みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Separated Unto The Lord, #2

2015年06月09日 | 聖書研究・信仰
自分を神に献げるということは、私は完全に神のものであるという認識に立つことを意味する。

この献身は、限定された事柄であり、徹底的な吟味が必要なほどに限定的だ。

主の中へと両手を差し入れる時、私の人生において大いなる1日となる。

そして、その日以来、私は主のものであり、もはや私のものではない。

これは、牧師や宣教師になるために献身するという意味ではない。

宣教師になる者は多い。

しかし、彼らは真に神に自分たちを献げているのではない。

いま論じている意味によるなら、彼らは神に自身を献げてはいない。

彼らは「献身した」と言うが(彼らはそう言いたいのだが)全く違うのではないだろうか。

神の御業に対抗する、十字架に付けられていない天然の性質そのままだ。

これは献身ではない。

それでは、我々は何に対して献身をするのか。

キリスト者としての働きのために献身するのではない。

神が望むものは何であれ、そうなるべく、そしてそれを行なうべく神の御心のために献身するのだ。