みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Firstborn Among Many Brethren, #3

2015年06月18日 | 聖書研究・信仰
創造と贖罪における神の目的は、多くの子を持つことだった。

主は我々を欲し、我々なしでは満足できなかった。

以前に、Safety, Certainty and Enjoymentの著者であるジョージカッティング氏を訪ねたことがある。

この93才の聖徒の所へ案内されるや、彼は私の手を取り、落ち着いた口調で静かにこう言った。

「兄弟、知っているかな、私は主がいないとやっていけないんだよ」

「これは知ってるだろうか、主も私がいないとやっていけないんだよ」

1時間以上彼とともに過ごしたが、氏の年齢と老いた体とが目に痛くてあまり会話が進まなかった。

しかし、彼との面談で記憶に残っていることがある。

氏が繰り返し聞いてきた2つの質問。

「兄弟、知っているかな、私は主がいないとやっていけないんだよ」

「これは知ってるだろうか、主も私がいないとやっていけないんだよ」




Firstborn Among Many Brethren, #2

2015年06月18日 | 聖書研究・信仰
ヨハネ1:14に、イエスキリストは神のただお一人の息子である、とある。

ヨハネ1:14
ことばが肉となった
我々の中に幕屋を張った
我々は彼の栄光を見た
栄光
父からのお一人としての
恵みと平安が充満している

父から来られたひとり子としての栄光。

主イエスが神のただお一人の息子であったということは、神にはイエス以外に息子はいなかったということになる。

イエスは永遠の中からの父とともにいた。

しかし、神は、キリストのみがご自身のただお独りの息子であることに満足されなかった。

主はキリストをご自身の長子にすることを望んだ。

どうすればひとり子が長子になれるだろうか。

簡単だ。

父によって、もっと子を持てばよい。

一人しかいないからひとり子なのだ。

さらに子を持てばひとり子は長子となる。