みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#78 基礎教理 Loving Your Enemies, NO.4

2024年08月19日 | 基礎教理

Sinclair Ferguson: Loving Your Enemies


33分21秒から40分22秒まで。

◇◇

若い頃の子どもたちに、「分かるかい。あなたは私の子どもだよ」と言った時のようです。

「分かるね、あなたは私の子どもだよ」と。

「分かるね、あなたはファーガソンでしょ。」

このことは、私の家族にとって意味があることなのです。

「そうであれ。」

イエスが言っていることは、これが私たちも御父のようになるためのひとつであるということ。

ある時は、私の妻が私の足を引っぱって冷やかし、また時には、ポール・セルハマーによって、そしてまたある時にはシュナイダー夫妻によってからかわれます。

実はその通りなのですが、私の娘は、「あなたはお父さんにそっくり」と良く人から言われます。

実際はそうではありません。

私の娘は、どこかほんの少しだけ父親に似たところがあるかもしれません。

しかし、息子や娘がそのように言われると、父親としては心が動きます。

「彼女はあなたのお子さんですね。」

「彼はあなたのお子さんですね。」

その通りです。

弟子である私たちに対する主イエスの思いも同じです。

この世に生きていながら、迫害する人たちに愛を示すのです。

男も女も誰でも、まず最初にキリストの十字架に対して反応し、それから、天の父の抱擁に対して反応します。

そして、イエスは、その後に続くご自身のことばを私たちに飲み込ませようとします。

注釈書や釈義を読んで、大いに努力しようともがきます。

イエスは言います、「天の父が完全であるように、完全でありなさい。」

完全主義は、私が誤解していなければ、改革派においては綺麗なことばではありません。

時に、そうなのかもしれませんが。

しかし、聖書には真の完全主義があります。

すべてが自分の父親のようになることは、その子どもの熱望です。

そして、天の父のようになることは、天の父の子どもの望みです。

ある友人がバッキンガム宮殿の牧師について私に話したことを覚えています。

前の女王、99歳になった女王、私たちの母が、2人の王女、マーガレットとエリザベスを送り出しました。

60年前のことです。

王家の馬車に乗り、誕生日会に出席された時のことです。

後に許されましたが、王家の牧師はしてはいけないことをしてしまいました。

着飾ってパーティーに行こうとしていた2人の王女に、指を振りながら話している声を聞こうと近づきました。

彼は素晴らしく賢明なことばを耳にしました。

「覚えておられるだろうか、少女たちよ。王家のマナーを。」

イエスが言ったことも同じです。

「覚えているだろうか、弟子たちよ。王家の子どもたち。王家の応答を。」

「天の父の子どもたちよ。天の父の応答を。」

神の性格ゆえに、クリスチャンの性格ゆえに、私たちは奨励されます。

私たちの敵の性格ゆえに、彼らを愛するように私たちは奨励されるという事実を、イエスは仄めかします。

彼らが罪ゆえに曲解しているのではなく、彼らもまた元来、神のイメージに創造されました。

イエスによってはっきりと説明されてはいませんが、これはイエスの教えの基本であります。

45節にあるイエスのことば「神は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、義人にも不義人にも雨を送る」は、原理原則です。

何故。

何故なら、神が彼らを創造したから。

神は、ご自身のイメージをもって彼らを創造しました。

しかしながら、曲解し、不和となり、神に敵対し、現状に苦しみ、底辺をさまよい、異なる運命を強いられました。

創造主のイメージをもって彼らは創造されました。

彼らを創造したお方は、父なる創造の恵みを彼らに与え続けておられます。

カルヴァン神学校をよく知っている方は覚えておられるでしょう。

汝の敵の面倒の仕方、愛し方、深い神目線での憐れみのかけ方について教えます。

肉によって彼らを見るのではなく、彼らの背後に神のイメージの影を見ること。

神の栄光が全地を超えて光り輝くように創造されたエルサレム、その荒れ果てた以前のイメージを見た時、イエスは憐れみを感じて涙を流しました。

雌鶏が羽の下にひなを寄せるように、イエスはエルサレムに引き寄せられました。

私たちも同じです。

天の父を見上げ、神の寛大を見る一方で、悪用され、捻じ曲げられ、壊され、落され、そして傷付けられた神のイメージを見ます。

そして、私たちの心は酷く痛み入り、彼らに天の父の憐れみをかけてあげます。

イエスは、私たちに動機の4番目を与えます。

神の特性の中に動機があります。

クリスチャンの特性の中に動機があります。

敵の特性の中にも動機があります。

報酬の特性にも動機があります。

46節、47節。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。

どのような報いを得るのでしょうか。

あまり考えたことはありません。

 

 

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