書道家Syuunの忘れ物

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梅雨突入とジューンブライドと電報

2011-06-01 10:52:20 | syuun の不思議な少年時代
梅雨突入とジューンブライドと電報

もうすぐ今年も6月になる。余りに多くの行事があった5月は何か長かった気がしないでもないが6月ともなれば夏はもうすぐである。
6月というのは梅雨という言葉と切り離せないことが多い。
学生時代6月1日というのは大学の開学祭で、教養部時代は模擬店などにも関わった事があった。しかし、それ以外は雨という印象しか残っていない。
その後空梅雨という時期も何度もあって、6月が5月より良い日が続いたりした事もあった。その空梅雨を狙っておよそ10年前はTDLへ行ったこともあったものの、行った日からしっかり梅雨入りだった。
その梅雨の6月にジューンブライドJunebrideなどと、およそ20年以上も前から言われ出した。そもそもは、梅雨のない欧州の「結婚の解禁」習慣であったらしく日本には関係がない。
この辺のところは、あのバレンタインデーと似たようなものであるし、それを真似たのかも知れない。
いずれにせよ梅雨の時期には結婚式が少ないからであり、当初結婚式場は6月の時期に何かサービスがついたような記憶がある。しかし、今そんなサービスがあるかどうかは知らない。
少なくとも梅雨の時期には結婚式場の日時設定が取りやすいと言うことだけは間違いない。
実は小生も旧暦で言えば6月に結婚式をした。正確には7月4日だったろうか。
今年の梅雨入りは、記録的な早さで5月の下旬から関東地方は梅雨入りなのだが、開けるのは例年は7月中旬。
そうであったから7月4日と言うのは当時では、梅雨の真っ最中であったはずだった。
ところがどういう巡り合わせかその4日が朝から晴天で梅雨明けとなった。
こんなに早く梅雨明けしたという経験は未だにこの時ぐらいなものである。
結婚というのは、全く赤の他人との性格のすりあわせなのだが、多少個性の強い人同士方が何となく上手く行く事がある。
但し、常にこなして行かなければならない難題に直面して、初めて連帯感と役割分担が生じるし、角が取れてくる。
特に女性の方が性格的に「尖っていて」鎧を着ていることがある。
それは、仕事のキャリアを持てば持つほど常にそんなものなので、その鎧を互いに如何に脱がせるのかと言うのが結婚後の半年、1年の間の戦いというものである。
それで互いに意地を張って危険水域まで来るようなことも多多あったものの、種々の状況や刻々と代わる環境の変化はそんな悠長なことは許さなかった。
子どもを持って初めて父親にも母親にもなるし、多少なりとも残していた子どもという部分を払拭する。そして、今思うことは自分の父母の感覚はどうだったのかと言うことである。子どもから見て、父母を批判することは容易(たやす)い。
しかし、その年齢になってどこまで何が出来るのかと思えば「それなりに良くやった」と父母を評価出来る気になっている。
結婚した夫婦の成長というのは、厭がおうにも子どもを育てると言うことに負う。
子どもに対して、どうしてこんなことが分からないのかと昔の子ども時代に感じでいたことが今の子どもには通用しない。
親と子どもの世代ギャップというのは、子どもとの延々と続く反抗に悩ませるものである。
そこで考えると女性は結婚するしない、子どもを持つ持たないで何の変化もない、子どもを持たなくても子どものことは分かると主張する女史がマスコミに登場する。
しかし、子どもを育ててみて真に分かることが多いし、夫婦間は上手く行かなければ別れてしまえば良いが、子どもとの関係は切れることはない。
そして、子どもは親の言う事を聞かないものであるし、親に反抗しないと言うことは無い。
結局、そういう経緯を通して結婚当初は箸の上げ下ろしのまで厳しかった女房殿も種々の問題を許容する女性に変化して行くように感じる。
事実若い頃は才能その他全て誰にも劣ることは何と思われた完璧な女房殿も、子どもを持ってはじめて許容範囲の広い女性となった様な気がする。


多少昔にもう一度感慨をめぐらせると同じ7月で、梅雨の明けない頃に大学時代の友人の結婚式に招待されたことがあった。
今まで友人の結婚式の招待を欠席した2件のうちの一つになってしまった件だが、今でも何か心に残る事がある。
丁度他の予定が入っていたしかたないものではあったものの、複雑な感じがある。
その時は、申し訳なかったのでまずはお祝い金を入れた手紙を書いた後、欠席の通知を出した。
何とも後味の悪いと言うのはこういう欠席通知である。後から何か引き物が届いた気がするのだが何だったのか覚えていない。
多分、あの頃流行った大きな「ほうろうナベ」だったかも知れない。
大きい、重いというのが流行った頃で、その前の結婚式にもそんなものだったことがある。その後そんなナベなどをもらった記憶がなく、その後はコーヒーカップばかりだったような気がする。
そんなものなら多少豪華な電報の方が良かったと今となれは思う。

しかし、昔は大した電報というものは無かったし、電報と言えば合格電報ぐらい。
電話がなかった時代には、電報というのには訃報ばかりで良い事はあり得なかった。
今のように多少何か心が伝わりやすい電報なら、「引き物」なしで簡単に済んだ気がしないでもない。
ネット電報VeryCard




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