書道家Syuunの忘れ物

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父の日と聞かれて~ほとんど記憶にない現実

2011-06-12 00:45:58 | syuun の不思議な少年時代
父の日と聞かれて~ほとんど記憶にない現実

2011/06/11久々イオンに行って来た。
本当はデパートと書きたいところだが大手デパートは既に撤退か閉鎖され、俗に言うスーパーも食品スーパーしかなくなったと言うのが地方の空洞化である。
だから、イオンは隣町のイオンモールである。
実はこのイオンモールというのが田んぼや畑の中に忽然と出来たものだから、かえって他市からの方が近いという妙な位置にある。
ここでモールではなくイオンの方は、「父の日商戦」でラッピングコーナーなどが作られていた。

考えてみれば「母の日」というのは、大昔、どういうわけか赤い薔薇の紙で出来た造化の飾りをつけることが習慣だった。その薔薇の造花には「お母さんありがとう」という白い札がついていた。そして、学校からみんな赤い薔薇の花をもらってきて家に飾った。
「お母さんありがとう」と言うことなのだが、単に一輪挿しであった。
そして、お母さんがいない子どもは、白い薔薇の花をつけ、白い薔薇の花を飾ることらしかったが、そんな薔薇の花などは無かった。
そして、あるときから突然赤い薔薇の花がピンクに変わったあと、そんな習慣はなくなってしまった。
そんな頃に「父の日」が出来た様な気がするのだが、昔の家の習慣は盆と正月、彼岸。そして時としてのお月見しか行事はなかった。
そして、子どもの父親となり同じように家での行事は、「盆と正月、彼岸」しかない。それどころか正月もお屠蘇を飲むわけでもなく、おせち料理の重箱があるわけでもなく、お皿にスーパーから少量買って来たおせちの中身が元旦だけ並ぶ。
そしてお餅が入ったお雑煮も朝の一回だけ、盆、彼岸にも近くに花屋がなくなって仏壇に花を飾る事も無く、線香の煙は部屋の籠って空気が悪くなるからと炊かない。
年を経るごとに年中行事は簡略化して、古くからの伝統も何もあったものでは無い。
本来ならば、子どもの教育として自分の家に伝わる慣習ぐらいは教えておくべきものなのだが、精々父親がやっていたと言うことぐらい示すくらいしかない。

実を言うと、自分の父親もいい加減なもので6月中旬のお寺で行う施餓鬼。
終わってしまった後にお寺に行って付加金を払って、卒塔婆をもらいお墓に建てていた。それどころか、正月の元旦にお寺に行って説教を聞き御札をもらってくることさえ当日にはいっていなかった。
これは、自分の代になってから一回だけ子どもを連れて行ったことがある。二回目がないのは、二度と行きたがらなかったからである。
一方、父母に対して「父の日」「母の日」に何をしたのかと言えば、今まで何もしたことはない。

その昔、まだインターネットもEメールさえ影も形もなかった時代。
種々の記念日に「電報を打つ心得」の本を買ったことがある。
そして、それは面白いと友人の結婚1周年を記念して電報を打ってみたら、「なにだこれは?」電話がかがってきた。
昔だから長距離電話の方が高かったかもしれないが、そういう電報というのも今のE-メールなら何の支障はなかったというものだろう。
しかし、今の50歳代の父母でパソコンを自由に使っているという人にはあまりで会わない。
それで遠くにいる母親の誕生日に「フラワーギフト」というものを送ったという知り合いがいた。
これが不思議と結構迷惑がられたというのは、ものが大きかったからなのか無駄遣いは止せと思ったからなのかは良く分からない。


レカン(L`ecrin)とはフランス語で『宝石箱』。
クラシカルな赤い薔薇を使用したフレームアレンジです。


そんなことなら、最近は小さな造花のような生花がある。
うちの女房は友人から、「お世話になりました」と誕生日にこの小さな生花をもらった。
その後、家の中にからその小さな生花消えてしまったのは、例の東日本大震災のおり棚から落ちて粉々になったということだった。



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