない場合が圧倒的に多い。

 さらにいえば著名な芸能人や現役のアーティストなどを教員のなかに加えていたりするのも私学の特徴だ。それも客員教授であったり特任教授という称号で。これらの称号は非常勤講師と同じである。年1回講演してお終いというのが多く、もちろん学生の指導などはしない客寄せパンダなのだ。

  教員の質を見分けるのは、博士号の学位と審査付き論文数である。国公立大学は教員個々のホームページを開けばわかるが、大概は博士号を持ち教育研究業績で審査付論文題目が掲載されている。他方でそうした対応は私学ではまちまちであり、掲載させないところもある。それは教員自体が学位がなく論文業績もないからである。

 これまでは私学もそれでよかった。しかし学生数が減少するとなると、今後はやはり教育の質を向上させるブログラムの開発や教員の質をあげることに力を注がざるを得ないだろう。そうした努力と私学の個性とがリンクし、社会的に認められて私学の存在理由も出てくるわけだ。

 まとめると、国公立系大学と私学ではどちらが教育環境(とりわけ教員というソフト面で)の質が高いかを定量的に語れば、前述の結果から国公立大学系だというのが私の見解である。この話は、以前にも書いた記憶があるんだけど・・・書いてから気がついたので、まあいいか。

 

1990年代東京都中央区銀座、LEICA M3、CANON 50mm/F1.4、トライX

コメント
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